「部落差別」法案は解決に逆行 (2016.5.)

「部落差別」法案は解決に逆行

全国人権連事務局長 新井直樹さんに聞く

 自民党、公明党、民進党は「部落差別解消推進法案」の衆院通過を狙っています。同和(部落)の特別法は、問題解決に障害になるとして、14年前に失効しています。全国部落解放運動連合会を発展的に改組した全国地域人権運動総連合(全国人権連)の新井直樹事務局長に今回の法案の問題点を聞きました。

-現状からみて、法案の問題点は?

 差別被差別という新たな国民対立を生むことになる「差別固定化法案」です。 現状は、法務省の人権侵犯処理でも悪質で深刻な部落差別の実態があるとは言えません。旧「部落」や「部落民」に関するインターネット上の書き込みもありますが、現行法と対抗言論によって対処すべきです。部落を問題にする人がたまにいても、時代錯誤だと説得できる自由な対話こそが大事です。

差別を固定化

 法案のように「差別者」を懲らしめることでは、差別は陰湿化し、固定化してしまいます。結婚も部落内外の婚姻が主流となっています。結婚や就職の問題で自殺したという記事は見たことがありません。問題があれば、市民相互で解決に取り組める時代になったのです。そのため、政府も33年取り組んだ同和対策の特別法を2002年3月末で終結しました。全国の精緻な生活実態調査と国民意識調査を実施・分析し、審議会で各界からの意見聴取もして議論を重ね、万全を期して終了したのです。その経緯を無視する今回のやり方はまったく許されません。政府は、一般対策の名で同和事業予算を組み続け、差別の実態があるかのように国民に誤解を生じさせています。逆差別を生じかねないもので、同和事業こそ即刻廃止すべきです。

同和事業廃止を

-新たな法は解決の障害となるのですね。

 部落問題は民族問題ではなく、旧身分が差別理由として残ったものです。国民融合のなかで、社会から消滅してゆけばよいものです。それなのに、「部落差別の解消」をうたえば、国が「部落」と「部落外」を永久に分け隔てることになります。法案は「差別の実態調査」を国や自治体に求めています。根深く存在しているとの誤った理解を「調査」を通じて国民に広げることになります。人権を侵害し、特定の地域や住民を「部落」と示唆するものです。

 法案では、自治体などは相談体制をつくり教育・啓発をすることになっています。実態や経過を無視して自治体や学校に強制する根拠になり、大きな混乱を生じさせることになります。たとえば、埼玉県で同和行政を終了した自治体があります。こんな法律ができれば、終了がほごになり、「解同」(部落解放同盟)などの要求通りに復活するという混乱が生じます。全国各地の同和行政終了自治体でも、混乱を生むことが考えられます。

 2000年に自民、公明両党などの議員立法で制定された「人権教育・啓発推進法」は、人権問題を差別問題に矮小(わいしょう)化し、解決の実態から乖離(かいり)した「解放教育」や「同和教育」に法的根拠を与えてきました。こんな法こそ廃止すべきです。

-自民党の狙いをどうみますか。

 自民党は差別禁止などという法の名で利権維持をはかる「解同」などの動きを取り込みつつ、自らの国民管理に利用しょうとしています。自民党は国民主権の憲法を、国が人権を管理するものへ改悪することを狙っています。それと軌を一にした動きです。人権問題の深刻さから国民の目をそらし、人権問題はあたかも差別間題がすべてであるかのごとく描くものです。立法事実や「部落差別」の概念すらまともに議論をせずに、制定ありきというのはもってのほかです。憲法改悪、「部落差別永久化法」には、国民諸階層とともに断固反対の運動を広げていきます。

(2016年5月22日「しんぶん赤旗」掲載)

部落問題と人権認識について

部落問題と人権認識について

どの子も伸びる研究会 めざすもの

i 部落問題をめぐる運動と行政と教育

 部落問題とは、封建的身分制の遺制として残存してきた「未解放部落」(被差別部落・同和地区)にかかわる差別・人権侵害の問題です。

 戦前の水平社の運動は、戦時体制の進行のなかで消滅してしまいますが、戦後、新たに部落解放委員会から部落解放同盟へと再出発した運動は、勤務評定反対、安保闘争、三井三池闘争など大衆とともに闘う方向性を持ち、部落問題に対する関心を喚起し、政府の同和行政の取り組みを促しました。

 政府・自民党はこれらの運動の広がりを未然に防ぐため、逆に同和対策の積極化をはかり革新抑止策として政治支配に利用します。一つは対策の実施に「国民運動」の形を取らせること、二つは同和対策予算(補助金と特別交付金)をてこに部落解放同盟の指導部主流を補助金行政の道へと誘導することでした。指導部主流による批判者排除が始まり、組織は分裂します。こうして行政と一体になった解放運動(物取り主義)が開始します。合わせて、この時の指導部の行政主敵・報復主義的傾向は、地方自治体財政を破綻させることも辞さないかたちでエスカレートしました。

 当時の学校現場では、解放教育を主張する人々が猛烈に市の教委員会や校長を糾弾していたかと思うと、しばらくしたら、解放会館の館長や市の教育委員会に入るという現象に現れました。最近表面化した芦原病院や飛鳥会の不正問題などもこのような構造から生まれたものです。

 他方、正常化連から発展した全国部落解放運動連合会は窓口一本化の是正など行政の歪みをただす一方、ゆきすぎた糾弾闘争を批判し、住民自身による地域変革・融合の道を対置して運動をすすめました。

 「部落問題」をめぐっては、解放教育論の立場からは、「部落民宣言」が最高の社会的立場の自覚とされ、差別を固定的なものとする指導がなされました。地区子ども会、地区学習会、狭山学習、同盟休校など当時「解放の戦士」をつくるとまで言われました。大阪府も、そうした意図のもとに作成された解放読本「にんげん」を配布し、各市での同和教育研究会も同じような方針をとりました。

 言うまでもなく、解放教育論の誤りは、部落問題を別格化・特殊化し、ありもしない虚構「部落民」を強要し、教育を運動の道具にした点にありま す。

 解放教育論に対峙する教育論は、同和対策事業以前に行われた自主的民主的同和教育の継承と文部省の反動・融和政策に対する批判、合わせて部落問題の別格化・特殊化を廃し、部落問題の解消過程に沿う実践提起となりました。

 後に「どの子も伸びる研究会」に発展する「同授研」は、その時々においてそれらの方向性を示す「めざすもの」を公にする一方、生活綴り方による生活認識と文学による人間認識と社会科による社会認識の重要性を指摘し、人権認識を高める実践の探究を広げていきました。

 部落問題が進学・就学・結婚・居住などでも解消しつつあるなかで、矢田事件を始めとする数々の解放同盟による暴力的糾弾の誤りも裁判の結果を通じて明らかにされ、利権あさりも社会的批判を浴びるようになりました。同和を冠する法律も終わりをつげ、同和問題は人権教育・啓発推進の課題とされるに至りました。

 部落問題は歴史の一部として、自由と平等、生存権獲得の歴史として記述される以外は、特別な行政、運動、教育はかえって特別な意識を生み出すのではないかという段階にさしかかりました。

 「すべての子どもたちを主権者に育てる」取り組みの一層の前進が期待されるに至りました。

ii 人権認識は社会認識を前提にするもの

 人権とは「人間が生まれながらに持っている、他から侵されたり、そこなったりすることのできない「自由・平等などの権利」と言えます。

 とすれば、今の世界はどうでしょうか。世界人口の二〇%は貧困から抜け出せず、戦争や政治的弾圧がいたるところで起こり、言論の自由も危うい状態です。日本の社会も格差社会に移行しつつあります。人権の価値や内容はその地域や時において変動すると言えるでしょう。したがって、「世界人権宣言」や「児童の権利に関する条約」(子どもの権利条約)など国際的に合意された「普遍的な人権」もそれぞれに異なる地域や時に相応しく具体化ざれて豊かなものになるでしょう。

 とすれば、人権認識とは社会認識を前提にするもの、もう少し丁寧に言えば、抽象概念をともなう「人権」についての認識は、社会認識を構成する歴史的認識や現実認識など社会についての認識と互いに関連しあって深められていくと言えるでしょう。人権認識は、「ほんとうのことを暮らしに根ざして」を軸に形作っていくべきだと思います。また、現実の人権保障レベルが人権意識を規定することも直視し、レベルを向上させ、人権を日常レベルで感得させることも大切と言えるでしょう。

 ところで、政府が言う「人権教育・人権啓発」の「人権」とは、このような社会認識とかかわるものではなく、同和対策の延長線上に位置つく「差別意識」の解消を内容とするものです。人権擁護推進審議会が一九九九年に出した答申でも、要するに、さまざまな人権問題のうち、「人権尊重の理念に関する国民相互の理解」を対象とすると書いていることからもわかります。例えば、そのもとで実践化される「人権教育」は、「人権」概念を倭小化したものにならざるをえません。「参加型体験学習」や「人権総合学習」なるものが、実生活から遊離し、道徳と一体のものになっていることもここに起因していると思われます。

 本来の人権は、国民相互の間にある問題だけでなく、公権力や企業などとの間に生起する諸問題もふくめてとらえなければなりません。それらは、やはり社会認識のレベルと密接に関係しています。

月刊誌「どの子も伸びる」掲載

全国人権教育研究協議会を批判する(2014)

基本的人権の尊重(憲法)を歪める全人教
―全国人権教育研究協議会を批判する―

編集・発行/大阪教育文化センター「部落問題解決と教育」研究会

(全人教全国研究大会報告冊子から引用する場合は、大会開催年と報告県名のみ明記した。報告に地名が書かれていても、引用では○○と表示した。)

1.教育に運動を持ち込んだ全同教

(1) 部落解放同盟の別働隊に転落
 参加した研究会は多様な組織だった

 全国人権教育研究協議会(略称 全人教)は、1953年、全国同和教育研究協議会(略称 全同教)として発足した。当初から参加県市の研究会は多様で、自主的な研究団体として活動していた県、官製団体であった県、運動団体によりかかっていた県などがあった。

 全同教は多様な実態を尊重し、自主的な研究や地域に根ざす実践を大切にし交流していた時期もあった。
解同の別働隊に転落

 しかし、1960年代後半から1970年代にかけて、部落解放同盟が暴力と利権追求にのりだした。次ページに紹介するように、全同教もまた部落解放同盟の運動を教育に持ち込む団体に転落し、自主的な教育研究団体とはいえない状態になった。

 15兆円をかけて同和対策事業が行われ、環境は激変し差別解消へ大きくすすんだ。一方、事業を継続する限り問題が解決しないというジレンマを抱えていたこともあり、2002年、特別法は終了した。「同和」と名のつく特別な教育は終わらせようと解散した組織もある(和歌山県同教99年、広島市同教01年)。

 全同教は2009年、一般社団法人への移行とともに全人教へ名称変更、2011年に公益社団法人の認可を受けた。全国大会は「人権・同和教育研究大会」としている。

(2) 「解放教育」という運動の持ち込み

 全同教は1966年の第18回全国大会アピールで「解放運動と同和教育の結合」を掲げた。

 同和対策審議会(同対審)答申が1965年にだされたが、答申は「同和教育を進めるに当たっては、『教育の中立性』が守られるべきことはいうまでもない。同和教育と政治運動や社会運動の関係を明確に区別し」と、教育に運動を持ち込むことを戒めていた。

 これに対し「子どもたちの学習権保障のためにはいっそう教育と運動を結合すべき」「自己の社会的立場の自覚」などの「解放教育」が提唱されはじめた。全同教も「解放運動と同和教育との結合をさらに強め」ようと決議した。

(3) 「狭山事件」を教育に持ち込む

 1970年の第22回全国大会では狭山事件の石川一雄氏の「訴え」が読み上げらた。翌1971年の大会では「大会アピール」に「無実の石川青年を釈放させる運動と行政糾弾の闘い」と書いた。

 1972年の「大会アピール」は「『矢田教育差別事件』を通じて…部落解放運動と結合していくことなくして部落解放の教育創造はありえないことを全同教は明らかにしてきました。」「司法権力の予断と偏見によって、石川青年は獄窓に」などと書いていた。(※「矢田事件」は次項参照)

 1976年の大会アピールでは「権力裁判を糾弾する『狭山』同盟休校闘争を、教育への介入とし、部落大衆と労働者、父母、国民を敵対させる、私達の内部にある一部の傾向は、早急に克服されねばならない」とまで書いていた。

 2012年の研究課題では「狭山事件をとりあげ、石川一雄さんの生きざまに学ぶことができます。」としていた。2013年の研究課題から「狭山」は消えたが、記念講演の注や報告では取り上げている。

▼ ○○は今年の校内人権集会(「狭山」現地調査報告集会)で「狭山事件は殺人事件ではありません。部落差別事件です」と力強く語った。(2013年 熊本県)

▼ 職員室には「○○中学校から第2の石川さんを出すな」という「狭山」の教訓を継承し、すべての子どもたちの学力を保障しようという教師の姿勢を確認するため「石川一雄さん逮捕」の写真が貼られています。(2012年 奈良県)

 まだこんな学校がある。堂々と大会で報告し、全人教も平気で冊子に収録している。その大会を文科省や各県が後援している。

(4) 全同教は「部落解放同盟」の暴力を容認してきた

矢田事件 解同の暴力を容認

 1969年に引き起こされた「矢田事件」は、労働条件改善を訴えた大阪市教員の文書を部落解放同盟(解同)が「差別」と決めつけて教員を拉致糾弾し、市教委に首切りを要求、市教委は教員に長期間の研修を命じた事件である。最高裁は拉致糾弾した解放同盟員に有罪の判決、大阪市には損害賠償を命令する判決をくだした。1986年の最高裁判決は「差別文書」だとする大阪市の主張を退け、研修命令は裁量権の範囲を逸脱したものと明確に認定している。全同教が「矢田教育差別事件」と表現するのは解同の認識であり、すでに断罪されている。教育委や解同と異なる考えを表明しても差別ではない。

八鹿高校事件 解同の暴力を容認した警察・行政・マスコミ・そして全同教

 1974年11月、兵庫県立八鹿高校教職員58名が、解同による集団リンチを受けて重軽傷を負うという事件があった。(最高裁で解放同盟員は有罪、兵庫県と解同は損害賠償を支払えとの判決が確定している。)。

 全同教はこの時、京都出身の副会長らの反対にかかわらず正副委員長見解を発表。翌年2月の全同教委員会でそれを全同教見解とした。見解は八鹿高校教職員に非があるように描き「解同」の集団暴力を正当化するものであった。当時、三重・滋賀・和歌山・京都・岡山の5府県同教が見解の採択強行に抗議した。全人教は今日にいたるまでも、暴力容認の決議を撤回していない。

2013年全人教大会でも、特別分科会で講師が教育の中立性確保を非難

 2013年11月に徳島で行われた全人教全国大会でも運動の持ち込みは続いている。

 徳島大会の特別分科会第1講の講師(元全同教委員長)は、「激しかった同和教育攻撃」として、地域改善対策協議会の文書や総務庁地域改善対策室の通知を例にあげている。その文書は下に紹介するように民間運動団体の教育介入を厳しく批判している。教育に介入する民間運動団体とは部落解放同盟である。

 教育の中立性確保という当たり前のことが通用しないのが全人教の「同和教育」である。「公益社団法人」として認可されたという全人教のどこに「公益性」があるのか。

 地域改善対策協議会基本問題検討部会報告書

 同和教育については一般住民の批判的な意見も多いが、この背景には、地域によっては民間運動団体が教育の場に介入し、同和教育にゆがみをもたらしていることや同和問題についての住民の理解が十分でないことが考えられる。同和教育の推進に当っては、住民の理解と協力を得るよう努めるとともに、教育と政治・社会運動との関係を明確に区別して、教育の中立性が守られるよう留意し、行政機関は毅然たる姿勢で臨むこと。指導に当たっては、教育の中立性を確保する方策が明確に示されるべきである。(1986(昭和61)年8月5日)
 (地域改善対策協議会は総務庁(当時)のもとに設置された審議会)

2.教育で「部落」を分けへだてする全人教

(1) 学校が「部落」を意識させている

 大阪府の調査では「同和問題をはじめて知ったきっかけ」が「学校の授業」というのが20代、30代、40代で過半数(2010年府民意識調査)。埼玉県中高生意識調査では初めて知ったのは学校が82%(2010年調査)。

 全人教は基調提案などで「部落の子ども」「部落外の子ども」などと子どもを色分けしている。各地の報告も依然として「同和地区」「被差別部落」「ムラ」と呼称し、子どもたちを「部落出身かどうか」を意識している指導者のまなざしがうかがえる。

▼ ○○さんと語る中でわたしは、部落の子どもたちがいつか部落差別と向き合う日が来ることを意識するようになりました。(2013年 鹿児島県)

▼ 3年生で再びAの担任になった。今度こそは部落問題の話もしていきたいと思い、4月早々、家庭訪問を申し入れた。お母さんから「なぜ、うちなのか」「点数稼ぎのためか。」と返ってきた。(2013年 三重県)

▼ 6年生のA子は、普段から、「なんで○○の子どもだけ、学習会にいかんばいかんと?」と言って半ば強制されることに対して明らかにいやがっていた。(2013年 佐賀県)

▼ Bの母親は同和地区出身である。母親は他地区の男性に嫁いだが、Bが幼少の時離婚し、実家に戻った。(2012年 岡山県)

▼ ○○地区・○○地区・○○地区と三つの地区公民館があり…。…○○地区・○○地区には部落があります。…ムラ出身でない私はなじめていませんでした。(2012年 鳥取県)

▼ 願い出て「ムラの子が顔を上げられる授業」を目指して江戸時代身分制の授業をさせてもらった。しかしその後の授業の後で差別発言があった。本校の課題は、ムラ以外の子どもたちがともに反差別の仲間になる授業だと気付いた。 (2012年 宮崎県)

▼ 私は「部落出身であるAこそが部落問題を学ばなければならない」と考え、Aに部落出身であることを伝えた。(2011年新潟県)

 大阪からの報告には、「同和地区」や「被差別部落」という言葉は出てこない。それは大阪における部落問題解決の到達点や府民の批判の高まりを反映した結果である。

大阪府教委「ムラ」などは使用しない

(民権連)府教委とすでに決着ずみの「ムラ」「むら」“むら”などをやめさせること。

(府教委)ご指摘のような表現による誤解や偏見を避けるため、教材の見直しを行いましたが、今後とも、使用しないように取り組んでまいります。(2012.3.13 民権連の府教委交渉での回答)

 「民権連」は「民主主義と人権を守る府民連合」の略称(全国人権連に加盟)

※府教委は人権教育指導資料を配付しているが、その小学校向け教材では「部落」「同和地区」などの言葉はいっさい使用していない。

(2) 展望でなく恐怖を育てる全人教

 半世紀以上前のごとく、全人教は「差別がある」「差別される」と不安をあおっている。その結果、「学習経験を積むほど、『就職差別や結婚差別は将来もなくすことは難しい』という悲観的な意識が広がったということも指摘しておかなければなりません。」(大阪府民意識調査分析編p73・74)という事態を招いている。地域の状況は激変し、国民の融合も大きくすすんだ中に子どもたちは育っている。差別をする人がいれば周りのみんなが「それはあかんやろ」とたしなめる時代である。が、全人教は展望を語らず決意を促す教育をする。

▼ 前任校では、学習会が補充学習だけでなく、解放学習会としての取組がいろいろあった。それをとおして、子どもたちが社会的な立場を自覚する。勉強を重ねていくなかで、子どもたちは『なぜこのような差別があるのか』『将来、結婚する時に差別されるのか』という不安をもつ。(2012年 香川県)

▼ 僕は差別をまだ受けたことはありません。だから差別に実感がわきませんでした。けど話を聞いて、自分の近くにこんな差別があることがわかりました。(2013年 大阪府)

▼ ある生徒は「人権を語り合う中学生交流集会」に参加し、初めて部落問題の厳しさを知った。今まで同和問題を他人事としかとらえていなかった自分を反省した。(2013年徳島県)

▼ 今私達は社会で部落差別のことについて調べているけど、二人の方の話を聴いてとても役に立ちました。今も部落差別があると聞いてとてもショックでした。(2013年 福岡県)

 しかし、全人教大会での報告も、よく読めば国民融合に向かって着実に前進していることがわかる。「今の差別の現実は見えづらい」(2012 岡山県)というが、それは差別が解消に向かっていることを意味する。

総務庁文書も出自にこだわる誤りを指摘

 憲法第14条は,「すべて国民は,法の下に平等であつて,人種,信条,性別,社会的身分又は門地により,政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない。」と規定している

 これは,直接的には法の領域の問題ではあるが,私人間の道徳的領域の問題としても,この原則は,国民の間に広く浸透し定着しつつある。

 江戸時代の身分制度に今日こだわることの非合理性,前近代性は広く一般の人々の受け入れつつあるところであるので,「なぜ同和問題についてのみ,あなたは,昔の身分制度にこだわるのですか」という問いかけは,人々の反省を呼び起こすのに有効であろう。

 また,同和関係者も自ら同和関係者であるか否かにこだわらないという信念を固めることが重要である。

(「地域改善対策啓発推進指針」1987(昭和62)年3月18日 総務庁長官官房地域改善対策室長通知) (全文はホームページ「人権教育辞典」で紹介している)

3.「人権教育」は解釈改憲の先取り

(1)  憲法の基本的人権を歪める教育

 2008年3月、文科省の人権教育の指導方法等に関する調査研究会議が「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」を報告した。全人教はその活用を訴えている。

 全人教としても、3次にわたる[とりまとめ]を活用し、同和教育の理念と教訓を踏まえた人権教育が全国すべての学校・地域・家庭において着実に進められるために、各地の具体的な実践交流を通した発信を続けていかなければなりません。(2012年度研究課題)

 基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利である(憲法97条)。人権は自由を侵害する権力者との対抗でつくられてきたものであった。ところが、政府・文科省・全人教の「人権教育」は、「人権尊重の理念についての正しい理解やこれを実践する態度が未だ国民の中に十分に定着していない」と国民の責任に転嫁し、人権を国民の意識の問題にすり替えている。上からは権力者が、下からは暴力と利権の集団が国民や児童生徒に「人権尊重」を迫る構図である。

 [第三次とりまとめ]は憲法について「世界人権宣言、児童の権利条約、憲法などの条文化された法規への理解を深める」と1行あるだけで、憲法をもとに人権を具体化させる指導はない。「国連人権教育のための世界計画」や世界人権宣言はあっても日本国憲法はない。

 全人教のすすめる「人権教育」は、憲法の保障する権利実現を権力者に求めるのでなく、私人の間の関係に矮小化するものである。これは、人権における「憲法の解釈改憲」ということができる。

人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]

はじめに
 我が国も(中略)全ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の下で人権に関する各般の施策を講じてきた。(中略)このような人権尊重社会の実現を目指す施策や教育の推進は、一定の成果を上げてきた。しかしながら、「人権教育・啓発に関する基本計画でも指摘されているように、生命・身体の安全に関わる事象や不当な差別など、今日においても様々な人権問題※が生じている。
(中略)(基本計画は)「より根本的には、人権尊重の理念についての正しい理解やこれを実践する態度が未だ国民の中に十分に定着していないこと」等を挙げている。

※(引用者注)「人権教育・啓発に関する基本計画」(平成14年3月閣議決定)の様々な人権問題とは、女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題、アイヌの人々、外国人、HIV感染者・ハンセン病患者等、刑を終えて出所した人、犯罪被害者等、インターネットによる人権侵害等

(2) 人権教育に数値目標? どうやって評価?

 2011年全人教大会の特別分科会では全人教副代表理事が講演している。この人は文部科学省人権教育の指導方法等に関する調査研究会議委員でもある。

 資料を見ると「小学校マニフェスト」では「『部落問題は被差別部落の友達の隣に座っている自分の問題』として捉え、自らのくらしと重ねて考えたり発言や行動できる6年生の子ども、五〇%をめざす」、「中学校マニフェスト」では「人権・部落問題学習で学んだことを、自分の暮らしや家族、友だちとの関係や自分の将来と結びつけて考えることができる子ども八〇%をめざす。」と数値目標を掲げている。

 数値目標を掲げた人権教育のどこが「人権」の教育と言えるのだろうか。子どもの内心をどうやって評価するのか。文科省がすすめようとしている道徳教育の教科化の先取りである。

 子どもの心や行動を数値目標にするのは、かつて学校が「満蒙開拓義勇軍」や「予科練」への志願の数字を争い子どもに迫ったことと同じ過ちを繰り返すことになるのではないだろうか。

 文科省[第三次とりまとめ]は「学校は、公教育を担う者として、特定の主義主張に偏ることなく、主体性を持って人権教育に取り組む必要があり、学校教育としての教育活動と特定の立場に立つ政治運動・社会運動とは、明確に区別されなければならない。」としている。全人教のような「特定の主義主張」に行政の後援・公費出張などは停止すべきだ。

再び「差別落書き」問題について

再び「差別落書き」問題について

1983年10月 大阪府部落解放運動連合会 (全解連)

 私たちが発表した「いわゆる『差別落書き』問題について」(=「落書き見解」、6月15付「解放の道」)が大きな反響を呼んでいます。

 ひとつは、「落書き見解」を歓迎、支持する声で、同和地区住民はもとより郵政をはじめ自治体労働者や教育関係者から広く寄せられています。いまひとつは、「見解」の真意や「見解」で示した事実に目をつぶり、よこしまな立場から非難、中傷するというもので、おもに解同一部幹部とそれに迎合する一部の労働組合などからしかけられています。

 「見解」を発表して4ヵ月、「解放新聞」「主張」(9月12日付)に代表される”反論”なども出されている状況をふまえて、ふたたび「差別落書き」についての全解連の立場を明らかにします。
「落書き」は保存・流布するものか?

 解同府連は、ことし(1983年)5月に開いた大会で「落書き事件などが起これば、すぐ消してしまうのではなく、(雨ざらしにしておくことはよくないのでカバーをつけるなどして)大衆的な見学会を組織するなど、日常ふだんに差別に対する怒りを組織することである」との方針を決めました。

 この方針のもと、ことしの四月に大阪市浪速区の栄小学校前で発見された「落書き」を、ベニヤ板でかこい鍵をかけて”保存”しています。そして、「差別落書き事件パネル展」を開催、「周辺地区のパトロールと街宣活動を実施」(大浪橋差別落書事件糾弾闘争本部のビラ)しました。

 解同幹部は、「落書き」を”保存”したり、「見学会」を組織するなど流布・宣伝することでほんとうに差別をなくせると思っているのでしょうか。非常識で人権をふみにじる無法を放置せず、発見したらすみやかに消去できるような体制をつくること、府民がもっている正義感と民主主義、人権意識を高めつちかってゆくことこそ「差別落書き」を根絶する最大の保障です。

 しかも重大なことは、こうした解同の方針に迎合して、一部労組が機関紙などをつかって全解連へのひぼう、中傷をあびせるばかりか、「差別落書き」そのものを流布していることです。

 「大阪総評」(1983年9月11日付)や「自治労大阪」(1983年9月28日付)は、「エスカレートする『差別落書き』」などと大見出しで報道するとともに、「差別落書きの発生状況」をまとめ、府下各地の「差別落書き」多数を日付、場所を明記して原文のまま列挙、打撃的でぶべつにみちた「落書き」を組合員に流布しました。事実にもとづくことが報道の使命とはいえ、こうしたやり方は非常識きわまりないもので、部落差別を拡散・助長することになりかねません。
「糾弾」の事実はないか?

 私たちが先の「見解」で、「落書き」の対象となった施設や場所の設置者や管理者が、「解同」の幹部らにしばしば「糾弾」され、「差別」の「確認」を迫られるとともに無法・不当な要求に屈服させられている実態を重視してきびしく批判したことにたいし、解同の「主張」は、「事実を歪曲」しているなどとあたかも暴力的「糾弾」や無法な要求をしていないかのようにのべています。

泉佐野市役所トイレの落書きで市長を無法な糾弾

 「糾弾会への出席を拒む向江(泉佐野)市長に対し、夜10時ごろ自宅ヘバスにいっぱいの50名の支部員が出席をもとめて闘争を展開し、午後10時40分に、市長を会館にひっぱり出し、差別事件への煮えきらない無責任な態度を怒りをこめて追及していった。深夜2時半までかかる闘争の中で、①差別落書きは泉佐野市に責任があり、加害者は泉佐野市であることをはっきりと認めさせた」(解同樫井支部ニュース、1982年12月20日付)。

 これが暴力、無法でないというのでしょうか。

 「糾弾」のすえ、市長は、市役所地下トイレに書かれた「差別落書き」の”犯人”にしたてられ、「『今後このようなことのおこらないよう反省し、対策をたてて真剣にとりくみたい』と自己批判と決意をのべ」(「解放新聞」大阪版、1983年2月14日付)させられました。この「落書き」の発見者は、解同の事実上の下部組織「泉佐野市役所職員同和問題研究会」の会員、そして「確認」→「糾弾」→「反省」という私たちが指摘したとおりの経過をたどっています。

 また、昨年末に大阪東郵便局でおこった「差別手紙」事件では、数回にわたる「糾弾」のすえ、①「解放研」の育成強化、②部落出身者の雇用促進③勤務解除の追補充、など10項目にわたる要求を認めさせています。(解同飛鳥支部「解放ニュース」、1983年8月1日付)

 こうした一連の事実は、解同の”反論”なるものが無法な「糾弾」をおおいかくす苦しい弁明にすぎないことを証明しています。

 部落差別をはじめとする差別をなくす条件づくりは、他人をはずかしめたり差別することが自らの人権と人格をおかすことになるという社会的環境を府民と手をたずさえてつくり上げること、政治的にも、経済的にも高度な民主主義を達成することです。

 解同一部幹部がさけぶ「差別落書き」にたいする闘争方針は、部落差別の解消に役立つどころか、大きな障害となっています。全解連は、先に示した「見解」の立場で広範な府民のみなさんとともに、今世紀を”部落差別最後の時代”にするために全力をあげるものです。

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いわゆる「差別落書き」問題について 1983年6月 大阪府部落解放運動連合会(全解連)

うちの子にもついていける勉強のすすめ方をしてほしい!!

うちの子にもついていける勉強のすすめ方をしてほしい!!

―国民の教育主権を取り戻す合言葉―

渡辺 元 (子育て教育八尾市民会議代表・元八尾市立小学校教員)

はじめに

 2007年、NHKが特集した「学校に対する「無理・難題」の中に ――うちの子にもついていける勉強の進め方をしてほしい ――というのがはいっていたので驚いた。

 「うちの子にも・・・」とたのむのは一見わがままのようだが、わがままではない。 憲法26条は「すべて国民は教育を受ける権利(=勉強についていける権利)を持っている」と守ってくれているし、99条は「政府や教職員など公務員には憲法どおりになるように努力する責任がある」と命じているのだから「うちの子にも・・・」と願う親心は、政府や教職員が責任を持って受け止めねばならない。主権者の願いなのだ。だから、戦後1956年までは、この願いどおり ――みんないっしょに賢くするための法律 ――が整えられていた。

 ところが、国民の教育主権を取り上げたい財界本位の政府は1956年以降手立てをつくして、この親心を「無理・難題」だと錯覚する世の中にしてしまった。

 まず、その歴史を振り返り、つぎに教育再生の道をかたろう。

1.国民の教育主権の略奪史

(1) 教育委員会法改悪 1956年、国民の教育主権の根を断ち切った。

 次に掲げるのは、1950年に行われた教育委員選挙の投票日の、街のようすだ。

(八尾小学校作文クラブ文集②より)

無題

         5の3      水谷(小松)悦子

 うら門まできて、一人は帰ってしまった。もう一人も嫌がっていたが、私が一けん一けんいって、「教育せんきょ、いかれましたか?」と五、六けんいってまわっているうちに二人ともわたしのうしろで、私といっしょにいいはじめた。

 だいぶまわったろう。もうそのころには二人ともなれて、私より先に走っていって言っていた。  どこの家も「いきましたで」という。

「ありがとうございました。」といい、戸をしめようとするとき、「ごくろうさんやなあ」といってくれる。

 いっていない家はおおかた店やで、「今、いってまんねん。かわってもろたら、いきまっせ」と笑いながらいう。
 両がわにわかれた。中学生がわたしらのまねをしながら、いたずらそうに「へぇ、いきまっせ」といった。

 おおくの家をまわった。まだ雨は私たちの傘をぬらしていた。顔見知りの人がバカていねいに返事して、私たちをわらわせた。

 三人よって歩く。歩いていても、いつもよりえらいような気がした。

 この作文を読めば『子どもを戦場へ追い立てる教育は、これで終わるのだ』と教育委員選挙を歓迎する、街の人たちの明るい笑顔が、目に見えるようだ。

 それだのに、1956年政府は「教育委員選挙は、実益がないのに、お金がかかりすぎるから、ヤメたい。」と言い出して国会はこの言い分を通した。

 教育委員選出は、選挙から首長の任命にかわった。教育行政に国民の声を直接とどける道がなくなった。

(2) 勤評攻撃 1958年(教育には自由がよく似合う。)

 政府は、教育主権剥奪の次の一手として、勤評攻撃をかけてきた。

 勤評攻撃とは「月給に差をつけるぞ」と、おどして管理を強めようとする政策だが、これは教育が本来持っている自由に守られて、ほぼ失敗する。

 保護者・地域がこぞって「どの先生も個性を生かして、よくやってくださっているのに、月給でしばって、窮屈な目に合わせたら子どものためによくないだろう。

 子どもには、のびのび育ってほしい」と考えてくださったからだ。

 それは、このころ、学習指導要領が(試案)=(参考にすればいいもので)強制力を持っていなかったから、勉強の進め方は教員と保護者・地域が子どもの様子を見ながら学者と相談しながら決めていた。いいかえると ――うちの子もついていける勉強のすすめ方――になっていたからだ。  こうして、ほとんどの自治体では勤評が骨抜きになり、月給に差をつけているのはごく一部の自治体しかない。

 戦前のように、国が教育主権を持ち、思い通りの子どもを育てたい政府は、このじゃまになる信頼関係をこわす根まわしに勤評攻撃の年に、「試案」の文字を消し去った。「勉強は政府のいうとおり進めなさい」というわけだ。

(3) “よりわけ教育”宣言 1962年 財界主導

 戦後この年まで、日本の教育の基本を――《教育行政は不当な支配に服することなく、直接国民全体に責任を負う》――という定めのとおり、マスコミ、労組、PTA、校長会などなど、国民全体の教育要求を直接汲み取りやすい立場の人たちの代表が、それぞれ委員に任じられていた。  国民の教育主権を実のあるものにするためだ。

 ところが、1962年から委員が一名だけ超有名な文化人を目かくしに飾ったほかは、全員財界人になった。

 「教育基本法が禁じている不当な支配ではないか」と抗議に行った人に政府は「財界人は良識の人だから、全体を代表できる」と言い返した。

 しかし、これはただのいいのがれで財界の人たちは「今までの教育は、みんな一緒に賢くしようとしたから、無駄なお金がかかった。これからは、国際競争に勝ち抜けるエリートを掘り出して、効率のいい教育にしよう」という意味の答申を政府に出した。

 みんないっしょに賢くしようとして、やさしく、やる気のある、民族のいい後継ぎがそだつために。

(4) “より分け教科書”の悪行三つ 1970年・人格破壊の惨状

 答申通りの政府は、1970年から”よりわけ教科書”を子どもに渡した。

 みんな一緒に賢くできる、ゆとりのある教科書を。

 ――六・三制、野球ばかりが強くなり ――とひやかしていたマスコミは、“落ちこぼれ”だとか “新幹線教育”だとか言う言葉で<自己責任論>=(わからないのは努力が足りないからだ、という意見)を流行させたので、街では学習塾が爆発的に増え、母親たちは塾の費用稼ぎに、パート労働になだれこんだ。

 ところが、マスコミは指摘しなかったが、“より分け教科書”には子どもの人格を歪め、保護者・地域と教職員・学校との信頼関係をこわす、悪の爪がかくされている。このうち、特に深刻なものを3つ挙げよう。

① 教育漢字を増やした。(多すぎる)

 1948年、教育漢字881字を発表したとき政府は「漢字はいろいろ役に立つものだが、多すぎると勉強ぎらいのもとになるから、この数にしぼった。」とという意味のコメントを添えていた。

 『こどもをみんな、勉強好きに育てたい。』という憲法どおりの立場に教育も立っていたのだ。

 おかげで、1年生に配当された漢字の数は23字だったから、ひらかなの読み書きに自信を持って、次に進みたくなってきた、3学期になってから、やっと漢字が出た。

 だから、「さあ、今日から漢字の勉強が始まるよ。」と言ったとたん、子どもたちは全国どこの教室でも「カンジ! カンジ!」と歓声をあげたものだ。大人の字を習うのがうれしいのだ。

 こんなに心を揃えて、わき立っている教室では“いじめ”など起こりようがない。

 ところが、財界がいうとおり、“より分け教育”に方向を変えた政府は、漢字も選り分けの道具にしようと「日本文化の伝統を尊重するために。」と口実を構えて1006字に増やした。1年生の割り当ては81字になった。

 だから、ひらかなにまだ自信がつかない1学期末には、もう漢字を出さないと間に合わない。

 それで、「今日から漢字の勉強をはじめます。」といったら、子どもたちは例外なく、どこの教室でも暗い顔をして、うつむくそうだ。心の中で『まだ、ひらかなに自信がついていないのに!!いやだなあ! 』と悲鳴をあげているのだろうか。

――自信がついたら次へ進みたくなる ――という発達の法則を踏み外してはいけない。これは政府がする激烈な子どもいじめだ。

 勉強は政府自身が1948年に言っていたように、いやいやするものになった。いやいやでもしなければならない。いらいらが “いじめ”の原因だとは、すべての“いじめっ子”の証言だ。

 それだけでなく、子どもたちは「国語はキライ。漢字の勉強ばっかり。」といい捨てる。読む力や書く力が育たないのは当然だ。

② 入門期指導の削除(納得軽視)――かわいさを奪われた――

 政府は、「文字や数字を覚えて、入学する子が多くなったから、“入門期指導”をしていたら、その子たちが退屈する。」を口実に“入門期指導”を削除した。

“より分け教科書”の中でも、最悪の仕打ちだ。

 戦前から戦後1960年まで、1年生の担任は大正時代に豊かになった教育技術を受けついで、文字も数字も1字ずつ、暮らしと結んで納得させることに、1学期いっぱい専念なさったのだ。教科書もそのために作ってあった。

 この授業で、納得の楽しさを味わった子どもたちはみんな勉強が好きになった。

 ゆっくり進むから、みんなの足並みが揃って『いっしょに勉強して、いっしょに賢くなる仲間だ』という暖かさが育った。

 文字や数字を覚えて入学してきた“できる子”も、この授業には退屈するどころか、みをのり出して乗ってくる。

 文字や数字を、暮らしと結んで納得させるとき、納得に役立つ意見をいっぱいだしてくれるのだ。その日学んだ文字がつくことばを、集めるときも、黒板に書いた数式で、答えがわかるお話を作るときも。覚えていることと、みんなで納得し合うこととは違うのだ。

 この人間発達の最重要な節目を“より分け教育”は削ってしまってどうするのだ。

 新入生用品のコマーシャルから「かわいい かわいい 1年生。」という言葉が消えてしまった。

 しかし、今でも自主編成して、昔ながらの入門期指導にとりくみ、かわいい、かわい1年生を育てている教員は増えつつある。その方が、あとあと楽なのだ。

③ 九九を2年生にあげた。(早すぎる)

 政府は、「3年生より2年生のほうが、マジメだから、九九も暗記させやすい。」と愚にもつかない口実を構えて九九を2年生の教材にした。しかし、これは根本がちがう。

 大正デモクラシーを各界が育てていく中で、たとえば銀行員だった小林多喜二は。文学仲間が地域の労働者を結びつけるために、ニシン倉庫のあとを利用して開いた居酒屋で、蟹工船の労働者から綿密な取材ができたし、教員たちは“治安維持法”を気にしながら、こっそり集まっては、子どもに恥をかかせないで、読み、書き、計算の腕前に自信をつけさせる仕方をいろいろ開発した。

 その中で、

――加減算の仕方に納得して、その腕前に自信を持つてからでないと、九九は覚えにくい。今のように、2年生で九九を教えるのは早すぎる.警官に学校へひきずっていかれる子がでてしまっているのではないか *1 ――

と経験をまとめていた。

 だから、戦後、勉強のすすめ方を国民が決めるようになったとき、九九は3年生の教材になった。

 2年生いっぱいかけて、加減算に自信を持たせてから九九を教えるためだ。

 3年生になった子どもたちは喜び勇んで九九にとりくみ、どの先生のクラスでも、最後の一人の暗誦に成功した瞬間、教室はお祭り気分につつまれたものだ。

 2年生で教えたら、こうはいかない。九九を2年生に返した罪は重い。

 ためしに、3年生で百マスを使って九九のテストをしてみたら、ボロボロさ加減がよくわかるだろう。

2.教育再生の道

(1) 現状

「いよお!! 日本一!!」
と、おおむこうから掛声をとばしたくなるような、ステキな実践でサークル仲間をはげましてくれる教員が、校長の嫌う組合運動にも力を入れるから、「評価・育成制度」で2008年、期末手当てを10万円ほど下げられた。

 けれど、この不当を正す力を集めようとしても、今はだめらしい。

 2007年秋、憲法9条を守り抜こうと考える人たち、近所どうし20人たらずの集会で20分ほど「評価・育成制度は、戦争―の一里塚」と、一席やらせてもらったところ、感想の第一声は、「それでも、点数をつけてもらった方がいい先生も多いからねえ。」だった。

 これを皮切りに、出るわ 出るわ。全員が教員批判で盛り上がった。国民の教育主権を奪われ、子どもが育ちそこねている腹いせなのだが、敵は教員ではないのにどうしよう。

(2) 自主編成のすすめ

 政府の“より分け教育政策”に惑わされないで、『わからない子が残ったら、かわいそう。』と教育の本道を自主編成しておいでの教員は増えつつある。そんな教員のクラスでは、何年もつづいていた“いじめ”も消えるし、「学校たのしいよ。おいで」と友人にさそわれて、登校拒否だった子がスンナリ登校しばじめたりしている。

(3) 自主編成の原理・原則

 「子どもは、内なる要求にうながされて発達する。」という学説がある。

 私はこれを、“全面発達を目指していた頃の同和教育運動”の中で小川太郎さんから学んだ。

 その後、50年あまり実践と思索を重ねてこの内なる要求は、次のようにまとまりかけている。

 ●基本的要求 = みんなでしたい。
 ●人間的要求 = 発達したい
 ●文化的要求 = たのしみたい

 人類が百数十万年の歴史をかけて、結晶させた内なる要求。他の動物は季節に支配されるが、人間だけは春秋・昼夜を問わず催せる性欲ほどに、しっかり身に付けて生まれてくる内なる要求。これを掘り起こし、つなぎ合わせて、輝かせるのが教育 =(自主編成)だと仮定して、基本だと思うことを3つにまとめて提案する。

① 納得こそわが命と、たのしもう。

 “より分け教科書”の一番悪いところは、「納得」を楽しむ気風を薄れさせることだ。

 ――― 両手の指十本を使って、
 「7ちゃんと仲良しなのはだーれだ。」「そうだ、そうだ 3ちゃんでした。」など足せば10になる数を見つける遊びに乗せると、子どもは夢中になって楽しむから、くり上がり・さがりの「納得」が早いよ。―――

とすすめても、おもてに7+8と書き、うらに15と書いたカードを作り、これを暗記させることにしか打ち込めない先生など、教科の進度の速さに足をとられて、「納得」を粗末にする教員の噂を聞くと、せつない。

 “より分け教育”で、日本の教育はどうなるのだろう。

 けれども、子どもは、みんなで一緒に納得できたとき、教室一杯に花のような笑顔を広げるところは、今も変わらない。「納得こそ、わが命!! 」と自主編成して、本物の教員に自らを育てよう。これはたたかいだ。

 納得させるためには、
・暮らしと結んで教える
・身体と五感を使って実感させる
・学習用具 =(たとえば分度器)の使い方に習熟させる
・まちがいや疑問を、みんなで大切にする
ことがいいようだ。

 何か大切なことは、たとえば繰り上がりの仕方を手間・ひまかけて、みんなに納得させることを目指して打ち込めば、教室はかならず楽しくなり、教員生活の展望もひらけるにちがいない。  なお、みんなには納得できそうにないことには、けっして手を出してはならない。憲法に違反すると手厳しい反発をくらう。

② 読み・書き・計算の腕前に、自信を持ち合わせる。

 “より分け教科書”の悪い点の2つ目は、読み・書き・計算という人間だけが持っている腕前に、自信が持てないようにしむけていることだ。自信がないのは、マスコミがいうように五日制や“ゆとりの時間”の性ではない。「みんないっしょに賢くする」という教育の大原則をふみはずし、“より分け教育”をしようとするからだ。

 ここを改めなければ、やたらに授業時間を増やしても、子どもを疲れさせるばかりだ。

 納得させながらすすむ勉強なら、腕前は自然についてくるのだか、わかったことにして次に進まないと、間に合わない今の教科書では、子どもの腕前はボロボロになっている。

 腕前に自信がないと子どもは荒れる。だから、学校や学級を育て直そうと思ったら、腕前のドリルが必要だ。百マス計算の成果はその一つだろう。

 全国一斉学力テストの結果公表を、権限もないのに地教委に迫り、地教委の教育的配慮をふみにじる ――行政の教育主権の信奉者 =(テストで追い立てないと、子どもは育たないと考える人)――大阪府知事が、百マスを進めるからといって毛嫌いすることはない。

 百マスは誰が考えだしたのか。1960年代はじめから民間教育研究運動の中で、少しずつはやり始めていた、試されずみのドリルだ。橋本知事さえ推奨するところへきたのだ。

 ドリルの内容や方法は、いろいろ考え出すのがいいけれど、どの子にも恥をかかせないことと、遊び心で取り組めることには心がけたいものだ。

③ 発言の自由を育てる

 “より分け教育”が生み出す矛盾を政府の<教育再生会議>は説教→ゲンコツ→追放 =(管理強化)ですり抜けようとしているが、こんなおどしや、みせしめでは子どもはそだたない。

 子どもはやはり、納得の楽しさを味わったときや、腕前に自信を持ち合ったときに、よく育つ。さらにその上、発言の自由を育てることで子どもは根っこから発達する。親が突然首切りにあうなど、思いもかけぬ不幸に見舞われても、しなやかに乗り越える力がつく。

 発言の自由は「渡る世間に鬼はない」という実感を育ててくれる。

 これは、まず、各教科の授業で育てるのが基本だ。

<教室はまちがうところ>と額を掲げている教員もいる。特に生活綴り方教育運動の中には、すぐ真似でも有効な、豊かな達成がある。

3.自主編成を広げるために

 「働きやすい学校だ」と評判がいいし、自主編成も盛んな学校に対して、子どもが育ち合っている憲法どおりの実践を出し合う会へ、報告をおねがいしたら、―――子どもの話がある学校―――というテーマで語ってくださった。

 この学校では、校内研で本音が出しやすいように、全員が、
・子どものようす
・大切にしていること
の2つを更紙2分の1にまとめ、これを係が更紙にはりこんで人数分印刷し、討議資料にするそうだ。更紙2分の1で2つのテーマだから、書く分量が少ないので本音がでやすい。

 みんなのクラスの様子と教育方針が、一目でわかるから、安心してグチ話がブッチャケられる。グチ話がブッチャケ合える、心安さが職場に育ったら、いいことが4つある。

① しんどいのはみんな一緒だなと、心が安らぐ。自主編成の元気がでる。

② 発言の自由が育って、思いがけない、控えめな教員のステキな実践が聞ける。

③ 子どものグチで、慰めあえる職場になって、子どもの扱いがやわらかくなる。

④ 親が苦情をいいに来たとき、近くにいる教員が自然に集まって、話を聞かせてもらう気風が生まれる。

どれだけ心強いか。「親もていねいに扱ってもらえた」と満足してくださる。

 グチをブッチャケ合える、働きやすい職場を育てる上で、意図的にグチ話を持ち出す人はぜひ必要だ。

『だいたい調子よくいっているから、うちの親にはグチの種がないなあ。』と思っているのは驕りだ。“より分け教育”の嵐の中にいる子に、グチの種のないはずがない。

おわりに

 子どもが育ちそこねていることは広く認められている。

 しかし、その原因と解決方法はいろいろ論じられながら、まだ、一致点がない。

私は ――憲法違反の“より分け学習指導要領”の押し付けにこそ、育ちそこねの原因がある。――と考えこの文章を書いた。

 原因がそこにあることは、『わからない子が残ったら、かわいそう。』と、そこからはなれて、教育の本道を自主編成している教員たちのクラスでは、やさしく、やる気に満ちて、しなやかな子が育っている事実が証明している。

“うちの子にもついていける勉強のすすめ方”をさぐりあう自主編成運動の中にこそ、日本の教育の未来があると思う。

(*1)  天皇のための教育だったから、登校拒否に警官が介入することは当然だった。

いわゆる「差別落書き」問題について

いわゆる「差別落書き」問題について

1983年6月 大阪府部落解放運動連合会 (全解連)

 最近、「差別落書き」事件が多発しています。

 主に、「部落解放同盟」やその関連団体の手で摘発され、「落書き」の対象となった施設や場所の設置者や管理者が「差別」の「確認」や「糾弾」の当事者となり、「反省」を迫られ、なかには、一部郵政の職場のように、「同和研修」の実施をはじめ「解放研」の事務所設置、活動家の勤務解除などを当局に認めさせるという異常な事態も起こっています。また、教育の現場では、校区や校内で判明した「差別落書き」を”教材”にした「指導」が子どもたちに行なわれています。

 全解連は、こうした動きに深い憂慮をいだいています。以下この問題に対する私たちの考え方と運動のすすめ方をのべます。(*1)

1.「落書き」とは

 「落書き」とは、「書くべきでない所に文字や絵をいたずら書きすること」で、そのほとんどが書いた者を特定することができません。

 多くの人たちが利用する公共物や一般の目にふれる所への「落書き」は内容、形態のいかんにかかわらず禁じられているのは社会的常識になっています。

 一般にこうした「落書き」は、消去もしくは施設や対象を以前の状態に復元することで基本的に解決するものです。

 いわゆる「差別落書き」もその例外ではありません。

2.なぜおこるか

 公表されている「差別落書き」は、どれひとつとっても許しがたい、国民融合を敵視した悪意に満ちた内容になっているのが最近の特徴です。 こうした「落書き」の背景には、

①部落問題にたいする歴史的、科学的な理解の不十分さや基本的人権への無知や認識の欠除

②長年にわたって解同一部幹部らによって持ちこまれた部落解放運動の弱点

③不公正や逆差別を生み出した同和行政のゆがみ

……が横たわっています。

 これらを解消することなしに「落書き」問題の真の解決はありえません。

3.「差別落書き」への対処と全解連の運動のすすめ方

 国民的融合の促進と「21世紀に部落差別を持ち越さない」決意のもとに運動をすすめている全解連は、「差別落書き」をことさら重大な差別事件として扱うことに反対します。

 実行行為者も不明な「落書き」をとらえて「部落排外主義」や独断的な「差別論」に結びつけてキャンペーンし、「組織強化」や利権獲得の道具にするなどは、部落差別解消とは無縁のものです。

 まして、一部郵政の職場でおこっているような異常な事態は一刻も放置することができません。

 また、軽薄で打撃的なことばが並んだ「落書き」を”教材”にして児童・生徒を「指導する」(□□小学校)などは、およそ教育と呼べるものではありません。

〈具体的には〉

 全解連は今日まで、真の部落解放をめざす運動の先頭に立ってきました。

 施行2年目を迎えた、「地域改善対策特別措置法」(地対法)も、そうした私たちの運動を反映して「周辺地域との一体性の確保」や「公正な運営」「広く国民の理解と協力を得る」(地対法施行にあたっての次官通達)ことを明記しています。

 こうした法の精神を生かして、公共施設の公正な使用や周辺地域への開放をはじめ、”差別の垣根”をとりはらう具体的な措置を一日も早く実現して、住民相互の連帯・国民的融合をさらにすすめることが、「差別落書き」を生み出さない条件をつくる道です。

 また、部落差別の解消にとって、旺盛な啓発活動は不可欠ですが、その主体は、私たち自身が担わねばなりません。多くの府民を対象にした啓蒙・啓発が”上からのおしつけ”でなく、理解と共感を広げる運動として、生活や文化を含めた交流を基礎にとりくみを強めることが大切です。

(1)すべての府民を対象に、部落問題の科学的認識や「国民融合論」の啓蒙・普及活動を強力にすすめます。

(2)法務省や地方自治体、公共団体と協力・共同して正しい人権啓発運動をすすめます。

(3)「差別落書き」事件を口実に利権をあさったり、それをとらえてゆがんだ教育をするなどの動きにたいしては、断固としてたたかいます。

(*1) 1983年10月に「再び『差別落書き』問題について」を発表している

■関連記事/再び「差別落書き」問題について

21世紀をめざす部落解放の基本方向

21世紀をめざす部落解放の基本方向

全国部落解放運動連合会(略称 全解連) 第16回大会決定

1987年3月7日

 部落問題とは、封建的身分制に起因する問題であり、国民の一部が歴史的に、また地域的に蔑視され、職業、居住、結婚の自由を奪われるなど、不当な人権侵害をうけ、劣悪な生活を余儀なくされてきたことであり、今日なお解決されていない問題をいう。

 したがって、部落解放運動は、封建的身分差別の残りものを一掃し、民主主義を確立するたたかいである。

 明治維新は、封建制から資本主義へ移行する近代日本への出発点であった。一八七一年に公布された「解放令」により、封建的賎民身分は消滅した。

 しかし、日本社会を支配することとなった絶対主義的天皇制、寄生地主制、それらと結びついた特殊な構造をもつ日本資本主義のもとで、政治、経済、社会のしくみのなかに、部落差別を残し支える社会的、物質的基礎が存在し、部落住民はなお差別による悲惨な状態から解放されなかった。

 一九二二年、差別からの解放をめざす部落住民は、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と高い理想をかかげて全国水平社を創立した。

 全国水平社の運動は、民主主義の旗をかかげ、部落住民の自覚と差別糺弾への決起を呼びかけ、そのたたかいは全国にひろがった。やがてこの運動は、個人にたいする差別糺弾闘争から、差別を支える土台にむけての運動に発展、「人民的融和」の理論を生みだした。

 しかしながら、ファシズムの台頭と侵略戦争のもとで、全国水平社も一九四二年解体した。

 第二次世界大戦における日本帝国主義の敗北によって、日本の社会は大きく変化し、部落差別を残し支えてきた基礎が基本的に解体され、部落問題をめぐる客観的諸条件が一変した。新しい憲法のもとでの国民の民主的自覚と主体的力量の成長によって、部落問題の解決に有利な条件が生まれた。

 一九四六年、部落解放全国委員会が結成され、全国水平社の伝統を批判的に継承して部落解放運動が再出発した。一九五五年、その名称を部落解放同盟と改称し、民主勢力との共同闘争をつよめた。一九六○年、戦後解放運動の総括のうえにたって新しい綱領を決定した。そして部落解放要求貫徹全国闘争を中心とする部落解放運動の高揚にともない、部落問題の解決は国政の重要な課題となった。

 一九六五年、同和対策審議会答申が出され、一九六九年、同和対策事業特別措置法が制定された。この法律にもとづいて、部落の社会的、経済的、文化的な地位の向上の施策が実施され、部落住民のたたかいや努力ともあいまって、住環境の改善、教育・文化の向上、就職の機会拡大など、悲惨であった部落住民の生活実態は改善され大きく変化した。

 しかしながらその間、部落解放運動の民主的発展をおそれた反動支配勢力は、部落住民の保守支配をねらって、一九六○年全日本同和会を結成させた。また、彼らは、懐柔と分裂の攻撃によって部落解放運動の内部に重大な弊害をもたらした。部落解放同盟一部幹部は、部落排外主義をふりかざして反共・暴力の妄動に走り、それに反対する同盟員や支部・府県連を排除し、組織を占拠して、同和対策事業に寄生して利権をあさり、無法な差別糾弾や教育介入、地方自治の破壊など横暴のかぎりをつくすにいたった。部落解放同盟は統一戦線の旗をなげすて、革新分断の尖兵となった。

 ここに一九七〇年、部落解放運動の正常化と公正・民主的な同和行政の確立をめざし、部落解放同盟正常化全国連絡会議を組織し、民主勢力とともに逆流とたたかった。人権・民主主義の擁護と新・旧二つの差別主義の克服をめざすたたかいのなかで、われわれは真の部落解放運動の本流として、一九七六年、全国部落解放運動連合会に組織を改組・発展させ、国民融合路線を提起した。

 戦後復活した日本の独占資本は、アメリカ帝国主義への従属のもとで再編・強化された。そのなかでわが国の独占資本と反動勢力は、高度経済成長政策によって、資本を集積・集中し莫大な超過利潤をむさぼり、政治反動の強化にのりだした。かれらは軍備拡張・大資本優先の政策を強引におしすすめ、国民の生活を破壊し、基本的人権を侵害して教育・文化の反動的支配を強化し、国民との間の矛盾をいっそう激化させている。

 部落問題がなお解決されていないのは、わが国において民主主義が成熟していないからであり、日米独占資本がこの民主主義の発展を妨げているからである。したがって、部落問題の解決は、独占資本と反動勢力の横暴な支配を民主的に規制し、民主主義を確立・推進するたたかいを前進させることによって実現できる。

 部落解放運動は、平和と独立、民主主義と国民生活擁護のための広範な国民運動の一環であり、そのための統一戦線の一翼である。

 部落問題の解決すなわち国民融合とは、①部落が生活環境や労働、教育などで周辺地域との格差が是正されること、②部落問題にたいする非科学的認識や偏見にもとつく言動がその地域社会でうけ入れられない状況がつくりだされること、③部落差別にかかわって、部落住民の生活態度・習慣にみられる歴史的後進性が克服されること、④地域社会で自由な社会的交流が進展し、連帯・融合が実現すること、である。

 今日では、部落内外の格差の是正がすすみ、部落の閉鎖性が弱まり、社会的交流が発展して部落解放への展望を明るくしている。部落差別はいままさに基本的に解消の過程にある。

 われわれは、部落住民の諸要求実現のたたかいを推進するとともに、国民融合を促進する立場から不公正・乱脈な同和行政の是正をめざす。

 また、地域社会において人権が尊ばれ、民主主義が市民道徳としても定着するように民主的な教育と啓発をすすめる。それとともに、部落住民の自覚を高め、自立と民主的な地域づくりを基礎に、革新統一戦線の一翼として、社会進歩と民主主義、国民生活擁護をめざす国民的な協力・共同を前進させる。

 こうした運動にとりくむならば、われわれは今世紀末までに部落差別を基本的に解決することができると確信する。

 もとより、部落の解放は、部落住民の自覚にもとづく主体的な力量の発揮と国民の共通の努力におうものである。

 部落解放の課題が基本的に解決されても、なお貧富などの諸問題は残される。われわれはひきつづき、労働者、農漁民、勤労市民など国民各層の一員として、国民共通の諸要求実現のため奮闘しなければならない。

 全国部落解放運動連合会は、二十一世紀に部落差別を持ち越さないという展望にたって、部落解放の最終責任をにないうる主体の形成につとめるとともに、すべての国民と連帯して国民融合の実現と、平和で民主的な社会の建設をめざしてたたかう。

 そのためにわれわれは、次の要求の実現と活動の徹底を期する。

要求と活動の基準

1 部落問題にたいする非科学的認識や偏見にもとづく古い差別主義と、部落排外主義にもとづく反共・暴力・利権あさり、民主主義への攻撃を特性とする新しい差別主義、これら部落内外の住民の分断と対立を助長する新・旧二つの差別主義に反対する。

2 社会的道義や節度に立脚した運動を前進させるとともに、公正・民主・公開、国民合意の原則にもとづく住民本意の行政を確立させ、部落内外の住民が相互に理解し、平和、民主主義、生活向上などの共通する要求で協力・共同し合い、住民本意の街づくり運動を前進させ、地域からの国民融合の促進をめざす。

3 部落解放を実現していく主体形成のため、民主的市民道徳や社会的常識にもとづく堅実な生活を営む能力、現代の社会的労働に従事するために必要な社会的・職業的な資質・能力、自治と民主主義をにないうる能力の発達のために奮闘する。

4 部落内の公共施設を内外に開放し、真に部落住民の生活と福祉、教育、文化の向上に役立つものとして活用するとともに、住民相互の社会的交流と国民融合の促進に寄与するよう要求してとりくむ。

5 民主的な教育と文化の発展・創造をめざす。地域社会において人権が尊ばれ、民主主義が感情や感覚、生活文化として確立するため奮闘する。

6 労働者や農漁民、勤労市民などに依拠して、部落内部の民主化をすすめ、部落住民のおくれた同族意識を克服して、開かれた地域社会をかたちづくり、参加と民主主義を柱とした住民自治の確立をはかる。

7 部落排外主義にもとづく暴力・利権あさりなどによる地方自治体への介入、支配に反対し、すべての住民に奉仕する公正・民主的な地方自治の確立をめざしてたたかう。

8 教育の軍国主義、天皇賛美、官僚主義的統制など反動的文教政策と「解放教育」などの偏向教育に反対し、教育基本法を守るため国民と連帯してたたかう。

9 教育の機会均等、教育条件の整備などを要求し、国民の教育権を守り、民主教育確立のためにたたかう。

10 国民の医療の充実と保険、年金など、社会福祉の向上と社会保障の充実を要求し、国民生活の安定と向上を要求してたたかう。

11 農・漁業の民主的再生、地場産業の振興、中小企業の育成など、民主的な経済対策の確立を要求し、部落住民の経営と生活の向上をかちとるためにたたかう。

12 職場での人権無視、首切り、「合理化」、低賃金に反対し、長時間労働の是正など労働条件の改善、中高年齢者の職業の確保、職業の自由と就職の機会均等、雇用促進のための民主的対策の樹立を要求してたたかう。

13 思想、信条、信教、学問、表現などの自由にたいする侵害に反対し、その擁護のためにたたかう。

14 靖国神社の国営化、「日の丸」、「君が代」の強制、天皇賛美と政治利用に反対してたたかう。

15 世界人権宣言を尊重し、人種差別撤廃条約の批准、女子差別撤廃条約の完全実施と実効ある男女雇用均等法の制定を要求するとともに、一切の差別に反対し、民主主義と人権の確立を要求し、世界の人民や国内の民主勢力と連帯してたたかう。

16 核戦争阻止、核兵器の廃絶を人類死活の緊急課題として、「非核の政府」の実現をめざすとともに、わが国と世界の安全と平和を守るため世界の人民と連帯してたたかう。

17 日米安保条約を破棄し、わが国の真の独立・非核・非同盟・中立の実現をめざすとともに、諸民族の自決権の擁護のために奮闘する。

18 憲法の改悪に反対し、平和的民主的条項を完全に実施させ、日本型ファシズムをめざす国家機密法、政党法、小選挙区制など反動的な政策とたたかう。

19 国民的課題達成のため、独占資本と反動勢力の横暴な支配を民主的に規制し、革新統一戦線の強化をめざして奮闘する。

20 全国のすべての部落に支部をつくり、学習、宣伝活動をつよめ、質量ともに強大な組織の建設と支部・都府県連の活動の発展をはかり、部落のなかでの多数派の確立と影響力の強化につとめ、国民融合の促進をめざしてたたかう。組織活動の強化によって、歴史的使命を遂行するために奮闘する。