中学校新教科書の身分制・部落問題記述(2015)

中学校新教科書の身分制・部落問題記述(2015)

小牧 薫 2015年7月

■参考

1.2014年度の中学校教科書の検定について 

 文部科学省は2015年4月6日、中学校教科書の検定結果を公表しました。この教科書は2008年版学習指導要領にもとずく2回めの検定です。来年から4年間使われる教科書の採択作業が今年の8月までの間行われます。安倍首相らの推薦する歴史修正主義、憲法「改正」をねらう育鵬社版と自由社版の歴史と公民教科書を教育委員会によって採択させない(子どもたちに渡さない)ための運動がいっそう重要になっています。

 文部科学省は、今回の中学校教科書の改訂に向けて教科書検定基準と検定審査要項(検定審議会内規)を改めるという大改悪をおこないました。それは日本政府の統一見解を書かせることや近現代の歴史事項のうち、通説的な見解がない場合にはそれを明示し、児童生徒が誤解の恐れがある表現はさせないというものです。その具体例はのちほど見てみます。

 検定では、申請点数104点のうち102点が合格しました。不合格となったのは、学び舎と自由社の社会科歴史的分野の教科書です。両社は指摘された欠陥箇所などを修正して再提出して合格しました。新たに社会科歴史的分野で検定申請した学び舎は、現場の教員などが中心になって組織した「子どもと学ぶ歴史教科書の会」が設立した出版社です。しかし、学び舎の歴史的分野の申請図書は「細かいことに入りすぎて通史的学習ができない」などの理由で、いったん不合格となりました。また、「新しい歴史教科書をつくる会」がつくる自由社版は公民的分野の教科書は改訂せず、歴史も最初の申請であまりにも誤りが多く不合格となり、再提出後合格しています。この結果、公民的分野は、教育出版(教出)、清水書院(清水)、帝国書院(帝国)、東京書籍(東書)、日本文教出版(日文)、育鵬社の6種類、歴史的分野はそれに学び舎、自由社が加わって8種類となりました。

 文科省の検定によって、学び舎の申請本にあった「慰安婦(日本軍性奴隷)」については最初の申請本にはつぎのような記述がありました。「朝鮮・台湾の若い女性たちのなかには、『慰安婦』として戦地に送りこまれた人たちがいた。女性たちは、日本軍とともに移動させられて、自分の意思で行動できなかった」(p.237)と、「日本政府も『慰安所』の設置と運営に軍が関与していたことを認め、お詫びと反省の意を表し」たこと、政府は「賠償は国家間で解決済みで」「個人への補償は行わない」としていること、そのため「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させたこと、この問題は「国連の人権委員会やアメリカ議会などでも取り上げられ、戦争中の女性への暴力の責任が問われるようになって」いることなどの客観的事実を述べた記述(p.279)です。しかし、検定ではこれを「欠陥箇所」の一つにあげ、不合格にしました。その結果、合格した教科書では、「一方、朝鮮・台湾の若い女性のなかには、戦地に送られた人たちがいた。この女性たちは、日本軍とともに移動させられ、自分の意思で行動することは許されなかった」という記述(p.239)になって、「問い直される戦後」の項の側注資料(p.281)には「河野談話」の一部要約が記述されています。

 政府見解を押しつける教科書づくりは、領土問題で顕著です。社会科の「学習指導要領解説」の改訂によって、2016年度用では全社が取り上げ、2ページの大型コラムを設けたのが3社あり、その他にも小コラムで扱っています。地理や公民では領土問題の記述を軒並み増やし、政府見解通りに、北方領土・竹島・尖閣諸島は「日本の固有の領土」、北方領土はロシアが、竹島は韓国が「不法に占拠」と横並びに書き、尖閣諸島には領有権問題は存在しないと政府見解を丸写ししています。そして韓国や中国の主張にふれたものはありません。

 通説がないときは通説がない旨を明記せよとの新設された検定基準が文字通り適用されたのが、清水書院の関東大震災における朝鮮人虐殺事件についての記述です。「警察・軍隊・自警団によって殺害された朝鮮人は数千人にものぼった」との現行版記述をそのまま検定提出したのに対して、通説的な見解がないことが明示されていないとの検定意見が付され、「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は230名あまりと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるともいわれるが、人数については通説はない」(P.221)と必要以上に詳細な記述に変更されてしまいました。

 今回の検定では従来よりいっそう書かせる検定という性格があらわになり、歴史でさえ政府見解に基づいて書かせるということになってしまいました。

 育鵬社版・自由社版の教科書は、国際常識や国民世論に反して歴史修正主義を大きく変えないで、検定意見による修正も含め基本的には現行版の枠組みを維持しています。そのことは同時に、育鵬社版・自由社版が、神話と神武天皇の扱いなどの歴史歪曲、近代日本がおこなった侵略戦争と植民地支配や韓国併合の美化、天皇制賛美、日本国憲法の敵視と歪曲等々の点で、これまでと本質的にまったく変わらないことを示しています。こうした教科書を中学生に手渡すことができないことは何度強調してもしすぎることはないと思います。

2.公民の部落問題記述は改善されていない

 大阪歴史教育者協議会のホームページ(http://osaka-rekkyo.main.jp/archives/105)には、柏木功さんの「中学校公民教科書の部落問題は大問題-部落問題解決の到達点を無視、認識は同対審答申のまま-」の論文がアップされています。また、亀谷義富さんは、「中学校公民教科書の部落問題記述の問題点」を季刊「人権問題」2011冬号(兵庫人権問題研究所)と『国民融合通信』№457(2012年5月発行)に書かれています。これらは、2008年学習指導要領改訂にもとずく教科書(2012~2015年度使用)についての批判です。この批判を受けて、今回の改訂でどれだけ改善されたかと期待を持って見ましたが、記述内容は、ほとんど変わりがなく、期待はずれに終わりました。  「部落問題」とは何かがわかるように記述されていないし、部落差別の克服・解消は進んでいるのか、同和対策特別法は終了したとを書いているのかなどの点で、どの教科書も不十分で、改善されているとは言いがたいものとなっています。

 部落問題とは、江戸時代までの日本の社会が身分制の社会であり、明治以後も地域社会の中で江戸時代の賤民身分につながりがあるとされた一部の地域集団が差別されていました。それが近現代の社会問題としてつづいてきたものであり、封建時代の残りかすなのです。しかし、教科書はそのようには書いていません。

 「部落差別とは,被差別部落の出身者に対する差別のことで,同和問題ともよばれます。すでに江戸時代には,えた身分・ひにん身分という差別がありました。明治にはいって身分解放令が出され,そのような差別はないこととされましたが,実際の生活では,差別が根強く残りました」(帝国・公民P.44)などと不十分なことを書き続けています。もっとも問題なのは、育鵬社が「部落差別は憲法が禁止する門地(家柄・血筋)による差別のひとつに当たります」(P.69)と、部落差別は、門地による差別のひとつで帝国憲法下では許されていたが日本国憲法によって禁止されるようになった。だから、憲法で禁止されているが現在も家柄や血筋による人権侵害(差別)が残っているがやってはいけないことだと認識させようとしています。部落差別の起源も現状認識も間違ったものです。

 部落問題の解決とは、社会生活の中で出自を意識しない、出自など関係ないわ、という状態になることです。「同和地区」の指定もなくなり、「同和地区」出身かどうかを意識することも問題にすることもありません。現在では、社会問題としての部落問題は基本的に解決しています。まだ偏見や誤解を持つ人がいたとしても、社会としてそれが受け入れられることはなく、みんなで克服して国民融合をすすめていくという段階にまで達しています。ところが、小学校の教科書には、4社とも同和対策特別法が終了したことを書いていません。中学校の教科書は現行通り、帝国が以下のように書いているだけで、他社は触れていません。帝国は本文で「同和地区の生活改善や,差別をなくす教育などが行われてきました(1)。しかし,現在もまだ,さまざまな場面で差別や偏見があります」と書き、側注で(1)「その結果,生活環境の格差が少なくなり,教育・啓発が進むなか,2001年度で特別対策は終了しました」と記述しているにすぎないのです。そのあとの「部落差別をなくすためには,私たち一人ひとりも,部落差別がいかに人間的に許されないかに気づき,差別をしない,させない,許さないことが大切です。」と差別をなくす心がけを説いている点も改善されていません。

 教出は本文で,東書は側注で、2000年の人権教育・啓発推進法を取り上げていますが、「現在でも差別は根強く残っている」と書いています。日文は本文で「対象地域の生活環境はかなり改善されてきました」と書き、側注で「2000年には、人権教育・啓発推進法が制定されました」と書いています。教科書は部落問題の克服・解消が進んだと書かないのです。

 公民の教科書に被差別部落の歴史を簡潔に書こうとしていますが、どの教科書も不正確で、問題のある記述をしています。詳しいことはここでは触れません。柏木さんの論文を見てください。
3.歴史的分野の記述も改善されず

 新中学校教科書の歴史的分野は八社の教科書が検定合格しましたが、中味は改善されたのでしょうか。学習指導要領はそのままですから、大きく改訂しなければいけないという個所はないはずです。検定基準の改悪などによって、現行版を守ることすら難しいことはすでに触れましたが、執筆者・編集者の努力で改善された個所もあることはあります。しかし、前近代の身分制・近現代の部落問題記述は、依然として特殊化・肥大化されたままです。ほとんどの教科書は現行版のままで、改訂されたものも改善されたとはいえません。その詳細は、のちに見てみます。それでも、学び舎の教科書が一度不合格になりながら、再提出で検定合格したことはたいへん大きな意義があると思います。学び舎も前近代の身分制・近現代の部落問題についてふれてはいますが、他の教科書に比べて記述量が少ないし、記述内容も違っています。詳細はのちにふれます。

 私は中学生にも前近代の身分制のうち河原者やかわた(えた)・ひにんについて教える必要はないと思っています。日本の歴史を学ぶときに、江戸時代の賤民について学ばねばならないわけではありません。大事なことは武士と百姓、町人の身分の別とそれによって暮らしがどうだったのかがわかればよいと思っています。1974年の中学校教科書に、江戸時代の賤民について記述され、その後の改訂で詳しい記述がされるようになりました。そんなことは必要ないのです。中学での歴史学習の際、そんなことは無視すればよいのです。ところが、いまだに詳しく記述され、教えられています。近現代の賤称廃止令(いわゆる「解放令」)、全国水平社の結成についても、中学生に教える必要があるとは思いません。そして、現代の課題で同対審答申を引用し、いまだに部落差別が残存しているかのように書くのは誤りです。それでも書くとすれば、部落差別が克服・解消され、同和対策が終了したことを書くべきです。歴史学習の最後を、部落差別やアイヌ差別、在日外国人差別などが厳然と残っているという学習で終わらせてはならないと思います。

 8種類の教科書すべてがふれている個所は、江戸時代の身分制、近代の賤称廃止令、全国水平社の結成の三個所ですが、そのほかの身分制・部落問題に関わる記述内容についても見てみましょう。

1)室町時代の「河原者」

 室町文化で、なぜ、「河原者」だけが特別扱いされるのでしようか。他の技術者や芸能者、被差別民については記述しないで、なぜ庭園づくりに携わった河原者だけを詳しく記述するのでしょうか。観阿弥・世阿弥の人名は書かずに善阿弥を記述する重要性があるのでしょうか。それなのに、「河原者は差別をうけ」と書くから、「けがれ」観についての説明が必要になるのです。子どもたちに理解できるでしょうか、死などについての偏見が強まるだけではないでしょうか。「河原者」について、もっとも詳しいのは、帝国です。本文は「龍安寺禅宗寺院では,砂や岩などで自然を表現した枯山水の庭園がつくられ,こうした庭園づくりには河原者がすぐれた手腕を発揮しました。」(p.82)と書き、「コラム人権」の「庭園づくりに活躍した河原者」の題で「この時代には龍安寺などで庭園がつくられ,天下一と賞賛された善阿弥をはじめ,庭園づくりの名手が登場しました。その名手の多くが河原者とよぱれた人々でした。昔は,天変地異・死・出血・火事・犯罪など,通常の状態に変化をもたらすできごとにかかわることを「けがれ」といいました。「けがれ」をおそれる観念は,平安時代から強まり,「けがれ」を清める力をもつ人々が必要とされていきました。しかし一方で,清める力をもつ者は異質な存在として,差別を受けるようにもなりました。河原者もそうした差別を受けた人々でした。彼らは井戸掘リや死んだ牛馬から皮をとってなめすことも行っていました。彼らはおそれられましたが,その仕事は社会にとって必要であり,すぱらしい文化を築いていきました。なお「けがれ」は,近代以降に生まれた不衛生という考え方とは異なるものです。」と書き、龍安寺の写真の説明に,「龍安寺の石庭(京都市)制作にたずさわった河原者の名前が残っています」。さらに,「法然上人絵伝」の写真の説明で,「死刑に処される僧侶と河原に集まる人々 川はけがれなどさまさまなものを浄化してくれると考えられていました。そのため刑の多くは河原で行われました」(p.83)と書いています。私は、庭園づくりに活躍した河原者について書く必要はないと思いますし、けがれについての説明も江戸時代の身分制のコラムと重なっています。両方とも必要はないと思います。  教出は「コラム 歴史の窓 庭園づくりに活躍した人々」、東書も「歴史のアクセス 河原者たちの優れた技術」の詳しい説明を書いています。育鵬社、日文、学び舎は「河原者」の語は出していますが、詳しい説明はありません。自由社と清水は、「河原者」の記述はありません。

2)江戸時代の身分制

 日文は現行版を改訂せず「幕府は、武士と、百姓・町人という身分制を全国にいきわたらせました。治安維持や行政・裁判を担った武士を高い身分とし、町人よりも年貢を負担する農民を重くみました。さらに百姓・町人のほかに、「えた」や「ひにん」などとよばれる身分がありました。「えた」身分の人々の多くは、農業を営んで年貢を納めたり、死んだ牛馬の処理を担い、皮革業・細工物などの仕事に従事したりしました。また、「えた」や「ひにん」の身分のなかには、役人のもとで、犯罪人の逮捕や処刑などの役を果たす者、芸能に従事して活躍する者もいました。これらの人々は百姓・町人からも疎外され、住む場所や、服装・交際などできびしい制限を受けました。こうした身分制は武士の支配につごうよく利用され、その身分は、原則として親子代々受けつぐものとされました」と書いています。2001年版以来少しずつの変化ですが、「死牛馬の処理」を仕事と書くのではなく、はっきり「役」とは書いていませんが、「担い」と幕府や藩によって強制されたもののように書いています。これは、学び舎が「「かわた(長吏)」「えた」とよばれた人びとは,農業や皮の加工などに従事し,死んだ牛馬の処理を役としました。「ひにん」は,村や町の番人・清掃などの役を負担しました」(p.117)と書いているのとともに重要なことです。仕事と役の区別をしっかり書いているのは、学び舎だけです。学び舎が「かわた(長吏)」の語を使ったのもよいことだと思いますが、使うとすれば、用語についての説明も注釈もないのは不親切だと思います。

 他の教科書は死牛馬の処理を権利としたり、仕事のひとつと書いていますが、それは誤りです。教出は「えたの身分のなかには,農業を営んで年貢を納める者も多く,死んだ牛馬を処理する権利をもち」(p.113)と書き、東書は「えた身分は,農業を行って年貢を納めたほか,死んだ牛馬の解体や皮革業,雪駄作り,雑業などをして生活しました。…」(p.115)と、生業と役を区別していません。帝国は、「コラム 人権」で、「差別された人々」を扱っています。「近世の社会にも,中世と同じように,天変地異・死・犯罪など人間がはかりしれないことを「けがれ」としておそれる傾向があり(→p.83),それにかかわった人々が差別されることがありました。もっとも、死にかかわっていても,医師・僧侶・処刑役に従事した武士などは差別されなかったので、差別は非合理的で,支配者につごうよく利用されたものであるといえます。差別された人々は,地域によってさまざまな呼び名や役割で存在していました。えたとよばれた人々は,農林漁業を営みながら,死牛馬からの皮革の製造,町や村の警備,草履や雪駄づくり,竹細工,医薬業,城や寺社の清掃のほか,犯罪者の捕縛や行刑役などに従事しました。ひにんとよばれた人びとは,…」(p.117)と、「庭園づくりに活躍した河原者」で説明したことを再び書いていますし、死牛馬の処理を役と位置づけていません。こんなに詳しい説明をする必要がどこにあるというのでしょうか。幕藩体制によって、百姓、町人、えた、ひにんは、がんじがらめに縛られていたということを印象づけたいのでしょうか。

3)身分制の強化、渋染一揆など

 江戸中期の身分制の強化についてふれているのは日文だけです。日文は現行版そのままで「近世史プラスα」のカコミ「豊かになる人々と身分制のひきしめ」で、「「えた」身分の人々のなかにも,広い田畑を経営する者や,雪駄づくりの仕事を行って豊かになる者も出てきました。村の人口も増え,他地域との交易も広まりました。これに対して幕府や藩は,身分制のひきしめを強め,特に「えた」や「ひにん」などの身分の人々に対しては,人づきあいや髪型・服装について,さらに統制をきびしくしました。…」(p.135)と、「えた」身分のなかに豊かになる者があらわれ、身分制がゆるんだので、差別が強化されたという問題のある書き方です。豊かになるものがあらわれたのは、えただけでなく、百姓、町人にもいます。えたを強調する必要はありません。

 蘭学の項で人体解剖をして説明をした「差別された人々」についてふれているのは、帝国(「解体新書」の側注,p.132)と東書(挿絵の説明p.130)だけです。学び舎は「人体解剖の驚き」という項をもうけていますが、「90歳になる老人が腑分けをはじめました」とあるだけで、「差別された人々」とは書いていません。もし書くとしても、賤民にふれる必要はないでしょう。  「渋染一揆」は、教出は本文と発展で、東書と帝国はカコミで、日文は発展で扱っています。日文は発展ページ「新しい世の中をめざした人々」で、「差別の撤回を求めた人々」として渋染一揆について書き、そこでは、「19世紀のなかばころから、社会の枠組みをこえて、自由な経済活動や平等な社会を求める動きが盛んになりました」(p.164)と「世直し一揆」の位置づけをしていますが、他はそうした位置づけになっていません。

4)四民平等、賤称廃止令

 四民平等については、表題は違いますが、すべての教科書に記述されています。清水が「国民の平等」を見出しにしていますが、新しい身分制がつくられたのですし、この段階で「国民」になったわけではないので、不適切だと思います。教出の「残された差別」の見出しも改革の面よりもマイナス面を強調するので不適切だと思います。学び舎が「古い身分の廃止と新しい身分」の題で書いているのと、「解放令」と書かずに、「「えた」「ひにん」などの呼び方を廃止して、平民としました」(p.173)は、これまでなかった表現で、身分制の改革と賤称廃止の布告内容を正しく伝えるものになっています。

 「生活が苦しくなった」「社会的差別は根強く残りました」と書くのは、育鵬社、自由社、清水、帝国、学び舎です。

 日文は、「職業・結婚・居住地などをめぐる差別が根強く残りました」と書いたあとに「そこで,「解放令」をよりどころに,山林や用水の平等な利用,寄合や祭礼での対等な交際の要求など,差別からの解放と生活の向上を求める動きが各地で起きました。」(p.167)と書いているのは妥当なことです。さらに、側注で「明治以降のこの問題を部落差別とよんでいます(→p.217)。こうした身分の人々は,改善策も受けられず,それまでもっていた職業上の権利を失いました。」と書いています。「部落差別」の位置づけはこれでよいと思いますが、「職業上の権利」はこれまでどこにも書いてなかったことです。江戸時代の身分制で、死牛馬の処理は「役」に位置づけていました。どこで、どうして「職業上の権利」になったのでしょう。その説明なしには、この文章は理解できません。そして明治になって、死牛馬の処理権を失ったのは被差別部落のごく一部の豊かな人だけです。

 育鵬社は「政府は身分制度を改めるため,四民平等の方針を打ち出しました。新しくつくられた戸籍には,旧武士は士族、大名や公家は華族,それ以外の人々は平民として,新たな身分が記載されました」(p.168-9)と、皇族についての記述がありません。大事なのは、天皇と皇族、家族、士族、平民の新しい身分と書くことです。

 東書は、発展で「「解放令」から水平社へ」と題して2ページつかっています。内容は現行とほとんど同じで、「解放令」とその後、部落解放運動の始まり、島崎藤村の「破戒」を扱っています。このページにあるカコミも含めて、こんな文章や図版が必要とは思えません。

5)全国水平社の結成

 大正デモクラシーと社会運動の高まりで、多くの教科書が全国水平社が創立(組織)されたと書いています。育鵬社も、日本労働総同盟、日本農民組合の結成と全国水平社が組織されたと書き、そのすぐあとに、「ロシア革命の影響で共産主義の思想や運動が知識人や学生のあいだに広がっていきました。ソ連と国交を結んだこともあり,…君主制の廃止や私有財産制度の否認をめざす活動を取りしまる治安維持法を制定」(p.217)と、日本共産党の結成にふれずに書いています。水平社宣言と山田孝野次郎少年の演説の写真を載せています。自由社も水平社創立宣言の一部を掲げていますが、全国水平社以外の具体的な団体名や主張にほとんどふれていません(p.219)。東書、日文、教出、帝国、清水、学び舎は日本農民組合や全国水平社、新婦人協会、日本共産党の結成などを書いています。教出は、本文で、「ロシア革命や米騒動などの影響も受けて,社会運動が活発になりました。」と書いたあと、労働争議、メーデー、日本共産党の結成(1)、小作争議にふれ、「女性を社会的な差別から解放し… ,また,厳しい部落差別に苦しんでいた人々は,1922年に全国水平社を設立し,差別からの解放と自由・平等を求める運動を進めました。」と書いたあと、側注(1)で「私有財産制度や君主制の廃止,8時間労働制などを主張して活動しました」と明記しています。そして、つぎのページに「水平社宣言」の一部と山田孝野次郎の演説する写真を載せています。日文も「無産政党」についても書き、団体や政党が何をめざしたのかを書いています。重要なことだと思います。

6)現代の課題

 東書の現行版は、「日本社会の課題」の部落差別に関わる側注で「…特別措置法にもとづく対策事業は終了しましたが,引き続き,教育の充実,職業の安定,産業の振興といった面での改善,人権教育や人権啓発などの推進が図られています」(p.242)と同和対策事業の終了を書いていましたがが,新版では本文で「まず重要なのは,人権の尊重です。部落差別の撤廃は,国や地方公共団体の責務であり,国民的課題です」(p.262)と書き、側注で「部落差別の問題(同和問題)は,長い間の部落解放運動(→P161)の発展を基礎として,1965(昭和40)年に国の同和対策審議会の答申がなされて以来,特別措置法によって改善されてきました。現在は,引き続き,教育の充実,職業の安定,産業の振興といった面での改善,人権教育や人権啓発などの推進が図られています。」と特別措置法にもとづく同和対策事業の終了を削除してしまいました。大きな後退です。

 同和対策事業の終了は、他の教科書でも書かれるようになるのかと期待したのですが、残念ながらどの教科書にも書かれていません。それどころか、教出、清水は「差別や偏見が残っており」と書き、日文は「部落差別の撤廃は、国や地方自治体の責務であり、国民的課題です」(p.271)と本文で書き、側注で、人権擁護施策推進法にふれています。私には、どうしていつまでも、このような記述を続けるのか理由がわかりません。

 学び舎が歴史学習の最後を「平和という言葉」の表題で、「戦場の生きものたち」「北の川のほとりに住む人」「あなたの夢は」で構成し、「人は,健康で,楽しく遊んだりして,自分の夢をかなえていく,そんな平和な世界を思い描きます。平和は,戦争によって破られるだけでなく,貧困や差別,人権の抑圧,環境の破壊などによっても、その実現が妨げられます。平和を実現したいと望むなら,どのようにして平和が壊され,失われてきたのか,過去の歴史から学ぶことが必要です。…」と書いています。現代の課題をどう書くかは、たいへん重要です。そこに部落問題の解決を国民的課題と書く時代は終わりました。差別や人権の抑圧が問題だと書くだけで十分です。東書、日文、教出、清水のように部落差別を特別扱いするのはやめるべきです。

 (帝国や教出の側注の番号表記は、黒丸の中に白抜きで数字ですが、インターネット掲載にあたっては文字化けを避けるため(1)などのように表示しました。)

中学校公民教科書の部落問題記述の問題点

中学校公民教科書の部落問題は大問題
-部落問題解決の到達点を無視、認識は同対審答申のまま-

2011.9.24.
柏木 功(大阪教育文化センター「人権と教育」部会)

1.はじめに

 中学校教科書の部落問題記述の問題点は、2005年8月に小牧薫さん(大阪歴教協委員長)が論評されている。
 今回、2012年から使用される中学校教科書の採択が行われたが、社会科公民(中学校3年生が学習)教科書の部落問題記述は、なんら変化なく、大きな問題がある。 “中学校公民教科書の部落問題記述の問題点”の続きを読む

身分制度・部落問題の授業にどう取り組むか(2005年)

身分制度・部落問題の授業にどう取り組むか
  - 新中学校教科書の部落問題記述を批判する -

小牧 薫 2005年8月

1.2006年度用中学校用教科書の問題

 身分制研究の進展と部落問題の解決、同和教育の終結をうけて、教科書の記述は変わったのでしょうか?

 1972年の小学校教科書に「その他の身分」として「賤民」についての記述がなされ、74年の中学校歴史教科書には、「えた・ひにん」について詳しく記述されるようになりました。それから30年以上たつのですが、小・中の教科書は基本的には変わっていませんでした。その間、鈴木良さんが『教科書のなかの部落問題』(初版1989年、改訂増補班90年,部落問題研究所)で、小・中学校の教科書批判を展開されました。私たち歴史教育者協議会の会員も旺盛に教科書批判を続けてきました。そうした甲斐もあってか、2006年度用の教科書のなかには大きく改善されたものもあらわれました。しかし、まだ旧態依然たるものもありますし、政治起源説を払拭しきれないものもあります。帝国書院の教科書は、2002年度用で「ケガレ」説を書きましたが、今回の改訂でも、その内容は変わっていません。また、いくつかの教科書が「現代の課題」で、いまだに同対審答申を引用し、「部落差別は根強く残されている」というような記述をしています。

 現行の学習指導要領(99年版)の問題点については、すでに多方面で批判されています。なかでも社会科の内容は、科学性・系統性を無視して、「国土と歴史に対する愛情を育てる」ことが目標に盛り込まれたように、いっそうの改悪がすすみました。そのうえ、歴史修正主義者たちの攻撃や文部科学省による教科書記述に関する介入・干渉によって、教科書会社の自主規制もおこなわれ、日本の侵略戦争の実態、なかでも日本軍慰安婦、南京大虐殺、沖縄戦などの記述はおおきく後退させられました。97年以来、教科書問題というと、「つくる会」などの攻撃による教科書記述の改悪、「つくる会」の扶桑社版中学教科書の採択問題があげられますが、いまだに近代以前の身分制と部落問題についての記述は捨ておけない重要問題です。

 2006年度用の中学校教科書採択が終わり、「つくる会」の扶桑社版『新しい歴史教科書』の採択率は0.4%にとどまりました。市民の良識の勝利ではありますが、5000冊近くが子どもたちに手渡されます。日本の侵略戦争肯定、天皇中心の教科書で学ばされる問題もありますが、この教科書の身分制度と部落問題の記述も大きな問題をもっています。そして、採択率51.2%の東京書籍(以下「東書」)も、身分制度と部落問題に関する記述内容に大きな問題があります。

 本稿では、部落問題・民族問題についての記述がどう変化したのを明らかにするとともに、中学校の歴史や公民の授業でこの問題をどう扱うべきかを提起してみたいと思います。

2.2006年度用中学教科書の身分制度と部落問題についての記述

 前近代の身分制度と賤民身分に関わる記述は、「中世の文化」での、「河原者」、「江戸時代の身分制度」、「身分制のひきしめと差別撤廃を求める動き(多くは「渋染一揆」を記述)」の三ヵ所です。記述量の多いのは、大阪書籍(以下「大書」)と帝国書院(以下「帝国」)の二社のものです。一方で、日本文教出版(以下「日文」)は「河原者」について、扶桑社は「身分制のひきしめと差別撤廃を求める動き」について触れていません。

 「戦後の部落解放運動」も帝国と扶桑社は触れていません。「現代の課題」で部落差別について扶桑社と日本書籍新社(以下「日書」)は書いていません。

 このように教科書がとりあげる事柄についても、今回の改訂で大きな違いが出ました。それは執筆者の考えも反映しての結果とも思いますが、文科省による規制強化のせいだと思われます。文科省は、「つくる会」などの要求もあって、あらたに「検定結果の発表以前に白表紙本(検定申請本)を漏出させてはならない、もし、漏出が判明すれば教科書検定事務を中止する」という規則を、各教科書会社に通知しました。そのため、以前は、他社の白表紙本を検討し、書き直しをしていたことができなくなり、各社の判断で改訂作業をおこなった結果だと考えられます。また、文科省が、いわゆる「横並び」を求める検定をやめたことで、大きな違いが出てきたものと推測されます。

 いずれにしても、現在発行されている小・中学校の教科書の賤民身分についての記述は、分量が多すぎることと、内容も科学的な歴史研究を反映したものは少ないという問題を残しています。97年度用の教科書はどの社のものも300ページを超える分量でした。02年度用からは、200ページほどに薄くなりました。たしかに判型が大きくB5版となりましたが、写真や図表が大きくなり、左右に側注が付けられたため、1ページの文字数はどの社のものもほとんど変わっていません(扶桑社は06年度用からB5判に改訂)。ですから、文章は三分の一に厳選されたのです。ところが、身分制や部落問題についての記述量はまったくと言っていいほど変わっていません。「部落問題記述の特殊化、肥大化」と批判したことが改善されていないのです。特定の運動団体の要求や憲法・教育基本法に反する文科省の指導や検定が大きな原因だとは思いますが、教科書会社の営業政策や執筆者の自己規制も原因だと考えます。

3.身分制度・部落問題学習をどうすすめるか

 東上高志氏は「社会科と部落問題学習」(『別冊 教師のはぐるま 2』1975年)に、「部落問題学習の基本構想」を書かれています。そこでは、「教科書通りに、しかも資料を補強しながら、学習していきます。それが『封建社会の確立』まで進んだと仮定します。その学習のすんだ時点で、5時間か6時間を設定し」て、「部落は、いつ、誰が、何のためにつくったか」を教えることを提案されています。私自身も、「部落は、いつ、誰が、どのような必要性から、つくったのか、を科学的にとらえさせることはたいへん重要な課題である」と書いたことがあります(『部落』 366号 78年5月)。この考えが克服されるまでに長い時間がかかりましたが、今ではそうした教育実践が誤りであることがはっきりしています。

 東上氏も雑誌『部落』(554号 92年9月)で、「部落問題を正しく理解することは、本来、青年期教育や成人教育の課題であったにもかかわらず、それがストレ-トに子どもたちの学習課題にもち込まれたのである。ここから部落問題学習は新しい段階に入った」。しかし、その誤りが克服され、「小学校では部落問題を教えることはしない。教科書には部落問題を記述しない。現行教科書の記述を無視する。中学校においては部落問題だけをとりだした『特設単元』的なやり方はしない。ましてクラス担任がホームルームで特別な指導をすることは誤りである。」と書かれるようになりました。そして、私も出席した雑誌『部落』562号(1993年4月)の「部落問題学習をめぐって」の座談会で、勝山元照氏が「今日の部落問題は数学でいうたら微積分ぐらいむずかしい学習課題です。小学生は四則計算、中学生は関数というふうに習って微積分に進むわけでしょう。小学生にいきなり微積分教える人いてないでしょう」と述べ、前近代の賤民身分、近現代の部落問題についての学習は、義務教育段階で完結させる課題ではなく、高校生が社会問題について充分考えられるようになった段階で学習すべき課題だということで一致しました。

 部落問題という複雑な社会問題を学習するのは、青年期教育や成人教育の課題であるということをふまえたうえで、近世社会の学習において賤民身分のことをどうするかがつぎの課題です。

 私は、このことも小学校では教えない、教える必要がないと考えます。南部吉嗣氏は、「小学校社会科の部落問題学習について」(『どの子も伸びる』 1984年3月号)で、「とりたてて被差別部落の成立、歴史的経過、現状といった部落史を明らかにするということは目標にしない」としたうえで、小学校の歴史の授業の目標をつぎのように述べています。「(1)日本史全体をそれぞれの時代区分に従って大きくまとめ、その時代の具体的なイメ-ジを豊かに描き出させる。そのための教材の組み立てに工夫をする。(2)各時代を大まかに比較して、それぞれの時代のちがいがわかるようにさせる。(3)そのことを通じて、民衆のくらしやたたかいの方法が時代の発達とともに、進歩、発展していることが確認できる」と。

 小学校では、近世社会の成立で賤民身分については教えない。教科書の記述も無視する。秀吉の検地・刀狩によって、武士と農民が分けられ、住いも固定されたが、農民たちは長い間願っていた土地に対する権利を獲得し生産を高めることによって生活を向上させる道がつけられたことを教える。幕府や諸藩にとっても、生産が高まることは年貢収入が確実になるので、農業振興策をとるとともに、農民(本百姓)が没落しないようにさまざまな制限を加えたことを理解させる。これが近世封建社会成立期の目標です。

 中学校の歴史教育は、はじめて日本の歴史を世界の歴史と関連させながら学びます。人類の誕生から現代までを通して社会の変化・発展を学ぶ機会でもあります。

 ですから、階級とか身分ということを前近代の学習でつかみとらせることが大切です。日本民族の形成ということについても学ぶ必要があります。また、幕府権力が北海道から沖縄までを支配するようになったことも欠いてはならないことです。織豊政権から幕藩体制のもとで、百姓たちはどんなくらしをしていたのか、どんな願いをもって、どう行動したのか、それに対して権力は支配体制を維持するためにどんな政策を実施したのか、基本は、武士と百姓を中心にしてとらえさせることが目標です。そのためには、身分制社会についてわかることが条件になります。身分制度とは何かということは中学生にとっては、むずかしい課題ですから、そんなことは抜きにしてよい問題です。しかし、武士と百姓、町人、賤民というように身分ごとにわけて支配されたこと、そのおのおのがどんなくらしをしていたのか、身分と職業・居住地は一体のものとして固定されたこと、それに対するたたかいが日常の生産活動を含めて展開された事実を知ることが中学で学習するなかみだと考えます。このことを地域の資料をもとにして具体的に学びとらせるのが、中学の歴史教育です。

 高校では、はじめて被差別身分の成立についてより具体的に学習することになります。中世賤民のなかで非人と呼ばれた人々の一部がかわた・さいくなどという呼称で、百姓とは区別されて権力によって把握されたこと、かれらの職能と役務がどういうことであったのか、結婚・交際が禁じられたというが、百姓・町人との間に差別があったのか、なかったのか、事実に則して学びとらせるようにしなければなりません。そして、けっして時代をとびこえて、江戸時代の中・後期の身分差別を混同して教えないようにすることが重要です。また、身分制にこだわるあまり、基本的な生産関係である武士と百姓の関係を軽視して、賤民身分の学習に重点をおくような誤りも犯してならないことです。

 「部落差別の歴史的な起源、分裂支配という政治的目的でつくられたことを避けようとし、あるいは歴史的起源をあいまいにしようとするとして」「部落差別を残してきた行政の責任」を追及するために、いまだに政治起源説を主張したり、時代を越えた「ケガレ観」「差別観」などという意識や観念などを主軸にして「差別・非差別」の歴史をそのまま「部落史」に置きかえる考えなども出されています。

 「ケガレ観」「差別観」が、いったいだれのどのような観念なのかを解明せずに、「被差別民衆の歴史」を描き出そうとするのは、科学的な態度ではありません。

4.近代以前の身分制度の記述について

(1) 刀狩りと江戸時代の身分制度について

 新中学校教科書のなかでもっとも大きく変わったのは、大阪書籍(以下「大書」)です。「刀狩」と「江戸時代の身分制度」の記述は、つぎのようになりました。

※ 2006年度用 大阪書籍 『中学社会』〈歴史的分野〉

 刀狩 (前略)刀狩と検地によって、一揆などの百姓の抵抗を防ぎ、武士と百姓とを区別する兵農分離を進めました。さらに、百姓が田畑をすてて武士・町人(商人・職人)になることや、武士が百姓や町人になることなどを禁止し、武士と町人は町に、百姓は村にというように、住む場所も固定しました。こうして、武士と百姓・町人との身分をはっきりさせて、武士が支配する社会のしくみを整えていきました。

 江戸時代の身分制度 幕府は、武士と、百姓・町人という身分制を全国にいきわたらせました。治安維持や行政・裁判を担った武士を高い身分とし、町人よりも年貢を負担する農民を重くみました。

 さらに百姓・町人のほかに、「えた」や「ひにん」などとよばれる身分がありました。「えた」身分の人々の多くは、農業を営んで年貢を納めたり、死んだ牛馬の処理を担い、皮革業・細工物などの仕事に従事したりしました。また、これらの身分のなかには、役人のもとで、犯罪人の逮捕や処刑などの役を果たす者、芸能に従事して活躍する者もいました。このように社会や文化を支えながらも、これらの人々は百姓・町人からも疎外され、江戸時代の中ごろからは、住む場所や、服装・交際などできびしい制限を受けました。

 こうした身分制は武士の支配につごうよく利用され、その身分は、原則として親子代々受けつがれました。

 また、しだいに「家」が重んじられるようになりました。女性の地位は低くおえられるようになり、特に武家では、子どもを産んで「家」をたやさないことが役目とされました。

上の記述を下の97年版と比較してみてください。

※1997年版 大阪書籍 『中学社会』〈歴史的分野〉

検地と刀狩

 (前略)刀狩と検地は、農民による一揆などの反抗をふせぎ、武士と農民とを区別する兵農分離を進めるうえで、大きな役割を果しました。さらに秀吉は、農民が田畑をすてて武士・町人(商人・職人)になることや、武士が農民や町人になることなどを禁止し、武士と町人は城下町に、農民は農村に、というように住む場所も固定しました。こうして生活のすべてにわたり武士と農民・町人との身分をはっきりさせて、武士が支配する社会のしくみを整えていきました。

江戸時代の身分制度

 幕府は、武士の支配をいつまでも続けるために秀吉の身分制をひきついで、武士(士)と、農民(農)・町人(工・商)という身分制を全国にいきわたらせました。武士は、農民・町人よりもきわだって高い身分とされました。いっぽう、農民・町人のなかでは、年貢を負担する農民を重視し、町人と区別しました。農民のなかには、土地を持ち、年貢納入の義務を負った本百姓と、土地を持たない水呑百姓との区別がありました。町人には、地主・家持と、地借・店子との区別があり、また職人の親方と弟子、商家の主人と奉公人、そして奉公人にも、番頭・手代・でっちなどの序列がありました。

 さらに農民・町人の下に、「えた」や「ひにん」などの身分がおかれました。この人々は、生活条件の悪い所に住まわされ、服装や交際まで差別をうけました。「えた」身分の人々の多くは、わずかの田畑や小作地で農業をいとなみ、死んだ牛馬の処理や皮革業・細工物などの仕事も行いました。また、これらの身分の人々のなかには、役人の下で、犯罪者の逮捕や処刑などの役を課された者もありました。

 このような身分制は、原則として親子代々うけつがされ、農民や町人が、力を合わせて武士のきびしい支配に反抗しないようにするとともに、自分よりまだ下の者がいると思わせて、その不満をそらす役割をはたしたと考えられます。またしだいに「家」が重んじられるようになり、女性の地位は低く押えられるようになりました。

 大書は、90年代以後近代以前の身分制度の記述を部分的にですが改善してきました。それが、今回の改訂でさらに大きく変化しています。

 「検地・刀狩」 は、02年版とまったく変わっていません。97年版でも、「百姓」の用語を使わず、「農民」としたところだけの違いです。

 「江戸時代の身分制度」は、「百姓と村」「町人と町」の項の後に配置しています。たしかに賤民についての記述量が多すぎますが身分制度全体について書いています。本文では、秀吉の身分制をうけついだことを書いたうえで、基本的な身分である武士と百姓・町人について記述し、「えた」「ひにん」の記述につづきます。そして、「幕府は、武士と、百姓・町人という身分制を全国にいきわたらせました。治安維持や行政・裁判を担った武士を高い身分とし、町人よりも年貢を負担する農民を重くみました。えたやひにんなどとよばれる身分がありました」と、農工商の下に置かれた身分という位置付けではなく、それぞれの身分を幕府や藩が把握したというとらえ方に変わり、権力設定説・政治起源説を克服した記述になっています。

 また、97年版にあった「生活条件の悪い所に住まわされ、服装や交際まで差別をうけました」が「これらの人々は百姓・町人からも疎外され、江戸時代の中ごろからは、住む場所や、服装・交際などできびしい制限を受けました」に変わったことは、身分差別が社会的差別であることを明確にしていますし、部落差別が江戸中期以降のものであること、権力によって条件の悪いところに住まわされたのではないという記述に変わっていることは大きな変化です。さらに、仕事のなかに「死んだ牛馬の処理」も含めていたものが、「死んだ牛馬の処理を担い」と役負担であることが推測できるようになり、「役人のもとで、犯罪人の逮捕や処刑などの役を果たす者」とはっきりと役負担であることが書かれたことも肯定できます。

 もう一点、重要なことは小・中に共通するのですが、なぜこのような身分制度を定めたかについて、「分断して支配する」ことで、「不満をそらす役割」をという記述がなくなりました。他のほとんどの教科書はまだこの記述を残しています。そういうことから見て、大阪書籍の02・06年度の改訂は大きな改善だと考えます。

 上の教科書と最も大きくちがう3種(帝国と東書、扶桑社)の2006年度用教科書の記述は以下のようになっています。

※ 2006年度用 帝国書院 『中学生の歴史』日本の歩みと世界の動き

室町・戦国時代の 「いまにつながる生活・文化」の欄外コラム

● けがれと差別はどんな関係があるのだろう

 むかしは,天変地異・死・出血・火事・犯罪など,それまであった状態に変化をもたらすようなできごとにかかわることをけがれといいました。けがれをおそれる観念は,平安時代から強まり,けがれを清める力をもつ人々が,必要とされるようになりました。しかし一方で,かれらは異質な存在として,のけ者あつかいされるようになりました。

 なかでも,河原者とよばれた人々は,死んだ牛馬から皮をとってなめすことや,井戸掘り・庭園づくりなどを手がけていました。これらは必要な仕事でありながら,死や自然の驚異にかかわったり,特別な技能を発揮したりするためにおそれられ,差別されました。「天下第一」と賞賛された善阿弥をはじめとする,庭園づくりの名手も現れ,活躍しました。

 江戸時代の身分制度

 身分制度 江戸幕府や藩の支配が安定したもう一つの理由は、幕府が、豊臣秀吉の時代の武士と農民を区別する政策をさらに進めて、身分を武士と百姓と町人とする制度をかためたことです。そのため、百姓や町人が武士になることはできなくなりました。この過程で、百姓・町人に組み入れられなかった一部の人々が被差別身分とされました。

 〔コラム〕差別された人々 近世の社会にも、中世と同じように、死をけがれとするなど、人間がはかりしれないことをおそれる傾向が強くあり、それにかかわった人々が差別されました。もっとも、死にかかわっても、僧侶や処刑役に従事した武士などは差別されなかったわけですから、差別が非合理的で、都合よく利用されたものであるといえます。

 差別された人々は、地域によってさまざまに存在していました。このうち、えた・ひにんとよばれた人々などは、江戸時代中期から幕府や藩が出す触などにより、百姓・町人とは別の身分と位置づけられました。これにより差別は、さらに強化されました。

 えたとよばれた人々は、農林漁業を営みながら、死牛馬からの皮革の製造、町や村の警備、草履つくり、竹細工、医薬業、城や寺社の清掃などに従事しました。ひにんとよばれた人々は、町や村の警備、芸能などに従事しました。これらの人々も社会的に必要とされる仕事や役割・文化をになってきたのです。

さしえに「雪駄づくり」(大阪人権博物館蔵)を配置

 2002年版であらわれた「ケガレ」観にもとづく差別の発生という記述は改められていません。政治起源説が否定されるなかで、「ケガレ意識根底論」ともいうべき論がたてられ、一部で広まっています。この考えにもとづいた教科書があらわれたのです。

 この記述が2006年版でもそのまま残っています。この論は、ケガレ観念が差別の根底であるとして、社会的・政治的・経済的にみようとするのではなく、意識のみに着目して、ケガレ意識が根底にあって差別が発生したとするものです。

 この論では、支配者だけでなく一般民衆が差別者であり、今日でもキヨメ塩などの慣習と結びつけて死を忌みきらうなどのケガレ意識は、今なおなくなっておらず、部落差別が根強く存在しているという論に導こうとするものです。たしかに、「キヨメ」役を負わされた人々が存在したことは事実ですが、それが生業であったわけではありませんし、中世賤民の共同体からの排除を「ケガレ意識」だけで説明することはできません。また、中世以降「死穢観念」が広められるなかで、一部の賤民が共同体から排除されたことがあっても、「『天下第一』と賞賛された善阿弥」が「」特別な技能を発揮したりするためにおそれられ,差別されました」というのは無理があります。これでは、いつまでたっても「差別」の克服・解消は不可能です。(参考:井ヶ田良治「部落史学習をどのようにすすめるかー『ケガレ論』批判ー」雑誌『部落』676号2001年6月号を参照)

※ 2006年度用 東京書籍 新編『新しい社会 歴史』

 きびしい身分による差別 百姓・町人とは別にえた身分、ひにん身分などの人々がいました。えた身分は、農業に従事して年貢をおさめましたが,それだけでは生活できず、死んだ牛馬の解体や皮革業,雪駄生産,芸能,雑業などで生活しました。そして,役目として犯罪者の捕縛や牢番など役人の下働きを務めました。ひにん身分も,役人の下働きを務め,雑芸能や雑業などで生活しました。

 これらの身分の人々は,他の身分からきびしく差別され,村の行政や祭礼への参加もこばまれました。また,幕府や藩により,住む場所や職業も制限され、服装をはじめさまざまな束縛を受けました。これらのことは、えた身分,ひにん身分とされた人々への差別意識を強める働きをしました。

 東書も、「さまざまな身分とくらし」の節を「武士と町人」「村と百姓」「きびしい身分による差別」と配列しています。「士農工商」の身分差別の記述は消えましたが、その記述は旧態依然たるものであるだけでなく、いくつかの誤りを含んでいます。「えた身分,ひにん身分などの人々がいました」ではなく、かわた(のちに「えた」)やひにんが幕府や藩によって、身分として把握されたのです。そして、農業だけで生活できないから「死んだ牛馬の処理や皮革業,雪駄生産・・・」に従事したのではなく、斃牛馬の処理は役務であり、以前から従事していた皮革業や雪駄生産などの生業とは区別すべきです。後半部の「住む場所や職業も制限され」たのは、賤民身分の人たちだけではなく、この時代には武士も百姓・町人も制限されていたのです。「服装をはじめさまざまな束縛を受けました」ともありますが、江戸時代初期からこうした束縛があったわけではありません。藩が「触」を出すようになるのは江戸中期以後のことです。「これらのことは,・・・差別意識を強める働きをしました」もあわせて、明確に区別して記述すべきです。

※ 2006年度用 扶桑社『新しい歴史教科書』改訂版

 扶桑社本は、「35 平和で安定した社会」2ページで、「身分制度」「村と百姓」「城下町と町人」の3項目とコラムで「身分制度と百姓・町人」の説明をしています。この配列も不適当です。この節で大切なのは、江戸時代の村や町にはどういう人々がくらしており、まず、その人々の関係がどうだったのかを明らかにすることが順序です。支配者によって、強固な身分制度がしかれ、安定した社会が成立したと認識させたいために、このような記述にしたとしか思えません。そのうちの「身分制度」は、つぎのように記述しています。

 身分制度 秀吉の刀狩は、戦乱をおさえる効果をもたらしたが、江戸幕府はその方針を受けつぎ、武士と百姓・町人を区別する身分制度を定めて、平和で安定した社会をつくり出した。武士は統治をになう身分として名字・帯刀などの名誉をもつとともに、治安を維持する義務を負い、行政事務に従事した。▼ こうした統治の費用を負担し、武士を経済的に養ったのが、生産・加工・流通にかかわる百姓と町人だった、このように、異なる身分のものどうしが依存し合いながら、戦乱のない江戸期の安定した社会を支えていた。ただし、武士と百姓・町人を分ける身分制度は、必ずしも厳格で固定されたものではなかった。このほか、公家や僧侶、神官などの人々がいた。▼ こうした身分とは別に、えた・ひにんとよばれる身分が置かれた。これらの身分の人々は、農業のほかに牛馬の処理、皮革製品や細工物の製造にもっぱら従事し、特定の地域に住むことが決められるなど、きびしい差別を受けた。

 コラム 身分制度と百姓・町人  江戸時代には,「士農工商の4つの身分があった」といわれることがある。しかし,「工」(手工業者)と「商」(商人)のあいだには身分上の区別はなかった。

 「士農工商」は中国の古い書物にあるいい方にすぎず,江戸時代に実際に行われていた身分制度は,武士,百姓,町人の3つの身分を区別するものだった。

 江戸時代の身分制度は,職業による身分の区分であり、血統による身分ではなかったから,その区別はきびしいものではなかった。百姓や町人から武士に取り立てられる者も,反対に武士から町人などになる者もいた。武士の家でも,長男が家をつげば、二男・三男らは農家の養子になることもあった。

 町人は,城下町に住んでいる,武士以外のさまざまな職業の人をさし,百姓は,村に住んでいる人々をさした。したがって,城下町で営業する鍛冶屋は町人である一方,「村の鍛冶屋」は手工業者でも百姓でもあり,漁業や林業に従事する人々も百姓だった。だから,「百姓=農民」では必ずしもなかった。

 扶桑社も、文章がやさしくなり、中学生が読みこなせるものにはなりました。しかし、江戸時代を「平和で安定した社会」と見るのは一方的な見方ですし、えた・ひにんだけが「特定の地域に住むことがきめられ」と、事実に反する間違った記述をしています。また、「武士と百姓・町人を分ける身分制度は、必ずしも厳格で固定されたものではなかった」という記述をしていますが、それは百姓や町人が身分制度を切り崩していく動きを示したからで、幕府や藩がそうしたわけではありません。ですから、身分制度がゆらぎだした江戸中期以後身分制のひきしめがおこなわれ、民衆の間での差別が生じるのです。この点からも誤りです。

 中世賎民が存在し、そのなかの「えた」身分などが、近世社会になって権力によって賤民として把握され、武士と百姓・町人の身分制度が確立したのであって、江戸幕府が農民や町人の不満をそらすために賤民身分をつくったというのは、事実に反することで、目的と結果を混同しています。

(2) 渋染一揆の記述について

 渋染一揆については、扶桑社以外のすべての教科書に記述されています。しかし、江戸時代の身分制度の動揺については、大書以外は記述していません。70年代以降、この時期の記述にはえた・ひにんに対する身分差別の強化が強調されていました。また、封建支配の過酷さが強調され、子どもたちは、「江戸時代=悲惨な時代」との認識を植えつけられることになってしまっていました。90年代後半からは、そういった記述はなくなりましたが、一部には渋染一揆を特別に取り出して、賤民の人権獲得のたたかいを強調するものもあらわれてきました。いずれも不適切だと思います。

 生産と流通の発展によって人々のくらしが向上し、身分をこえた交流も含めて、封建的な身分制度が揺らいできたことをおさえたうえで、幕府や藩の反動的な支配政策に抵抗する百姓一揆や打ちこわしが頻発するようになることを学習します。これに対して、身分制度引き締め策の一環として賤民身分にたいする差別政策の強化が打ち出されてきます。ですから、渋染一揆を取り上げるとしても、江戸時代後期の百姓一揆のひとつとして学ぶこと、倹約令に付け加えられた5カ条が認められないというかわた(えた)身分の要求行動(平等の主張)によって、別段御触書の法令を空文化させたことを教えるべきです。中学校の学習で、差別への怒りや憤りをもたせるとか、立ち上がった人々に共感するなどのねらいはまちがっています。一揆後の逮捕者の処遇や人々の交流のなかで自然となされた「茶店のふるまい水」を「身分をこえた連帯」として強調することも必要ないと思います。そういう視点で新教科書を見てみると、大書の記述は渋染一揆でおさえるべき点を簡潔に記述していますが、清水の記述は大きな問題があると思います。

 大書は身分差別強化と渋染一揆について、107ページと136ページの2ヵ所に分けて書いています。

「幕府政治の改革と農村の変化」の欄外

 豊かになる人びとと身分制のひきしめ 「えた」身分の人々のなかにも、広い田畑を経営する者や、雪駄づくりの仕事を行って豊かになる者も出てきました。村の人口も増え、他地域との交易も広まりました。これに対して幕府や藩は、身分制のひきしめを強め、とくに「えた」や「ひにん」などの身分の人々に対しては、人づきあいや髪型・服装について、きびしく統制しました。その結果、人々のあいだに差別意識がいっそう浸透していきましたが、こうしたなかでも、これらの身分の人々は互いに助け合い、結束して生活を向上させていきました。

 (さしえに「雪駄づくり」〈大阪人権博物館蔵〉の写真)

 そして、「江戸幕府の滅亡」のあとの「歴史を掘り下げる」で、「幕府や藩の支配をゆるがした人々」の題で、大阪の国訴、渋染一揆、高杉晋作、久下玄瑞、坂本龍馬を取り上げています。そのなかの渋染一揆の部分は以下のように書いています。

渋染一揆の嘆願書

 わたくしどもは「えた」とはいえ、一般の百姓と同じように田畑を耕して、年貢もきちんと納めています。それなのに、衣服まで差別されては、農業にはげむ気持ちさえなくしてしまいます。わたくしどもは、一般の百姓たちがすててしまった荒れ地までも耕し、女どももぞうりづくりなどの内職にはげみ、少しでも年貢を多く納めるようつとめてきました。紋付の着物を着てはいけないといわれますが、わたくしどもは、新しい着物ではなく、安い古着を買って使っているから紋がついているのです。それなのに、なぜこのようなきびしい倹約令を出されたのでしょうか。ほんとうになげかわしく思います。(一部要約)

 差別の撤回を求めた人々

 1855年,岡山藩は,財政難を解決しようとして倹約令を出しました。とりわけ,「えた」身分の人々に対しては,「新しくつくる衣類は木綿で,しかも無紋・渋染・藍染のものに限る」など,きびしい風俗差別の命令になっていました。そのため,53か村の「えた」身分の人々が団結して反対し,翌年,嘆願書を出しました。しかし,嘆願書が差しもどされたため,20か村あまりから1500人以上の人々が集まって一揆を起こし,3日にわたる交渉の末,藩に嘆願書を受け取らせました。藩は,その後,これらの人々に対する風俗の規制を実施することができなくなりました。

 このように,19世紀の半ばごろから,社会の枠組みをこえて,自由な経済活動や平等な社会を求める動きが盛んになりました。

 清水は、「幕府政治のゆきづまり」に、欄外のカコミで、つぎのように記述しています。

 渋染一揆

 幕府の支配力が弱まってくると,身分差別が強められました。岡山藩では,農民に倹約令を出し,それを徹底させるために「えた」身分とされた人びとに対し,藍染めや柿渋で染めたもの以外の衣類を着ることを禁じました。

 人権をまったく無視した条文に対して藩内50あまりの「えた」身分の人びとが何度も話しあって嘆願書をまとめ上げましたが,期待に反して嘆願書は差し戻されました。話しあいを重ねるなか,ようやく嘆願書を受けとらせることができましたが,この行動は法度を犯すもので,藩の取り調べの結果,12人が入牢となり,そのうち6人も獄死しました。その後,牢内外の「えた」身分の人びとの嘆願運動により,6人は2年後に釈放されました。これは封建制度の時代にあって他に例を見ない人権獲得のたたかいであり,この人間としての尊厳を守りぬいたたたかいの精神は,いまも部落解放運動のなかに生きつづけています。

 清水は、岡山藩の倹約令の全体について触れていませんから、えた身分のものだけに倹約を強いたようにも読めます。そして、えた身分に対する倹約令を空文化させたことは書いていません。それなのに、きびしい刑罰について書き、この一揆を「他に例を見ない人権獲得のたたかいであり,この人間としての尊厳を守りぬいたたたかいの精神は,いまも部落解放運動のなかに生きつづけています」と最大級のほめ言葉でしめくくっています。渋染一揆のとらえ方の問題といい、その扱い方には大きな問題があります。

5.近現代の部落問題記述について

 部落問題は、近代日本の大日本帝国憲法体制の確立とともに成立し、戦後の社会に残存した社会問題です。天皇制絶対主義体制を支える縦系列の支配体制の一貫として、身分差別も温存されたのです。被差別部落民は、賤称廃止令を積極的に受けとめ水利権や入会権、祭礼参加などを実現し、部落改善運動から部落解放運動へと自覚的にたたかいを発展させました。そして、日本国憲法体制のもとで、労働者や農民と結合したたたかいによって部落差別を克服・解消させることができたのです。

 中学校の歴史学習で、とくに限られた時間のもとで、これらのことをすべて学ばせるのには無理があります。しかも、さきにも述べましたように、部落問題は複雑な社会問題で、中学生の学習課題としては無理があります。教科書に記述するとしても、その時々の社会問題と関連づけて、かんたんに触れる程度であるべきです。そして、なによりも大事なことは、長年の運動によって部落差別が克服・解消されたことを認識させることです。その観点から見ると、新教科書の記述内容にはまだまだ問題のある記述が残っています。

(1) 明治政府の身分制度改革について

 明治政府は、天皇を神格化し、1869年の身分制度の改革で、天皇の一族を皇族、公家と大名を華族、武士を士族、百姓と町人を平民としたことをまずおさえます。そして、1871年の賤称廃止令によって、「えた」「ひにん」の呼称と身分・職業・居住地の制限をなくし、平民同様としたことに触れます。さらに、この布告をよりどころにして、旧賤民の人びとが用水権や入会権、祭礼への参加や対等な交際を求める運動をすすめたことを学ぶべきです。不徹底な身分制度改革によって、旧賤民に対する差別がいっそう強まったというとらえ方はまちがっています。

 明治政府の改革では、どの教科書も身分制度改革について触れています。しかし、天皇・皇族・華族や平民について書いているのは、東書、大書、日文の3社で、他社のものは天皇・皇族について記述していません。

 扶桑社と清水の記述には大きな問題があります。

 扶桑社は、明治政府の政策を肯定する立場で、華士族平民だけでなく、旧賤民も平等な権利を保障されたかのように書きながら、旧賤民にたいする「社会的差別は、そののちも長く消えず,さまざまな形で残った」と、天皇制政府は善政をおこなったが、国民が差別を強化したととらえさせようと、具体性のない、差別を強調する問題の多い記述をしています。

四民平等の社会へ

 いっぽう政府は,四民平等をかかげ,人々を平等な権利と義務をもった国民にまとめあげていった。まず,従来の身分制度を廃止し,藩主と公家を華族,武士を士族,百姓や町人を平民とした。そして,平民も名字をつけることを許し,すべての人の職業選択,結婚,居住,旅行の自由を保障した。さらに, 1871年には解放令が出され,えた・ひにんとよばれた人々も平民となり,同等な地位を獲得したが,これらの人々への社会的差別は,そののちも長く消えず,さまざまな形で残った。

 清水は、「身分制度の廃止」を2ページで扱い、「四民平等」「徴兵令」「家禄の廃止と廃刀令」「残された差別」の4項目の記述をしています。天皇・皇族についての記述がないだけでなく、「四民平等」で「江戸時代に『えた』『ひにん』とされていた人びとを身分解放令によって平民とした」と書きながら、「残された差別」で、つぎのように書いています。

 残された差別 こうした一連の改革は、それまでの支配身分の特権をおおはばにけずり、廃藩とともに、社会のありかたを大きくかえるきっかけとなった。ただし、完全に平等な社会ができたわけではない。華族は国家の手厚い保護を受けつづけた。いっぽう、幕藩体制のなかでつくられてきた身分差別の観念は,身分制度の廃止後も人びとのあいだに根強く残った。とくにそれまで,『えた』『ひにん』とされていた人びとは,新しい職業についたり、住所を移したり,教育を受けたりする自由を,江戸時代とかわらず強く制限され差別されつづけた①。政府による公的な経済援助などがなかったこともあり,この差別問題は,いまも同和問題として残され,その解決の取り組みがつづけられている。

 (側注)① 差別されてきた「えた」身分(被差別部落)の人びとの生活をそれまで支えてきたしごとでも,その利益に着目した実業家などによってそのしごとがうばわれた。それに徴兵などの義務もくわわり,より生活に苦しむようになった。また,一部の農民のなかには,これらの人びとが自分たちとおなじ身分になったことで不利益をこうもると考え解放令反対一揆をおこす地域さえあった。

 上の文は、天皇と皇族について書いていないだけではなく、「身分差別の観念は,身分制度の廃止後も人びとのあいだに根強く残った」と、近代における部落差別を「観念」によるものとし、明治の身分制度改革の記述にあわせて戦後のことまで書き、「いまも同和問題として残され,その解決の取り組みがつづけられている」と問題のある記述です。それだけでなく、特殊な事例として、他社の教科書が書いていない「解放令反対一揆」についてまで言及しています。明らかな特殊化・肥大化です。

 それに対して、東書と大書は、皇族について書き、「解放令」をよりどころにした旧賤民の人々の動きについても書いています。

 大書の記述をつぎに掲げます。

江戸時代の身分制の廃止

 新政府は、江戸時代の身分制を改め、天皇の一族を皇族,公家と大名を華族,武士を士族,百姓と町人を平民としました。1871年には,「えた」や「ひにん」などの身分についても,これを廃止するという布告(「解放令])を出しました。また政府は,身分による結婚・職業・居住地の制限を廃止し,すべての国民は,名字(姓)を名のることができるようになりました。こうした政策を四民平等といいます。四民平等は,民衆の願いにこたえるものであるとともに,政府にとっても,納税や兵役などで,すべての国民の協力を得るために必要なことでした。

 しかし,もとの「えた」や「ひにん」などの身分の人々(4)に対しては,職業・結婚・居住地などでの差別も根強く残されました。そこで,「解放令」をよりどころに,山林や用水の利用,寄合や祭礼への参加,対等な交際の要求など,差別からの解放を求める動きが各地で起こりはじめました。

 (側注)(4)こうした身分の人々は,生活改善の施策も受けられず,これまでもっていた職業上の権利を失ったうえに,他の人々と同様兵役や教育費の負担を加えられていました。

 大書の記述も、百姓や町人も生活改善の施策が受けられなかったことについては触れていませんし、「職業・結婚・居住地などでの差別も根強く残されました」と協調していることなど問題は残っていますが、よりましな記述だと思います。

(2) 全国水平社について

 全国水平社の結成についても、全八社とも記述しています。ここで重要なことは、第一に、水平社の結成や水平運動を特別に強調して扱わないことです。第二は、民主主義的意識の高まり、社会主義思想も広まるなかで、全国的な労働組合や農民組合が結成され、小作争議や労働争議がおこされたこと、婦人解放運動が展開されたこと、日本共産党が創立されたことなどと結びつけて全国水平社を扱うことです。第三に、これらの運動が生活のなかに民主主義を実現しようとしたものであったことを位置づけることだと思います。

 全国水平社の結成については、各社とも、1920年代の社会運動の項で扱っていますが、ここでも、配列や記述内容、図版に問題があります。帝国は、「民衆が選ぶ政党による政治」で、「護憲運動」「政党政治と男子普通選挙」「女性参政権を求めて」「治安維持法の成立」のあとに、「都市の発展と社会運動」の節を設けて、「都市の発展と環境問題」「さかんになる社会運動」「解放を求めて立ち上がる人々」という構成で、全国水平社を扱っています。しかも、全国水平社の名前は出しても、日本労働総同盟や日本農民組合、日本共産党の創立は書いていません。男子普通選挙や治安維持法を学習したあとで、労働争議や小作争議、水平社の運動を学ぶのでは混乱してしまいます。

 本文に、日本共産党の結成を書いているのは、東書、日文、日書の三社で、大書、清水は側注にしか書いていません。扶桑社は、「第二次世界大戦の時代」の最初の節の「共産主義とファシズムの台頭」の側注に「コミンテルン日本支部としてひそかに創立された」と書いています。東書の「広がる社会運動」の記述は、先に述べた各界各層の社会運動が組織的に展開されたことを記述していますが、具体性に欠けます。それなのに、「水平社宣言」(部分)、「全国水平社創立大会のビラ」、「全国水平社青年同盟の演説会で、差別とのたたかいをうったえる山田少年」の三枚もの図版を配置しています。あきらかに肥大化・特殊化といわねばなりません。

(3) 戦後の部落解放運動と現代の課題

 戦後の部落問題について詳しく学習することは中学の歴史学習の課題ではありません。日本国憲法を暮らしにいかす運動の展開によって、同和対策のための特別法を制定させ、部落の環境改善が実現し、市民的交流もすすみ、部落内外を分け隔てていた障壁も取り除かれていきました。そうしたなかで、いまでは部落差別が克服・解消の段階にまで到達したのです。このことは、公民の平等権の学習で、具体的に学ぶにしても難しい問題です。ですから、戦後の社会運動の高まりを学習する際に、部落解放運動が再建されたことについて触れることはあっても、詳しく記述する必要はないと思います。

 戦後の部落解放運動と現代の課題の記述は、大きな違いがでました。帝国と扶桑社は戦後の部落解放運動について書いていません。現代の課題で部落問題について触れていないのが扶桑社と日書です。

 大書の「また、全国水平社の伝統を受けついで,部落解放全国委員会がつくられました」は他の運動の記述との関係でバランスを欠いたものだと思います。

 現代の課題で、扶桑社と日書は記述していませんが、他社はつぎのように記述しています。どの社も、「解決しなければならない課題」として、現代の状況を正しく反映した記述にはなっていません。それだけではなく、教出や清水の記述は「意識の問題」として取り上げるという問題を含んでいます。

 東書「部落差別の撤廃は,国や地方公共団体の責務であり、国民的な課題です。」(側注あり)

 大書「国内にも解決しなければならない問題があります。市民と自治の連帯を強め,部落差別,障害者や女性,在日外国人,アイヌの人々などへの偏見をなくし,あらゆる人々に公正で人権を尊重する社会を築くことが,21世紀を生きる私たちに求められています。」(側注あり)

 教出「人類は,長い歴史を通して,差別をなくし,人権と民主主義の確立を求めてきました。しかし、日本にはまだ差別や偏見が残っており,部落差別の撤廃は,国や地方自治体の責務であるとともに,国民の課題です。」

 日文「部落差別をはじめ、アイヌ民族や在日韓国・朝鮮人に対する差別,あるいは,障害者,男女差別の問題もなくなっていない。」

 清水「しかし,人権をたてまえではなく、実質的に保障するためには多くの課題が残されている。近年,物質的に豊かな社会にあって他人の痛みや権利をかえりみない風潮もある。同和問題の解決は,国および地方公共団体の責務であり,国民的課題として,長い間の部落解放運動の発展を基礎としながら, 1965年の同和対策審議会答申を受け,生活改善のための法律が制定されてきた。しかし,いまだ差別はなくなっていない。部落差別は,結婚や就職の機会均等などの市民的権利が保障されていないことにある。この日本固有の人権問題である部落差別解消の取り組みを礎として,実生活に残る性差別をなくすとともに,心身障害者や高齢者,在日外国人などの人びとが豊かで安心してくらせるための具体的な施策が求められている。とくに在日韓国・朝鮮の人びとについては,これまでの歴史の正しい認識をふまえて,差別や偏見をなくすことが必要である。アイヌの人々については,新たにアイヌ文化振興法が制定されたが,偏見をなくし,少数民族固有の伝統を守ることが重要である。」

 帝国「その一方で,日本国内にも解決すべき問題が多くあります。部落差別、アイヌの人々や在日コリアンへの差別,男女共同参画社会の実現などは、基本的人権にかかわる重大な問題です。」

6.中学校公民教科書の記述について

 中学校社会科公民的分野の教科書での部落問題の扱いも大きな問題があります。現に、同和対策(地域改善)の特別法が廃止され、部落問題が克服・解消された段階であるにもかかわらず、各社とも、40年前の「同和対策審議会答申」そのままの文章を残しています。公民教科書では、この部落問題記記述をなくすことが当面の課題だと思っています。

 中学校の公民の学習で、部落問題を取り上げるかどうかについても、十分検討する必要があります。私は、江戸時代の身分制度のなりたちから現代の部落問題解決の状況までを、概説するようなことはすべきではないと考えます。もし、取り上げるにしても、国民の運動によって、環境改善などの部落対策がすすみ、部落内外の交流の進展で、部落差別を許さない社会が築かれたことを学ばせるべきだと考えます。私は、和歌山県白浜町の同和教育読本を参考にしながら、「獅子舞ができるようになった」の資料を作成しましたし、就職差別や結婚差別がどのように克服されてきたかを具体的に学ばせることが大切だといってきました。日本国憲法の平等権学習で、子どもたちにとっての身近な問題は、性差別であったり、民族差別、障害者差別ではないでしょうか。教科書には、そうした問題をどのように解決してきているか、今後どういう問題を解決していかなくてはならないかを記述すべきだと思います。歴史教育者協議会や全国民主主義教育研究会の会員の実践でも、憲法第14条に示された平等権を実現してきた事実を学ぶことによって、憲法を暮らしにいかすことが可能になっていることを教えています。その点で、各社の記述を見てみると、どの社のものも問題の多い記述となっています。

 東書は「人権と共生社会」で、読み物資料をあわせて6ページの扱いです。下の本文にあわせて、側注に「部落差別をなくそう」のポスター、次ページに「読み物資料」として「義足の三塁手と義肢装具士」「友達が教えてくれたこと」(在日コリアンの作文)「アメラジアン」と、「差別をのりこえてー詩 お姉さんへ」で、結婚差別を克服していった姉のことを書いた中学生の詩をのせています。部落問題にかかわっての本文は、つぎのように記述しています。

 差別をなくすために 今日の社会でも,日本社会に固有の部落差別,アイヌ民族差別,在日韓国・朝鮮人への差別が根強く残っています。これらの差別は,根本的には人間の尊厳の原理に反するものです。このような理由のない不当な差別は,一日も早くなくさなければなりません。

 部落差別からの解放 歴史で学習してきたように、江戸時代のえた,ひにんという差別された身分は、明治になって法律で廃止されました。しかし明治政府は,差別解消のための政策をほとんど行わず,その後も、就職,教育,結婚などで差別は続いてきました。

 1965年の同和対策審議会の答申は,部落差別をなくすことが国の責務であり、国民の課題であると宣言しました。そして,対象地域の人たちの生活の改善が推進されてきました。また, 1997年からは、同和対策事業をさらに進めて,人権擁護の総合的な施策が行われています。人権教育などを通じて、差別のない社会が求められています。

 いまだに、部落差別を民族差別と同等に扱い、国の政策を列挙しています。これでは、部落問題が克服・解消の段階に達したことはわかりません。

 大書は、「等しく生きる権利(1)」で、「平等権とは、男女共同参画社会をめざして、障害者とともに生きる社会」について書き、「等しく生きる権利(2)」で、「部落差別をなくすために」「アイヌ民族への差別」「在日韓国・朝鮮人差別」について記述しています。  最初に、下の文章の上に、北九州市の高校1年生が書いた詩(「なぜ、なぜ、なぜ」)が掲げられています。その詩では、「なぜ私たちだけが差別されるのか 就職,結婚,いろいろなことに なぜ私たちだけが 苦しみ,傷つかねばならないのか」とあり、差別を固定的に見ています。そして見開き2ページには、「昔から伝わるアイヌ民族の祭り」(写真)、「全国高校ラグビー大会に初出場した大阪朝鮮高校」(写真)、「国立大学の受験資格が広がることを報じる新聞」(コピー)をのせています。

 部落差別をなくすために 部落差別とは,職業選択の自由や結婚の自由などの権利や自由が,被差別部落の出身者に対して完全に保障されていないことをさします。

 1922年に全国水平社が創設されて以来,被差別部落の人々を中心とする差別からの解放を求める運動がねばり強く進められてきました。その結果、政府の同和対策審議会は, 1965年,同和問題が人間の尊厳にかかわる問題であり,緊急な解決が国の責務であり,国民の課題であるという答申を出しました。この答申に基づき,同和対策事業特別措置法など(1)が制定され,対象地域の生活環境はかなり改善されてきましたが,就職や結婚などで差別がみられます。いっぽう,差別を許さない運動や,学校や社会において差別をなくす教育が進められて,差別に立ち向かう人々も増えています。

 (側注)(1)1982年に地域改善対策特別措置法が制定されるなど,さまざまな施策を経て,1996年には,人権擁護施策推進法が制定されています。

 「差別を許さない運動や,学校や社会において差別をなくす教育が進められて,差別に立ち向かう人々も増えています」と、他社にはない文章でしめくくっていますが、前半部分は同対審答申と特別措置法の説明であり、「就職や結婚などで差別がみられます」と問題のある記述をしています。

 扶桑社は、「29 基本的人権2〈平等権・社会権〉」の「法の下の平等」(1ページ)と「32 私たちの社会に潜む差別」(2ページ)の「社会に残る差別」の部分で扱っています。「社会に残る差別」は、【部落差別】【男女平等】【外国人】【障害者】からなっており、コラムで「『外国人』お断りの店」、「男女の賃金格差」のグラフ、「アイヌの人々」の写真、「DVの新聞記事」を配し、本文ではつぎのように書いています。

 法の下の平等 人間は顔や体格はもちろん,その能力も性格も千差万別である。しかし法はそのようなちがいをこえ,すべての国民に等しく適用されなくてはな らない。▼ 憲法は「すべて国民は、法の下に平等」(14条)であり,人種や性別,社会的身分などによって差別されてはならないと定めている。それは「すべて国民は,個人として尊重される」(13条)という憲法の精神に沿ったものでもある。▼ さらに憲法は,華族などの貴族の制度を否定するとともに,勲章などもあくまで個人の功績を認めるものであり,家柄などにつながるものではないとしている (14条)。▼ しかし,平等権は社会を秩序づけている役割分担や,個人の立場までなくそう としているのではない。▼ また,行き過ぎた平等意識はかえって社会を混乱させ,個性をうばってしまう結果になることもある。憲法が保障しているのは,絶対的な平等ではなく,不合理な差別は許されないということである。

 【部落差別】憲法が禁止する家柄や血筋による差別のひとつに部落差別がある。1965 (昭和40)年には同和対策審議会答申が出され, 1969年には同和対策事業特別措置法が制定された。これらにより同和地区に住む人々の生活はしだいに改善されてきた。また全国の学校や職場の多くでも人権・同和教育が進められてきた。しかし,今日でも結婚などに際して偏見に苫しめられたり,心ない落書きがあるなど,完全には解消されていない。

 社会に残る差別 これまで見てきたように基本的人権の考えに基づいた法や制度により,多くの差別や偏見が取り除かれてきた。しかし,国内には今なおあちこちに不平等なあつかいや不合理な差別に苫しむ人々かおり,その解決は国民的な課題となっている。

 まず、平等権と社会権を2ページで並べて扱うことが問題です。平等権というのは、自由権と社会権の両方にかかわるのに、そういう基本的なふまえないで、並列していることが問題です。しかも、華族制度の廃止以外具体的なことは何も書いてありません。それだけでなく、「社会秩序」の大切さを書き、「行き過ぎた平等意識はかえって社会を混乱させ,個性をうばってしまう結果になることもある」と、平等権の実現を求める動きを抑えにかかっています。これでは、人権学習は成り立ちません。

 もうひとつ、「アイヌの人々」の題で写真を掲げていますが、この写真については、旭川チカップニ・アイヌ民族文化保存会と同会会長の北川シンリツ・エオリパック・アイヌさんらが、「断りもなく本人と特定できる写真を無断で載せることは許せない。差別の項目に掲載するのはアイヌ民族を侮辱し差別する行為だ。」「行事は、実行委員会の要請で行われたもので、アイヌの伝統的なまつりではない」と、扶桑社に抗議と訂正要求をしました。ところが採択終了後も話し合いに応ぜず、ようやく12月になってからの協議で、写真の差し替えと謝罪文の掲示をおこなうという問題もありました。

 日書は、「平等なあつかいを受ける権利」で、「法の下の平等」「ほんとうの平等を求めて」の文と、写真と資料で絵画「フランス革命前の社会」、「女権宣言」について説明し、フィンランドの男女平等法、ノルウェーの「男女平等の本」の表紙を掲げています。さらに、「差別をなくしていく努力」で欄外に、「部落差別をなくしていくために」のコラムを掲げ、「現代社会と差別」「女性差別」「障害者差別」「まだある差別」の記述をしています。 

●部落差別をなくしていくために

 話は少し古くなりますが, 1975年に,全国の同和地区の所在地をのせた『部落地名総監』という差別図書が会社に出回り,入社の採用選考に利用されていることが発覚し,大きな社会問題となりました。

 大阪府では,この『部落地名総監』の売買を契機にして,部落差別につながる悪質な調査などをなくし,同和問題を解決するために, 1985年から「大阪府部落差別事象に係わる調査等の規制等に関する条例」を施行しています。この条例は,同和地区出身という理由で,結婚差別をしたり就職差別をしたりすることを防ぐためにつくられたものです。

 しかし,条例がすべてではありません。わたしたち一人ひとりが,あらゆる差別を「しない、させない,許さない」という人権意識を築きあげていく不断の努力をしていくことが,だいじなことです。

 本文はつぎのように書いています。

 まだある差別 法の下の平等にもかかわらずなお残っている差別も少なくない。日本で長く生活している韓国人,朝鮮人,中国人など定住外国人への差別はその一例である。彼らのなかには,かつて日本が植民地とした朝鮮,台湾から強制連行などで移住させられた人々の子孫もいて,日本で生活を続けているが,就職などで依然として差別を受けている。また,定住外国人には,選挙権をあたえられていないとか公務員になれないなどの制限もある(1)。こうした差別をなくし,制限についてもその実態を検討していく必要がある。

 部落差別 江戸幕府の身分政策でかためられた部落差別は,明治以後になっても残った。1922年の水平社結成以来,部落解放運動によって差別撤廃の運動が進められてきた。戦後は1965年に「同和対策審議会答申」が出され,69年には同和対策事業特別措置法」が制定された(2)。これによって、国や地方自治体の責任で被差別部落の環境改善がかなり進められてきたが,部落への偏見は,結婚や就職の際に依然として残っている。

 ◎話しあってみよう 差別したこと,されたことを,思い出して話しあってみよう。

 (側注)(1)最高裁判所は,日本に永住している外国人の選挙権については,地方自治体の選挙権では肯定的な見解をとり,国政選挙については否定的な見解を示している。

     (2)2003年をもって,この法律は失効し,国としての特別対策は終了した。

 カコミの「部落差別をなくしていくために」でとりあげている、大阪府のいわゆる「興信所条例」=「大阪府部落差別事象に係わる調査等の規制等に関する条例」は、「差別」の認定者、規制対象、解決方法などの点で問題が多く、条例反対運動があったものですし、制定後も差別克服に役立っているものとはいえない条例です。それなのに、内容についての批判抜きにこのように肯定的に扱うのは問題です。また、「部落への偏見は,結婚や就職の際に依然として残っている」という事実に反する記述をしています。

 以上、歴史と公民の身分制と部落問題の記述について詳しくみてきましたが、まだまだ問題の多い記述ばかりといっても過言ではありません。子どもたちに、身分制と部落問題についての正しい認識をもたせるためにも、いっそうの教科書批判が必要だと考えます。

(教科書本文・側注の○数字はJIS外字ですのでホームページ掲載にあたっては(数字)に変えています。)

うちの子にもついていける勉強のすすめ方をしてほしい!!

うちの子にもついていける勉強のすすめ方をしてほしい!!

―国民の教育主権を取り戻す合言葉―

渡辺 元 (子育て教育八尾市民会議代表・元八尾市立小学校教員)

はじめに

 2007年、NHKが特集した「学校に対する「無理・難題」の中に ――うちの子にもついていける勉強の進め方をしてほしい ――というのがはいっていたので驚いた。

 「うちの子にも・・・」とたのむのは一見わがままのようだが、わがままではない。 憲法26条は「すべて国民は教育を受ける権利(=勉強についていける権利)を持っている」と守ってくれているし、99条は「政府や教職員など公務員には憲法どおりになるように努力する責任がある」と命じているのだから「うちの子にも・・・」と願う親心は、政府や教職員が責任を持って受け止めねばならない。主権者の願いなのだ。だから、戦後1956年までは、この願いどおり ――みんないっしょに賢くするための法律 ――が整えられていた。

 ところが、国民の教育主権を取り上げたい財界本位の政府は1956年以降手立てをつくして、この親心を「無理・難題」だと錯覚する世の中にしてしまった。

 まず、その歴史を振り返り、つぎに教育再生の道をかたろう。

1.国民の教育主権の略奪史

(1) 教育委員会法改悪 1956年、国民の教育主権の根を断ち切った。

 次に掲げるのは、1950年に行われた教育委員選挙の投票日の、街のようすだ。

(八尾小学校作文クラブ文集②より)

無題

         5の3      水谷(小松)悦子

 うら門まできて、一人は帰ってしまった。もう一人も嫌がっていたが、私が一けん一けんいって、「教育せんきょ、いかれましたか?」と五、六けんいってまわっているうちに二人ともわたしのうしろで、私といっしょにいいはじめた。

 だいぶまわったろう。もうそのころには二人ともなれて、私より先に走っていって言っていた。  どこの家も「いきましたで」という。

「ありがとうございました。」といい、戸をしめようとするとき、「ごくろうさんやなあ」といってくれる。

 いっていない家はおおかた店やで、「今、いってまんねん。かわってもろたら、いきまっせ」と笑いながらいう。
 両がわにわかれた。中学生がわたしらのまねをしながら、いたずらそうに「へぇ、いきまっせ」といった。

 おおくの家をまわった。まだ雨は私たちの傘をぬらしていた。顔見知りの人がバカていねいに返事して、私たちをわらわせた。

 三人よって歩く。歩いていても、いつもよりえらいような気がした。

 この作文を読めば『子どもを戦場へ追い立てる教育は、これで終わるのだ』と教育委員選挙を歓迎する、街の人たちの明るい笑顔が、目に見えるようだ。

 それだのに、1956年政府は「教育委員選挙は、実益がないのに、お金がかかりすぎるから、ヤメたい。」と言い出して国会はこの言い分を通した。

 教育委員選出は、選挙から首長の任命にかわった。教育行政に国民の声を直接とどける道がなくなった。

(2) 勤評攻撃 1958年(教育には自由がよく似合う。)

 政府は、教育主権剥奪の次の一手として、勤評攻撃をかけてきた。

 勤評攻撃とは「月給に差をつけるぞ」と、おどして管理を強めようとする政策だが、これは教育が本来持っている自由に守られて、ほぼ失敗する。

 保護者・地域がこぞって「どの先生も個性を生かして、よくやってくださっているのに、月給でしばって、窮屈な目に合わせたら子どものためによくないだろう。

 子どもには、のびのび育ってほしい」と考えてくださったからだ。

 それは、このころ、学習指導要領が(試案)=(参考にすればいいもので)強制力を持っていなかったから、勉強の進め方は教員と保護者・地域が子どもの様子を見ながら学者と相談しながら決めていた。いいかえると ――うちの子もついていける勉強のすすめ方――になっていたからだ。  こうして、ほとんどの自治体では勤評が骨抜きになり、月給に差をつけているのはごく一部の自治体しかない。

 戦前のように、国が教育主権を持ち、思い通りの子どもを育てたい政府は、このじゃまになる信頼関係をこわす根まわしに勤評攻撃の年に、「試案」の文字を消し去った。「勉強は政府のいうとおり進めなさい」というわけだ。

(3) “よりわけ教育”宣言 1962年 財界主導

 戦後この年まで、日本の教育の基本を――《教育行政は不当な支配に服することなく、直接国民全体に責任を負う》――という定めのとおり、マスコミ、労組、PTA、校長会などなど、国民全体の教育要求を直接汲み取りやすい立場の人たちの代表が、それぞれ委員に任じられていた。  国民の教育主権を実のあるものにするためだ。

 ところが、1962年から委員が一名だけ超有名な文化人を目かくしに飾ったほかは、全員財界人になった。

 「教育基本法が禁じている不当な支配ではないか」と抗議に行った人に政府は「財界人は良識の人だから、全体を代表できる」と言い返した。

 しかし、これはただのいいのがれで財界の人たちは「今までの教育は、みんな一緒に賢くしようとしたから、無駄なお金がかかった。これからは、国際競争に勝ち抜けるエリートを掘り出して、効率のいい教育にしよう」という意味の答申を政府に出した。

 みんないっしょに賢くしようとして、やさしく、やる気のある、民族のいい後継ぎがそだつために。

(4) “より分け教科書”の悪行三つ 1970年・人格破壊の惨状

 答申通りの政府は、1970年から”よりわけ教科書”を子どもに渡した。

 みんな一緒に賢くできる、ゆとりのある教科書を。

 ――六・三制、野球ばかりが強くなり ――とひやかしていたマスコミは、“落ちこぼれ”だとか “新幹線教育”だとか言う言葉で<自己責任論>=(わからないのは努力が足りないからだ、という意見)を流行させたので、街では学習塾が爆発的に増え、母親たちは塾の費用稼ぎに、パート労働になだれこんだ。

 ところが、マスコミは指摘しなかったが、“より分け教科書”には子どもの人格を歪め、保護者・地域と教職員・学校との信頼関係をこわす、悪の爪がかくされている。このうち、特に深刻なものを3つ挙げよう。

① 教育漢字を増やした。(多すぎる)

 1948年、教育漢字881字を発表したとき政府は「漢字はいろいろ役に立つものだが、多すぎると勉強ぎらいのもとになるから、この数にしぼった。」とという意味のコメントを添えていた。

 『こどもをみんな、勉強好きに育てたい。』という憲法どおりの立場に教育も立っていたのだ。

 おかげで、1年生に配当された漢字の数は23字だったから、ひらかなの読み書きに自信を持って、次に進みたくなってきた、3学期になってから、やっと漢字が出た。

 だから、「さあ、今日から漢字の勉強が始まるよ。」と言ったとたん、子どもたちは全国どこの教室でも「カンジ! カンジ!」と歓声をあげたものだ。大人の字を習うのがうれしいのだ。

 こんなに心を揃えて、わき立っている教室では“いじめ”など起こりようがない。

 ところが、財界がいうとおり、“より分け教育”に方向を変えた政府は、漢字も選り分けの道具にしようと「日本文化の伝統を尊重するために。」と口実を構えて1006字に増やした。1年生の割り当ては81字になった。

 だから、ひらかなにまだ自信がつかない1学期末には、もう漢字を出さないと間に合わない。

 それで、「今日から漢字の勉強をはじめます。」といったら、子どもたちは例外なく、どこの教室でも暗い顔をして、うつむくそうだ。心の中で『まだ、ひらかなに自信がついていないのに!!いやだなあ! 』と悲鳴をあげているのだろうか。

――自信がついたら次へ進みたくなる ――という発達の法則を踏み外してはいけない。これは政府がする激烈な子どもいじめだ。

 勉強は政府自身が1948年に言っていたように、いやいやするものになった。いやいやでもしなければならない。いらいらが “いじめ”の原因だとは、すべての“いじめっ子”の証言だ。

 それだけでなく、子どもたちは「国語はキライ。漢字の勉強ばっかり。」といい捨てる。読む力や書く力が育たないのは当然だ。

② 入門期指導の削除(納得軽視)――かわいさを奪われた――

 政府は、「文字や数字を覚えて、入学する子が多くなったから、“入門期指導”をしていたら、その子たちが退屈する。」を口実に“入門期指導”を削除した。

“より分け教科書”の中でも、最悪の仕打ちだ。

 戦前から戦後1960年まで、1年生の担任は大正時代に豊かになった教育技術を受けついで、文字も数字も1字ずつ、暮らしと結んで納得させることに、1学期いっぱい専念なさったのだ。教科書もそのために作ってあった。

 この授業で、納得の楽しさを味わった子どもたちはみんな勉強が好きになった。

 ゆっくり進むから、みんなの足並みが揃って『いっしょに勉強して、いっしょに賢くなる仲間だ』という暖かさが育った。

 文字や数字を覚えて入学してきた“できる子”も、この授業には退屈するどころか、みをのり出して乗ってくる。

 文字や数字を、暮らしと結んで納得させるとき、納得に役立つ意見をいっぱいだしてくれるのだ。その日学んだ文字がつくことばを、集めるときも、黒板に書いた数式で、答えがわかるお話を作るときも。覚えていることと、みんなで納得し合うこととは違うのだ。

 この人間発達の最重要な節目を“より分け教育”は削ってしまってどうするのだ。

 新入生用品のコマーシャルから「かわいい かわいい 1年生。」という言葉が消えてしまった。

 しかし、今でも自主編成して、昔ながらの入門期指導にとりくみ、かわいい、かわい1年生を育てている教員は増えつつある。その方が、あとあと楽なのだ。

③ 九九を2年生にあげた。(早すぎる)

 政府は、「3年生より2年生のほうが、マジメだから、九九も暗記させやすい。」と愚にもつかない口実を構えて九九を2年生の教材にした。しかし、これは根本がちがう。

 大正デモクラシーを各界が育てていく中で、たとえば銀行員だった小林多喜二は。文学仲間が地域の労働者を結びつけるために、ニシン倉庫のあとを利用して開いた居酒屋で、蟹工船の労働者から綿密な取材ができたし、教員たちは“治安維持法”を気にしながら、こっそり集まっては、子どもに恥をかかせないで、読み、書き、計算の腕前に自信をつけさせる仕方をいろいろ開発した。

 その中で、

――加減算の仕方に納得して、その腕前に自信を持つてからでないと、九九は覚えにくい。今のように、2年生で九九を教えるのは早すぎる.警官に学校へひきずっていかれる子がでてしまっているのではないか *1 ――

と経験をまとめていた。

 だから、戦後、勉強のすすめ方を国民が決めるようになったとき、九九は3年生の教材になった。

 2年生いっぱいかけて、加減算に自信を持たせてから九九を教えるためだ。

 3年生になった子どもたちは喜び勇んで九九にとりくみ、どの先生のクラスでも、最後の一人の暗誦に成功した瞬間、教室はお祭り気分につつまれたものだ。

 2年生で教えたら、こうはいかない。九九を2年生に返した罪は重い。

 ためしに、3年生で百マスを使って九九のテストをしてみたら、ボロボロさ加減がよくわかるだろう。

2.教育再生の道

(1) 現状

「いよお!! 日本一!!」
と、おおむこうから掛声をとばしたくなるような、ステキな実践でサークル仲間をはげましてくれる教員が、校長の嫌う組合運動にも力を入れるから、「評価・育成制度」で2008年、期末手当てを10万円ほど下げられた。

 けれど、この不当を正す力を集めようとしても、今はだめらしい。

 2007年秋、憲法9条を守り抜こうと考える人たち、近所どうし20人たらずの集会で20分ほど「評価・育成制度は、戦争―の一里塚」と、一席やらせてもらったところ、感想の第一声は、「それでも、点数をつけてもらった方がいい先生も多いからねえ。」だった。

 これを皮切りに、出るわ 出るわ。全員が教員批判で盛り上がった。国民の教育主権を奪われ、子どもが育ちそこねている腹いせなのだが、敵は教員ではないのにどうしよう。

(2) 自主編成のすすめ

 政府の“より分け教育政策”に惑わされないで、『わからない子が残ったら、かわいそう。』と教育の本道を自主編成しておいでの教員は増えつつある。そんな教員のクラスでは、何年もつづいていた“いじめ”も消えるし、「学校たのしいよ。おいで」と友人にさそわれて、登校拒否だった子がスンナリ登校しばじめたりしている。

(3) 自主編成の原理・原則

 「子どもは、内なる要求にうながされて発達する。」という学説がある。

 私はこれを、“全面発達を目指していた頃の同和教育運動”の中で小川太郎さんから学んだ。

 その後、50年あまり実践と思索を重ねてこの内なる要求は、次のようにまとまりかけている。

 ●基本的要求 = みんなでしたい。
 ●人間的要求 = 発達したい
 ●文化的要求 = たのしみたい

 人類が百数十万年の歴史をかけて、結晶させた内なる要求。他の動物は季節に支配されるが、人間だけは春秋・昼夜を問わず催せる性欲ほどに、しっかり身に付けて生まれてくる内なる要求。これを掘り起こし、つなぎ合わせて、輝かせるのが教育 =(自主編成)だと仮定して、基本だと思うことを3つにまとめて提案する。

① 納得こそわが命と、たのしもう。

 “より分け教科書”の一番悪いところは、「納得」を楽しむ気風を薄れさせることだ。

 ――― 両手の指十本を使って、
 「7ちゃんと仲良しなのはだーれだ。」「そうだ、そうだ 3ちゃんでした。」など足せば10になる数を見つける遊びに乗せると、子どもは夢中になって楽しむから、くり上がり・さがりの「納得」が早いよ。―――

とすすめても、おもてに7+8と書き、うらに15と書いたカードを作り、これを暗記させることにしか打ち込めない先生など、教科の進度の速さに足をとられて、「納得」を粗末にする教員の噂を聞くと、せつない。

 “より分け教育”で、日本の教育はどうなるのだろう。

 けれども、子どもは、みんなで一緒に納得できたとき、教室一杯に花のような笑顔を広げるところは、今も変わらない。「納得こそ、わが命!! 」と自主編成して、本物の教員に自らを育てよう。これはたたかいだ。

 納得させるためには、
・暮らしと結んで教える
・身体と五感を使って実感させる
・学習用具 =(たとえば分度器)の使い方に習熟させる
・まちがいや疑問を、みんなで大切にする
ことがいいようだ。

 何か大切なことは、たとえば繰り上がりの仕方を手間・ひまかけて、みんなに納得させることを目指して打ち込めば、教室はかならず楽しくなり、教員生活の展望もひらけるにちがいない。  なお、みんなには納得できそうにないことには、けっして手を出してはならない。憲法に違反すると手厳しい反発をくらう。

② 読み・書き・計算の腕前に、自信を持ち合わせる。

 “より分け教科書”の悪い点の2つ目は、読み・書き・計算という人間だけが持っている腕前に、自信が持てないようにしむけていることだ。自信がないのは、マスコミがいうように五日制や“ゆとりの時間”の性ではない。「みんないっしょに賢くする」という教育の大原則をふみはずし、“より分け教育”をしようとするからだ。

 ここを改めなければ、やたらに授業時間を増やしても、子どもを疲れさせるばかりだ。

 納得させながらすすむ勉強なら、腕前は自然についてくるのだか、わかったことにして次に進まないと、間に合わない今の教科書では、子どもの腕前はボロボロになっている。

 腕前に自信がないと子どもは荒れる。だから、学校や学級を育て直そうと思ったら、腕前のドリルが必要だ。百マス計算の成果はその一つだろう。

 全国一斉学力テストの結果公表を、権限もないのに地教委に迫り、地教委の教育的配慮をふみにじる ――行政の教育主権の信奉者 =(テストで追い立てないと、子どもは育たないと考える人)――大阪府知事が、百マスを進めるからといって毛嫌いすることはない。

 百マスは誰が考えだしたのか。1960年代はじめから民間教育研究運動の中で、少しずつはやり始めていた、試されずみのドリルだ。橋本知事さえ推奨するところへきたのだ。

 ドリルの内容や方法は、いろいろ考え出すのがいいけれど、どの子にも恥をかかせないことと、遊び心で取り組めることには心がけたいものだ。

③ 発言の自由を育てる

 “より分け教育”が生み出す矛盾を政府の<教育再生会議>は説教→ゲンコツ→追放 =(管理強化)ですり抜けようとしているが、こんなおどしや、みせしめでは子どもはそだたない。

 子どもはやはり、納得の楽しさを味わったときや、腕前に自信を持ち合ったときに、よく育つ。さらにその上、発言の自由を育てることで子どもは根っこから発達する。親が突然首切りにあうなど、思いもかけぬ不幸に見舞われても、しなやかに乗り越える力がつく。

 発言の自由は「渡る世間に鬼はない」という実感を育ててくれる。

 これは、まず、各教科の授業で育てるのが基本だ。

<教室はまちがうところ>と額を掲げている教員もいる。特に生活綴り方教育運動の中には、すぐ真似でも有効な、豊かな達成がある。

3.自主編成を広げるために

 「働きやすい学校だ」と評判がいいし、自主編成も盛んな学校に対して、子どもが育ち合っている憲法どおりの実践を出し合う会へ、報告をおねがいしたら、―――子どもの話がある学校―――というテーマで語ってくださった。

 この学校では、校内研で本音が出しやすいように、全員が、
・子どものようす
・大切にしていること
の2つを更紙2分の1にまとめ、これを係が更紙にはりこんで人数分印刷し、討議資料にするそうだ。更紙2分の1で2つのテーマだから、書く分量が少ないので本音がでやすい。

 みんなのクラスの様子と教育方針が、一目でわかるから、安心してグチ話がブッチャケられる。グチ話がブッチャケ合える、心安さが職場に育ったら、いいことが4つある。

① しんどいのはみんな一緒だなと、心が安らぐ。自主編成の元気がでる。

② 発言の自由が育って、思いがけない、控えめな教員のステキな実践が聞ける。

③ 子どものグチで、慰めあえる職場になって、子どもの扱いがやわらかくなる。

④ 親が苦情をいいに来たとき、近くにいる教員が自然に集まって、話を聞かせてもらう気風が生まれる。

どれだけ心強いか。「親もていねいに扱ってもらえた」と満足してくださる。

 グチをブッチャケ合える、働きやすい職場を育てる上で、意図的にグチ話を持ち出す人はぜひ必要だ。

『だいたい調子よくいっているから、うちの親にはグチの種がないなあ。』と思っているのは驕りだ。“より分け教育”の嵐の中にいる子に、グチの種のないはずがない。

おわりに

 子どもが育ちそこねていることは広く認められている。

 しかし、その原因と解決方法はいろいろ論じられながら、まだ、一致点がない。

私は ――憲法違反の“より分け学習指導要領”の押し付けにこそ、育ちそこねの原因がある。――と考えこの文章を書いた。

 原因がそこにあることは、『わからない子が残ったら、かわいそう。』と、そこからはなれて、教育の本道を自主編成している教員たちのクラスでは、やさしく、やる気に満ちて、しなやかな子が育っている事実が証明している。

“うちの子にもついていける勉強のすすめ方”をさぐりあう自主編成運動の中にこそ、日本の教育の未来があると思う。

(*1)  天皇のための教育だったから、登校拒否に警官が介入することは当然だった。

身分制・部落問題の教科書記述と学習のすすめ方(2015)

身分制・部落問題の教科書記述と学習のすすめ方(2015)

小牧 薫 2015年7月

参考

  • 身分制度・部落問題の授業にどう取り組むか (2011)
  • 中学校公民教科書の部落問題は大問題-部落問題解決の到達点を無視、認識は同対審答申のまま-(2011 大阪歴教協HP)
  • 中学校公民教科書の部落問題記述の問題点 (2011)

身分制・部落問題の教科書記述と学習のすすめ方(2015)

(この文章は全国地域人権運動総連合の機関誌「地域と人権」2015年5月号~10月号に連載されたものです。)

1.はじめに

 「民権連通信」(民主主義と人権を守る府民連合機関誌2015年2月)号外の見出しが話題を呼んでいます。府教委生徒から聞かれたとしても、「今、被差別部落なんてないよ」という「誰が『同和地区の人』なのか、誰も説明できない」これは、民主主義と人権を守る府民連合が2015年1月21日、大阪府教育委員会と交渉を行ったときのやりとりを報道したものです。号外の内容をもう少し見てみます。

民権連 「部落」「被差別部落」「同和地区」などの言葉を使うな
府教委 教科書の記述を踏まえて指導

民権連は「部落」「被差別部落」「同和地区」などの言葉を用いた指導をしないように要求しました。府教委は、「教科書の記述を踏まえて指導」と回答しまし.た。これに関連して、次のようなやりとりが行われました。

○民権連 中学校教科書に「部落差別とは被差別部落の出身者に対する差別のことで、同和問題ともよばれます。」と書かれている。生徒から「被差別部落は今もあるのですか」「どこですか」と聞かれたら、先生はどう答えるのか。

□府教委 生徒から聞かれたとしても、そんなん、今、被差別部落なんてないよという言い方になると思います。

○民権連 ないよ、といいますね。

□府教委 被差別部落どこやと聞かれたら答えないです。かつて差別されたところはあるかもしれませんけれど、今はそんなことないよという言い方になります。

◆「民権連通信」2015年2月号外はこちら(民主主義と人権を守る府民連合のサイト)

 『地域と人権』読者の皆さんには、このやりとりは、あたりまえのことだと思います。しかし、学校現場では、それがあたりまえではありませんでした。

 大阪府教育委員会の担当者が述べているように、中学校の社会科、高校の地歴・公民科の教科書には、「部落」「被差別部落」「同和地区」などの言葉(用語)が何の注釈もなく使われています。それだけでなく、中学社会科公民的分野の教科書には、「日本における部落差別の問題は、人権侵害と差別にかかわる重要な問題です。結婚や就職の際に身元を調べられ、部落の出身者であることがわかると、婚約や採用を取り消されることなどが今でもあります。このような実態は、残念ながら依然として人々の間に差別意識が残っていることを示しています。これは、市民としての権利や自由は保障されるという、日本国憲法の精神に全く反するものです。」(教育出版P46)。現在使用中の教科書に、上記のようにまったく事実に反することが記述されています。

 中学校の社会科公民的分野の教科書は8種類が発行されています。わずかに、帝国書院の教科書だけが、2012年度使用分から「その結果、生活環境の格差が少なくなり、教育・啓発が進むなか、2001年度で特別対策は終了しました」と同和対策の終了について書いています。ほかの教科書は自由社を除いて、同和対策の始まりは書いていても終結したことを書いていません。自由社の教科書は、「2002(平成14)年には国の同和対策事業は終了している」と書いていますが、全体としては問題のある記述です(ここでは省略)。

 同和対策事業に国と地方自治体あわせて15兆円もの予算が投入され、かつて「部落」と呼ばれた集落(地域)は一変しました。人口の流出入により、居住する人々も入れかわりました。誰が従来からの居住者かもわからなくなり、結婚や進学・就職の際に身元を調べたり、差別されることもなくなりました。もし、何らかの差別事象が起こっても、それをまわりの人々がただしてくれるような社会になりました。そこまで、地域の民主主義が進んだということです。  本稿は、「身分制・部落問題の教科書記述と学習のすすめ方」と題して、現在の教科書の記述とともに今年の夏に採択される中学校教科書記述の内容と、それをどのように使えばよいのかについてもかんがえていきたいと思います。

2.小学校では、身分制・部落問題を教えない

 東上高志編「『部落問題学習』の考え方・すすめ方」(1993年部落問題研究所)の総論では、浜田博生さんらと何人かで討議して出した結論を、東上さんがつぎのように書いています。「最後に再度強調しておきたい。すでに書いているように、小学校では部落問題を教えることはしない。教科書には部落問題を記述しない。現行教科書では記述を無視する。中学校においては、部落問題だけをとりだした「特設単元」的なやり方はしない。ましてクラス担任がホームルームで特別な指導をすることは誤りである。前近代の賎民身分、近現代の部落問題についての学習は、義務教育段階で完結させる課題ではなく、高校生が社会問題について充分考えられるようになった段階で学習すべき課題であると考える。現代の部落問題については、社会科歴史学習での課題とするのではなく、高校の「現代社会」「政治経済」の学習のなかでとりあげる」と明確に書いています。

 1972年の小学校教科書に「その他の身分」についての記述がなされ、74年の中学校歴史教科書には、「えた・ひにん」について記述されるようになりました。その記述内容については、2015年亡くなった鈴木良さんをはじめ多くの方が批判し続けてきました。そうした甲斐もあってか、2006年度用の教科書のなかには大きく改善されたものもあらわれました。しかし、まだ旧態依然たるものもありますし、政治起源説を払拭しきれないものもあります。また、いくつかの教科書が「現代の課題」で、いまだに同対審答申を引用し、「部落差別は根強く残されている」というような記述をしています。 私は、雑誌『部落』96年9月号の座談会でもつぎのように発言しています。

 「70年代は大阪においても、政治起源説一辺倒だったわけですが、いろいろ批判を受けるなかで、80年代に入ってわりに早く、個別具体的な研究に依拠してそれを生徒に提起し、授業を組みたてていく、という方向にかわりました。…それと14、5歳という中学生の年齢と、17、8歳の高校生とでは、正義感の問題、不合理に対する怒りといっても大きく違うわけで、社会の構造そのものにまでかかわって問題をとらえた上で不合理に気づきながら学ぶというのは、やっぱり高校生だと思います。そして社会にさまざま存在する問題に対して、自分の立場なり生き方を考える、一つのきっかけになるんとちがうかな、と。あるいは解決への展望と自分の未来を重ね合わせることが可能になるのは、やっぱり高校生の学習課題だと思いますね」と述べています。

 その考えは今でも変わりませんし、現代の部落問題については、社会科歴史学習での課題ではないと考えています。それとともに、歴史学習で取り上げるべき内容はなになのかを十分に考える必要があると考えています。どのようにすべきかは後述するとして、小・中・高の歴史学習について考えてみます。

3、小学校の教科書は、中学校の教科書の薄墨

 私は、90年代に入ってからはことあるごとに教科書の身分制・部落問題記述の,肥大化・特殊化について批判してきました。特に小学校では部落問題を教えることはしない、部落問題記述があっても無視するということを主張してきました。しかし、小学校学習指導要領には、身分制・部落問題についてはまったく触れられていないにもかかわらずどの教科書にも書かれています。2012年度用の小学校の教科書は、どの教科書もAB版になり、横幅が広くなり、大きな写真が使われるようになりました。その反面、歴史叙述が少なくなり、絵本と見間違うようなものになっています。人物中心の記述内容で、社会構造についてはほとんど書かれず、民衆運動は無視されたままです。内容をつぶさに見てみると、中学校の教科書をかんたんにしたものが小学校の教科書です。

 小学校では、「えた.ひにん」の記述はありませんが、「身分の上で差別されてきた人々」とか「厳しく差別されてきた人々」などの記述があるのです。

 最も多く採択されている東京書籍の『新編新しい社会』6年上の教科書では、身分制・部落問題について、つぎの箇所で記述しています。室町文化での庭作り、江戸時代の身分制、蘭学で「医学を支えた人々」、渋染一揆、明治の身分制の改革、全国水平社の結成、私たちの課題の7カ所です。

 ほかの教科書でも同じ箇所で記述されています。東京書籍の教科書では、土一揆・国一揆についてまったく書いていませんし、江戸時代の百姓一揆は渋染一揆だけです。それで世の中のようすがわかるはずがありません。小学校の教科書から身分制・部落問題記述がなくなればどれだけすっきりするでしょう。そして、基本的な社会関係についての記述をしっかりするべきです。

4.小学校の教科書記述の問題-憲法と部落差別

 「小学校では部落問題を教えない」、「教科書の記述は無視する」と口がすっぱくなるほど言い続けてきたつもりです。教科書会社にもその要望を出し続けてきました。学習指導要領にも一言も触れられていません。

 ところが、小学校教科書(社会)には、今でも歴史と憲法学習であい変わらず記述されています。しかも、事実をねじまげているのです。小学社会を発行している4社中3社までが、いまだに事実を反映した記述に改善していません。

 憲法学習で部落差別を取り上げていないのは東京書籍だけです。これを全社に広げなくてはなりません。

 日本文教出版「小学社会」6下には、日本国憲法の平等権の説明で「歴史で学んだように、差別を許さない運動や取り組みが広がりつつありますが、まだ、日常生活や結婚・就職などで人権がおかされている事実があります」と、同和対策が終了して10年以上たち、結婚や就職の際の差別事象はどこの統計資料にも現れない状況、部落差別が克服・解消されたといえるようになったにもかかわらず、いまだに記述内容を改善していません。

 教育出版も同じように差別が残っていると書き、光村図書は「私たちの周りには、江戸時代の身分差別がもとで、今でも、結婚や就職のときに差別を受けている人たちがいます。(中略)基本的人権を守るためには、こうした差別や偏見をなくすことが大切です」と書いています。

 日常生活における差別や結婚・就職の際の差別を「江戸時代の差別がもとで」と言い切ることができるのでしょうか?「被差別部落」と言われた地域の住民は、江戸時代以来代々そこに住み続けていたというのでしょうか?人口の流出入により、居住する人が入れ替わったり、旧身分に関係なく結婚する人が増えることによって、国民融合がすすんだことをどのようにとらえているのでしょうか?・ もし、現在もそのようなことが起こるとすれば、それは貧困や生育状況などに起因するのではないでしょうか?社会関係で出自を問題にすることがあるでしょうか? 特別対策が廃止され、「同和地区」はどこにも存在しないし、「同和地区」出身かどうかを意識することもなくなりました。社会問題としての部落問題は基本的に解決したのです。まだ、偏見や誤解を持つ人がいたとしても、社会にそれが受け入れられることはなく、逆にそれを克服して国民融合をすすめていくところまできているのです。

 そうした歴史と現状を小学生に教えることはとうていできません。部落差別の歴史とその克服・解消という社会問題を教えることは、小学生に無理です。日常生活でさまざまな交流を経験し人間性・社会性が育った青年たちにこそ理解できることです。

5.小学校の教科書記述の問題-日本の歴史で-

 歴史学習に関わる部分でも問題の多さを感じます。

 東京書籍の「新編新しい社会」6上の記述を見てみます。

 前回にも指摘しましたが、最初の記述は「室町文化」のところです。「身分」についての説明もないままに、「身分のうえで差別されてきた人々」という記述が出てきます。

 「今に伝わる室町文化」の側注囲みの「石と砂で世界を表す~竜安寺の石庭~」で竜安寺の石庭の写真をつけ、「京都の竜安寺には、枯山水という砂と石で山や水などを表す様式の石庭があります。庭づくりでは、身分のうえで差別されてきた人々が活やくしました。室町時代につくられた数々の庭園は、今も人びとの心をとらえ、季節ごとに多くの人がおとずれます」と書いています。

 現行本には、「庭づくりでは、身分のうえで差別されてきた人々が活やくしました」の一文はありませんでした。

 書院造などとともに枯山水の石庭を室町文化の特色としておさえることには何ら問題はありません。でも、それをつくったのが「身分のうえで差別されていた人々」のひとりだったことをことさら取り出して教える必要があるでしょうか?そんな必要はまったくありません。

 つぎに、書かれているのは、第6節「3人の武将と天下統一」の項で、本文に「検地と刀狩によって、武士と、百姓・町人(商人や職人)という身分が区別され、武士と町人は城下町に住み、百姓は農村や山村、漁村で農業や林業、漁業などに専念するようになりました。武士が世の中を支配する社会のしくみが整えられていったのです」と、側注に「百姓」の用語解説もあります。これが基本的社会関係で、小学生も学ぶべきことです。  第7節「江戸幕府と政治の安定」の「人々のくらしと身分」の項では、身分制と各身分の生業について書き、農業の発展についてもふれ、本文最後に「このほか、皇族や公家(貴族)、僧や神官などの宗教者、能や歌舞伎をはじめとする芸能者、絵師、学者、医者など、多くの身分が見られました。また、百姓や町人とは別に厳しく差別されてきた身分の人々もいました」と書き、側注に「身分」のことばを「江戸時代には、武士や百姓、町人などの身分が固定化し、身分によって職業や住む場所のほか、税などの負担が決められました。親から子へと代々引きつがれていきました」と解説しています。

 これが「身分」のことばの説明になっているでしょうか?「身分」とは、「特定の社会における地位や階層で、個人や集団に対してつけられたもの」というべきだと思いますが、これを小学生に理解させるのはどだい無理なことです。そのうえに、このページの最後に、囲みで「厳しく差別されてきた人々」を詳しく説明しています。「百姓や町人とは別に厳しく差別されてきた身分の人びとは、仕事や住む場所、身なりを百姓や町入とは区別され、村や町の祭りへの参加をこばまれるなど、厳しい差別のもとにおかれ、幕府や藩も差別を強めました。これらの人々は、こうした差別の中でも、農業や手工業を営み、芸能で人々を楽しませ、また治安などをになって、社会を支えました」と。

 事実は、仕事や住む場所はすべての人々が決められており、すべての人々が社会を支えていたのです。こんな記述はまったく不要です。   第8節「町人の文化と新しい学問」の「新しい学問・蘭学」の項は下の通りです。

 杉田玄白、前野良沢の「解体新書」の出版について書くとともに、側注に「二つの解剖図」と「ほん訳の苦労」の漫画、「解剖の様子」(想像図)を示し囲みで「医学を支えた人々」を書いています。「玄白があらわした『蘭学事始』という本には、『解体新書』をほん訳した苦心と、人体の解剖を初めて見たときの感動が記されています。玄白は、解剖を見学したとき、見比べていたオランダ語の解剖図が正確にかかれているのにおどろいた、と書き残しています。

 また、このとき解剖をして内臓の説明をした人は、身分制度のもとで百姓や町人とは別に厳しく差別されてきた人でした。このような人が、すぐれた解剖の技術を生かして、このころの医学を支えていました」と。

 医学を支え、進歩させたのは、玄白や良沢であり、「解剖をして内臓の説明をした」「厳しく差別された人」ではありません。なぜ、ことさらに、解剖をした非人を強調するのでしょうか?

 「国学の発展と新しい時代への動き」の項の後半に「百姓一揆と打ちこわし」についてふれ、グラフと挿絵、囲みで「渋染一揆」を書いています。江戸時代に多かったのは、年貢減免を求める一揆で幕末の世直し一揆である「渋染一揆」のようなものではありません。これも「身分上厳しく差別されてきた人たち」を強調するための記述としか言いようがありません。

 第9節「明治の国づくりを進めた人々」で、「江戸時代の身分制度も改められ、すべての国民は平等であるとされ、職業や住む場所が自由に選べるようになり、身分制度のもとで苦しめられてきた人々も身分上は解放されました」と本文で書き、囲みで「本当の平等を求めて」で「政府は差別をなくすための政策や生活の改善を行いませんでした。そのため、望んだ仕事につくことや教育を受けることは難しく、苦しい生活の中で結婚や就職、住む場所など、日常生活でのさまざまな差別が新しい形で残されました」と、差別の強化について書いています。

 大事なことは明治になって身分のちがいがなくなったことで、差別が強化されたことではありません。

 第10節「世界に踏み出した日本」の「生活や社会の変化」の項で、足尾鉱毒事件と田中正造、米騒動、労働運動と小作争議を書いたあと、男子普通選挙の実現、女性の地位向上運動とともに全国水平社の結成を書いています。そして「演説する山田少年(1924年、大阪市)」の写真と説明を添えています。

 政治参加と社会変革を求める運動の高まりこそが重要なのですが、そのことの記述は不十分で、現行本にあった「社会的な権利を主張する動きがさかんになっていきました。政府は、こうした動きを取りしまるための法律を定めました」の文章も削除してしまいました。

 歴史の最後に「クラスで話し合うために出した問題の例」があげられていますが、現在も部落差別が残っているという前提で、「歴史で学習してきた差別をなくす問題は、解決されたのだろうか」という課題は、現行本のまま残しています。  以上、東京書籍の教科書『新編新しい社会』の記述を取り上げて、批判してきましたが、この批判は、日本文教出版、教育出版、光村図書の教科書についてもあてはまる批判です。

 東京書籍以外は、「蘭学」の項で、解剖をして内蔵の説明をした人のことを詳しく書かないなど、小さな点で違いはありますが、記述そのものは基本的に同じようなものとなっています。

 何度も言いますが、子どもたちが使う教科書は、なによりも事実を正確に記述するものでなければなりません。それとともに、子どもの発達に即して、理解できる内容を叙述したものであるべきです。小学生に身分制や部落問題を教えることはできません。

6.2014年度の中学校教科書の検定について

 文部科学省は2015年4月6日、中学校教科書の検定結果を公表しました。この教科書は2008年版学習指導要領にもとずく2回めの検定です。2016年から4年間使われる教科書の採択作業が2015年の8月までの間行われます。安倍首相らの推薦する歴史修正主義、憲法「改正」をねらう育鵬社版と自由社版の歴史と公民教科書を教育委員会によって採択させない(子どもたちに渡さない)ための運動がいっそう重要になっています。

 文部科学省は、今回の中学校教科書の改訂に向けて教科書検定基準と検定審査要項(検定審議会内規)を改めるという大改悪をおこないました。

 それは日本政府の統一見解を書かせることや近現代の歴史事項のうち、通説的な見解がない場合にはそれを明示し、児童生徒が誤解の恐れがある表現はさせないというものです。その具体例はのちほど見てみます。

 検定では、申請点数104点のうち102点が合格しました。不合格となったのは、学び舎と自由社の社会科歴史的分野の教科書です。両社は指摘された欠陥箇所などを修正して再提出して合格しました。新たに社会科歴史的分野で検定申請した学び舎は、現場の教員などが中心になって組織した「子どもと学ぶ歴史教科書の会」が設立した出版社です。しかし、学び舎の歴史的分野の申請図書は「細かいことに入りすぎて通史的学習ができない」などの理由で、いったん不合格となりました。

 また、「新しい歴史教科書をつくる会」がつくる自由社版は公民的分野の教科書は改訂せず、歴史も最初の申請であまりにも誤りが多く不合格となり、再提出後合格しています。

 この結果、公民的分野は、教育出版(教出)、清水書院(清水)、帝国書院(帝国)、東京書籍(東書)、日本文教出版(日文)、育鵬社の6種類、歴史的分野はそれに学び舎、自由社が加わって8種類となりました。

 文科省の検定によって、学び舎の申請本にあった「慰安婦(日本軍性奴隷)」については最初の申請本にはつぎのような記述がありました。「朝鮮・台湾の若い女性たちのなかには、『慰安婦』として戦地に送りこまれた人たちがいた。女性たちは、日本軍とともに移動させられて、自分の意思で行動できなかった」(P237)と、「日本政府も『慰安所』の設置と運営に軍が関与していたことを認め、お詫びと反省の意を表し」たこと、政府は「賠償は国家間で解決済みで」「個人への補償は行わない」としていること、そのため「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させたこと、この問題は「国連の人権委員会やアメリカ議会などでも取り上げられ、戦争中の女性への暴力の責任が問われるようになっている」ことなどの客観的事実を述べた記述(P279)です。

 しかし、検定ではこれを「欠陥箇所」の一つにあげ、不合格にしました。その結果、合格した教科書には、「一方、朝鮮・台湾の若い女性のなかには、戦地に送られた人たちがいた。この女性たちは、日本軍とともに移動させられ、自分の意思で行動することは許されなかった」という記述(P239)が残され、「問い直される戦後」の項の側注資料(P281)には「河野談話」の一部要約も記述されています。

 政府見解を押し付ける教科書づくりは、領土問題で顕著です。社会科の「学習指導要領解説」の改訂によって、2016年度用では全社が取り上げ、2ページの大型コラムを設けたのが3社あり、その他にも小コラムで扱っています。地理や公民では領土問題の記述を軒並み増やし、政府見解通りに、北方領土・竹島・尖閣諸島は「日本の固有の領土」、北方領土はロシアが、竹島は韓国が「不法に占拠」と横並びに書き、尖閣諸島には領有権問題は存在しないと政府見解を丸写ししています。そして韓国や中国の主張にふれたものはありません。

 通説がないときは通説がない旨を明記せよとの新設された検定基準が文字通り適用されたのが、清水書院の関東大震災における朝鮮人虐殺事件についての記述です。「警察・軍隊・自警団によって殺害された朝鮮人は数千人にものぼった」との現行版記述をそのまま検定提出したのに対して、通説的な見解がないことが明示されていないとの検定意見が付され、「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は230名あまりと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるともいわれるが、人数については通説はない」(P221)と必要以上に詳細な記述に変更されてしまいました。

 今回の検定では従来よりいっそう書かせる検定という性格があらわになり、歴史でさえ政府見解に基づいて書かせるということになってしまいました。

 育鵬社版・自由社版の教科書は、国際常識や国民世論に反して歴史修正主義を大きく変えないで、検定意見による修正も含め基本的には現行版の枠組みを維持しています。そのことは同時に、育鵬社 版・自由社版が、神話と神武天皇の扱いなどの歴史歪曲、近代日本がおこなった侵略戦争と植民地支配や韓国併合の美化、天皇制賛美、日本国憲法の敵視と歪曲等々の点で、これまでと本質的にまったく変わらないことを示しています。こうした教科書を中学生に手渡すことができないことは何度強調してもしすぎることはないと思います。

7.公民の部落問題記述は改善されたか

 大阪歴史教育者協議会のホームページには、柏木功さんの「中学校公民教科書の部落問題は大問題-部落問題解決の到達点を無視、認識は同対審答申のまま-」の論文がアップされています。また、亀谷義富さんは、「中学校公民教科書の部落問題記述の問題点」を季刊「人権問題」2011冬号(兵庫人権問題研究所)と『国民融合通信』№457(2012年5月発行)に書かれています。これらは、2008年学習指導要領改訂にもとずく教科書(2012~2015年度使用)についての批判です。この批判を受けて、今回の改訂でどれだけ改善されたかと期待を持って見ましたが、記述内容は、ほとんど変わりがなく、期待はずれに終わりました。「部落問題」とは何かがわかるように記述されていないし、部落差別の克服・解消は進んでいるのか、同和対策特別法は終了したことを書いているのかなどの点で、どの教科書も不十分で、改善されているとは言いがたいものとなっています。

 部落問題とは、江戸時代までの日本の社会が身分制の社会であり、明治以後も地域社会の中で江戸時代の賎民身分につながりがあるとされた一部の地域集団が差別されていました。それが近現代の社会問題としてつづいてきたものであり、封建時代の残りかすなのです。しかし、教科書はそのようには書いていません。

 「部落差別とは、被差別部落の出身者に対する差別のことで、同和問題ともよばれます。すでに江戸時代には、えた身分・ひにん身分という差別がありました。明治にはいって身分解放令が出され、そのような差別はないこととされましたが、実際の生活では、差別が根強く残りました」(帝国・公民P44)などと不十分なことを書き続けています。  もっとも問題なのは、育鵬社が「部落差別は憲法が禁止する門地(家柄・血筋)による差別のひとつに当たります」(P69)と、部落差別は、門地による差別のひとつで帝国憲法下では許されていたが日本国憲法によって禁止されるようになった。だから、憲法で禁止されているが現在も家柄や血筋による人権侵害(差別)が残っているがやってはいけないことだと認識させようとしています。部落差別の起源も現状認識も間違ったものです。

 部落問題の解決とは、社会生活の中で出自を意識しない、出自など関係ないわ、という状態になることです。「同和地区」の指定もなくなり、「同和地区」出身かどうかを意識することも問題にすることもありません。現在では、社会問題としての部落問題は基本的に解決しています。まだ偏見や誤解を持つ人がいたとしても、社会としてそれが受け入れられることはなく、みんなで克服して国民融合をすすめていくという段階にまで達しています。

 ところが、小学校の教科書には、4社とも同和対策特別法が終了したことを書いていないと批判しましたが、中学校の教科書は現行通り、帝国が以下のように書いているだけで、他社は触れていません。

 帝国は本文で「同和地区の生活改善や、差別をなくす教育などが行われてきました①。しかし、現在もまだ、さまざまな場面で差別や偏見があります」と書き、側注で①「その結果、生活環境の格差が少なくなり、教育・啓発が進むなか、2001年度で特別対策は終了しました」と記述しているにすぎないのです。そのあとの「部落差別をなくすためには、私たち一人ひとりも、部落差別がいかに人間的に許されないかに気づき、差別をしない、させない、許さないことが大切です。」と差別をなくす心がけを説いている点も改善されていません。

 教出は本文で、東書は側注で、2000年の人権教育・啓発推進法を取り上げていますが、「現在でも差別は根強く残っている」と書いています。

 日文は本文で「対象地域の生活環境はかなり改善されてきました」と書き、側注で「2000年には、人権教育・啓発推進法が制定されました」と書いています。教科書は部落問題の克服・解消が進んだと書かないのです。

 公民の教科書に被差別部落の歴史を簡潔に書こうとしていますが、どの教科書も不正確で、問題のある記述をしています。詳しいことはここでは触れません。柏木さんの論文を見てください。身分制、部落問題の歴史的分野の教科書記述については次回で解明します。

8.歴史的分野の記述はどうかわったか

 新中学校教科書の歴史的分野は8社の教科書が検定合格しましたが、中味は改善されたのでしょうか。学習指導要領はそのままですから、大きく改訂しなければいけないという個所はないはずです。る検定基準の改悪などによって、現行版を守ることすら難しいことはすでに触れましたが、執筆者・編集者の努力で改善された個所もあることはあります。

 しかし、前近代の身分制・近現代の部落問題記述は、依然として特殊化・肥大化されたままです。ほとんどの教科書は現行版のままで、改訂されたものも改善されたとはいえません。その詳細は、のちに見てみます。

 それでも、学び舎の教科書が一度不合格になりながら、再提出で検定合格したことはたいへん大きな意義があると思います。学び舎も前近代の身分制・近現代の部落問題についてふれてはいますが、他の教科書に比べて記述量が少ないし、記述内容も違っています。詳細はのちにふれます。

 私は中学生にも前近代の身分制のうち河原者やかわた(えた)・ひにんについて教える必要はないと思っています。日本の歴史を学ぶときに、江戸時代の賎民について学ばねばならないわけではありません。大事なことは武士と百姓、町人の身分の別とそれによって暮らしがどうだったのかがわかればよいと思っています。

 1974年の中学校教科書に、江戸時代の賎民について記述され、その後の改訂で詳しい記述がされるようになりました。そんなことは必要ないのです。中学での歴史学習の際、そんなことは無視すればよいのです。

 ところが、いまだに詳しく記述され、教えられています。近現代の賎称廃止令(いわゆる「解放令」)、全国水平社の結成についても、中学生に教える必要があるとは思いません。そして、現代の課題で同対審答申を引用し、いまだに部落差別が残存しているかのように書くのは誤りです。それでも書くとすれば、部落差別が克服・解消され、同和対策が終了したことを書くべきです。

 歴史学習の最後を、部落差別やアイヌ差別、在日外国人差別などが厳然と残っているという学習で終わらせてはならないと思います。

 8種類の教科書すべてがふれている個所は、江戸時代の身分制、近代の賎称廃止令、全国水平社の結成の三個所ですが、そのほかの身分制・部落問題に関わる記述内容についても見てみましょう。

(1)室町時代の「河原者」

 室町文化で、なぜ、「河原者」だけが特別扱いされるのでしょうか。他の技術者や芸能者、被差別民については記述しないで、なぜ庭園づくりに携わった河原者だけを詳しく記述するのでしょうか。観阿弥・世阿弥の人名は書かずに善阿弥を記述する重要性があるのでしょうか。それなのに、「河原者は差別をうけ」と書くから、「けがれ」観についての説明が必要になるのです。子どもたちに理解できるでしょうか、死などについての偏見が強まるだけではないでしょうか。

 「河原者」について、もっとも詳しいのは、帝国です。本文は「龍安寺禅宗寺院では、砂や岩などで自然を表現した枯山水の庭園がつくられ、こうした庭園づくりには河原者がすぐれた手腕を発揮しました。」(P82)と書き、「コラム人権」で「庭園づくりに活躍した河原者」の題で「この時代には龍安寺などで庭園がつくられ、天下一と賞賛された善阿弥をはじめ、庭園づくりの名手が登場しました。その名手の多くが河原者とよばれた人々でした。昔は、天変地異・死・出血・火事・犯罪など、通常の状態に変化をもたらすできごとにかかわることを『けがれ』といいました。『けがれ』をおそれる観念は、平安時代から強まり、『けがれ』を清める力をもつ入々が必要とされていきました。しかし一方で、清める力をもつ者は異質な存在として、差別を受けるようにもなりました。河原者もそうした差別を受けた人々でした。彼らは井戸掘りや死んだ牛馬から皮をとってなめすことも行っていました。彼らはおそれられましたが、その仕事は社会にとって必要であり、すばらしい文化を築いていきました。なお『けがれ』は、近代以降に生まれた不衛生という考え方とは異なるものです」と書き、龍安寺の写真の説明に、「龍安寺の石庭(京都市)制作にたずさわった河原者の名前が残っています」。さらに、「法然上人絵伝」の写真の説明で、「死刑に処される僧侶と河原に集まる人々川はけがれなどさまさまなものを浄化してくれると考えられていました。そのため刑の多くは河原で行われました」(P83)と書いています。

 庭園づくりに活躍した河原者について書く必要はないと思いますし、けがれについての説明も江戸時代の身分制のコラムと重なっています。両方とも必要はないと思います。

 教出は「コラム歴史の窓 庭園づくりに活躍した人々」、東書も「歴史のアクセス河原者たちの優れた技術」の詳しい説明を書いています。育鵬社、日文、学び舎は「河原者」の語は出していますが、詳しい説明はありません。自由社と清水は、「河原者」の記述はありません。

私は枯山水にふれても、「河原者」を記述する必要はないと思います。

(2)江戸時代の身分制

日文は現行版を改訂せず「幕府は、武士と、百姓・町人という身分制を全国にいきわたらせました。治安維持や行政・裁判を担った武士を高い身分とし、町人よりも年貢を負担する農民を重くみました。さらに百姓・町人のほかに、「えた」や「ひにん」などとよばれる身分がありました。「えた」身分の人々の多くは、農業を営んで年貢を納めたり、死んだ牛馬の処理を担い、皮革業・細工物などの仕事に従事したりしました。また、「えた」や「ひにん」の身分のなかには、役人のもとで、犯罪人の逮捕や処刑などの役を果たす者、芸能に従事して活躍する者もいました。これらの人々は百姓・町人からも疎外され、住む場所や、服装・交際などできびしい制限を受けました。こうした身分制は武士の支配につこうよく利用され、その身分は、原則として親子代々受けつぐものとされました」と書いています。2001年版以来少しずつの変化ですが、「死牛馬の処理」を仕事と書くのではなく、はっきり「役」とは書いていませんが、「担い」と幕府や藩によって強制されたもののように書いています。これは、学び舎が「『かわた(長吏)』『えた』とよばれた人びとは、農業や皮の加工などに従事し、死んだ牛馬の処理を役としました。『ひにん』は、村や町の番人・清掃などの役を負担しました」(P.117)と書いているのとともに重要なことです。

 仕事と役の区別をしっかり書いているのは、学び舎だけです。

 学び舎が「かわた(長吏)」の語を使ったのもよいことだと思いますが、使うとすれば、用語についての説明も注釈もないのは不親切だと思います。他の教科書は死牛馬の処理を権利としたり、仕事のひとつと書いていますが、それは誤りです。教出は「えたの身分のなかには、農業を営んで年貢を納める者も多く、死んだ牛馬を処理する権利をもち」(P.l13)と書き、東書は「えた身分は、農業を行って年貢を納めたほか、死んだ牛馬の解体や皮革業、雪駄作り、雑業などをして生活しました。…」(P.115)と、生業と役を区別していません。

 帝国は、「コラム人権」で、~差別された人々」を扱っています。「近世の社会にも、中世と同じように、天変地異・死・犯罪など人間がはかりしれないことを『けがれ』としておそれる傾向があり(↓P.83)、それにかかわった人々が差別されることがありました。もっとも、死にかかわっていても、医師・僧侶・処刑役に従事した武士などは差別されなかったので、差別は非合理的で、支配者につこうよく利用されたものであるといえます。差別された人々は、地域によってさまざまな呼び名や役割で存在していました。えたとよばれた人々は、農林漁業を営みながら、死牛馬からの皮革の製造、町や村の警備、草履や雪駄づくり、竹細工、医薬業、城や寺社の清掃のほか、犯罪者の捕縛や行刑役などに従事しました。ひにんとよばれた人びとは、…」(P.117)と、「庭園づくりに活躍した河原者」で説明したことを再び書いていますし、死牛馬の処理を役と位置づけていません。こんなに詳しい説明をする必要がどこにあるというのでしょうか。幕藩体制によって、百姓、町人、えた、ひにんは、がんじがらめに縛られていたということを印象づけたいのでしょうか。

(3)身分制の強化、渋染一揆など

江戸中期の身分制の強化についてふれているのは日文だけです。日文は現行版そのままで「近世史プラスα」のカコミ「豊かになる人々と身分制のひきしめ」で、「『えた』身分の人々のなかにも、広い田畑を経営する者や、雪駄づくりの仕事を行って豊かになる者も出てきました。村の人口も増え、他地域との交易も広まりました。これに対して幕府や藩は、身分制のひきしめを強め、特に『えた』や『ひにん』などの身分の人々に対しては、人づきあいや髪型・服装について、さらに統制をきびしくしました。…」(P.135)と、「えた」身分のなかに豊かになる者があらわれ、身分制がゆるんだので、差別が強化されたという問題のある書き方です。豊かになるものがあらわれたのは、えただけでなく、百姓、町人にもいます。えたを強調する必要はありません。

蘭学の項で人体解剖をして説明をした「差別された人々」についてふれているのは、帝国(「解体新書」の側注、P.132)と東書(挿絵の説明P.130)だけです。学び舎は「人体解剖の驚き」という項をもうけていますが、「90歳になる老人が腑分けをはじめました」とあるだけで、「差別された人々」とは書いていません。もし書くとしても、賎民にふれる必要はないでしょう。

「渋染一揆」は、教出は本文と発展で、東書と帝国はカコミで、日文は発展で扱っています。

日文は発展ぺージ「新しい世の中をめざした人々」で、「差別の撤回を求めた人々」として渋染一揆について書き、そこでは、「19世紀のなかばころから、社会の枠組みをこえて、自由な経済活動や平等な社会を求める動きが盛んになりました」(P.164)と「世直し一揆」の位置づけをしていますが、他はそうした位置づけになっていません。

8.歴史的分野の記述はどうかわったか

(4)四民平等、賎称廃止令

 四民平等については、表題は違いますが、すべての教科書に記述されています。清水が「国民の平等」を見出しにしていますが、新しい身分制がつくられたのですし、この段階で「国民」になったわけではないので、不適切だと思います。教出の「残された差別」の見出しも改革の面よりもマイナス面を強調するので不適切だと思います。学び舎が「古い身分の廃止と新しい身分」の題で書いているのと、「解放令」と書かずに、「『えた』『ひにん』などの呼び方を廃止して、平民としました」(P.173)は、これまでなかった表現で、身分制の改革と賎称廃止の布告内容を正しく伝えるものになっています。

 「生活が苦しくなった」「社会的差別は根強く残りました」と書くのは、育鵬社、自由社、清水、帝国、学び舎です。

 日文は、「職業・結婚・居住地などをめぐる差別が根強く残りました」と書いたあとに「そこで、『解放令』をよりどころに、山林や用水の平等な利用、寄合や祭礼での対等な交際の要求など、差別からの解放と生活の向上を求める動きが各地で起きました。」(P.167)と書いているのは妥当なことです。さらに、側注で「明治以降のこの問題を部落差別とよんでいます(↓P.217)。こうした身分の人々は、改善策も受けられず、それまでもっていた職業上の権利を失いました。」と書いています。「部落差別」の位置づけはこれでよいと思いますが、「職業上の権利」はこれまでどこにも書いてなかったことです。江戸時代の身分制で、死牛馬の処理は「役」に位置づけていました。どこで、どうして「職業上の権利」になったのでしょう。その説明なしには、この文章は理解できません。そして明治になって、死牛馬の処理権を失ったのは被差別部落のごく一部の豊かな人だけです。

 育鵬社は「政府は身分制度を改めるため、四民平等の方針を打ち出しました。新しくつくられた戸籍には、旧武士は士族、大名や公家は華族、それ以外の人々は平民として、新たな身分が記載されました」(P.168~9)と、皇族についての記述がありません。大事なのは、天皇と皇族、華族、士族、平民の新しい身分と書くことです。東書は、発展で「『解放令』から水平社へ」と題して2ページつかっています。内容は現行とほとんど同じで、「解放令」とその後、部落解放運動の始まり、島崎藤村の「破戒」を扱っています。このページにあるカコミも含めて、こんな文章や図版が必要とは思えません。

(5)全国水平社の結成

 大正デモクラシーと社会運動の高まりで、多くの教科書が全国水平社が創立(組織)されたと書いています。

 育鵬社も、日本労働総同盟、日本農民組合の結成と全国水平社が組織されたと書き、そのすぐあとに、「ロシア革命の影響で共産主義の思想や運動が知識人や学生のあいだに広がっていきました。ソ連と国交を結んだこともあり、…君主制の廃止や私有財産制度の否認をめざす活動を取りしまる治安維持法を制定」(P.217)と、ことさら日本共産党の名前を伏せて書いています。そして、水平社宣言と山田孝野次郎少年の演説の写真を載せています。

 自由社も水平社創立宣言の一部を掲げていますが、全国水平社以外の具体的な団体名や主張にほとんどふれていません(P.219)。

 東書、日文、教出、帝国、清水、学び舎は日本農民組合や全国水平社、新婦人協会、日本共産党の結成などを書いています。

 教出は、本文で、「ロシア革命や米騒動などの影響も受けて、社会運動が活発になりました。」と書いたあと、労働争議、メーデー、日本共産党の結成①、小作争議にふれ、「女性を社会的な差別から解放し…、また、厳しい部落差別に苦しんでいた人々は、1922年に全国水平社を設立し、差別からの解放と自由・平等を求める運動を進めました。」と書いたあと、側注①で「私有財産制度や君主制の廃止、8時間労働制などを主張して活動しました」と明記しています。そして、つぎのページに「水平社宣言」の一部と山田孝野次郎の演説する写真を載せています。

 日文も「無産政党」についても書き、団体や政党が何をめざしたのかを書いています。重要なことだと思います。

(6)現代の課題

 東書の現行版は、「日本社会の課題」の部落差別に関わる側注で「…特別措置法にもとづく対策事業は終了しましたが、引き続き、教育の充実、職業の安定、産業の振興といった面での改善、人権教育や人権啓発などの推進が図られています」(P.242)と同和対策事業の終了を書いていましたが、新版では本文で「まず重要なのは、人権の尊重です。部落差別の撤廃は、国や地方公共団体の責務であり、国民的課題です」(P.262)と書き、側注で「部落差別の問題(同和問題)は、長い間の部落解放運動(↓P.161)の発展を基礎として、1965(昭和40)年に国の同和対策審議会の答申がなされて以来、特別措置法によって改善されてきました。現在は、引き続き、教育の充実、職業の安定、産業の振興といった面での改善、人権教育や人権啓発などの推進が図られています。」と特別措置法にもとづく同和対策事業の終了を削除してしまいました。大きな後退です。

 同和対策事業の終了は、他の教科書でも書かれるようになるのかと期待したのですが、残念ながらどの教科書にも書かれていません。それどころか、教出、清水は「差別や偏見が残っており」と書き、日文は「部落差別の撤廃は、国や地方自治体の責務であり、国民的課題です」(P.271)と本文で書き、側注で、人権擁護施策推進法にふれています。私には、どうしていつまでも、このような記述を続けるのかその理由がわかりません。

 学び舎が歴史学習の最後を「平和という言葉」の表題で、「戦場の生きものたち」「北の川のほとりに住む人」「あなたの夢は」で構成し、「人は、健康で、楽しく遊んだりして、自分の夢をかなえていく、そんな平和な世界を思い描きます。平和は、戦争によって破られるだけでなく、貧困や差別、人権の抑圧、環境の破壊などによっても、その実現が妨げられます。平和を実現したいと望むなら、どのようにして平和が壊され、失われてきたのか、過去の歴史から学ぶことが必要です。…」と書いています。現代の課題をどう書くかは、たいへん重要です。

 そこに部落問題の解決を国民的課題と書く時代は終わりました。差別や人権の抑圧が問題だと書くだけで十分です。

 東書、日文、教出、清水のように部落差別を特別扱いするのはやめるべきです。

9.中学での身分制。部落問題学習についてのすすめ方

 私は、中学生にも前近代の身分制で[えた」「ひにん」についての詳しい説明は不要だと思っています。ところが、1970年代に特定運動団体の要求によって、教科書に記述されるようになって 以来、改訂のたびごとに詳しく記述されるようになりました。中学生に江戸時代の身分制について教える場合、武士と百姓・町人の関係がしっかり捉えられればいいのです。

 賎民身分の社会的差別について、中世の賎民身分がどのようにして、江戸時代に幕府や藩に把握されたのか、そのことによって多様な賎民身分がどのような生活を強いられることとなったのか、わからせることはたいへん困難なことです。無理をしなくていいのです。

 それよりも政治起源説や職業起源説に陥らないようにすることが大切です。

 もっと重要なのは、部落問題の克服・解消が進んでいるのに、それを反映した教科書はありません。そのことこそが教えられるべき内容です。これも歴史ではなく公民的分野の課題です。

 学び舎の教科書は、他の教科書にくらべると、扱う項目も少なく、記述量も多くありません。それでも不要な記述があります。歴史的分野だけの教科書ですから、戦後の部落問題や部落差別の解消について書く必要はありませんが、それなら「水平社宣言」でこの問題の扱いを終わるのは問題です。

 まだまだ特殊化・肥大化は続いています。子どもたちにとって、教科書の記述はたいへん重要です。基本的事項についての理解が進むように、簡潔で、わかりやすい記述が求められます。教科書会社にも学習指導要領にもない事項を克明に書けという締め付けはないと思います。教科書の記述内容の改善を求めるとともに、授業でどう扱うかは慎重に検討したうえで実践を進めましょう。

10.高校日本史の身分制・部落問題の記述

高等学校では、地理・歴史科の「日本史B」と公民科の「現代社会」「政治・経済」で、身分制と部落問題について学びます。小学校の教科書について書いたところでも、高校の教科書を薄めて中学校、小学校の身分制と部落問題について記述されていると書きました。その点で改善されているとはいえませんが、一部の教科書で研究成果を反映したり、現状認識を改めたものが現れました。

(1)「部落問題は最終的な解決過程にある」と書く教科書も.

 部落問題が理解できるのは、高校生になってからだと言い続けてきました。江戸時代の賎民身分についても、近現代の部落問題についてもおなじことです。どのような社会的差別が存在したのか、それをどのようにして解消しようと努力してきたのか、そして現在はどうなっているのかを理解できるのは高校生になって、他の科目の学習とあわせてはじめて理解できると主張してきました。

 原始から現代までを叙述している日本史Bの8種類の教科書のうち、2種類が2012年検定で合格、他の6種類が2013年検定で合格しました。

 2013年度に検定合格した実教出版の「日本史B」に、「部落問題は最終的な解決過程にある」という記述が挿入されました。小・中・高を通じてはじめての記述です。

 実教「日本史B」は、「人権・福祉の保障と地域再生の課題」の項で「…アイヌなど少数民族の自治と権利の問題、部落問題の最終的解決の課題⑤、在日韓国・朝鮮人の生活と権利の問題など、日本社会の民主主義の成熟にかかわる重要な課題と考えられている。」(P.356)と本文で書き、側注に⑤「1965年の同和対策審議会答申を受けた1969年の同和対策事業特別措置法の後継の二つの特別措置法により、同和対策事業が実施され、環境・生活の格差是正がすすみ、こんにち部落問題は最終的な解決過程にある。部落住民のいっそうの自立と地域住民との市民的連帯が求められている。」(P.356)と記述するようになりました。

 大きな前進ではありますが、まだ部落問題が解決されたという記述ではありません。「最終的な解決過程」の中味がどうなのか、担当する教員が考えて教えろというのでしょうか?この教科書で、差別の実態を記しているのは、江戸時代の「身分と家」の項で、「彼らは条件の悪い土地に居住させられ、結婚や交際、服装などできびしい差別を受けた」だけですから、現在では居住・職業・通婚の自由が実現し、部落差別はなくなったという見解なのでしょうか?そう考えるのであれば、もっとすっきりとした記述に変えるべきです。

 ところが、他の教科書には、いまだに部落差別は根強く残っているという記述をしているものもあります。山川「詳説日本史」は「高度成長のひずみ」で、「この時期には、部落差別などにみられる人権問題も深刻となった。全国水平社を継承して、1946(昭和21)年に部落解放全国委員会が結成され、1955(昭和30)年に部落解放同盟と改称した。しかし、部落差別の解消は立ち遅れ、1965(昭和40)年の生活環境の改善・社会福祉の充実を内容とする同和対策審議会の答申にもとついて、1969(昭和44)年には同和対策事業特別措置法が施行された②。」(P.401)と本文で書き、側注②で「その後、同和対策事業特別措置法は1982(昭和57)年に地域改善対策特別措置法に引き継がれ、1987(昭和62)年からは財政上の特別措置に関する法律(地対財特法)が施行された。」としか書いていません。

 私には、部落解放全国委員会や部落解放同盟にふれる必要はないと思いますし、「この時期には、部落差別などにみられる人権問題も深刻となった」とは思いませんし、1969年からの同和対策事業によって部落問題がどうなったのかや2002年に同和対策事業が終了したことを書くべきです。この部分の記述がなぜ改善されないのか、よくわかりません。

 東書「新選日本史B」の「現代の社会生活と課題」には、「私たちの回りには、部落差別などさまざまな差別が、いぜんとして存在しており、人権や生活をまもるために解決しなければならない課題となっている。」(P.264)と書いています。

(2)前近代の身分制の記述の改善はすすんでいる

 江戸時代の身分制度についての記述が大きくかわったのは、1995年版の山川出版社「詳説日本史」です。この教科書は、その後も一部を修正しながら改訂しています。この教科書の身分制の記述については、塚田孝さんが「近世身分社会の捉え方|山川出版社高校日本史教科書を通して|」(2010年部落問題研究所)で、詳しく検討されています。

 2012年検定合格本では、「諸身分は、武士の家、百姓の村、町人の町、職人の仲間など、団体や集団ごとに組織された。そして一人ひとりの個人は家に所属し、家や家が所属する集団を通じて、それぞれの身分に位置づけられた」という捉え方をしています。賎民については「そうした中で、下位の身分とされたのが、かわた(長吏)や非人などである。かわたは城下町のすぐ近くに集められ(かわた町村)、百姓とは別の村や集落をつくり、農業や、皮革の製造・わら細工などの手工業に従事した。中には、遠隔地と皮革を取引する問屋を経営するものもいた。しかし、幕府や大名の支配のもとで、死牛馬の処理や行刑役などを強いられ、『えた』などの蔑称でよばれた。非人は、村や町から排除され集団化した乞食を指す。しかし、飢饉・貧困や刑罰により新たに非人となるものも多く、村や町の番人や芸能・掃除・物乞いなどに従事した。かわた・非人は、居住地や衣服・髪型などの点で他の身分と区別され、賎視された。」(P.186)と書いています。

 身分の捉え方やかわた・非人の役務と生業を区別し、賎民の生活の実態ついて迫ってますが、「かわた(長吏)」の説明もありませんし、旧版で「新たに非人とされる」であったのが「となる」に変わって、自らの意思で非人となったのかと推測されるなどの問題があります。

 実教「日本史B」も「身分と家」(P.168)で役務と生業の区別、その生活の実態や社会的差別について記述しています。しかし、実教「高校日本史B」や清水「高等学校日本史B最新版」は役務と生業を区別していませんし、明成社「最新日本史」も「穢多」と表記し、その役務について書いていません。まだまだ歴史研究の成果が教科書に反映されているわけではありません。

11.高校の公民科教科書の記述の問題点

 現状を正しく記述している教科書は残念ながらありません。なんとか、一日も早く改善されるようにせねばなりません。以下に、まず「公民科」の「現代社会」と「政治・経済」の教科書記述内容について検討します。

(1)現代社会の教科書の記述問題

 「現代社会」12冊の教科書すべてで、部落問題について記述しています。教育出版「最新現代社会」は本文の「法の下の平等」の項に「部落差別の問題など、依然としてさまざまな差別が残っている」(P.56~7)という記述ですが、カコミでつぎのように書いています。

◇平等の実現に向けて部落をめぐる問題江戸時代に農民や町人(職人・商人)とは区別され、差別された人々は、明治政府による身分制度廃止以降も「新平民」などとよばれ、就職や結婚や住居などに関して実質的に差別されてきた。このような差別を禁止する日本国憲法の下でも、たとえば部落差別を受けている地区の所在地を掲載した文書が流布されるなど、社会生活のなかでの差別はなくなっていない。このような社会の実態は今なお、市民としての権利や自由が十分保障されていないということであり、人々の間で依然として差別意識が残っていることが考えられる。1965年、政府は同和対策審議会の答申を受け、差別を解消するための法律を制定した。その後、部落解放運動、同和対策事業によって部落差別にかかわる問題の改善が進められてきた③。

 ③2002年3月に、事業を行うための国の財政的援助はなくなったが、その後も地方公共団体を中心として、人権教育や啓発活動など、問題解決に向けた取り組みが引き続き行われている。この教科書は、脚注に「2002年3月に、事業を行うための国の財政的援助はなくなった」と書いていますが、同和対策特別事業が終了したとは書いていません。

 またカコミには、「部落差別を受けている地区の所在地を掲載した文書が流布されるなど、社会生活のなかでの差別はなくなっていない」といつのことをいっているのかを明示せず、克服された問題を現在のことのように書いています。さらに「『新平民』などとよばれ」とありますが、誰が、いつそのような呼び方をしたのでしょうか?これも不適切です。

 現在では、国民融合が進んで、部落差別の克服・解消が実現しているという記述には改まっていません。そうした記述に改めさせることが課題です。

 そのほかの教科書も、巻末資料から同和対策審議会答申を省いたものもありますが、多くの教科書は「それによって居住環境などの改善は大きく進んだが、結婚差別や差別落書き事件などはなくなっておらず、心理的な差別や偏見は根深いものがある」(数研出版「高等学校現代社会」(P.79)のように部落差別が残っているという記述をしています。

(2)政治・経済の教科書の記述問題

 政治・経済の教科書は、8種類発行されています。扱いは、「現代社会」とおなじで、日本国憲法の基本的人権のところで記述しています。

 清水の「高等学校現代政治・経済最新版」は、「平等と差別をめぐる問題」の「部落差別」で、「直接的には江戸時代の身分制度に起因する部落差別は、解消をめざす運動がねばり強く展開されてきたにもかかわらず、日本国憲法施行後も長らく残り、放置されてきた。1965年の同和対策審議会答申は、部落差別の解消を強く訴え、これにもとづき、同和対策事業特別措置法・地域改善対策特別措置法などの立法が講じられ、同和対策事業がすすめられた。その成果もあり、部落差別解消は大幅に前進したが、就職や結婚での差別や偏見は今日も完全になくなっていないといわれる④。」脚注「④同和対策審議会は1965年、同和対策の早急な解決を『国の責務・国民的課題』・と認め、社会的・経済的諸問題を解決するための基本方策について答申した(『同和』とは『同胞一和』の略語)。この答申にもとづき69年に同和対策特別措置法が定められ、生活環境の改善、教育の充実などに関する事業と財政上の措置が講じられてきた。同法の措置は、地域改善対策特別措置法や地域改善対策特定事業財政特別措置法という時限立法によって2002年まで引きつがれた。」(P.50)

 この教科書は、いくぶん改善されたものとなっています。同和対策事情の推進によって、生活環境の改善、教育の充実などが進んだことを書きながら、最後は「就職や結婚での差別や偏見は今日も完全になくなっていない」とかき、それも「いわれる」と伝聞で結んでいます。無責任な記述といわねばなりません。著者が責任をもって、同和対策事業は終了し、部落差別は克服・解消されたと書くべきです。

 ほかの教科書も「こんにちでも職業、居住、結婚などさまざまな面で差別が見られる」(実教「最新政治・経済」P.24)などのように、差別が残っていると書いています。

12.さいごに

 小・中学校の社会科、高等学校の現代社会、政治・経済、日本史Bの教科書の身分制・部落問題の記述について検討してきました。 結論を言えば、一部の教科書に改善は見られるものの、全体としては特殊化・肥大化はそのままですし、小学校の教科書の中には、ますます詳しくなっているものもあります。

 これまで何度も言ってきましたが、小学校では、身分制・部落問題についての記述の必要はありません。学校の現場では教科書の記述を無視して、教えないことが大切です。教えることで、誤った歴史認識を育ててしまうことになり、人権感覚も狂わせることになります。まして、最下層の人々こそが優れた文化を生み出したり、社会を支えていたというような誤ったことを教えてはなりません。

 中学校の歴史や公民でも、身分制や部落問題にこだわる必要はありません。江戸時代の身分制では武士と百姓・町人の基本的な関係を認識させることが重要です。近世の社会が身分制の社会だったことこそが認識すべきことなのです。

 公民学習では、部落差別が根強く残っているということでなく、部落問題は克服・解消されたのですから、アイヌや在日外国人差別と同列に扱うこともやめるべきです。

 高等学校の現代社会、政治・経済の教科書はほとんど改善点がありません。日本史では、一部の教科書は、研究成果を反映した身分制の記述になっています。そして、部落問題は「最終的な解決過程にある」と書く教科書が現れました。こうした改善点を広げていくとともに、歴史教育の場で、研究成果と現状をふまえた科学的な認識を育てる実践が求められます。