大阪における同和教育終結への課題(1998)

大阪における同和教育終結への課題(1998)

 矢田事件以来吹き荒れた大阪における解放教育、運動団体と行政が加担した誤りの責任は余りにも重い。すべてを差別という視点に矮小化したところに誤りの根源がある。

「どの子も伸びる」1998年4月掲載

1.「解放教育」の発生と大阪

 1969年に引き起こされた大阪の矢田事件、それは部落排外主義の台頭のもと、「同和教育」を「解放教育」と改称し始めていた「解同」中央本部の方針のもとで、必然的に引きおこされた事件と言えるのではないだろうか。

 矢田事件とは「組合員の皆さん、労働時間は守られていますか。進学のことや同和のことなどで……」という組合役員選挙での挨拶状が一方的に差別文書とされ、記載者が「解同」府連幹部等二百人以上から脅迫、つるし上げを受けるといった事件である。

 裁判の結果は、結局、最高裁で「解同」幹部に有罪、また、差別と断定し強制配転、研修を押しつけた大阪市教委にも賠償命令が確定した。この事件の引き起こされ方一つを見ても、「解放教育」が、部落排外主義の部落解放運動の忠実な僕であったことがわかるのではないだろうか。

 それでは、裁判の結果が示したように、教育の分野で「解放教育」は正されているのだろうか。決してそうは言えない。大阪市教委はなお、矢田事件に対する謝罪を行っていないし、大阪府教委は解放教育研究会の編集による解放教育読本「にんげん」の無償配布を続けている。

2.解放教育読本「にんげん」と大阪

 雑誌「部落解放」第10号(1970年10月発行)は、解放教育読本「にんげん」の出発点を特集していて興味深い。まず、その中のいくつかの文章を紹介する。

 「にんげん」は全国解放教育研究会の編集によるものである。この「会」は部落出身教師と部落解放運動にかかわる教師・活動家によって組織されており、部落解放同盟中央本部教育対策部に属した研究組織である。だが、編集・作成にあたっては多様な要求が結集され、多くの組織が関係してすすめられてきた。

 現在の教育の内容と体制が、部落差別に全く無関心であるばかりではなく、明らかに差別を容認し、さらにこれを助長するものであることは繰り返し述べてきたところである。それは検定教科書のいずれを取り上げてもただちに指摘できる。学習指導要領はその内容において差別性をもち、その拘束性において解放教育創造のための教育現場 の闘いを圧迫し続けてきた。

 「にんげん」は権力によって他律的におしつけられたものではなく、逆に権力による不当な教育支配を打ち破る武器として積極的に活用できるものであり、すでにのべた通り、解放教育をすすめるために私たちが作成に参加し、その無償配布を要求したものである。  「にんげん」の内容は、教科の領域、集団指導の領域、部落問題、部落解放運動にかかわるものによって構成されている。それは、いずれも今日の解放教育の諸課題と解放運動の状況を、子どもの発達に即して教材化されたものである。

 これらの文章は、解放読本「にんげん」がつくられた出発点をよく表している。

 しかし、そもそも、部落解放の武器として行政に読本の無償配布を要求することが正しいことであったのだろうか。しかも、運動団体に所属する研究部によって編集されたものを。いくら教科書検定や指導要領に差別性と拘束性があったとはいえ。

 部落排外主義の糾弾路線は、府教委を屈服させ、無償配布をさせたのだが、これこそ教育の自由と自主性を奪っただけでなく、以後推進された「にんげん」実践は、部落問題の特殊化、肥大化の大きな要因をつくり出し、かえって部落問題解決への障害を生み出したのである。大阪ではまだ、それが是正されていない。

3.不公正・乱脈の同和行政と大阪

 同じ雑誌「部落解放」(第10号)のグラビアは、学校建設運動の成果として、○○○中学校の写真を掲載している。35人学級の普通教室、廊下は幅3・5メートル、LLの施設のついた英語教室、そして冷房付の講堂、その下に食堂という具合である。

 果たして、学校建設運動の成果と言えるのだろうか。同じ時期、77億円をかけてつくられた大阪市○○区○小学校には、1000人収容の大食堂やプラネタリュームまでがつくられている。(当時、普通の小学校の建築費は5億円前後)言うまでもなく、このあまりにも異様なコントラストを生みだしたものが、「窓口一本化」行政であった。

 「原罪論」「償い論」を武器に、「解同」が同和行政を自らの管理下においていった結果であった。

 それでは現在、そうした窓口一本化行政は是正されたのかと言えば決してそうではない。大阪府同和対策促進協議会(府同促)、各市同和対策促進協議会(市同促)方式のもとで、補助金、助成金、交付金が湯水のごとく使われているのである。

 1995年度の大阪府の教育にかかわる同和予算を以下紹介すると、同和加配人件費(約62億円)、「にんげん」購入費(約1億円)、府同教補助金(約1000万円)、全同教大会補助金(約1000万円)、部落解放研究所運営補助など研究事業費(約4000万円)である。

 市町村へいけば、市同和教育研究会への交付金、人権啓発協議会への交付金とあげればきりがない。
4.解放教育推進の大阪府同教と各市同教

 「差別の現実かち深く学ぶ」と称して運動を学校教育へと結合させ、「差別の現実に立ち向かい、それを変革していく子ども」と称して、解放の戦士を育てる取り組みが「にんげん」の配布とともに、大阪府同教と各市同教によって推進されている。

 大阪府同教は毎年、「にんげん」実践研究集会や府同教研究大会、そして夏期一泊研を開催し、月一回府同教通信を府下の教職員全員を対象にして配布している。その内容たるや、「同和教育を軸に、教育改革の大展開を」とか、「出会いとつながりを求めて」とか、これまでの「同和原点論」ひきずりながら、反差別だけでなく多文化、共生という視点を加えている。

 最も茶番に思えるのは、すべての研究費を大阪府に依存しながら、その府に対して「同和加配」交渉にのぞんでいることである。府同教通信には、「法のあるなしにかかわらず、差別があるかぎり施策は必要」という府教育長の答弁をかち取ったとはずかしげもなく写真入りで報告している。

 各市同教も府同教とほとんど同じ方針で運営され、法が切れた今年3月以降も、「人権教育の重要な柱として同和教育を推進する」としているところが多い。

 いずれにも共通して言えることは、人的にも財政的にもすべて府や市に依存しながら、府教委や市教委に自らの主張を押しつけているのである。府教委や市教委も心得たものでそれを活用しているのである。府教委から毎年出される「同和教育のための資料」や各市で発行されるパンフレットは府同教や市同教で報告された実践がそのまま載せられているのを見ても一目瞭 然である。

5.「人権教育」への転換と大阪

 1995年、第49回国連総会で「人権のための国連の10年」が採択された。それを受けた日本政府はいち早く反応し、翌年国内行動計画を策定した。この背景には、言うまでもなく、1997年3月末の同和事業法の期限切れから人権擁護施策推進法の成立へと移行する政府の動きがあった。一言で言うなら、解同の要求してきていた「部落解放基本法」の落としどころとして、国連十年、人権擁護施策推進法に軟着陸させたのである。

 文面を比較すればわかるが、国連10年の内容は人権に関する情報提供や包括的な人権について述べているが、国内行動計画では人権概念を差別意識の問題に倭小化し、しかも啓発や特別な人権教育を強調しているのである。つまり、国連の提起を、人権擁護施策推進法と似たものに歪曲したのである。

 この国内行動計画を全国に先がけて実施に移そうとしているのが大阪府であり、昨年三月に大阪府は行動計画を策定した。そこでは、学校や職場における人権教育の推進としてより体系的、実践的な人権プログラムの必要性と、対象者がより主体的に参加できる手法を求めている。  現に今、それに沿って「人権教育」を特別なものとしてカリキュラム化してきている学校が現れている。

 国連の人権10年は1995年から2004年である。国連の提起する人権の拡大のためにも、歪められた行動計画を批判し、同和教育の終結の取り組みをすすめることこそが大切である。