第43回大阪はぐるま研究集会

第43回大阪はぐるま研究集会 ご案内

主催大阪はぐるま研究会

子どもの心を育む教室と授業づくりをめざして

 この案内のダウンロードはこちら(PDF B5版で4ページ)

1.期日 2017年8月5日(土)・6日(日)

2.会場  エル・おおさか(大阪府立労働センター)Tel 06-6942-0001

        京阪「天満橋」・地下鉄谷町線「天満橋」西へ300m

3.日程
全体会 (第一日午前9:30~12:00 第二日午後1:10~4:40)

 第一日

☆詩の朗読 豊能授業と教材研究会・箕面はぐるま研

1.主催者あいさつ

2.基調提案

      「子どもの認識力を育て、深める授業の創造を!」

大阪はぐるま研究会 事務局長 辻まち子

3.特別報告1 「改訂学習指導要領の重大な問題点と私たちの課題」

大阪教育文化センター 事務局長 山口隆さん

特別報告2 「部落問題解決の到達点と今日的課題」

民主主義と人権を守る府民連合 委員長 谷口正暁さん

第二日

 ☆詩の朗読 豊能授業と教材研究会・箕面はぐるま研 

1.地域サークルからの報告泉南はぐるま研究会

2.模擬授業    「ちいちゃんのかげおくり」(あまんきみこ作)(光村図書3年)

授業者泉南はぐるま研究会佐藤秀一

3.記念講演「物語の力」
 朝日新聞 「声」編集次長 佐々波幸子(さざなみ ゆきこ) さん

分科会   [ ]は担当サークル・担当者
8月5日(土) 午後1:10~4:40  8月6日(日) 午前9:30~12:00

物語文

【りすのわすれもの】(松谷みよ子作)(教育出版1年下)

 りすがわすれものをしたおかげで、後々のりすが命をつないでいけるという心あたたまるお話です。りすのさんたのかわいさと成長に共感しながら参加された皆さんと読み深めていきたいと思います。

[和泉どの子も伸びるサークルたんぽぽ]

【かさごじぞう】(岩崎京子作)(東京書籍教育出版・学校図書・三省堂各2年)

 ふぶきの中、出会った地蔵さまに「おお、きのどくにな。さぞつめたかろうのう」と、自分のてぬぐいまでかぶせるじさまの想像力。極限の貧しさの中でも、お互いを思いやり、あかるく心豊かにお正月を迎えようとするじさまとばさまの言葉と行動に寄り添ってじっくりと読み味わいたいです。

[和泉どの子も伸びるサ一クルたんぽぽ〕

【ちいちゃんのかげおくり】(あまんきみこ作)(光村図書3年)
ちいちゃんから大切なものを奪い続けてきた戦争。それは、ちいちゃんの未来までも奪ったのです。ちいちゃんが孤独と空腹にたえながら、家族に会いたい、家族と一緒にいたいという願いを持ち続げた姿を読んでいきます。

[泉南はぐるま研究会]

【世界一美しいぼくの村】(小林豊作)(東京書籍4年)

 今まだ紛争の絶えないアフガニスタンを舞台にしたお話をどのように読み合っていくのがよいのか、また続編を続けて読み、物語を深く味わうための指導案も考えることができればと思います。

[箕面はぐるま研究会]

【大造じいさんとガン】(椋嶋+作〉(光村図書・東京書籍・教育出版・学校図書.三省堂各5年)

 羽曳野はぐるま研では毎回一つの教材をじっくり読み込んで、自由に意児を言い合っています。「大造じいさんとガン」は、残雪との戦いを通して、大造じいさんの残雪に対する見方が変化していく様子を描いています。ぜひ当日も普段の羽曳野はぐるま研のように自由な雰囲気で教材を読めたらいいなと思います。

[羽曳野はぐるま研究会]

【海の命】(立松和平作)(光村図書・東京書籍6年〈東京書籍=海のいのち〉)

 父を失った太一が、与吉じいさにも助けられながら、村一番の漁師へと成長し、幸せな家庭も築くという太一の成長の姿と海に生きる漁師の海に対する思いを読み合います。

[泉南はぐるま研究会]

説明文

8月5日(土)午後1:10~4:408月6日(日)午前9:30~12:00

【ウナギのなぞを追って】(塚本勝巳文)(光村図書4年)

 説明文の学習を確かに、楽しく進めるためには、教材の特質をとらえることが必要です、なぞに包まれていたウナギの生態を明らかにするため、マリアナの海で調査をして卵を産む場所を探していく様子は科学的な読み物としてもおもしろいです。みなさんと一緒に教材研究を深め、二日目は授業の進め方を考えていきましょう。

[箕面はぐるま研究会]

人権と社会科

 そもそも「部落問題」とは、「部落問題の解決」とは、どういうことなのでしょうか?また、部落問題の教科書の記述に問題はないのでしょうか?さらに昨年国会で通過した「部落差別解消法」をどう考えればいいのでしょうか?社会科は、ともに4年生の実践です。瀬川実践は地域の開発を取り上げた報告、志村実践は少人数を生かした総合的な報告です。

 ▼8月5日(土)午後1:10~4:40

 ・「教科書の中の部落問題」[柏木功]

 ・「琵琶湖疎水」[瀬川靖央](京都)

 ▼ 8月6日(日)午前9:30~12:00

 ・「部落差別解消法」と学校教育[柏木功]
 ・「思い出いっぱい1/2成人式」-小さな学校のすてきな4人-[志村誠]

学級づくり

 8月5日(土)午後1:10~4:408月6日(日)午前9:30~12:00

 作文や文学で、子どもいきいき学級作り、具体的な作文の授業も交えて、青年教師が報告します。今日大きな問題になっている「いじめ問題」や保護者との連携、子どもが主人公の集団づくり、そして先生が元気になれる秘訣を語ります。

[細野翔太][土佐いく子]

--佐々波幸子さんご紹介--

 1991年朝日新聞社に入社。子育て、介護、子どもの本などをテーマに取材を重ね、生活面、be、文化庁、読書面担当を経て、4月から読者の投稿を扱う「声」編集次長。子どもの本にまつわる記事を1冊にまとめた『生きてごらん、大丈夫』を昨年出版。

〈佐々波さんからのメッセージ〉

 すぐれた子どもの本は「大きくなるって楽しいことだよ。生きてごらん、大丈夫」と背中を押してくれるもの-『ゲド戦記』を翻訳した清水員砂子さんの言葉です。

  みなさんにも、子どもの頃に読んでもらった絵本や自分で繰り返し読んだ本の中に、支えとなった一冊があるのではないでしょうか。私自身は、友だちと探偵団をつくるきっかけとなった『カッレくんの冒険』が思い浮かびます。引っ込み思案だった私に、前に出て行く力を与えてくれた一冊ともいえそうです。東日本大震災から1カ月後、岩手県大船渡市の保育所で、『はらぺこあおむし』に夢中になる子どもたちに出会いました。本の力を目の当たりにした体験でした。当日は、そうした物語の力や、取材で出会った作家の方々のことばをお伝えできたらと思います。みなさんの「わたしの一冊」を、お持ちいただげたらうれしいです。

参加申し込みについて

1.参加費 3000円(学生及び一日参加は2000円)(当日受付でお納めください。)

2.申し込み ハガキ・Fax・E-mailで「予約申し込み」をしてください。予約受付と同時に折り返し自宅住所に「参加票」をお送りします。会場は定員が決められているので、当日参加の場合、ご希望の分科会に入っていただけないことがあります。資料を確保するためにも、ぜひとも予約申し込みにご協力ください。定員は各分科会とも18名です。

 申し込みの際は、①氏名②郵便番号、自宅住所、電話番号③勤務先④参加希望分科会(第1希望、第2希望)をご記入ください。

3.締め切り 7月29日(土)

4.申込先 〒590-0423 泉南郡熊取町自由が丘2-15-13 辻まち子

E-mail machik0-tSuji@ares.eonet.ne.jp

Tel&Fax 072-453-5214

◇集会ミニ紹介

☆地域サ-クルからの報告

 大阪はぐるま研究会の地域サークルの一つ、「泉南はぐるま研究会」。月に1回、研究会を開き、クラスのこと、子どものこと、学校のこともよく話し合っています。

☆模擬授業

 第10回研究集会から続げている模擬授業です。全体集会参加者が、児童・生徒役になって、授業形式で教材を読み合います。今回は、『ちいちゃんのかげおくり』(光村図書3年あまんきみこ作)を取り上げます。

☆分科会

 参加者全員で話し合い、考え合い、学び合い、その教材について読みを深めていく集団研究の場です。担当サークル・担当者が話題・問題提供いたします。1日目は3時間半、2日目は2時間半と、時間設定に差があります。2日目だけの分科会は時間が少ないですが、ご了承ください。

特別報告1  昨年に続いて、山口隆さんに話していただきます。山口さんは現在、大阪教育文化センターの事務局長としてたいへん活躍されています。

特別報告2 谷口正暁さんは大阪府同和問題解決推進審議会委員であり、大阪市同和問題に関する有識者会議委員でもあります。同和問題の現状と課題について話していただきます。

日本国憲法 第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「教え子を戦場に送らない」この思いつよくつよく、わたしたちは平和憲法を守ります。

大阪はぐるま研究会

「部落差別の解消の推進に関する法律案」制定に反対する決議 部落問題研究所

「部落差別の解消の推進に関する法律案」制定に反対する決議

この決議のダウンロードはこちら(PDFファイル)

 自民党が中心となって、「部落差別の解消の推進に関する法律案」(以下、「部落差別解消推進法案」)を制定しようとしている。同法案は、「部落差別」の定義もしないままに、「部落差別の実態に係る調査」を行い(第6条)、国・地方公共団体をして「部落差別の解消に関する」施策を講ずることを「責務Jとする(第3条)とし、さらに、国・地方公共団体に部落差別に関する相談体制の充実(第4条)、部落差別解消のために教育・啓発を行なうことを求める(第5条)としている。

 周知のように部落問題対策(同和対策)は、1969年同和対策事業特別措置法制定以来2002年3月まで30年以上にわたり、様々な取組みが実施されてきた。要した経費は国・地方あわせて約16兆円という。この結果、所管省である総務省地域改善対策室は、「特別対策を終了し一般対策に移行する主な理由」として、①これまでの膨大な事業の実施によって同和地区を取り巻く状況は大きく変化、②特別対策をなお続けていくことは、差別解消に必ずしも有効ではない。③人口移動が激しい状況の中で、同和地区・同和関係者に対象を限定した施策を続けることは実務上困難、をあげた(平成13・2001年1月26日「今後の同和行政について」)。

 また、「同和関係特別対策の終了に伴う総務大臣談話」(平成14・2002年3月29日)においても、「園、地方公共団体の長年の取組により、劣悪な生活環境が差別を再生産するような状況は今や大きく改善され、また、差別意識解消に向けた教育や啓発も様々な創意工夫の下に推進されてまいりました」と状況の激変を確認している。部落問題研究所は、創立60周年記念事業として「部落問題解決過程の研究」に取組んできたが、その中で戦後高度経済成長の過程を通して部落問題解決は大きく前進し、それは不可逆な歩みであることを確認してきた。 これらをふまえてみても、総務省の指摘は首肯できるところである。

 このような客観的な事実があるにもかかわらず、自民党などは、新たに「部落差別解消推進法」を制定し、「部落差別の実態」調査を行なうという。そもそも今から20年余り前の全国調査(総務庁「平成5年度同和地区実態把握等調査」)によってみても同和地区住民のうち58.7%が同和関係以外人口、つまり「部落」以外の住民なのである。このような状態で「部落差別の実態」の調査が果たして可能であろうか。新たに法律により「部落差別の実態」調査を実施するということは、「部落」と「部落」外との壁がほとんどなくなった状態になっているのに、新たに壁を築くことであり、2002年3月に「特別法」失効とともに消滅した「同和地区」(部落)を法制上復活させるということであって、しかも同法案が時限法でないことからすれば、半永久的にそれを存続させるという企てに他ならない。

 以上述べたように、部落問題解決過程の到達点に照らしてみても、総務省自身の指摘によっても、「部落差別解消推進法Jを必要とする立法事実は存在せず、その必要は認められないというにとどまらず、部落問題の最終的解決に逆行する立法を看過することは出来ない。

 以上により、部落差別解消推進法制定に反対するものである。

2016年5月29日
公益社団 法人部落問題研究所
2016年度定時総会

部落差別の解消の推進に関する法律案に断固反対する声明 自由法曹団

部落差別の解消の推進に関する法律案に断固反対する声明

この声明のダウンロードはこちら(PDFファイル)

2016年5月19日、自民、公明、民進の3党は、部落差別の解消の推進に関する法律案(以下「本法律案」という。)を衆議院に提出した。同月20日には衆議院法務委員会で趣旨説明がなされ、25日に同委員会で強行可決される見通しである。

 本法律案は、部落問題の解決の障壁となるものであり、基本的人権をまもり民主主義をつよめることを目指す法律家団体である自由法曹団は、この法律案に断固反対する。

部落差別問題については、1982年、同和対策特別措置法が廃止され、その後を継ぐ地域改善対策特別措置法も廃止され、2002年に同和対策事業は終結した。

 これは、部落差別の特徴的な形態である劣悪な住環境等が、各種の同和事業の遂行によって改善傾向にあり、また、職業の自由、居住移転の自由、結婚の自由の侵害という事態も大きく減少するなど、身分的障壁を取り除き、社会的な交流が拡大する方向へと進み、部落解放の客観的条件が大きく成熟したことによるものである。そうだとすれば、着実に解決に向かっている現状においては、本法律案には立法事実がなく、時代錯誤であると言わざるをえない。のみならず、むしろ部落問題による差別、偏見を固定化、永続化し、部落問題の解決のための大きな障壁になり有害である。

 また、本法律案は、えせ同和団体の利権あさりの手がかりとなりうるものであり、過度の糾弾による人権侵害や不公正な行政が行われた負の歴史をふまえていないものと言わざるをえない。

本法律案は、「部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現することを目的とする。」としているが、部落差別の定義規定がなく、何をもって部落差別とするのかが曖昧なままである。本法律案は、部落差別の解消に国、地方公共団体の責務を定め、相談体制の充実、必要な教育啓発を行う努力義務等を規定しているが、何をもって部落差別とするかが曖昧なままであれば、あまりに広範な施策が実施されることになりかねず、その施策によって施策の対象となる人々とそうでない人々の間に垣根をつくり、ひいては部落差別問題を再燃させることにつながりかねない。

 また、本法律案は、国は、部落差別の解消に関する施策の実施に資するため、地方公共団体の協力を得て、部落差別の実態に係る調査を行うものとしている。しかし、これによって新たな差別を掘り起こすことになり、本法律が恒久法であることを踏まえると、調査を続けることによって、部落差別問題を固定化、永久化することにつながりかねない。本法律案は、「情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていること」が立法理由として説明されているが、ネットへの差別的書き込みなどはプロバイダ責任制限法(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律)に基づき、プロバイダに対して削除請求するなど、既存の法律で対応することが可能である。

以上の理由から自由法曹団は、本法律案に断固として反対する。

2016年5月24日
自由法曹団     
団長 荒井新二

「部落差別」法案は解決に逆行 (2016.5.)

「部落差別」法案は解決に逆行

全国人権連事務局長 新井直樹さんに聞く

 自民党、公明党、民進党は「部落差別解消推進法案」の衆院通過を狙っています。同和(部落)の特別法は、問題解決に障害になるとして、14年前に失効しています。全国部落解放運動連合会を発展的に改組した全国地域人権運動総連合(全国人権連)の新井直樹事務局長に今回の法案の問題点を聞きました。

-現状からみて、法案の問題点は?

 差別被差別という新たな国民対立を生むことになる「差別固定化法案」です。 現状は、法務省の人権侵犯処理でも悪質で深刻な部落差別の実態があるとは言えません。旧「部落」や「部落民」に関するインターネット上の書き込みもありますが、現行法と対抗言論によって対処すべきです。部落を問題にする人がたまにいても、時代錯誤だと説得できる自由な対話こそが大事です。

差別を固定化

 法案のように「差別者」を懲らしめることでは、差別は陰湿化し、固定化してしまいます。結婚も部落内外の婚姻が主流となっています。結婚や就職の問題で自殺したという記事は見たことがありません。問題があれば、市民相互で解決に取り組める時代になったのです。そのため、政府も33年取り組んだ同和対策の特別法を2002年3月末で終結しました。全国の精緻な生活実態調査と国民意識調査を実施・分析し、審議会で各界からの意見聴取もして議論を重ね、万全を期して終了したのです。その経緯を無視する今回のやり方はまったく許されません。政府は、一般対策の名で同和事業予算を組み続け、差別の実態があるかのように国民に誤解を生じさせています。逆差別を生じかねないもので、同和事業こそ即刻廃止すべきです。

同和事業廃止を

-新たな法は解決の障害となるのですね。

 部落問題は民族問題ではなく、旧身分が差別理由として残ったものです。国民融合のなかで、社会から消滅してゆけばよいものです。それなのに、「部落差別の解消」をうたえば、国が「部落」と「部落外」を永久に分け隔てることになります。法案は「差別の実態調査」を国や自治体に求めています。根深く存在しているとの誤った理解を「調査」を通じて国民に広げることになります。人権を侵害し、特定の地域や住民を「部落」と示唆するものです。

 法案では、自治体などは相談体制をつくり教育・啓発をすることになっています。実態や経過を無視して自治体や学校に強制する根拠になり、大きな混乱を生じさせることになります。たとえば、埼玉県で同和行政を終了した自治体があります。こんな法律ができれば、終了がほごになり、「解同」(部落解放同盟)などの要求通りに復活するという混乱が生じます。全国各地の同和行政終了自治体でも、混乱を生むことが考えられます。

 2000年に自民、公明両党などの議員立法で制定された「人権教育・啓発推進法」は、人権問題を差別問題に矮小(わいしょう)化し、解決の実態から乖離(かいり)した「解放教育」や「同和教育」に法的根拠を与えてきました。こんな法こそ廃止すべきです。

-自民党の狙いをどうみますか。

 自民党は差別禁止などという法の名で利権維持をはかる「解同」などの動きを取り込みつつ、自らの国民管理に利用しょうとしています。自民党は国民主権の憲法を、国が人権を管理するものへ改悪することを狙っています。それと軌を一にした動きです。人権問題の深刻さから国民の目をそらし、人権問題はあたかも差別間題がすべてであるかのごとく描くものです。立法事実や「部落差別」の概念すらまともに議論をせずに、制定ありきというのはもってのほかです。憲法改悪、「部落差別永久化法」には、国民諸階層とともに断固反対の運動を広げていきます。

(2016年5月22日「しんぶん赤旗」掲載)

2分でわかる 部落問題と教育 (2016年版)

「2分で分かる部落問題解決と教育」のダウンロードはこちら(A4版1枚)(PDF)

1.部落問題とは

 江戸時代までの日本の社会は身分をもとにする社会でした。明治以後の日本の近代化の中でも、地域社会の中では江戸時代の賤民身分につながりがあるとされた一部の地域が社会的差別を受けていました。
 封建時代の残りものが「部落問題」です。

2.部落問題はどこまで解決したか

 戦後、日本国憲法の成立と民主主義的意識の高まりのもと、1969年から始まった同和対策事業は国地方自治体あわせて15兆円が投入され、高度経済成長とともに地域の状況を一変しました。

 2002年、特別法の失効とともに同和対策事業は終了しました。2016_01_28_2funde

 劣悪な地域の環境は改善され、「部落」と呼ばれた集落の景観もなくなり、周辺地域との分別もできなくなりました。教育や就職・結婚も改善され、居住する人々の入れ替わりも激しく、誰が従来からの居住者か、誰がそうでないかも分からなくなりました。国民の意識も大きく変化し、もはや、日常の暮らしの中に部落問題はありません。

 大阪府教委も「誰が地区の人か、誰も説明できない」「今はもう被差別部落なんてないよという」と説明しています。

 生活困難が集積した地域は特別措置法対象地域の5倍もあることが府の調査で明らかになっています。今日の課題は格差と貧困であり、部落問題はもはや過去の問題です。

3.部落問題の解決とは

 社会や人間関係で、出自を意識しない、そんなこと関係ないわ、という状態になることが部落問題の解決です。まだ誤解や偏見を持つ人がいるにしても、「江戸時代につながる話なんて、そんな昔のことを今更何なの」「何の関係あるの」「そんなことで人をみたらあかんやろ」と周りの人はたしなめます。誤解や偏見は社会として受け入れられることはもうありません。

4.学校が教えるマイナスイメージ

 今日では同和問題を「学校の授業で知った」というのが40代以下では過半数です。その結果、「学習経験を積むほど、『就職差別や結婚差別は将来もなくすことは難しい』という悲観的な意識が広がった」と報告されています(大阪府民意識調査2010年)。

 同和対策事業を終わらせた理由の1つに、行政が特別対策を続ける限り、「あそこは特別」という市民の意識が続くということがあります。学校教育も同じではないでしょうか。「部落問題学習」をする学校では「差別は今もある」というだけで、部落問題は解決に進んできたという希望ある事実を教えていません。

5.憲法と自治の力を子どもたちのものに

 「人は尊重すべきもの」「人は協同して生きるもの」ということを子どもたちが自分で理解していくように工夫しましょう。学校では「部落」や「同和」という言葉を使わないで指導することが大切です。
 よく「将来、部落問題に出会った時のために」教えておかないと、と説明されることがあります。一見、まともに見えますが、逆に言えば、将来、学校では全く扱っていなかった問題に直面した子どもはお手上げになってしまうということでしょうか。いつまでもいつまでも学校で部落問題を教え続けるのでしょうか。「人は尊重すべきもの」「人は協同して生きるもの」という立場で考え行動できる子であれば、さまざまな問題に直面した時に適切に判断できることでしょう。

 大阪府民意識調査(2010年)も「『同和問題は知らない』という人の人権意識が低いわけでもありません。」としています。「人権教育」というなら、憲法と自治の力を子どもたちのものにすることではないでしょうか。

人権総合学習(2000)

人権総合学習

 「人権総合学習」は部落解放同盟を支持し連携する一部の教職員が提唱している「総合学習」。「総合的な学習の時間」などに実践しようというもの。

「『総合的な学習の時間』の批判と創造 わたしたちの教育課程づくり」所収 (大阪教育文化センター・教育課程研究会「総合的な学習の時間」検討プロジェクト発行 2000年)

 今、同和教育研究組織や「解放教育」論者の側から「人権総合学習」がさかんに提唱されています。

 府教委や市教委など教育行政の側からも「人権総合学習」というネーミングをしないものの、「『総合的な学習の時間』への対応を見通した」(府教委)「人権教育」が提唱されています。

 府教委の「人権教育推進プラン」では小学校高学年や中学校での「人権学習プログラム」として6つの「領域」を掲げています(子どもの人権、同和問題、男女平等、障害者、在日外国人・国際理解、様々な人権問題)。大阪市教委の「人権教育指導の手引き」ではll項目を例示しています(同和教育、在日外国人教育、「障害及び障害者問題の理解」についての教育、児童の権利に関する条約、男女平等教育、進路指導、集団育成、国際理解教育、平和教育、「いじめ」の指導、環境教育)。

 官製「人権教育」や「解放教育」論者の言う「人権総合学習」は次のような特徴をもっています。

 第1に、それは「人権」概念を歪めるものです。

 国の人権擁護推進審議会の答申でさえ、「我が国の人権に関する現状については国内外から、国の諸制度や諸施策そのものの在り方に対する人権の視点に対する批判的意見も含めて、公権力と国民との関係や国民相互の関係において様々な人権問題が存在すると指摘されている」と極めて申し訳程度とはいえ、公権力と国民との関係における人権問題について触れています。世界の人権獲得の歴史は、時の権力者との闘いの歴史です。官製「入権教育」は「人権」を国民相互の問題に焦点化させ、公権力や社会的権力と民衆との人権問題を「人権」の視野からそらすものです。それは、「人権」概念の倭小化であると同時に、「人権」を権力支配の道具にするものです。

 第2に、「人権」の名を借りた「心の教育」つまり第二道徳です。

 官製「人権教育」などは、「人権」を差別問題に倭小化するとともに、子どもたちに他人の人権を侵害しないようにという心がけを求めます。そこには、子ども一人一人に人権があり、あなたが権利行使の主体者なんだよというメッセージはありません。

 吉田一郎氏(滋賀大学)は次のように指摘しています。

 心の持ち方を強要する教育は、精神の自由、内心の自由という人権の重要な基本原則に対する無理解を示すものであり、教育論としては観念的に自己改造を求めるものである。それを『責めたてる精神主義』と特徴づけることができる。…まじめで正直な子どもであればあるほど、『善性』に達しきれない自らを責める自虐的、自責的な気持ちをいだくであろう。

 …『善性』と『悪性』の観念的措定の非現実性、欺瞞性を敏感に感じる子供は、教師の前では善なる姿を見せ点数をかせぎ、そうでないところではそれを無視するというように『善』と『悪』を二面的に功利的に使いわけるであろう。(吉田一郎「『人権教育』と観念的道徳教育論」=「部落問題研究」143輯)

 第3に、人権問題の解決を教育に求めるものであり、「教育万能論」「教育決定論」である。

 子どもの持っている可能性を最大限にのばすという教育の営みを放棄し、特定の問題を解決するために教育をその手段におとしめるものです。子どもたちや国民を官製「人権教育」の教育や啓発の対象とする発想は、戦前において国民教化の役割を果たした教育の役割と同じ機能を求めるものです。子どもや国民が人権行使の主体であるという視点はありません。

 第4に、部落問題解決の到達段階を無視し、「同和教育」を「人権教育」の中に流し込みこれからも続けようとするものです。

 一部の学校では、「総合的な学習の時間」について、これまでの「人権・部落問題学習」をそのまま続ければいいのだと主張されています。従来の「にんげん」特設授業を「総合的…時間」としてそのまま続けるというその中に、生活の中に部落問題がなくなった現在の到達点を無視した「同和教育」をそのまま続けようとするものです。

 第5に、教育行政が特定の教育方法を推奨する、しかも「人権」の名において。これではブラックユーモアです。

 「教諭は児童の教育をつかさどる」(学校教育法)と規定されているとおり、教育実践は教員の権限です。「法的拘束力がある」とされている学習指導要領ですら特定の教育方法までは規定していないし、教員の裁量を認めているとしています。  教育委員会が特定の教育方法(型=パターン)を推奨することは前代未聞であり、それが「人権」の名で行われるのは大きな矛盾です。これまでの官製「同和教育」がそのままではやっていけないことから、新しい「型」に飛びついたものでしょう。しかし、そこで教育する内容は子どもたちの実生活の矛盾と切り結ぶものでなく、現実の社会の変革に参加するものでなく、机上の論議で「参加・体験」した気分にさせるだけのものでしかありません。それは、現実の社会にある問題の科学的な解明への努力から目をそらし、心がけの問題に解消するようにたくみにしくまれたものと言えるでしょう。  民主教育の中ですすめられてきた「生活綴方」という教育方法こそ、世界に誇る「参加体験」型教育方法ではないでしょうか。

(柏木 功)

部落問題学習と小学校の社会科教育(1997)

部落問題学習と小学校の社会科教育

 教育課題としての部落問題が解消しているにもかかわらず、大阪では解放教育における「部落問題学習」は依然として行われ、「特別な意識」を育てるものとなっている。

 ここでは、まず解放教育における部落問題学習とは現在どのようなものになっているかを紹介し、次に「小学校で部落問題をあつかわない」社会科教育でめざすものを明らかにしたい。

一、「解放教育」における部落問題学習

 大阪府教委は毎年『同和教育のための資料』を各学校に配布している。その1995年版に6年生の「渋染め一揆」の実践例がある。

 その教材観に「幕藩体制は…『士農工商』と『それよりも低い立場におかれた入々』という身分制度を作ってきた。…農民への厳しい締め付けは幕末になるほど、苛酷なものに発展した。飢饉がそれに輪をかけ、農民(とりわけ被差別部落民)への支配状況は、筆舌に尽くせぬものであった。このような社会状況のもとで、農民や町人の一揆、打ち壊しも増加し、幕府は体制維持のために被差別部落民への締め付けをより苛酷なものにしていった。…」とし、身分制の強調と“貧農史観”にもとづく実践を展開する。“暗く重い江戸時代”である。

 1996年版では「部落解放を担う子どもの育成をはかる教育内容の創造」がある。

 学力向上研究・学習指導形態研究(T・T)など教育活動全体でとりくもう としつつ、そのトップに「部落解放学習」研究をおいている。そのキャッチフレーズは「夢と希望を持てる部落解放学習」である。

 内容はと見ると、その学習は「部落の子どもたちの生き方を励ます学習とならなければいけない。…子どもたちが顔を上げ、瞳を輝かせるような取組みで終わらせなければならない」と従来の「部落解放学習」への反省しきりである。

 ところがすぐ後段に「今なお残存している差別の実態の重さや深刻さの認識にとどまるのではなく」と続き、「部落の果たしてきた『労働と生産のエネルギー』や『生活と文化創造のエネルギー』を学びとり、生命の大切さと人権の尊さを求めて闘い続けてきた人々の力強さやあたたかさにしっかり触れ、誇りと、夢と、希望の持てるような、部落解放学習の実践に努めてきた」とある。

 部落をとりまく環境の大きな変化を無視し、「今なお残存している差別の実態の重さや深刻さの認識」を子どもたちに求め、その結果引き起こされる子どもたちの抱く暗いイメージの克服を(記述がないのでもう一つはっきりしないが)近代・現代の社会問題である部落問題を前近代までさかのぼらせ、かつ、その「生産と文化」に求めるという二重三重の誤りをもつものとなっている。

 今なお子どもたちに「特別な意識と認識」を育てようとしているのである。つまり「誇りと、夢と、希望」などという口あたりの良い言葉で糊塗しようとしているにすぎないのである。

二、社会科のめざすもの

 では、「部落問題をあつかわない」社会科とは、社会科のめざすものとは何かを明らかにしていきたい。

 まず社会科とは何か、ということである。一言で言えば、社会のさまざまなできごとを関連づけて考え、みんなの幸せを追求できるモラルを子どもたちに身につけさせるものである。

 そのために、そして社会科をとおして子どもたちをかしこくするために、小学校社会科学習の中で(1)空間認識・(2)時間認識・(3)原因と結果の関係をとらえる力が必要である。

(1)空間認識を育てる

 空間認識は、子どもたちの「島の思考」から「陸地の思考」へと発展させるために小学校低学年から中学年で意識的に育てるものである。ここでは三年生「校区探険・絵地図づくり」の実践から紹介したい。

「校区探険・絵地図づくり」

 三年生の子どもたちにとって家のまわりや通学路の周囲、そして学校のまわりぐらいが知っている空間だろう。すぐ近くでも交通量の多い道路があれば、それに遮られ目と鼻の先にあるものでも気がついていないものだ。危険がいっぱいの地域でもある。校区といっても子どもたちの知りえている空間は限られている。

 そこで校区全域を“たんけん”することになる。授業時間だけでなく、放課後、家庭の協力も得ながら、グループで行う。

 彼らはかえるに出会えばつきあうなど地域の自然にふれながら、こわいおじいさんに会えばいたずらを叱られ、遊んだことのない小さな公園に目を輝かせながら、プリントに地域のようすを記して行く。

 商店が立ち並んでいる所・マンションの多い所、田畑が川ぞいの土地の低い所に広がっていることなど。

 このように子どもたち(人間)は、歩くスピードで空間を認識するのである。

 そして点から線・面として校区を知っていく。低学年で前後左右・上下をつかみ、三年生で東西南北、四方位を知る。

 教室では模造紙四枚の大きさの絵地図をグループで分担してつくっていくのである。ここで子どもたちは、調査した地域を絵地図に書き表し、立体の世界を平面にうつしかえるという抽象化する力を育んでいく。

 しかしすんなりとは絵地図に仕上がっていかない。

 と言うのは子どもたちの調査はすこぶる“主観的”なもので、ある子にとってグリーンマンションはスカイマンションの「向こう側」にあり、他の子には手前にあるのだ。両方とも事実なのだ。スカイマンションから見れば「向こう側」にあり、グリーンマンションから見れば手前なのだから。見る位置が定まっていないからなのである。そこで話し合いがつかず、もう一度フィールドワークをすることになる。視点を決めるということを学んでいく。

 このようにして、集団で調査し、集団で思考を高めながら、絵地図をつくるという目的に力を合わせていく。

 仕上がった絵地図から校区の中央部東から西にマンションが多くあり、真ん中に商店街、南側に田畑が点在していると校区内の特色をつかみ、住宅の多い校区全体の特色を知っていくのである。

(2) 時間認識

 時間認識は、「昨日・今日・明日」から「過去・現在・未来」へと歴史認識につながるもので中学年から高学年で意図的に育む必要がある。自分の存在しなかった時間があり、今の自分、将来があり、死がある、やはり自分の存在しない時間が続いていく。

 こういう認識は自分自身を相対化し、客観的な思考を伸ばすものである。思春期で「もう一人の自分」を発見する営みをはげますものである。今を、未来を切り開こうとする姿勢を育てていくのである。

 ここでは3年生の「地域のくらしのうつりかわり」(『どの子も伸びる』1991年6月号)の実践から紹介したい。
『竹やぶがつぶされる-地域のくらしのうつりかわり』

 この学習の前半は「戦争のころ」で、お墓しらべ・戦争中のくらしをとりあげ、後半は敗戦から校区にとっての「高度経済成長期」のころで、地域の変貌をとらえさせたいと考えた。地域のくらしの主役として、子どもたちに未来を見つめさせたいと意図した。

 ねらいは、

○くらしのうつりかわりを知らせ、時間認識を育てる。

○人々のくらしのねがいを知り、地域の主人公として未来を見つめる目の素地を育てる。

 指導時間は全20時間で、導入として学校のうつりかわりを5時間、戦争のころ6時間、戦争後のくらし・「高度経済成長期」9時間である。戦争のころ・高度成長期のころ・今の3つの時代を食事・勉強・遊びでくらべて、子どもたちに考えさせようとした。 「戦争のころのくらし-おじいちゃん・おばあちゃんの子どものころのくらし」

 おじいちゃん・おばあちゃんに、戦争のころのくらしのようすをどの子もたずねられるように、冬休みに聞きとりを宿題とした。その“いなか”が全国に広がっているのでじっくり聞きとってきてほしいと考えたのである。

せんそうの話

大樹

 きょうおじいちゃんの家に行きました。おじいちゃんにせんそうのときのことを聞くと、話しにくそうにしていた。

 おぼえているか、おぼえていないか、それともせんそうで悲しいことがあったのかもしれないけど、ぼくのために言ってくれたのかなあと思った。こたえる時も考えながら、いいにくそうにしていた。おじいちゃんはむかしのことだからおぼえていないと、ぼくは思いました。おじいちゃんに

「せんそうのころ、何を食べていたの。」

と聞くと、

「だいこんのはっぱ、まだいっぱいあった。」

と言いました。ぼくはだいこんのはっぱは食べられるかどうかわからないけど、むかしはそんな食べものしかなかったのかなあ、と思いました。

 おじいちゃんに聞き終わると、ほっとしました。なぜと言うと、おぼえていてくれなかったらしゅくだいができないから。おぼえていてくれてよかった。

 大好きなおじいちゃん・おばあちゃんからの聞きとりは、子どもたちにとって印象深いものになったようだ。おじいちゃん・おばあちゃんにとっても我が子には伝えにくいものでも、かわいい孫たちには語れるものだ。授業ではたくさんの子が勢いよく手をあげ発表していた。次にそれぞれの“いなか”のおじいちゃんの戦争にいった体験を、地域のお墓しらべに重ねた。そのフィールドワークのようすを日記から紹介する。

おはかしらべ

美里

 どんどをやったはたけの上の竹やぶにかこまれているおはかをしらべに行った。このクラスにも数人、おじいちゃん・おばあちゃんのおはかがある人がいる。とんがりぼうしがついているおはかは、せんそうでなくなった人たちだ。

 その中には学校の先生だった人もいた。ニューギニアとかルソン島のげきせんでせん死した人たちもいた。先生の話を聞いてかなしくなった。兄弟でせんそうに行ってせん死した人たちのおはかもあった。私はときどき(なんでせんそうなんかするんだろう、人がかなしむだけなのに。)と思った。せん死した人たちはきっと家に帰りたかっただろうな。

 私は次のように赤ペンを入れた。「そうでしょうね。今生きておられれば、あなたたちのやさしいおじいちゃんと同じようにくらしておられるでしょうに。」

 戦争中の食事・勉強・遊びでは戦争にいったことよりいっそう活発に発表する。そのおわりに、

T どんな時代だったか考えてみて。戦争にいったクラスのおじいちゃんを調べましたね。校区のお墓も調べました。戦争中のくらしも調べました。戦争のころのくらしはどんなだろう。

C 今とくらべて貧しい。
C 今ではありえないくらしをしていた。
C 大変。
C 特に爆弾、戦争であぶなかった。
C 食事が少ない。
C 遊びで戦争ごっこがあるから、戦争にいって死にたいみたいだ。

T 戦争て何だろう。

C 殺し合い。
C 死にいくため。
C 戦争で貧しいから、生きるの大変。

 子どもたちは今の生活とくらべて考え、戦争のころをまとめた。戦争とは殺し合いで、命・もっとも基本的な人権が奪われていたということをである。

「戦争後のくらし-お父さん・お母さんの子どものころのくらし」

 戦争中のくらしと同様に子どもたちに聞きとらせた、今度はお父さん・お母さんだ。その出身地は北は北海道、南は鹿児島に広がっているので、まず「生まれた場所しらべ」、ついでなぜ大阪に来たのか、そしてどうして校区にうつり住むようになったのかを、今の校区のくらしへと絞りこむように学習していった。

 どうして大阪にいるのか考えた。

C お父さんは広島から引っこしてきた。

T お父さんは、お母さんと結婚してここに来たの?
C だからね。お母さんがね、大阪にいてね、飲みに行ってね。その時に会ってね。それでなんとか…。お父さんが広島にいてて、こっちに会社を見つけて、それで出会った。会社の社長さんの家でくらしていた。

T ふうん。そうなの。他にどうですか。
C ちょうど仕事をするところが、大阪やから。
C 大阪に働きにきた。
C 大阪の大学に入りたかった。

T 大学が終わったら、いなかに帰ったら。どうして大阪に住んでいるんだろうね。
C いろいろめんどくさいから。(親の所に帰りたいよ)
C 鶴間君は、なぜ大阪なの? 前は名古屋だったのに。
C 転勤。(おれも転勤)(転勤)

 そして、子どもたちが親から聞きとった「大阪に住んでいるわけ」を発表。

 わたしの家のお父さんは、岡山の方であんまりいい仕事がないから、大阪の仕事をさがして、住んでいた。お母さんはそのまま校区だから、はじめから大阪に住んでいます。 (ひとみ)

 …ぼくはお母さんにどうして大阪に住んでいるか聞いた。そしたら「ちょうど仕事する所が大阪やから。」とか言った。ぼくは大阪は空気はひでえけど、とてもべんりなものがあるから、大阪に住んでてよかった。(大智)

 お母さんとお父さんは福井県から大阪に引っこしてきた。

 なぜ引っこしてきたかわけを言うと、お父さんの仕事が大阪だかち引っこしてきた。今日は、お父さんが盛岡からかえってくる日だ。お父さんは盛岡にいるときはコートをきながら、こたつに入っていた。わたしはこういうふうに思った。(そんなに盛岡はさむいのかな。)と思いました。お父さんはかえってきたら、ねてしまいました。(ゆか)

 一番のわけは仕事らしいということがわかった。しかし子どもの発言や発表からストンとおちていたわけではなく、どうやらそうらしいという程度である。三年生の子どもたちの発達段階では、これが限界で無理なようだ。(この次に実践した時には仕事との関係は追求しなかった。)よりよいくらしを求めて大阪へ、ということで十分だと考えられた。

 つづいて「お父さん・お母さんの子どものころのくらし」にうつり、子どもたちがとりわけ集中したのが遊びだ。

 お母さんの子どものころ

果南

 …家にはテレビがないので、外であそんでいた。外ではたんていごっこ、かんけり、ゴムとび、石けり、宝島などをしていた。…おふろはまきをわって、もやして、おんどをちょうせつする。お手伝いもよくしたという。お母さんが生まれた時、お父さんがくりの木をうえた。小学生になるころには、家の屋根より高くなっていた。お母さんは犬をかっていた。体が大きいのに「まめ」という名前だ。こわがりやでかみなりや花火の音がこわくて、「キューキュー」と鳴いている。にわとりもかっていた。だからお母さんは今でも鳥肉が食べられない。やぎもかっていた。草もいっぱい食べた。台風の時雨戸をしめて、われないようにガラス戸をおさえる。てい電の時はろうそくですごした。

かんそう

 わたしは、動物たちと近くにいられるので、うらやましい。マンションなので動物はかえない。わたしはまきをわってみたい。どんな手ごたえがするのだろう。

 このような発表のたびに、子どもたちは好奇心と羨望の思いで聞き入っていた。

 この後、「市の人口の変化とクラスの友だちの家が今のところにうつってきた年」「校区にうつってきたわけ」「北山田小学校区の一〇年」「吹田市の人口の変化と校区」とつづき、実践の最後に「お父さん・お母さんの子どものころとあなたたちのくらしでちがうこと」を考えた。子どもたちの多くは遊びにふれ、考えていた。

 竹とんぼ・竹馬・お手玉などの遊びと今のファミコンやミニ四くと全ぜんちがう遊びをやっている。遊びなんかは電池・電気などを使っていないけど、今は電気・電池を使っている遊びが多い。(聖子)

 食べ物が今とくらべてしゅるいが少ない。魚のにものなどが多かったようだから、今の子どもにくらべてカルシウムが多い。たん生日にケーキではなくてバナナやカレーライスが多かった。家も木造で、道は土や石がまじっていた…。(靖史)

 …むかしは野原や空き地・川などがあった。今ではそれをどんどんこわし、家やマンションをつくる。遊ぶところが少なくなる。いやだ。ぼくはうっといと思う。なぜこわすんだろう。いやだ。(遙)

 ちがうもの-遊びや食べ物や着るものとか、林や空き地とかがあって家も少ない。思ったこと-お父さん・お母さんの子どものころは、わたしたちのくらしがいいと思っただろうけど、わたしは今よりむかしの方がいいと思います(絵里)

 「今よりむかしの方がいい」と思うのは、今の遊び・勉強をくらべて考えているのだ。

 思ったこと

祐二

 つくしをとった。竹やぶも万ぱくのところもつぶされるだろうな。ぼくは竹やぶがなくなる前から思った。ぼくはつぶされてから、(やっぱり。)と思った。それからカラスも竹やぶがなくなって、ゴルフのところの竹やぶしかのこっていない。だけどカラスははいりきれなくて、学校にもばいきている。これいじょう竹やぶをこわすと、学校をうめるまで、カラスがくるかもしれない。ほかにも竹やぶにへび・虫・ほかの鳥もすんでいるかもしれないのに、どんどんこわす。ガレージやビルのために、いっしょうけんめいなん年もかけてのびた竹がかわいそう。

 子どもたちは「今」を生きる存在である。地域はなくてはならないものだ。お父さん・お母さんの子どものころとの遊び・くらしのちがいから、子どもたちは今の遊びの貧しさを知り、遊び場の少なさ・緑の少なさなどに、今後の地域の「開発」の進展にともなっていっそう目をむけていくだろう。”今とちがう昔がある”ということをしっかりつかんだだろうから。

 そして子どもたちの遊びたい、のんびりしたいというねがいを大事にしたいと思う。というのは、子どもの自主性を育む、ひいては主権者意識を育てることの大切さがよく言われる。しかし、そのもとになる子どもたちのねがい・要求は大事にされているのだろうか。日常のねがい・要求が実現されていくつみかさねにもっと目をむけていきたいと思う。社会科学習の中でも子どもたちのねがい・要求を育んでいきたいと思う。知りたい、調べたい、ともだちといっしょにというねがい・要求を。

(3) 原因と結果の関係をとらえる力

 原因と結果の関係をとらえる力は、どの学年でもそれぞれの段階で育てられなければならないが、やはり論理的な思考が芽生える中学年以降が大切であろう。小学校でどの程度までという吟味も忘れてはならない。ややもすると発達段階を無視して教え込む、その結果「徳目」におちいる実践になってしまう例が見られるからだ。

 ここでは4年生の「地域の開発」の実践(『どの子も伸びる』1992年3月号)から紹介したい。

『何のため?だれのため? -ため池と人々のくらし』

 これは、地域に点在するため池の歴史を学び、ため池に託したくらしのねがい、埋めたてられていくため池の現状をつかみ、くらしの主役として地域の未来を考えてほしいとねがった実践である。

 この単元は開発教材とよばれている。現代の開発は、とりわけ高度経済成長期のそれは、自然破壊・環境破壊と同義語である場合が多い。地域に住む人々の現在・未来のくらしを展望するのにふさわしい教材を用意しなければ、主権者としての資質・能力を育てることはむずかしいと考えている。

 そこで地域の問題は、現代日本のかかえる問題と重なるという視点から、過去・現在・未来へ連なる歴史認識・社会認識を育てるものにしたいと構想した。

 ため池をとりあげたのは、

① 子どもの日常の生活で目にふれるため池を扱うことによって、子どもたちの興味・関心を高めることができると考えたからだ。

 そして② 子どもたちのなじみ深い公園は自治会所有のため池の一部を埋め立てたもので、その他の埋め立て部分は駐車場・自治会施設・住宅となっており、現在の開発の典型的表現となっている。そこから過去のため池と人々のくらしを学習することによって、

 ③ 地域(ため池)のこれからを考えることができると構成した。

ねらいは、

○ ため池には、くらしを豊かにしようとした地域の人々のねがいがあったことを知る。 ○ 現在のため池のようすを知り、くらしを豊かにするために地域の開発に関心をもつ。

 指導計画は全13時間で、昔の吹田市と校区のため池を調べ、たくさんのため池があったことを知る。(2時間)

なぜたくさんあったのか考え、校区のため池を調べる。(5時間)

ため池をつくる苦労とそのねがいを考える。(4時間)

今の吹田市と校区のため池を調べ、たくさん埋め立てられていることを知り、これからのため池のあり方を考える。(2時間)

ため池をしらべる-”何のため”

s1 まず校区のため池の数をプリントに色をぬりながら調べ、市全体でどの位あったかを予想。三千から四千あったと知らせると驚く。再び予想。「なぜ、こんなにたくさんのため池があったのか」(資料1)を考え、その証拠を見つけるためにクラスごとにフィールドワーク。(降水量の少ないことは後で学習する。)

 調査で子どもたちは「池の中に十字かみたいなくいがあった。そしてそのまわりに水の流れる場所があった。くいはきっと水のせんだろう。」(佑奈)だから田に入れる水をためるためだと。池の南東にも水門があり、用水路が続いている。たどっていくと、何枚も田があり水を引いている。

 その先に野田さんの田がある。野田さんの田は用水路より高い所にあり、子どもたちはその田の上に「池がある」のを見つける。そこにも“十字架”があり、樋がありうわびもある。池の下に田、その下に池・田と土地の高低を利用して、水を無駄にしないしくみを見つけたのである(資料2)。

s2 教室で証拠から何のために池があったのか確かめた。

s3 「田」「田」「田んぼの水」「田んぼの水」と口々に子どもたち。ことばでそのわけをはっきりさせたくて「その証拠を言って」「まわりの池の
近くに田んぼがあったし、そこに水門があって、田んぼにつながっていた」…というわけで、子どもたちみんなが、田んぼに使う水をためるために池があるということがしっかりとわかったのである。樋・うわびなどの説明をした。十字架を抜くと、池の底から(池の水を残さないで)水が流れ出す、支えている土も水の勢いで流れてしまう(資料3)。

 野田さんの二つの池と四つの田とのしくみを大きくしたものが山田地域全体にある(資料4)。

s4ため池の歴史-“だれのため”

 ため池は“だれのため”のものか、池の歴史を学習。その資料として使ったものが古文書や民話。今とはちがうさむらいの世の中を考えた。

ため池がつくられた

 今からおよそ三〇〇年前(さむらいの世の中)に、岸部でため池をつくったという記録があります。村人たちは、自分たちでお金を出したり、借りたりしたのですが。

「わたしたち(村人)は、『池のそこにしずんでしまう田や畑の年ぐはおさめますから、ため池をつくらせてください』と、との様にたのみました。ゆるしをもらい、たくさんのお金を借りて、ため池をつくりました。でも、借りたお金を返すことができません。少しでもお金を返したいので、池になってなくなった田や畑の年ぐをまけてください。」

※年ぐ…との様にはらうぜい金

 どんなねがいでつくられたのか考え、そして水不足がなくなったのか予想、「池の水を使っている田んぼの広さ(資料5)で調べた。

s5 池の水を使っていた田は斜線部分で、ほぼ一〇倍の広さであることをつかみ、深くほれないので、あまり水をためられないことがわかった。子どもたち全員が「水不足は少しなくなった」。そこで水争いの民話『殿池のがたろ』の読み聞かせ、ため息や「ああ、おもしろかった」と子どもたち。よくわかったようだ。

 さむらいの時代について、米は主食・人口のほとんどは農民・年ぐは米ではらう・一揆などについて説明した。一揆の民話『身代わり入牢』は社会のしくみにかかわる内容で、子どもたちにはむずかしかったようだ。
ため池の変身を考える

-“何のため”“だれのため”

s6 「ため池の変身」(資料6)を使って、クラスの半数以上が住むマンションから二、三分の所にある引谷池、よく遊びに行く引谷公園を取り上げた。

 引谷池の埋め立てられる前と後をくらべさせ、色をぬらせた。公園は緑・住宅は黄色・駐車場は赤という色分けで。その色分けにしたがって、校区とその周辺の池のようすにも色をぬっていく。

 そして、「今この地域に住んでいるわたしたちのくらしをより豊かにするために、ため池をどんな姿に変身させたらよいでしょう」とたずねた。

全部変身(全部埋め立て)13人・一部変身(一部埋め立て)8人・変身させない(埋め立てない)12人となった。

全部変身

ため池をうめたてて、空き地や遊び場をつくってほしい。北グランドをつぶされて野球をする広場がなくなったから。(亮)

公園。万博みたいな緑の多い所でお金を出さなくても入れる公園、ため池をうめる。(聖子)

一部変身

ため池は半分おいといて、遊び場がへってるからはらっぱや公園とかにしてほしい。(佑奈)

ため池をちょっとうめる。みんなが幸せになる店、このへんになくて遠くにある店(デパート)。残ったため池はそのままにしておく。(ひとみ)

変身させない

王子池はこのままでいい。これ以上マンションがたったら、池が全部なくなってしまうから。(勇)

べつに変身させたくない!だけど今の池はとってもごみとかういていたり、にごったりしてきたない。だからもっと生きものたちがいっぱいすめて、きれいな池にしてほしい。(彩花)

 次時は今までの学習での知識・思考をクラスの友だちとの話し合いをとおして、いかに選択して自分の考えにまとめるかがねらいとなる。「全部変身・一部変身・変身させない」に分けて、グループにした。グループの中で一人ひとりの意見を出しあって話し合い、グループとしての意見をまとめた。

T 班の考えがまとまっていない班は、発表する人が自分の考えでおぎなったり、他の人がつけたしたりしてください。はい、発表して。

典子 田んぼを埋め立ててまでつくったため池だから、あまり埋め立てたくない。これ以上自然破壊すると空気が汚れるから、遊び場がへるから埋め立てないでほしい。

聖子 全部埋め立てたら田や畑に水をおくれないし、田畑がなくなったら食物がなくなるし、埋め立てなかったらみんなで楽しめる場所がないし、半分にへらしたらと思います。自然のあるみんなが楽しいものをつくればいい。

祥吾 どうせ一個ぐらい埋め立てるなら、老人総合センターや公園とか役にたつものをつくった方がいいから。水をきれいにして、生き物を育てればいいと思う。

(埋め立てない、そのままがいい)

(池はそのままでいい。王子池をつぶすな。)

晋典 これ以上マンションはいらん。魚たちが死んでしまう。それだし、昔の人が牢に入る思いでつくったからつぶすな。

(全部埋めたいところだ)(おそろしいよ)(何が)

香帆 山田は緑が少ないから、埋め立てて、お年寄りから子どもまで楽しく遊べる公園、緑のたくさんある公園をつくればいい。だって緑がたくさんある所といえば、万博しかないから。

憲司 半分は農民、ため池をつくった農民に関係のある博物館をつくればいい。

武 自然破壊されているから、自然の多い広場をいっぱいつくって遊べばいい。

T さあ、みんな。発表を聞いてどう思ったかな?

(やっぱりおれたちの意見)

T 全部変身、一部変身、変身させないとあるんだけど、みんなが同じことを言っていることがあるんだけどねえ。

C 広場や公園、遊び場。

C 自然…。

 話し合いは続くが、最後に一人ひとり考えてどれにするか挙手させた。その数が板書に記されている(資料7)。結局、一部変身が29人と多数になった。

s7 共通している「これ以上マンションはいらない」と「緑・自然、遊び場・広場」がほしいというねがい、安易な開発に否定的というところでまとめられると思う。

 この授業の後、学習全体をふりかえっての感想文を子どもたちに書かせた。そこでも多くは一部変身であった。

ため池と人々の苦労

絵里

 私が最初わかったことは、ため池をつくる苦労です。昔は今みたいに機械がないから、農民たちもすごく苦労して、やめたくなったかもしれないのに、それでも年ぐをはらうためにあきらめないでため池を作ったから、(すごいな。)と思いました。今まで、ずっと昔の人たちが作ったため池で水を引いて、お米を作っていたなんて、まるでため池やたあ池を作った人々にありがたみを感じました。

 でも人々が苦労して作ったため池をつぶして、建物とか作ってしまうと、人々の苦労が水のあわになってしまうけど、その建物とかが役に立つんなら、その作った昔の人々の苦労も水のあわにならなくてすむと思いました。

 この実践で地域の主役の一人としてため池の未来を考えた。子どもたちの多く(85%)はマンションに住んでいる。竹やぶ・田んぼをつぶしてできたものだ。学校もである。

 でも今を大切にする視点、そこから過去をふり返り、未来を見つめることを学んでいったのではないかと思う。

 それは昔の人々も地域のくらしを豊かにとねがってつくりかえたのであるし、埋め立てる場合も今の地域の人々の生活を向上させるためのものであるはずだ。昔も今もそして未来も。そして子どもたちの当然の権利としての遊び場・空間の要求がある。地域はみんなのものという視点、主権者意識を育てたと考えている。
人間が社会をつくる

 空間認識・時間認識・原因と結果の関係をとらえる力、このような力を育てていくことによって、社会には自然の世界と人間が意図的につくった世界とがあって、その大部分は人間が意図的につくったものであることがわかるようになるのである。

 つまり社会を合理的にみんなの幸せを追求できるものにできる、可能であるということを子どもたちの認識とモラルにすることができるのである。

 6年生になって、歴史学習、くらしとむすびつけての憲法学習を学び、”人々のくらしを高めようとするねがいによって、社会は発展してきているのだ”という小学校社会科のめざすものが完結するのである。その際、どの学年でも見える世界を手がかりに、見えない世界にわたらせることに意をつくす、具体的な思考から抽象的思考へという原則が大事にされなければならないのは当然である。

 紙面の関係で、小学校の各領域でのねらいにふれることができなくなってしまった。

 ひとつだけ簡単にふれておきたい。それは、各領域でのねらいの中でとりわけ、近世をどうとらえるのかが問題になっていることである。

 私たち「どの子も伸びる研究会」では、九六年二月に機関誌で『人権と民主主義の教育実践』の特集をくみ、その中の一つ、人権認識と社会科と題して、和歌山のすぐれた実践をかこんで子どもたちに与えるべき江戸時代像を追求した。

 「江戸時代を身分、身分制の学習にしない。その前提に農民の生産への努力、民衆のくらしを高めようとするねがいが社会を発展させたという時代のイメージをつかませる必要がある」と論議がすすんでいる(『どの子も伸びる』1996年2月臨時号)。

 そして社会科嫌いにふれて、どう社会科を魅力的にしていくかについても簡単に述べておきたい。

 そもそも子どもと教育をとりまく現状において、子どもの要求・ねがいが育まれていないために、くらし・社会へのねがいは育ちにくくなっているのではないか。その上に大人にとって今の社会の分析がむずかしいので、“今を生きる”子どもたちにとって、何のために社会科を学ぶのかという動機づけが大事になっていると考えている。
おわりに

 『どの子も伸びる』1984年3月号に「小学校社会科の部落問題学習」として、故・南部吉嗣氏(大阪歴教協委員長)は次のように述べている。

 「大阪で言えば、今だに副読本『にんげん』が府下全部の小中学校に無償配布され、その使用が強制されている。

 その『にんげん』に強調されていることは、

1、部落を特殊化し、その実態を停滞的に見て、進歩発展の姿をとりあげない。

2、部落の人々と他の人々を区別して、一般民衆を差別者としか見ないこと(部落排外主義)。

3、子どもの認識のすじ道を無視して、早くから部落の知識をつめ込むこと。

4、日本の歴史の中に正しく部落を位置づけないで、部落の歴史だけを特殊化して強調して教えようとしていること。

5、誤った解放理論を持ち込み、解放同盟の運動の論理で教育現場を支配しようとしていること。」

 それから、十数年たっている今、小学校の「部落問題学習」をおわらせ、「特別な意識と認識」は克服されなければならない。

出典:部落問題研究 第140輯(1997年8月)/部落問題研究所・刊

(個人名は仮名にしてあります。)

部落問題と人権認識について

部落問題と人権認識について

どの子も伸びる研究会 めざすもの

i 部落問題をめぐる運動と行政と教育

 部落問題とは、封建的身分制の遺制として残存してきた「未解放部落」(被差別部落・同和地区)にかかわる差別・人権侵害の問題です。

 戦前の水平社の運動は、戦時体制の進行のなかで消滅してしまいますが、戦後、新たに部落解放委員会から部落解放同盟へと再出発した運動は、勤務評定反対、安保闘争、三井三池闘争など大衆とともに闘う方向性を持ち、部落問題に対する関心を喚起し、政府の同和行政の取り組みを促しました。

 政府・自民党はこれらの運動の広がりを未然に防ぐため、逆に同和対策の積極化をはかり革新抑止策として政治支配に利用します。一つは対策の実施に「国民運動」の形を取らせること、二つは同和対策予算(補助金と特別交付金)をてこに部落解放同盟の指導部主流を補助金行政の道へと誘導することでした。指導部主流による批判者排除が始まり、組織は分裂します。こうして行政と一体になった解放運動(物取り主義)が開始します。合わせて、この時の指導部の行政主敵・報復主義的傾向は、地方自治体財政を破綻させることも辞さないかたちでエスカレートしました。

 当時の学校現場では、解放教育を主張する人々が猛烈に市の教委員会や校長を糾弾していたかと思うと、しばらくしたら、解放会館の館長や市の教育委員会に入るという現象に現れました。最近表面化した芦原病院や飛鳥会の不正問題などもこのような構造から生まれたものです。

 他方、正常化連から発展した全国部落解放運動連合会は窓口一本化の是正など行政の歪みをただす一方、ゆきすぎた糾弾闘争を批判し、住民自身による地域変革・融合の道を対置して運動をすすめました。

 「部落問題」をめぐっては、解放教育論の立場からは、「部落民宣言」が最高の社会的立場の自覚とされ、差別を固定的なものとする指導がなされました。地区子ども会、地区学習会、狭山学習、同盟休校など当時「解放の戦士」をつくるとまで言われました。大阪府も、そうした意図のもとに作成された解放読本「にんげん」を配布し、各市での同和教育研究会も同じような方針をとりました。

 言うまでもなく、解放教育論の誤りは、部落問題を別格化・特殊化し、ありもしない虚構「部落民」を強要し、教育を運動の道具にした点にありま す。

 解放教育論に対峙する教育論は、同和対策事業以前に行われた自主的民主的同和教育の継承と文部省の反動・融和政策に対する批判、合わせて部落問題の別格化・特殊化を廃し、部落問題の解消過程に沿う実践提起となりました。

 後に「どの子も伸びる研究会」に発展する「同授研」は、その時々においてそれらの方向性を示す「めざすもの」を公にする一方、生活綴り方による生活認識と文学による人間認識と社会科による社会認識の重要性を指摘し、人権認識を高める実践の探究を広げていきました。

 部落問題が進学・就学・結婚・居住などでも解消しつつあるなかで、矢田事件を始めとする数々の解放同盟による暴力的糾弾の誤りも裁判の結果を通じて明らかにされ、利権あさりも社会的批判を浴びるようになりました。同和を冠する法律も終わりをつげ、同和問題は人権教育・啓発推進の課題とされるに至りました。

 部落問題は歴史の一部として、自由と平等、生存権獲得の歴史として記述される以外は、特別な行政、運動、教育はかえって特別な意識を生み出すのではないかという段階にさしかかりました。

 「すべての子どもたちを主権者に育てる」取り組みの一層の前進が期待されるに至りました。

ii 人権認識は社会認識を前提にするもの

 人権とは「人間が生まれながらに持っている、他から侵されたり、そこなったりすることのできない「自由・平等などの権利」と言えます。

 とすれば、今の世界はどうでしょうか。世界人口の二〇%は貧困から抜け出せず、戦争や政治的弾圧がいたるところで起こり、言論の自由も危うい状態です。日本の社会も格差社会に移行しつつあります。人権の価値や内容はその地域や時において変動すると言えるでしょう。したがって、「世界人権宣言」や「児童の権利に関する条約」(子どもの権利条約)など国際的に合意された「普遍的な人権」もそれぞれに異なる地域や時に相応しく具体化ざれて豊かなものになるでしょう。

 とすれば、人権認識とは社会認識を前提にするもの、もう少し丁寧に言えば、抽象概念をともなう「人権」についての認識は、社会認識を構成する歴史的認識や現実認識など社会についての認識と互いに関連しあって深められていくと言えるでしょう。人権認識は、「ほんとうのことを暮らしに根ざして」を軸に形作っていくべきだと思います。また、現実の人権保障レベルが人権意識を規定することも直視し、レベルを向上させ、人権を日常レベルで感得させることも大切と言えるでしょう。

 ところで、政府が言う「人権教育・人権啓発」の「人権」とは、このような社会認識とかかわるものではなく、同和対策の延長線上に位置つく「差別意識」の解消を内容とするものです。人権擁護推進審議会が一九九九年に出した答申でも、要するに、さまざまな人権問題のうち、「人権尊重の理念に関する国民相互の理解」を対象とすると書いていることからもわかります。例えば、そのもとで実践化される「人権教育」は、「人権」概念を倭小化したものにならざるをえません。「参加型体験学習」や「人権総合学習」なるものが、実生活から遊離し、道徳と一体のものになっていることもここに起因していると思われます。

 本来の人権は、国民相互の間にある問題だけでなく、公権力や企業などとの間に生起する諸問題もふくめてとらえなければなりません。それらは、やはり社会認識のレベルと密接に関係しています。

月刊誌「どの子も伸びる」掲載

全国人権教育研究協議会を批判する(2014)

基本的人権の尊重(憲法)を歪める全人教
―全国人権教育研究協議会を批判する―

編集・発行/大阪教育文化センター「部落問題解決と教育」研究会

(全人教全国研究大会報告冊子から引用する場合は、大会開催年と報告県名のみ明記した。報告に地名が書かれていても、引用では○○と表示した。)

1.教育に運動を持ち込んだ全同教

(1) 部落解放同盟の別働隊に転落
 参加した研究会は多様な組織だった

 全国人権教育研究協議会(略称 全人教)は、1953年、全国同和教育研究協議会(略称 全同教)として発足した。当初から参加県市の研究会は多様で、自主的な研究団体として活動していた県、官製団体であった県、運動団体によりかかっていた県などがあった。

 全同教は多様な実態を尊重し、自主的な研究や地域に根ざす実践を大切にし交流していた時期もあった。
解同の別働隊に転落

 しかし、1960年代後半から1970年代にかけて、部落解放同盟が暴力と利権追求にのりだした。次ページに紹介するように、全同教もまた部落解放同盟の運動を教育に持ち込む団体に転落し、自主的な教育研究団体とはいえない状態になった。

 15兆円をかけて同和対策事業が行われ、環境は激変し差別解消へ大きくすすんだ。一方、事業を継続する限り問題が解決しないというジレンマを抱えていたこともあり、2002年、特別法は終了した。「同和」と名のつく特別な教育は終わらせようと解散した組織もある(和歌山県同教99年、広島市同教01年)。

 全同教は2009年、一般社団法人への移行とともに全人教へ名称変更、2011年に公益社団法人の認可を受けた。全国大会は「人権・同和教育研究大会」としている。

(2) 「解放教育」という運動の持ち込み

 全同教は1966年の第18回全国大会アピールで「解放運動と同和教育の結合」を掲げた。

 同和対策審議会(同対審)答申が1965年にだされたが、答申は「同和教育を進めるに当たっては、『教育の中立性』が守られるべきことはいうまでもない。同和教育と政治運動や社会運動の関係を明確に区別し」と、教育に運動を持ち込むことを戒めていた。

 これに対し「子どもたちの学習権保障のためにはいっそう教育と運動を結合すべき」「自己の社会的立場の自覚」などの「解放教育」が提唱されはじめた。全同教も「解放運動と同和教育との結合をさらに強め」ようと決議した。

(3) 「狭山事件」を教育に持ち込む

 1970年の第22回全国大会では狭山事件の石川一雄氏の「訴え」が読み上げらた。翌1971年の大会では「大会アピール」に「無実の石川青年を釈放させる運動と行政糾弾の闘い」と書いた。

 1972年の「大会アピール」は「『矢田教育差別事件』を通じて…部落解放運動と結合していくことなくして部落解放の教育創造はありえないことを全同教は明らかにしてきました。」「司法権力の予断と偏見によって、石川青年は獄窓に」などと書いていた。(※「矢田事件」は次項参照)

 1976年の大会アピールでは「権力裁判を糾弾する『狭山』同盟休校闘争を、教育への介入とし、部落大衆と労働者、父母、国民を敵対させる、私達の内部にある一部の傾向は、早急に克服されねばならない」とまで書いていた。

 2012年の研究課題では「狭山事件をとりあげ、石川一雄さんの生きざまに学ぶことができます。」としていた。2013年の研究課題から「狭山」は消えたが、記念講演の注や報告では取り上げている。

▼ ○○は今年の校内人権集会(「狭山」現地調査報告集会)で「狭山事件は殺人事件ではありません。部落差別事件です」と力強く語った。(2013年 熊本県)

▼ 職員室には「○○中学校から第2の石川さんを出すな」という「狭山」の教訓を継承し、すべての子どもたちの学力を保障しようという教師の姿勢を確認するため「石川一雄さん逮捕」の写真が貼られています。(2012年 奈良県)

 まだこんな学校がある。堂々と大会で報告し、全人教も平気で冊子に収録している。その大会を文科省や各県が後援している。

(4) 全同教は「部落解放同盟」の暴力を容認してきた

矢田事件 解同の暴力を容認

 1969年に引き起こされた「矢田事件」は、労働条件改善を訴えた大阪市教員の文書を部落解放同盟(解同)が「差別」と決めつけて教員を拉致糾弾し、市教委に首切りを要求、市教委は教員に長期間の研修を命じた事件である。最高裁は拉致糾弾した解放同盟員に有罪の判決、大阪市には損害賠償を命令する判決をくだした。1986年の最高裁判決は「差別文書」だとする大阪市の主張を退け、研修命令は裁量権の範囲を逸脱したものと明確に認定している。全同教が「矢田教育差別事件」と表現するのは解同の認識であり、すでに断罪されている。教育委や解同と異なる考えを表明しても差別ではない。

八鹿高校事件 解同の暴力を容認した警察・行政・マスコミ・そして全同教

 1974年11月、兵庫県立八鹿高校教職員58名が、解同による集団リンチを受けて重軽傷を負うという事件があった。(最高裁で解放同盟員は有罪、兵庫県と解同は損害賠償を支払えとの判決が確定している。)。

 全同教はこの時、京都出身の副会長らの反対にかかわらず正副委員長見解を発表。翌年2月の全同教委員会でそれを全同教見解とした。見解は八鹿高校教職員に非があるように描き「解同」の集団暴力を正当化するものであった。当時、三重・滋賀・和歌山・京都・岡山の5府県同教が見解の採択強行に抗議した。全人教は今日にいたるまでも、暴力容認の決議を撤回していない。

2013年全人教大会でも、特別分科会で講師が教育の中立性確保を非難

 2013年11月に徳島で行われた全人教全国大会でも運動の持ち込みは続いている。

 徳島大会の特別分科会第1講の講師(元全同教委員長)は、「激しかった同和教育攻撃」として、地域改善対策協議会の文書や総務庁地域改善対策室の通知を例にあげている。その文書は下に紹介するように民間運動団体の教育介入を厳しく批判している。教育に介入する民間運動団体とは部落解放同盟である。

 教育の中立性確保という当たり前のことが通用しないのが全人教の「同和教育」である。「公益社団法人」として認可されたという全人教のどこに「公益性」があるのか。

 地域改善対策協議会基本問題検討部会報告書

 同和教育については一般住民の批判的な意見も多いが、この背景には、地域によっては民間運動団体が教育の場に介入し、同和教育にゆがみをもたらしていることや同和問題についての住民の理解が十分でないことが考えられる。同和教育の推進に当っては、住民の理解と協力を得るよう努めるとともに、教育と政治・社会運動との関係を明確に区別して、教育の中立性が守られるよう留意し、行政機関は毅然たる姿勢で臨むこと。指導に当たっては、教育の中立性を確保する方策が明確に示されるべきである。(1986(昭和61)年8月5日)
 (地域改善対策協議会は総務庁(当時)のもとに設置された審議会)

2.教育で「部落」を分けへだてする全人教

(1) 学校が「部落」を意識させている

 大阪府の調査では「同和問題をはじめて知ったきっかけ」が「学校の授業」というのが20代、30代、40代で過半数(2010年府民意識調査)。埼玉県中高生意識調査では初めて知ったのは学校が82%(2010年調査)。

 全人教は基調提案などで「部落の子ども」「部落外の子ども」などと子どもを色分けしている。各地の報告も依然として「同和地区」「被差別部落」「ムラ」と呼称し、子どもたちを「部落出身かどうか」を意識している指導者のまなざしがうかがえる。

▼ ○○さんと語る中でわたしは、部落の子どもたちがいつか部落差別と向き合う日が来ることを意識するようになりました。(2013年 鹿児島県)

▼ 3年生で再びAの担任になった。今度こそは部落問題の話もしていきたいと思い、4月早々、家庭訪問を申し入れた。お母さんから「なぜ、うちなのか」「点数稼ぎのためか。」と返ってきた。(2013年 三重県)

▼ 6年生のA子は、普段から、「なんで○○の子どもだけ、学習会にいかんばいかんと?」と言って半ば強制されることに対して明らかにいやがっていた。(2013年 佐賀県)

▼ Bの母親は同和地区出身である。母親は他地区の男性に嫁いだが、Bが幼少の時離婚し、実家に戻った。(2012年 岡山県)

▼ ○○地区・○○地区・○○地区と三つの地区公民館があり…。…○○地区・○○地区には部落があります。…ムラ出身でない私はなじめていませんでした。(2012年 鳥取県)

▼ 願い出て「ムラの子が顔を上げられる授業」を目指して江戸時代身分制の授業をさせてもらった。しかしその後の授業の後で差別発言があった。本校の課題は、ムラ以外の子どもたちがともに反差別の仲間になる授業だと気付いた。 (2012年 宮崎県)

▼ 私は「部落出身であるAこそが部落問題を学ばなければならない」と考え、Aに部落出身であることを伝えた。(2011年新潟県)

 大阪からの報告には、「同和地区」や「被差別部落」という言葉は出てこない。それは大阪における部落問題解決の到達点や府民の批判の高まりを反映した結果である。

大阪府教委「ムラ」などは使用しない

(民権連)府教委とすでに決着ずみの「ムラ」「むら」“むら”などをやめさせること。

(府教委)ご指摘のような表現による誤解や偏見を避けるため、教材の見直しを行いましたが、今後とも、使用しないように取り組んでまいります。(2012.3.13 民権連の府教委交渉での回答)

 「民権連」は「民主主義と人権を守る府民連合」の略称(全国人権連に加盟)

※府教委は人権教育指導資料を配付しているが、その小学校向け教材では「部落」「同和地区」などの言葉はいっさい使用していない。

(2) 展望でなく恐怖を育てる全人教

 半世紀以上前のごとく、全人教は「差別がある」「差別される」と不安をあおっている。その結果、「学習経験を積むほど、『就職差別や結婚差別は将来もなくすことは難しい』という悲観的な意識が広がったということも指摘しておかなければなりません。」(大阪府民意識調査分析編p73・74)という事態を招いている。地域の状況は激変し、国民の融合も大きくすすんだ中に子どもたちは育っている。差別をする人がいれば周りのみんなが「それはあかんやろ」とたしなめる時代である。が、全人教は展望を語らず決意を促す教育をする。

▼ 前任校では、学習会が補充学習だけでなく、解放学習会としての取組がいろいろあった。それをとおして、子どもたちが社会的な立場を自覚する。勉強を重ねていくなかで、子どもたちは『なぜこのような差別があるのか』『将来、結婚する時に差別されるのか』という不安をもつ。(2012年 香川県)

▼ 僕は差別をまだ受けたことはありません。だから差別に実感がわきませんでした。けど話を聞いて、自分の近くにこんな差別があることがわかりました。(2013年 大阪府)

▼ ある生徒は「人権を語り合う中学生交流集会」に参加し、初めて部落問題の厳しさを知った。今まで同和問題を他人事としかとらえていなかった自分を反省した。(2013年徳島県)

▼ 今私達は社会で部落差別のことについて調べているけど、二人の方の話を聴いてとても役に立ちました。今も部落差別があると聞いてとてもショックでした。(2013年 福岡県)

 しかし、全人教大会での報告も、よく読めば国民融合に向かって着実に前進していることがわかる。「今の差別の現実は見えづらい」(2012 岡山県)というが、それは差別が解消に向かっていることを意味する。

総務庁文書も出自にこだわる誤りを指摘

 憲法第14条は,「すべて国民は,法の下に平等であつて,人種,信条,性別,社会的身分又は門地により,政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない。」と規定している

 これは,直接的には法の領域の問題ではあるが,私人間の道徳的領域の問題としても,この原則は,国民の間に広く浸透し定着しつつある。

 江戸時代の身分制度に今日こだわることの非合理性,前近代性は広く一般の人々の受け入れつつあるところであるので,「なぜ同和問題についてのみ,あなたは,昔の身分制度にこだわるのですか」という問いかけは,人々の反省を呼び起こすのに有効であろう。

 また,同和関係者も自ら同和関係者であるか否かにこだわらないという信念を固めることが重要である。

(「地域改善対策啓発推進指針」1987(昭和62)年3月18日 総務庁長官官房地域改善対策室長通知) (全文はホームページ「人権教育辞典」で紹介している)

3.「人権教育」は解釈改憲の先取り

(1)  憲法の基本的人権を歪める教育

 2008年3月、文科省の人権教育の指導方法等に関する調査研究会議が「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」を報告した。全人教はその活用を訴えている。

 全人教としても、3次にわたる[とりまとめ]を活用し、同和教育の理念と教訓を踏まえた人権教育が全国すべての学校・地域・家庭において着実に進められるために、各地の具体的な実践交流を通した発信を続けていかなければなりません。(2012年度研究課題)

 基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利である(憲法97条)。人権は自由を侵害する権力者との対抗でつくられてきたものであった。ところが、政府・文科省・全人教の「人権教育」は、「人権尊重の理念についての正しい理解やこれを実践する態度が未だ国民の中に十分に定着していない」と国民の責任に転嫁し、人権を国民の意識の問題にすり替えている。上からは権力者が、下からは暴力と利権の集団が国民や児童生徒に「人権尊重」を迫る構図である。

 [第三次とりまとめ]は憲法について「世界人権宣言、児童の権利条約、憲法などの条文化された法規への理解を深める」と1行あるだけで、憲法をもとに人権を具体化させる指導はない。「国連人権教育のための世界計画」や世界人権宣言はあっても日本国憲法はない。

 全人教のすすめる「人権教育」は、憲法の保障する権利実現を権力者に求めるのでなく、私人の間の関係に矮小化するものである。これは、人権における「憲法の解釈改憲」ということができる。

人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]

はじめに
 我が国も(中略)全ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の下で人権に関する各般の施策を講じてきた。(中略)このような人権尊重社会の実現を目指す施策や教育の推進は、一定の成果を上げてきた。しかしながら、「人権教育・啓発に関する基本計画でも指摘されているように、生命・身体の安全に関わる事象や不当な差別など、今日においても様々な人権問題※が生じている。
(中略)(基本計画は)「より根本的には、人権尊重の理念についての正しい理解やこれを実践する態度が未だ国民の中に十分に定着していないこと」等を挙げている。

※(引用者注)「人権教育・啓発に関する基本計画」(平成14年3月閣議決定)の様々な人権問題とは、女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題、アイヌの人々、外国人、HIV感染者・ハンセン病患者等、刑を終えて出所した人、犯罪被害者等、インターネットによる人権侵害等

(2) 人権教育に数値目標? どうやって評価?

 2011年全人教大会の特別分科会では全人教副代表理事が講演している。この人は文部科学省人権教育の指導方法等に関する調査研究会議委員でもある。

 資料を見ると「小学校マニフェスト」では「『部落問題は被差別部落の友達の隣に座っている自分の問題』として捉え、自らのくらしと重ねて考えたり発言や行動できる6年生の子ども、五〇%をめざす」、「中学校マニフェスト」では「人権・部落問題学習で学んだことを、自分の暮らしや家族、友だちとの関係や自分の将来と結びつけて考えることができる子ども八〇%をめざす。」と数値目標を掲げている。

 数値目標を掲げた人権教育のどこが「人権」の教育と言えるのだろうか。子どもの内心をどうやって評価するのか。文科省がすすめようとしている道徳教育の教科化の先取りである。

 子どもの心や行動を数値目標にするのは、かつて学校が「満蒙開拓義勇軍」や「予科練」への志願の数字を争い子どもに迫ったことと同じ過ちを繰り返すことになるのではないだろうか。

 文科省[第三次とりまとめ]は「学校は、公教育を担う者として、特定の主義主張に偏ることなく、主体性を持って人権教育に取り組む必要があり、学校教育としての教育活動と特定の立場に立つ政治運動・社会運動とは、明確に区別されなければならない。」としている。全人教のような「特定の主義主張」に行政の後援・公費出張などは停止すべきだ。

中学校新教科書の身分制・部落問題記述(2015)

中学校新教科書の身分制・部落問題記述(2015)

小牧 薫 2015年7月

■参考

1.2014年度の中学校教科書の検定について 

 文部科学省は2015年4月6日、中学校教科書の検定結果を公表しました。この教科書は2008年版学習指導要領にもとずく2回めの検定です。来年から4年間使われる教科書の採択作業が今年の8月までの間行われます。安倍首相らの推薦する歴史修正主義、憲法「改正」をねらう育鵬社版と自由社版の歴史と公民教科書を教育委員会によって採択させない(子どもたちに渡さない)ための運動がいっそう重要になっています。

 文部科学省は、今回の中学校教科書の改訂に向けて教科書検定基準と検定審査要項(検定審議会内規)を改めるという大改悪をおこないました。それは日本政府の統一見解を書かせることや近現代の歴史事項のうち、通説的な見解がない場合にはそれを明示し、児童生徒が誤解の恐れがある表現はさせないというものです。その具体例はのちほど見てみます。

 検定では、申請点数104点のうち102点が合格しました。不合格となったのは、学び舎と自由社の社会科歴史的分野の教科書です。両社は指摘された欠陥箇所などを修正して再提出して合格しました。新たに社会科歴史的分野で検定申請した学び舎は、現場の教員などが中心になって組織した「子どもと学ぶ歴史教科書の会」が設立した出版社です。しかし、学び舎の歴史的分野の申請図書は「細かいことに入りすぎて通史的学習ができない」などの理由で、いったん不合格となりました。また、「新しい歴史教科書をつくる会」がつくる自由社版は公民的分野の教科書は改訂せず、歴史も最初の申請であまりにも誤りが多く不合格となり、再提出後合格しています。この結果、公民的分野は、教育出版(教出)、清水書院(清水)、帝国書院(帝国)、東京書籍(東書)、日本文教出版(日文)、育鵬社の6種類、歴史的分野はそれに学び舎、自由社が加わって8種類となりました。

 文科省の検定によって、学び舎の申請本にあった「慰安婦(日本軍性奴隷)」については最初の申請本にはつぎのような記述がありました。「朝鮮・台湾の若い女性たちのなかには、『慰安婦』として戦地に送りこまれた人たちがいた。女性たちは、日本軍とともに移動させられて、自分の意思で行動できなかった」(p.237)と、「日本政府も『慰安所』の設置と運営に軍が関与していたことを認め、お詫びと反省の意を表し」たこと、政府は「賠償は国家間で解決済みで」「個人への補償は行わない」としていること、そのため「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させたこと、この問題は「国連の人権委員会やアメリカ議会などでも取り上げられ、戦争中の女性への暴力の責任が問われるようになって」いることなどの客観的事実を述べた記述(p.279)です。しかし、検定ではこれを「欠陥箇所」の一つにあげ、不合格にしました。その結果、合格した教科書では、「一方、朝鮮・台湾の若い女性のなかには、戦地に送られた人たちがいた。この女性たちは、日本軍とともに移動させられ、自分の意思で行動することは許されなかった」という記述(p.239)になって、「問い直される戦後」の項の側注資料(p.281)には「河野談話」の一部要約が記述されています。

 政府見解を押しつける教科書づくりは、領土問題で顕著です。社会科の「学習指導要領解説」の改訂によって、2016年度用では全社が取り上げ、2ページの大型コラムを設けたのが3社あり、その他にも小コラムで扱っています。地理や公民では領土問題の記述を軒並み増やし、政府見解通りに、北方領土・竹島・尖閣諸島は「日本の固有の領土」、北方領土はロシアが、竹島は韓国が「不法に占拠」と横並びに書き、尖閣諸島には領有権問題は存在しないと政府見解を丸写ししています。そして韓国や中国の主張にふれたものはありません。

 通説がないときは通説がない旨を明記せよとの新設された検定基準が文字通り適用されたのが、清水書院の関東大震災における朝鮮人虐殺事件についての記述です。「警察・軍隊・自警団によって殺害された朝鮮人は数千人にものぼった」との現行版記述をそのまま検定提出したのに対して、通説的な見解がないことが明示されていないとの検定意見が付され、「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は230名あまりと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるともいわれるが、人数については通説はない」(P.221)と必要以上に詳細な記述に変更されてしまいました。

 今回の検定では従来よりいっそう書かせる検定という性格があらわになり、歴史でさえ政府見解に基づいて書かせるということになってしまいました。

 育鵬社版・自由社版の教科書は、国際常識や国民世論に反して歴史修正主義を大きく変えないで、検定意見による修正も含め基本的には現行版の枠組みを維持しています。そのことは同時に、育鵬社版・自由社版が、神話と神武天皇の扱いなどの歴史歪曲、近代日本がおこなった侵略戦争と植民地支配や韓国併合の美化、天皇制賛美、日本国憲法の敵視と歪曲等々の点で、これまでと本質的にまったく変わらないことを示しています。こうした教科書を中学生に手渡すことができないことは何度強調してもしすぎることはないと思います。

2.公民の部落問題記述は改善されていない

 大阪歴史教育者協議会のホームページ(http://osaka-rekkyo.main.jp/archives/105)には、柏木功さんの「中学校公民教科書の部落問題は大問題-部落問題解決の到達点を無視、認識は同対審答申のまま-」の論文がアップされています。また、亀谷義富さんは、「中学校公民教科書の部落問題記述の問題点」を季刊「人権問題」2011冬号(兵庫人権問題研究所)と『国民融合通信』№457(2012年5月発行)に書かれています。これらは、2008年学習指導要領改訂にもとずく教科書(2012~2015年度使用)についての批判です。この批判を受けて、今回の改訂でどれだけ改善されたかと期待を持って見ましたが、記述内容は、ほとんど変わりがなく、期待はずれに終わりました。  「部落問題」とは何かがわかるように記述されていないし、部落差別の克服・解消は進んでいるのか、同和対策特別法は終了したとを書いているのかなどの点で、どの教科書も不十分で、改善されているとは言いがたいものとなっています。

 部落問題とは、江戸時代までの日本の社会が身分制の社会であり、明治以後も地域社会の中で江戸時代の賤民身分につながりがあるとされた一部の地域集団が差別されていました。それが近現代の社会問題としてつづいてきたものであり、封建時代の残りかすなのです。しかし、教科書はそのようには書いていません。

 「部落差別とは,被差別部落の出身者に対する差別のことで,同和問題ともよばれます。すでに江戸時代には,えた身分・ひにん身分という差別がありました。明治にはいって身分解放令が出され,そのような差別はないこととされましたが,実際の生活では,差別が根強く残りました」(帝国・公民P.44)などと不十分なことを書き続けています。もっとも問題なのは、育鵬社が「部落差別は憲法が禁止する門地(家柄・血筋)による差別のひとつに当たります」(P.69)と、部落差別は、門地による差別のひとつで帝国憲法下では許されていたが日本国憲法によって禁止されるようになった。だから、憲法で禁止されているが現在も家柄や血筋による人権侵害(差別)が残っているがやってはいけないことだと認識させようとしています。部落差別の起源も現状認識も間違ったものです。

 部落問題の解決とは、社会生活の中で出自を意識しない、出自など関係ないわ、という状態になることです。「同和地区」の指定もなくなり、「同和地区」出身かどうかを意識することも問題にすることもありません。現在では、社会問題としての部落問題は基本的に解決しています。まだ偏見や誤解を持つ人がいたとしても、社会としてそれが受け入れられることはなく、みんなで克服して国民融合をすすめていくという段階にまで達しています。ところが、小学校の教科書には、4社とも同和対策特別法が終了したことを書いていません。中学校の教科書は現行通り、帝国が以下のように書いているだけで、他社は触れていません。帝国は本文で「同和地区の生活改善や,差別をなくす教育などが行われてきました(1)。しかし,現在もまだ,さまざまな場面で差別や偏見があります」と書き、側注で(1)「その結果,生活環境の格差が少なくなり,教育・啓発が進むなか,2001年度で特別対策は終了しました」と記述しているにすぎないのです。そのあとの「部落差別をなくすためには,私たち一人ひとりも,部落差別がいかに人間的に許されないかに気づき,差別をしない,させない,許さないことが大切です。」と差別をなくす心がけを説いている点も改善されていません。

 教出は本文で,東書は側注で、2000年の人権教育・啓発推進法を取り上げていますが、「現在でも差別は根強く残っている」と書いています。日文は本文で「対象地域の生活環境はかなり改善されてきました」と書き、側注で「2000年には、人権教育・啓発推進法が制定されました」と書いています。教科書は部落問題の克服・解消が進んだと書かないのです。

 公民の教科書に被差別部落の歴史を簡潔に書こうとしていますが、どの教科書も不正確で、問題のある記述をしています。詳しいことはここでは触れません。柏木さんの論文を見てください。
3.歴史的分野の記述も改善されず

 新中学校教科書の歴史的分野は八社の教科書が検定合格しましたが、中味は改善されたのでしょうか。学習指導要領はそのままですから、大きく改訂しなければいけないという個所はないはずです。検定基準の改悪などによって、現行版を守ることすら難しいことはすでに触れましたが、執筆者・編集者の努力で改善された個所もあることはあります。しかし、前近代の身分制・近現代の部落問題記述は、依然として特殊化・肥大化されたままです。ほとんどの教科書は現行版のままで、改訂されたものも改善されたとはいえません。その詳細は、のちに見てみます。それでも、学び舎の教科書が一度不合格になりながら、再提出で検定合格したことはたいへん大きな意義があると思います。学び舎も前近代の身分制・近現代の部落問題についてふれてはいますが、他の教科書に比べて記述量が少ないし、記述内容も違っています。詳細はのちにふれます。

 私は中学生にも前近代の身分制のうち河原者やかわた(えた)・ひにんについて教える必要はないと思っています。日本の歴史を学ぶときに、江戸時代の賤民について学ばねばならないわけではありません。大事なことは武士と百姓、町人の身分の別とそれによって暮らしがどうだったのかがわかればよいと思っています。1974年の中学校教科書に、江戸時代の賤民について記述され、その後の改訂で詳しい記述がされるようになりました。そんなことは必要ないのです。中学での歴史学習の際、そんなことは無視すればよいのです。ところが、いまだに詳しく記述され、教えられています。近現代の賤称廃止令(いわゆる「解放令」)、全国水平社の結成についても、中学生に教える必要があるとは思いません。そして、現代の課題で同対審答申を引用し、いまだに部落差別が残存しているかのように書くのは誤りです。それでも書くとすれば、部落差別が克服・解消され、同和対策が終了したことを書くべきです。歴史学習の最後を、部落差別やアイヌ差別、在日外国人差別などが厳然と残っているという学習で終わらせてはならないと思います。

 8種類の教科書すべてがふれている個所は、江戸時代の身分制、近代の賤称廃止令、全国水平社の結成の三個所ですが、そのほかの身分制・部落問題に関わる記述内容についても見てみましょう。

1)室町時代の「河原者」

 室町文化で、なぜ、「河原者」だけが特別扱いされるのでしようか。他の技術者や芸能者、被差別民については記述しないで、なぜ庭園づくりに携わった河原者だけを詳しく記述するのでしょうか。観阿弥・世阿弥の人名は書かずに善阿弥を記述する重要性があるのでしょうか。それなのに、「河原者は差別をうけ」と書くから、「けがれ」観についての説明が必要になるのです。子どもたちに理解できるでしょうか、死などについての偏見が強まるだけではないでしょうか。「河原者」について、もっとも詳しいのは、帝国です。本文は「龍安寺禅宗寺院では,砂や岩などで自然を表現した枯山水の庭園がつくられ,こうした庭園づくりには河原者がすぐれた手腕を発揮しました。」(p.82)と書き、「コラム人権」の「庭園づくりに活躍した河原者」の題で「この時代には龍安寺などで庭園がつくられ,天下一と賞賛された善阿弥をはじめ,庭園づくりの名手が登場しました。その名手の多くが河原者とよぱれた人々でした。昔は,天変地異・死・出血・火事・犯罪など,通常の状態に変化をもたらすできごとにかかわることを「けがれ」といいました。「けがれ」をおそれる観念は,平安時代から強まり,「けがれ」を清める力をもつ人々が必要とされていきました。しかし一方で,清める力をもつ者は異質な存在として,差別を受けるようにもなりました。河原者もそうした差別を受けた人々でした。彼らは井戸掘リや死んだ牛馬から皮をとってなめすことも行っていました。彼らはおそれられましたが,その仕事は社会にとって必要であり,すぱらしい文化を築いていきました。なお「けがれ」は,近代以降に生まれた不衛生という考え方とは異なるものです。」と書き、龍安寺の写真の説明に,「龍安寺の石庭(京都市)制作にたずさわった河原者の名前が残っています」。さらに,「法然上人絵伝」の写真の説明で,「死刑に処される僧侶と河原に集まる人々 川はけがれなどさまさまなものを浄化してくれると考えられていました。そのため刑の多くは河原で行われました」(p.83)と書いています。私は、庭園づくりに活躍した河原者について書く必要はないと思いますし、けがれについての説明も江戸時代の身分制のコラムと重なっています。両方とも必要はないと思います。  教出は「コラム 歴史の窓 庭園づくりに活躍した人々」、東書も「歴史のアクセス 河原者たちの優れた技術」の詳しい説明を書いています。育鵬社、日文、学び舎は「河原者」の語は出していますが、詳しい説明はありません。自由社と清水は、「河原者」の記述はありません。

2)江戸時代の身分制

 日文は現行版を改訂せず「幕府は、武士と、百姓・町人という身分制を全国にいきわたらせました。治安維持や行政・裁判を担った武士を高い身分とし、町人よりも年貢を負担する農民を重くみました。さらに百姓・町人のほかに、「えた」や「ひにん」などとよばれる身分がありました。「えた」身分の人々の多くは、農業を営んで年貢を納めたり、死んだ牛馬の処理を担い、皮革業・細工物などの仕事に従事したりしました。また、「えた」や「ひにん」の身分のなかには、役人のもとで、犯罪人の逮捕や処刑などの役を果たす者、芸能に従事して活躍する者もいました。これらの人々は百姓・町人からも疎外され、住む場所や、服装・交際などできびしい制限を受けました。こうした身分制は武士の支配につごうよく利用され、その身分は、原則として親子代々受けつぐものとされました」と書いています。2001年版以来少しずつの変化ですが、「死牛馬の処理」を仕事と書くのではなく、はっきり「役」とは書いていませんが、「担い」と幕府や藩によって強制されたもののように書いています。これは、学び舎が「「かわた(長吏)」「えた」とよばれた人びとは,農業や皮の加工などに従事し,死んだ牛馬の処理を役としました。「ひにん」は,村や町の番人・清掃などの役を負担しました」(p.117)と書いているのとともに重要なことです。仕事と役の区別をしっかり書いているのは、学び舎だけです。学び舎が「かわた(長吏)」の語を使ったのもよいことだと思いますが、使うとすれば、用語についての説明も注釈もないのは不親切だと思います。

 他の教科書は死牛馬の処理を権利としたり、仕事のひとつと書いていますが、それは誤りです。教出は「えたの身分のなかには,農業を営んで年貢を納める者も多く,死んだ牛馬を処理する権利をもち」(p.113)と書き、東書は「えた身分は,農業を行って年貢を納めたほか,死んだ牛馬の解体や皮革業,雪駄作り,雑業などをして生活しました。…」(p.115)と、生業と役を区別していません。帝国は、「コラム 人権」で、「差別された人々」を扱っています。「近世の社会にも,中世と同じように,天変地異・死・犯罪など人間がはかりしれないことを「けがれ」としておそれる傾向があり(→p.83),それにかかわった人々が差別されることがありました。もっとも、死にかかわっていても,医師・僧侶・処刑役に従事した武士などは差別されなかったので、差別は非合理的で,支配者につごうよく利用されたものであるといえます。差別された人々は,地域によってさまざまな呼び名や役割で存在していました。えたとよばれた人々は,農林漁業を営みながら,死牛馬からの皮革の製造,町や村の警備,草履や雪駄づくり,竹細工,医薬業,城や寺社の清掃のほか,犯罪者の捕縛や行刑役などに従事しました。ひにんとよばれた人びとは,…」(p.117)と、「庭園づくりに活躍した河原者」で説明したことを再び書いていますし、死牛馬の処理を役と位置づけていません。こんなに詳しい説明をする必要がどこにあるというのでしょうか。幕藩体制によって、百姓、町人、えた、ひにんは、がんじがらめに縛られていたということを印象づけたいのでしょうか。

3)身分制の強化、渋染一揆など

 江戸中期の身分制の強化についてふれているのは日文だけです。日文は現行版そのままで「近世史プラスα」のカコミ「豊かになる人々と身分制のひきしめ」で、「「えた」身分の人々のなかにも,広い田畑を経営する者や,雪駄づくりの仕事を行って豊かになる者も出てきました。村の人口も増え,他地域との交易も広まりました。これに対して幕府や藩は,身分制のひきしめを強め,特に「えた」や「ひにん」などの身分の人々に対しては,人づきあいや髪型・服装について,さらに統制をきびしくしました。…」(p.135)と、「えた」身分のなかに豊かになる者があらわれ、身分制がゆるんだので、差別が強化されたという問題のある書き方です。豊かになるものがあらわれたのは、えただけでなく、百姓、町人にもいます。えたを強調する必要はありません。

 蘭学の項で人体解剖をして説明をした「差別された人々」についてふれているのは、帝国(「解体新書」の側注,p.132)と東書(挿絵の説明p.130)だけです。学び舎は「人体解剖の驚き」という項をもうけていますが、「90歳になる老人が腑分けをはじめました」とあるだけで、「差別された人々」とは書いていません。もし書くとしても、賤民にふれる必要はないでしょう。  「渋染一揆」は、教出は本文と発展で、東書と帝国はカコミで、日文は発展で扱っています。日文は発展ページ「新しい世の中をめざした人々」で、「差別の撤回を求めた人々」として渋染一揆について書き、そこでは、「19世紀のなかばころから、社会の枠組みをこえて、自由な経済活動や平等な社会を求める動きが盛んになりました」(p.164)と「世直し一揆」の位置づけをしていますが、他はそうした位置づけになっていません。

4)四民平等、賤称廃止令

 四民平等については、表題は違いますが、すべての教科書に記述されています。清水が「国民の平等」を見出しにしていますが、新しい身分制がつくられたのですし、この段階で「国民」になったわけではないので、不適切だと思います。教出の「残された差別」の見出しも改革の面よりもマイナス面を強調するので不適切だと思います。学び舎が「古い身分の廃止と新しい身分」の題で書いているのと、「解放令」と書かずに、「「えた」「ひにん」などの呼び方を廃止して、平民としました」(p.173)は、これまでなかった表現で、身分制の改革と賤称廃止の布告内容を正しく伝えるものになっています。

 「生活が苦しくなった」「社会的差別は根強く残りました」と書くのは、育鵬社、自由社、清水、帝国、学び舎です。

 日文は、「職業・結婚・居住地などをめぐる差別が根強く残りました」と書いたあとに「そこで,「解放令」をよりどころに,山林や用水の平等な利用,寄合や祭礼での対等な交際の要求など,差別からの解放と生活の向上を求める動きが各地で起きました。」(p.167)と書いているのは妥当なことです。さらに、側注で「明治以降のこの問題を部落差別とよんでいます(→p.217)。こうした身分の人々は,改善策も受けられず,それまでもっていた職業上の権利を失いました。」と書いています。「部落差別」の位置づけはこれでよいと思いますが、「職業上の権利」はこれまでどこにも書いてなかったことです。江戸時代の身分制で、死牛馬の処理は「役」に位置づけていました。どこで、どうして「職業上の権利」になったのでしょう。その説明なしには、この文章は理解できません。そして明治になって、死牛馬の処理権を失ったのは被差別部落のごく一部の豊かな人だけです。

 育鵬社は「政府は身分制度を改めるため,四民平等の方針を打ち出しました。新しくつくられた戸籍には,旧武士は士族、大名や公家は華族,それ以外の人々は平民として,新たな身分が記載されました」(p.168-9)と、皇族についての記述がありません。大事なのは、天皇と皇族、家族、士族、平民の新しい身分と書くことです。

 東書は、発展で「「解放令」から水平社へ」と題して2ページつかっています。内容は現行とほとんど同じで、「解放令」とその後、部落解放運動の始まり、島崎藤村の「破戒」を扱っています。このページにあるカコミも含めて、こんな文章や図版が必要とは思えません。

5)全国水平社の結成

 大正デモクラシーと社会運動の高まりで、多くの教科書が全国水平社が創立(組織)されたと書いています。育鵬社も、日本労働総同盟、日本農民組合の結成と全国水平社が組織されたと書き、そのすぐあとに、「ロシア革命の影響で共産主義の思想や運動が知識人や学生のあいだに広がっていきました。ソ連と国交を結んだこともあり,…君主制の廃止や私有財産制度の否認をめざす活動を取りしまる治安維持法を制定」(p.217)と、日本共産党の結成にふれずに書いています。水平社宣言と山田孝野次郎少年の演説の写真を載せています。自由社も水平社創立宣言の一部を掲げていますが、全国水平社以外の具体的な団体名や主張にほとんどふれていません(p.219)。東書、日文、教出、帝国、清水、学び舎は日本農民組合や全国水平社、新婦人協会、日本共産党の結成などを書いています。教出は、本文で、「ロシア革命や米騒動などの影響も受けて,社会運動が活発になりました。」と書いたあと、労働争議、メーデー、日本共産党の結成(1)、小作争議にふれ、「女性を社会的な差別から解放し… ,また,厳しい部落差別に苦しんでいた人々は,1922年に全国水平社を設立し,差別からの解放と自由・平等を求める運動を進めました。」と書いたあと、側注(1)で「私有財産制度や君主制の廃止,8時間労働制などを主張して活動しました」と明記しています。そして、つぎのページに「水平社宣言」の一部と山田孝野次郎の演説する写真を載せています。日文も「無産政党」についても書き、団体や政党が何をめざしたのかを書いています。重要なことだと思います。

6)現代の課題

 東書の現行版は、「日本社会の課題」の部落差別に関わる側注で「…特別措置法にもとづく対策事業は終了しましたが,引き続き,教育の充実,職業の安定,産業の振興といった面での改善,人権教育や人権啓発などの推進が図られています」(p.242)と同和対策事業の終了を書いていましたがが,新版では本文で「まず重要なのは,人権の尊重です。部落差別の撤廃は,国や地方公共団体の責務であり,国民的課題です」(p.262)と書き、側注で「部落差別の問題(同和問題)は,長い間の部落解放運動(→P161)の発展を基礎として,1965(昭和40)年に国の同和対策審議会の答申がなされて以来,特別措置法によって改善されてきました。現在は,引き続き,教育の充実,職業の安定,産業の振興といった面での改善,人権教育や人権啓発などの推進が図られています。」と特別措置法にもとづく同和対策事業の終了を削除してしまいました。大きな後退です。

 同和対策事業の終了は、他の教科書でも書かれるようになるのかと期待したのですが、残念ながらどの教科書にも書かれていません。それどころか、教出、清水は「差別や偏見が残っており」と書き、日文は「部落差別の撤廃は、国や地方自治体の責務であり、国民的課題です」(p.271)と本文で書き、側注で、人権擁護施策推進法にふれています。私には、どうしていつまでも、このような記述を続けるのか理由がわかりません。

 学び舎が歴史学習の最後を「平和という言葉」の表題で、「戦場の生きものたち」「北の川のほとりに住む人」「あなたの夢は」で構成し、「人は,健康で,楽しく遊んだりして,自分の夢をかなえていく,そんな平和な世界を思い描きます。平和は,戦争によって破られるだけでなく,貧困や差別,人権の抑圧,環境の破壊などによっても、その実現が妨げられます。平和を実現したいと望むなら,どのようにして平和が壊され,失われてきたのか,過去の歴史から学ぶことが必要です。…」と書いています。現代の課題をどう書くかは、たいへん重要です。そこに部落問題の解決を国民的課題と書く時代は終わりました。差別や人権の抑圧が問題だと書くだけで十分です。東書、日文、教出、清水のように部落差別を特別扱いするのはやめるべきです。

 (帝国や教出の側注の番号表記は、黒丸の中に白抜きで数字ですが、インターネット掲載にあたっては文字化けを避けるため(1)などのように表示しました。)