八鹿高校教職員の側に非難さるべき落度は認められない(民事訴訟判決)

原告ら(八鹿高校教職員)の側に非難さるべき落度は認められない

 八鹿高校事件は、解同の拉致、13時間に及ぶ暴行により、教職員56人が重軽傷うち29人が入院治療を受けた事件。県や県教委、校長、警察など加担のもとに起こった事件であった。

「八鹿高校事件とは 国会で明らかに」はこちら

 八鹿高校教職員61名は、兵庫県と県教委職員ら、警察署長および解同幹部2名を被告としての損害賠償裁判で、総額1億400万円の慰謝料を請求した。

 1982年3月、裁判所の和解勧告により、兵庫県は5700万円余りを支払うという和解が成立した。この和解には、さらに、兵庫県の同和行政、同和教育について、当時の解同との連帯、密約の誤りとその後それを手直ししたことを明らかにするため、双方代理人の問で覚え書きを作成するという項目もあった。

 この和解勧告を拒否した解同幹部に対する判決は合計3000万円の慰謝料の支払いを命じた。

 大阪高裁1992.7.24、最高裁判決1996.2.8.で確定。(以下は神戸地裁判決の抜粋)

神戸地方裁判所豊岡支部 1990.3.28.

一、主文

 被告らは連帯して、原告らに対し、損害賠償として合計約三〇〇〇万円と、事件後(約一五年)の年五分の遅延利息を支払え。

二、理由

1、いわゆる八鹿高校事件(暴行、傷害、監禁、強要など)は、その動機、態様、結果いずれをみても、現行法秩序の到底許容し得ない違法行為である。

2、被告両名は共に、右事件を惹き起こした最高指導者としての民事責任を免れない。

3、右事件の発生につき、原告ら(八鹿高校教職員)の側に非難さるべき落度は認められない。

(判決の一部抜粋)

六 被告らの仮定抗弁に対する判断

1 正当行為

(一) 被告らは、解放同盟員らによる本件行為は原告ら八鹿高校教職員の差別行為に対する糾弾であるとし、被差別部落民には糾弾権があること、八鹿高校の同和教育は差別教育であったこと、また、原告らがあくまで解放研を承認せず、解放研生徒との話合いを拒否して集団下校したことは、被差別部落民に対する差別行為であったから、本件程度の糾弾は正当行為として容認される筈である旨主張する。 しかし、被告ら主張の糾弾権なるものは実定法上何ら根拠のないものであるばかりか、八鹿高校の同和教育についても、その概要は前認定(二の3の項)のとおりであり、これによれば同校の同和教育は、本件当時、高等学校の教育課程としてみれば、一応の取組みができていたものと評価することができ、少なくとも部落差別を温存助長するような差別教育でなかったことは明らかである。

 以下、前認定の事実関係に基づいて判断する。

(二) 解放研の不承認について

 解放研は、連合解放研の規約及び闘争方針からも明らかなように、教師は「社会観念にまでなっている差別観念に毒されきって」おり、また「必死に同和教育に取り組んで」いないため、その行う同和教育も、結局、部落の生徒を苦しめているだけにすぎず、単に部落差別を温存助長する結果となっているとし、このような教師の人間性、同和教育に対する姿勢を正し、真の解放教育を確立するため、教師に対する確認会、糾弾会を実施することを目的の一つに掲げ、具体的な闘いを進める時は、常に解放同盟と連帯し、その指導を受けることが義務づけられている。

 したがって、解放研は、学校内の機構上はクラブ又は同好会の一つとして位置づけざるをえないものの、活動面では教師の差別性を論じ、教師を糾弾の対象にすることを目的とするものであるから、人間的な触れ合いと全人格的な結びつきを基盤として、教える者と教えられる者との間に良好な教育的秩序の維持が必要な学校教育において、その全てを根底から破壊しかねない重大な危険性を帯有しているのみならず、指導面でも、教師の指導を排除して、教育現場において関係者の総学習、総点検の実施を要求する解放同盟の指導を至上のものとしており、運動体的色彩の濃い生徒の集団であって、本来教師の指導、助言の下に学習活動をなすべきクラブ又は同好会とは全く異質のものであった。和田山商業高等学校や朝来中学校の例をみても、解放研生徒は、およそ差別事象とは認め難い教師の些細な言動を取り上げ一方的に差別行為と断定し、教師の差別性を追及すると称して確認、糾弾会に持ち込んだうえ、解放同盟の指導、支援を受けながら、教師を罵倒して吊し上げ無条件の屈服を迫っているのであって、解放研が学校教育における正常な教育的秩序と根本的に相容れない性格を持っていたことは明らかであった。

 一方、解放同盟中央本部は、職場、学園に解放研を組織することを昭和四九年度の運動方針に掲げ、これを受けるかのように南但馬でも六月二二、二三日の一泊研修会から九月八日の連合解放研結成の前後にかけて、殆んどの高等学校に解放研が作られた。八鹿高校の解放研も、その設立に至る過程において被告丸尾ら解放同盟側の強力なてこ入れがあり、また当時同和教育は解放同盟と連帯して推進していくことを標榜していた県教委の強い指導もあったため、珍坂校長も止むなく同好会設立に関する規約や手続を無視し、職員会議の反対を押し切って設立を承認したもので、他の同好会には許されない部室まで与えられるなど別格の扱いを受け、他の生徒達から抗議の声が挙がるほどであった。

 このような解放研の性格と実態を冷静かつ客観的に考察すれば、真剣に学校教育のあり方を考える者であれば誰しも、学校内での解放研を承認することには消極的にならざるをえない筈であり、したがって、原告ら八鹿高校の教職員が何度も職員会議を開いて慎重に検討を重ねつつ、終始一貫して解放研の設立に反対し、校長が設置に踏み切った後も不承認の態度を変えようとしなかったことには十分に理解できるものがあり、これをもって差別行為と非難される理由はないというべきである。

(三) 解放研生徒との話合い拒否について

 八鹿高校の解放研の生徒たちは、一一月一八日三項目の要求を掲げて座込みに入った。その要求の内容は「(一)八鹿高校解放研の顧問をさらに三名つけること(但し、人選は解放研の希望を受け入れること)、(二)八鹿高校解放研と先生との話合いを持つこと(但し、連合解放研並びに解放同盟の各役員を含むこと)、(三)現在、八鹿高校の同和教育は部落の解放と全ての生徒の幸せにつながっていないことを認めること」というものであり、第一、二項目では、教師側が八鹿高校の解放研を承認することを前提にし、話合いには連合解放研と解放同盟の役員が同席することを条件とするものであった。しかし、原告ら八鹿高校の教職員は、解放研が解放同盟の下部組織ともいうべき性格と実態を持ち、他校の解放研の例からも学校教育とは相容れないものとの判断から、終始その設立に反対する姿勢を貫いていたのであるから、原告らに解放研の承認を前提とする話合いを期待することにはそもそも無理があったばかりか、解放研生徒が要求する「先生との話合い」も、連合解放研や解放同盟の役員の同席を条件とするものであって、このような話合いが、教育的営為としてなされる通常の先生と生徒との話合いとは全く異質のもので、教師を糾弾の対象とし、そのまま確認会、糾弾会に発展しかねない内実のものであったことは、他校の実例からも明らかであった。 解放同盟という運動団体の指導と支援を背景に教師を糾弾の対象としか考えない解放研生徒に対しては、自校の教師といえども、もはや教育的営為を行うことは極めて困難な状態に立ち至っていたのである。第三項目にしても、これを認めることは、地道で多面的かつ積極的な活動を展開してきた八鹿高校の過去の同和教育及びその成果を全て否定し去ることにつながるものであり、原告らが容易に応じるとは到底考えられないものであった。

 右の諸事実に、本件当日までの事態の進展(解放研生徒は要求貫徹を図るためハンガーストライキに突入し、これを外部から支援する解放同盟の動きは一層激しさを増していたことなど)を併せて考えると、原告ら八鹿高校教職員が、解放研生徒の求める「話合い」に教育的価値を認めず、かえって場合によっては確認会、糾弾会に持ち込まれ、八鹿高校の教育の自主性、主体性を損いかねない最悪の事態になることを懸念して、これを拒否したことにはそれなりの理由があり、原告らのこのような対応を差別行為として非難することはできないというべきである。

(四) 原告らの集団下校について

 原告らは、八鹿高校事件発生の当日(二二日)、登校後直ちに集団下校した。これは、諸般の状況から、原告ら八鹿高校教職員に対する解放同盟の糾弾が誰の目から見ても当日必至の情勢であり、ひと度解放同盟の糾弾を許せば、原告らの身体の安全はもとより八鹿高校の教育の自主性、主体性も損われ、八鹿高校は以後、解放同盟に指示されるまま教育を進めていかざるを得なくなると原告らが判断し、そのような事態だけは何としても回避しようとしたためである。原告らの右判断があながち荒唐無稽でなかったことは、本件当日の八鹿高校を取りまく周囲の異様な状況に加えて、南但馬における解放同盟の動向や南但支連協の運動方針(糾弾闘争に関する項参照)、それに何よりも本件当日、被告らに指導された多数の解放同盟員らが原告らに対し執拗かつ凄惨な集団暴行を加え、暴力をもって原告らを無条件に屈服させたうえ、「今後は解放同盟と連帯して部落解放のために闘う。」などの自己批判書を書かさせていることからも明らかである。

 したがって、緊急事態に直面した原告らが、自らの身体の安全と八鹿高校の教育の自主性、主体性を守るため、非常手段として集団下校したことには無理からぬものがあり、むしろ緊急避難であったということができる。なるほどハンガーストライキをしている解放研生徒をそのまま校内に放置して集団下校したことには、「自校の生徒の立場を思いやるという教育的配慮に乏しく、教育者として適切さを欠く点があった」とか、「いかにも早急で思いきった態度であり、現にハンガーストライキをしている生徒やその父兄の心情を含め同校全体の教育的見地への配慮を十分かつ慎重に行ったうえのものであるかどうかについても大いに問題となる」旨の指摘も一応できなくはないであろうが、前述の解放研の性格と実態、解放研生徒の要求する「話合い」の内実等を仔細に検討すれば、右の指摘が果して正鵠を射たものかどうか疑問なしとしないのである。

(五) 以上のとおりであり、被告らが主張する原告らの差別行為なるものには、そもそも差別性を見出すことができないのみならず、被告らの本件行為は、その動機、態様、結果のいずれをみても現行法秩序の到底許容し得ないものであるから、正当行為の主張は理由がなく、採用できない。

2 過失相殺

 被告らは、本件の発生には、原告ら八鹿高校教職員が解放研をあくまで承認せず、解放研生徒との話合いを拒否して、ハンガーストライキをしている解放研生徒をそのまま校内に放置して集団下校するという、教育者として適切さを欠いた行為にも原因があり、責任の一端は原告らにもあるから、過失相殺すべきであると主張する。

 しかし、これに対する当裁判所の判断は既に説示したとおりであり、原告らのとった措置はいずれも無理からぬもので、そこに落度はなく、教育者として適切さを欠いたとの非難は当を得たものではない。

 被告らの過失相殺の主張も採用できない。

七 損害額

1 慰謝料の算定

 本件は、解放研をあくまで承認せず解放研生徒との話合いを拒否する原告ら八鹿高校教職員に対し、被告両名に指導された南但馬の解放同盟が、共闘会議に名を籍りて差別者の汚名を着せ、徹底した私的制裁を加えて解放同盟に対する無条件の屈服を迫った事案であり、その態様は、白昼公道で原告らに襲いかかり集団暴行を加えて校内に連れ戻したうえ長時間にわたって校内各所に監禁し、その間執拗かつ凄惨な暴行、脅迫、傷害を加えた挙句、原告らにその意思に反して自己批判書を書かせたというものであって、本件不法行為は動機、態様、結果等のいずれをみても極めて悪質といわざるをえない。

 したがって、慰謝料の算定にあたっては、右の本件事案の特殊性を基本に据えたうえ、原告らには、非難さるべき落度はないこと、被告らは、本件発生後今日に至るまで、原告らに対し何ら慰謝の方法を講じていないこと等をも斟酌しつつ、各原告毎に暴行脅迫の態様、傷害の有無、程度、入通院の期間、後遺症の有無、程度、監禁されたかどうか、その時間、自己批判書等の作成(強要)の有無の各項目を個別に検討し、その結果別表第八(慰謝料額算定一覧表)記載のとおり各慰謝料額を定めることが、原告らの精神的肉体的苦痛を慰謝するのに相当であると認めた。

 なお、同表記載の「加算金」は、本件不法行為の態様に照らし、個々の右各項目では賄うことのできないもの、例えば原告らが一様に味わったであろういい知れぬ屈辱感や暴力で屈服させられたことの無念さ、明日からの学校教育に対する不安、これらを増幅した本件不法行為の強度の不当性などを考慮し、補完的機能を持たせたものである。

「八鹿高校事件とは 国会で明らかに」はこちら

「確認・糾弾」についての法務省の見解

1989年10月

「確認・糾弾」についての法務省の見解

法務省人権擁護局

確認・糾弾会について

1、はじめに

 部落解放同盟(以下「解同」という。)は、結成以来一貫して糾弾を部落解放闘争の基本に置いてきている。この資料は、この基本に基づいて解同の行う確認・糾弾会についての当局の見解をまとめたものである。

 そもそも、国の行政機関は、基本的には、民間運動団体の行動についての意見を述べるべき立場にないものである。しかし、差別の解消という行政目的を達成する上で障害となっているものがあるとすれば、これを取り除くよう提言すべきことは当然である。このような認識のもとに、法務省の人権擁護機関は確認・糾弾会に関する見解を表明してきている。

2、沿革

 糾弾は、大正十一年の全国水平社創立大会における大会決議に基づいて行われてきたものである。当時は、厳しい部落差別があったにもかかわらず、その解消に向けての施策がほとんど行われなかったため、差別に苦しむ同和地区住民が、集団で差別行為を行為を行ったとされる者の方に押しかけ、又はこれを呼び出し、その差別行為を徹底的に糾弾するという形で行われ、個人糾弾に重点が置かれていた。それは、更に当該個人の属する組織を対象とする闘争へと進展し、戦後は部落差別の解消のための積極的な施策を求める行政闘争へと進んだ。

3、現在行われている確認・糾弾会についての解同の見解

(1) 目的

 解同は、確認・糾弾会について概ね次のように説明している。

 確認・糾弾会は、被差別者が、差別者の行った事実及びその差別性の有無を確定し、差別の本質を明らかにした上で(確認)、差別者の反省を求め、これに抗議し、教育して人間変革を求める(糾弾)とともに、その追及を通じて、関係者、行政機関などに差別の本質と当面解決を迫らねばならない課題を深く理解させる場である。

(2) 運営

 解同中央本部には、中央執行委員会総闘争本部に糾弾闘争本部と事務局が置かれ、それが自ら確認・糾弾会を実施し、また地方組織が実施するのを指導している。

 確認・糾弾会の運営については、概ね次のとおり見解を述べている。(注1)

ア、確認の段階では、確認内容に客観性を持たせるために、可能な限り自治体行政、教育関係者人権擁護機関及び差別事件の当事者の所属する組織、機関の関係者の出席を求める。

イ、糾弾
(ア) 糾弾要綱を作成し、これに従って糾弾する。
(イ) 確認に立ち会った関係者に立ち会ってもらう。
(ウ) 厳しい雰囲気となるのは当然である。しかし、その厳しさは野次と怒号によるものではない。揶揄、嘲弄などによる「腹いせ」をするものであってはならない。
(エ) 進行係の指示と許可により整然と発言する。
(オ) 事件解決主義に陥ってはならない。幹部が個人的な話し合いを進めるべきではない。個人的接触は組織的了承を得た後に行う。
(カ) 差別者が糾弾会に出席しない場合は、糾弾要綱を公表し、行政指導を行わせたりして、差別者に対する批判の世論をまきおこす中で社会的責任をとらせる。

4、地対協意見具申と法務省の取組

 昭和六十一年十二月の地対協意見具申は、確認・糾弾会について「いわゆる確認・糾弾行為は、差別の不合理性についての社会的認識を高める効果があったことは否定できないが、被害者集団によって行われるものであり、行き過ぎて、被糾弾者の人権への配慮に欠けたものとなる可能性を本来持っている。また、何が差別かということを民間運動団体が主観的な立場から、恣意的に判断し、抗議行動の可能性をほのめかしつつ、さ細なことにも抗議することは、同和問題の言論について国民に警戒心を植え付け、この問題に対する意見の表明を抑制してしまっている。」として、同和問題について自由な意見交換のできる環境づくりが同和問題解決のため不可欠である旨指摘している。そして、「差別事件は、司法機関や法務局等の人権擁護のための公的機関による中立公正な処理にゆだねることが法定手続きの保障等の基本的人権の尊重を重視する憲法の精神に沿ったものである。」旨提言した。法務省は、この提言を真摯に受け止め、その趣旨に沿った取組に鋭意努力してきたところである。

5、当局の見解

 現実の確認・糾弾会は、3で述べた解同の見解のとおりに行われているとは限らない。(注2)仮に解同の見解に従って行われている場合でも、なお、次のような種々の問題があると考える。

(1) 基本的な問題点

ア 確認・糾弾会は、いわゆる被害者集団が多数の威力を背景に差別したとされる者に対して抗議等を行うものであるから、被糾弾者がこれに異議を述べ、事実の存否、内容を争うこともままならず、また、その性質上行き過ぎて被糾弾者の人権への配慮に欠けたものとなる可能性を本来持っている。

イ 確認・糾弾会においては、被糾弾者の人権擁護に対する手続的保障がない。すなわち、被糾弾者の弁護人的役割を果たす者がいない上、被害者集団が検察官と裁判官の両方の役割を果たしており、差別の判定機関としての公正・中立性が望めず、何が差別かということの判断を始め、主観的な立場から、恣意的な判断がなされる可能性が高い。

ウ 被糾弾者には、確認・糾弾会の完結時についての目途が与えられない。反省文や決意表明書の提出、研修の実施(同和問題企業連絡会等への加入、賛助金等の支払い)等々確認・糾弾行為を終結させるための謝罪行為が恣意的に求められ、これに応じることを余儀なくされる。

(2) その他の問題点

ア 何が差別かということを主観的な立場から、恣意的に判断されて、確認・糾弾会の開催が決定され、それへの出席が求められる。

イ 確認・糾弾会に出席する法的義務はなく、その場に出るか否かはあくまでも本人の自由意思によるべきであり、解同もその出席は被糾弾者の自由意思に基づくものであり強要はしていないとしている。しかし、現実には解同は、出席を拒否する鮫糾弾者に対して、差別者は当然確認・糾弾会に出席すべきであるとし、あるいはこれを開き直りであるとして、直接、間接に強い圧力をかけ、被糾弾者を結局、出席せざるを得ない状況に追い込むことが多く、その出席が被糾弾者の自由意思に基づくものであるとされても、真の自由意思によるものかに疑問がある場合が多い。

ウ 被糾弾者に対する確認・糾弾会の開催は、「同和問題はこわい問題である」との意識を一般的に植え付け、人々が地域・職場などのあらゆる場面で同和問題について自由な意見交換をすることを差し控えさせてしまったと言える。

エ 行政機関に対して確認・糾弾会への出席が強要されているが、これは行政の公正・中立性を損ない適正な行政の推進の障害となっている。

 以上のとおりの様々な問題点にかんがみると、確認・糾弾会は、同和問題の啓発には適さないといわざるをえない。このため、法務省の人権擁護機関は、差別をしたとされる者(被糾弾者)から確認・糾弾会への出席について相談を受けた場合は言うまでもなく、相談を受けない場合にも必要に応じて、「確認・糾弾会には出席すべきでない」、「出席する必要はない」等と指導をしてきている。

6、確認・糾弾会に付随する論点

(1) 被害者によらない啓発

 解同は、心の痛みを受けたことのない者が差別事件を的確に理解することはできないと主張することがあるが、あたかも交通事故に関する損害賠償請求事件において、死者の遺族の受けた苦痛あるいは傷害を受けた者自身の苦痛の評価を自らは交通事故の経験のない中立公正な裁判官が行うことができるように、人権擁護機関も中立公正の機関としてこれをなしうるものであり、またしなければならないものである。

(2) 被害者に対する謝罪

 解同は、差別をした者が被害者に対して謝罪すべきであるとして確認・糾弾会への出席を求めるのであるが、差別行為者が被害者に対し謝罪をするかどうか、またどのように謝罪をするかは、個人的、道義的な問題である。一般に、部落差別事件は、同時に、同和関係者全体にも心の痛みを与えるとして、これらの人々も被害者であるといわれることがあるが、同和関係者全体に謝罪するということは事実上不可能なことである。運動団体の行う確認・糾弾会への出席が同和関係者全体への謝罪となるものではなく、また、特定運動団体が同和関係者全体を代表しているものとも考えられない。差別行為者のなすべき謝罪は、本人が同和問題の本質を理解し、二度とそのような行為を繰り返さないことを心に誓いこれを実行していくことであろう。

(3) 話合い

  解同は、差別事件を起こしたと考える者に対して「話合い」に応じるよう要請をする例が多いが、この「話合い」は確認・糾弾会を意味するか、又はそれにつながる最初の接触の場となるものと解されるので、このような要請を受けた者に対してはその旨説明すべきものと考える。

(4) 糾弾権(八鹿高校等刑事事件大阪高裁判決)

 解同は「確認・糾弾」の闘争戦術は法学の概念でいうところの「自力救済」の論理にかなうと主張し(一九八七年一般運動方針)、または、八鹿高校刑事事件に関する昭和六三年三月二九日大阪高裁判決が確認・糾弾権を認めた旨述べている。しかしながら、同判決は、確認・糾弾行為については「糾弾は、もとより実定法上認められた権利ではない(中略)、一種の自救行為として是認できる余地がある。」と述べているのであって、一般的・包括的に糾弾行為を自救行為として是認したものではなく、まして「糾弾する権利」を認めたものではない。(注3)

注1 部落解放中央委貝会見解「差別糾弾闘争のあり方について」部落解放二五七号六四ページ

注2 「……我が同盟の中にも徹底的糾弾を相手を恐れおののかすために使う一部の人がいますが、これはいけません」山中多美男「差別糾弾入門」部落解放一九八六年臨時号第二五四号

注3 法務省人権擁護局人権擁護管理官室「八鹿高校等事件控訴審判決について」人権通信一三三号六五ぺージ

(本資料は、法務省が、人権擁護委員の意思統一のための資料として、人権擁護委員会を通じて配布したもの)

Web掲載に当たっての底本:「表現の自由と部落問題」(部落問題研究所 1993年)

衆議院予算委員会での日本共産党・村上弘議員の八鹿高校事件質疑(1974(昭和49)年12月)

八鹿高校事件とは 国会で明らかに

八鹿高校教職員の側に非難さるべき落度は認められない(民事訴訟判決)はこちら

 1974(昭和49)年12月19日、衆議院予算委員会で日本共産党の村上弘議員(大阪3区選出)は八鹿高校事件について、次のように追及しました。

NHKでテレビ中継されていたこの質疑は、マスコミが報道しないなかで、真実を広く明らかにするものであり、部落解放同盟の暴力と闘い、苦しめられていた市民に大きな励ましを与えました。

今では国会の公式サイト 国会会議録検索システムで読むことができます。見出しは編集者がつけました。(柏木 功)

教育史上 前例のない暴力 延々13時間の集団リンチ

○村上(弘)委員

そこで私は、次の問題に入っていきたいと思うのです。民主主義、とりわけ暴力一掃の問題であるわけですが、暴力に対する態度の問題は、言うまでもなく民主主義と人権の根本にかかわる問題であります。本会議などでも取り上げられました兵庫県の八鹿高校事件に対する態度の問題は、それゆえにきわめて重要である。同時にこの問題は、教育の自主性や中立性、あるいは地方自治の根幹にもかかわる問題でもあるわけです。そこで私は、この問題をなぜこの予算委員会の場で取り上げるのかという点について、幾つかのことを最初明らかにしておきたいと思う。

第一は、この事件がそれ自体たいへん異常であるということ。被害者の人たちが高校の先生で、数がたいへん多いし、その被害も重いということです。場所は白昼の路上で起こっておるということ。それから学校の中でたいへんな集団リンチが行なわれて、やり方が残忍であるということ。しかも、延々十三時間、まさに教育史上前例がないできごとであるわけです。

第二に、この問題について、学校や地方自治体などの公的機関が、この暴力に屈服させられ、後にはこれを容認し、加担しさえしてきておるということです。

第三は、マスコミがこの問題をほとんど報道しておらないということ。真相がほとんど伝えられてこなかったということです。

第四は、残念ながら政党の一部がこれを公然と支持したり激励をしてきておるということがあるわけです。

第五は、そういう状況のために、この重大な暴力や蛮行が依然として温存されておるあるいは再発する可能性があるということです。

最後に、部落並びに部落の解放運動、この運動自体にも非常に大きな損害を与えつつあるということです。

私がこれから言います団体名、部落解放同盟という場合、朝田善之助氏を委員長とする解同朝田派、それからこの暴力行為を行なったその地域組織である、丸尾という者が支部長をやっておる組織、丸尾派ということで呼びますが、この部落に関する組織には、部落解放同盟正常化の連絡会もありますし、それから同和会もありますし、その他たくさんの組織がありますから、この点ははっきり前置きをしておきたいと思うのです。部落解放同盟朝田派をここで解同と言いますが、こういう蛮行のために、部落解放運動そのものが非常にゆがめられている、大きな損害をこうむってきているということからも、この問題はどうしても明らかにし、取り上げる必要がある、こういうふうに思っているわけです。

そこで、まず、事実問題について最初少し触れておきたいわけですが、すでに福田公安委員長が述べられておりますけれども、負傷者の数だけでなくて、負傷の状況、それからリンチのやり方ですね。使用した武具、凶器、これは一体どんなものであったか、ちょっとお話をしていただきたいと思います。

○福田(一)国務大臣 お答えをいたします。

先般、本会議におきまして、私がいささか報告をさしていただいたのでありますが、この事件は、御案内のように、ただいま実は捜査並びに逮捕をいたしまして取り調べをいたしておる段階でございまして、その内容自体について私が誤ったことを申し上げますと、それは非常に影響するところが大きい。同時に、そういうことでありますから、この説明は政府委員をしてするようにさせたいと思っております。事実でございますから、事実問題については。その上で、もしまた御質問があればお答えをさせていただきます。

○山本(鎮)政府委員

負傷者は全員で五十八名、そのうち十三名が重傷ということになっております。現在入院中がまだ十名ということになっておりますが、負傷の部位はいろいろございまして、一番重いのは骨折ということになっております。それから凶器、この点はいろいろと現在取り調べ中でございますが、凶器はやはり捜査上の一番のポイントになるものですから、このことは、この機会に言明することを避けたいというふうに考えております。

解放同盟の暴力で骨折、打撲、失神者も続出

○村上(弘)委員

負傷の状況しか述べられなかったわけですが、私のほうから簡単に述べておきたいと思います。

この骨折は、肋骨、腰椎、横突起などの骨折が十三名になっています。予ての他全身打撲。これは、やけどなどいっぱいありますが、特に失神した人がたくさんいるというのが特徴です。

それからリンチのやり方ですね。この点では、頭に対しては飛びけり、それからほうきの柄でなぐる。電柱や机、壁にぶつける。それから毛髪を引っぱる。顔に対しては、ほおをひねって、単にひねるんじゃない、ちぎり取るように引っぱるわけです。長ぐつでなぐる。それからつばをはきかける。このつばも、流れるほどつばをはきかける。それから水の入ったバケツやたらいの中に顔を突っ込む。たばこの火を顔や首に押しつける。胸や腹や腰に対しては、金具のついた半長靴でける。手足に対しては、靴やいすの足で踏んづける。指の関節の部分にボールペンをはさんで、そして強く握る。頭から全身に水をぶっかける。婦人教師を裸にする。これはもう破廉恥きわまりないです。□□先生などは、水をかけて裸にして、それに扇風機をかけて冷却する。耳にハンドマイクをあてがい大声でわめく。汚水を無理やりに飲ませる。鼻の中に水を入れる。それから二、三人がかりでかかえ上げて地面にたたきつける。ありとあらゆる蛮行を尽くしてきたわけです。  それで、武具、凶器については、証拠になるからということを言っていましたが、牛乳びん、青竹、腰かけ、ハンドマイク、たばこの火、メリケンサック、びょうのついた半長靴、南京錠、鉄製のバール、こういうふうなものを使ってやっておるわけです。

11人逮捕に警察官7000人動員

○村上(弘)委員

この際、ついでにちょっと聞いておきたいわけですが、十一名を逮捕するときに、警察はどれくらい動員しましたか。これは公安委員長。

○山本(鎮)政府委員

十二月二日に四名を逮捕する際は約五千名、十二月十二日にあと七名を逮捕するとき約二千名ということになっております。

○村上(弘)委員

二回目は……。

○山本(鎮)政府委員

二回目は但馬地区は二千名でございます。

路上で暴行、トラックで拉致

○村上(弘)委員

連合赤軍と浅間山荘で銃撃戦をやったときの警官の動員が、新聞報道ですが、実動員大体千二百人ですね。これは十一名逮捕。最初は四名です。四名逮捕するのに五千人を動員しておるのですよ。いかに凶悪犯であったかということです。

私は、この暴行や集団リンチがどのように行なわれたかということを、ごく簡潔に最初に述べておきたいと思うのですが、路上の場面で最初暴行をふるった。次は学校の中で三カ所。第二体育館に最初全員を連れ込む。そこで話し合いに応じようということで、話し合いをさせるための暴力。それから次は、話し合いだと称して、本館の会議室や解放研のクラブの部屋、部室に連れていく。これが学校の中の第二現場なんです。第三回目は、第一体育館というところに連れていって、ここで全部を糾弾し尽くして、それで勝利式みたいなセレモニーをやっているわけなんです。

こういうことになるわけですが、路上の模様について、きょうは現地の方も来ておられますが、簡単に申してみますと、□□先生という先生が告訴状の供述書に次のようなことを書いております。これは校門から約三百メートルの、商店街の幅四メートルの三叉路なんですね。ここで丸尾らにはさみ打ちになるわけですが、そこでは、「スクラムに対して、左右の腕を力一ぱい数回けり、こぶしで頭を数回なぐり、くつでからだのあちこちをける。ショルダーバッグはちぎれ、防水ジャンパーは脱がされ、めがねはどこかへ、バンドも同様、運動ぐつも脱がされ、くつ下も取られ、はだしだ。このころ頭はぼうっとしていた。両手足を持たれ、付近を通りかかったトラックの荷台にほうり込まれる。そのときトラックにはすでに数人の教職員がおって、□□先生は鼻血を流した。私は苦しくてうつぶせになっていた。そのトラックの運転手は病院に運ぶものと勘違いしたらしく、学校を通り過ぎて走る。そうすると、運転手の窓ガラスがこわされて、丸尾らが運転手をなぐる。そして運転手はおろされ、荷台にやはりほうり上げられた」、こういうようなことが起こっておるのですね。通りかかったトラックがこういうことのために使われ、運転手までがリンチにあっている。

校内でリンチ

そういうふうにして、第二体育館に全員が連れ込まれるわけですが、ここの状況について□□先生の供述書ではこういうふうになっていますね。「一人ずつバラバラにされ、私は一〇人位の、顔を見たこともない男達に取り囲まれ、「お前らなんで解放研と話をしないか」「差別教育をするのか」等と目の前でどなったり、耳の横で携帯マイクのスピーカーで大声を出され、更に、後から髪をつかまれ、「上を向け」と言いながら、坐ったままの私の顔を無理に上に向けさせ、横から手拳で殴ったり、皮グツで蹴られたりしました。」飛ばしますが、「黙っていると一層ひどく殴る、蹴る。誰かが「水をくんで来い」と言い、私は着ていたコートとブレザーを脱がされ、バケツの水を後頭部から背中にかけて、シャツの中にかけられ、更にくり返し殴る、蹴る、水をかける等をされ、結局三回もバケツの水をかけられ、痛みと寒さで気が遠くなりそうでした。」こういうふうに言っております。
殴る、蹴る、バールで突く、水をかける、鼻に水をバケツで

それから、この校内の第二現場の状況について、□□先生の供述を見ますと、この先生は教員組合の支部長さんで、最も残忍なリンチを受けたわけですが、三時までは第二体育館で糾弾され、それから解放研の部室に連れてこられたわけです。「椅子に坐らせ」このガキ、しぶとい野郎だ」とどなりながら顔面を手拳で往復ビンタのように数十回殴りつづけ、さらにみぞおちを三回位立て続けに蹴とばしたため嘔吐し、気を失いそうになった。この暴力を振った男はプロの暴力団のような強力なパンチの持主であった。」「その後、タバコの灰の入ったぞうきんバケツの汚水を無理矢理口に注ぎこみ、その上鼻にもバケツで水を注ぎこみ、呼吸を著しく困難にした。「お前は□□か」「お前みたいなものは死んでしまえ」「しぶとい野郎だ」などと罵声を浴びせた。さらにメリケンサックを手拳にはめた男が、その手拳で十数回顔面を殴りつけた。このような状態は同夜九時すぎまで続いた。」十時過ぎから――もうすでに晩の九時になっておるが、その後さらに会議室に連れ込んで、「同和教育について自己批判し、「確認書」を書くように強要したが、同告訴人がこの要求を拒否したところ、傍にいた男が同告訴人の手の指を反対側にねじり、鉄のバールで脇腹を数回にわたり突いた。」さらに休養室に連れていって、「被告訴人らは、殆ど意識を失いかけている同告訴人を休養室に連れ込み、着がえさせるという名目で裸にし、扇風機をかけて、冷風を直接濡れた身体に吹きつけた。同夜十時頃、それでも屈しないでかすかに生き長らえている同告訴人に対して最後の止めをさす目的で、同告訴人の腰部に対して集中的に力一杯蹴りあげてきた。この為、同人はついに力尽き、全ての抵抗力を失って意識朦朧となった。」こういうふうに供述しているわけです。

私はお断わりをしておきますけれども、このとき、この学校に動員されていた部落の人たちが、みんなそういう人たちであったんじゃないということです。もうやるなと涙を流してとめておった人もあるということですね、先生などの供述では。それからけんかをしているのですね。つまり、やってはいかぬという人に対して、やるべきだといって、この幹部たちが押しつけるわけですね。それで内部でけんか状態が起こっているということも、先生方はそのとき話をしています。

糾弾会で自己批判を要求

それで、糾弾し尽くして最後の場面になるのですが、この模様について、□□先生という方が次のように言っています。ここの場面は、最後の勝利の祝賀会みたいなものであって、十六ミリのフィルムを丸尾らはとっておるわけですね。ここの場面を特に一番クローズアップしているのですが、「丸尾支部長が「今から糾弾会を行う」と言って、教員を二列に並ばせ、同盟員数百名が並びました。その上で、一人一人に職名と名前を言わされ、丸尾が「自己批判書」を□□に示し、「これは君が書いたものだな」と言っておりました。又、丸尾は、「八鹿高校の職員室へ入って来たら、お茶の一杯も出してくれるやろな」。これはもうほんとうにファシストの態度ですね。やっつけて瀕死の状態の者に対して、今度職員室へ来たら、わしにお茶の一ぱいも飲ましてくれるやろうなと、こういうことを言うておるわけです。そうして、そのもう倒れかかっておる先生方の前をハンストの生徒が行進したということになっている。「そして、「糾弾会」が終わり、その後、全員職員室へ連れて行かれ、後から校長も入って来ました。」というふうに言われております。

そこで、そのときの負傷の状態がいかにひどかったかということを□□先生の写真で――これもまあ相当あとの写真であるわけですが、この写真を見ていただくとわかりますように、この先生は細面の方なんです。こちらの写真が現在の状態で、まあどちらかというと細面ですね。ところがこのときはもうまさにフットボールみたいに顔がふくれ上がっておるというような状態であるわけです。リンチの状態がいろいろな写真でとられておって、そのときの直後の状態ではありませんけれども、これはまあ皆さんのほうに、事実を知っていただくためにちょっと回して見ていただきたいと思うのです。

そこで私は、以上の事実に立って、文部大臣に最初にお尋ねしたいと思うわけですが、このような暴行や集団リンチで、話し合いだとか確認会だとか糾弾会とそれを呼んでおるわけですが、そういうことをやるために学校を使用しているわけですね。校長は使用さしておるわけです。このことはよいことか悪いことか、どうですか。

○永井国務大臣

私は、この県立八鹿高校の事件を聞きまして、学校教育には絶対に暴力というものがあってはならないと思います。校長の問題につきましては、校長先生は、私の理解しておりますところでは、この事件が起こるまで指導に当たってこられたわけですが、防ぎ切れなかった、しかし加担したのではないというふうに承知いたしております。

校長室の横に「闘争本部」

○村上(弘)委員

まあ、防ぎ切れなかったということは、やりたくないことをやったという意味かと思いますが、私が聞いておるのは、こういう集団リンチ、暴力をする、そういう行動をやるために学校を使用させるということについてどう思うか、こういうことに学校を使用さしてはならないということは明らかにしておくべきじゃないか、これをお尋ねしておるわけです。

○永井国務大臣

学校が話し合いの場所であるのは当然でありますけれども、暴力をもって糾弾をするような場所じゃないということは、申し上げるまでもないことであります。

○村上(弘)委員

この糾弾闘争の現地闘争本部、つまり八鹿高校差別教育糾弾闘争共闘会議なる団体が、この丸尾らの暴力と脅迫でいわばデッチ上げられておるわけですが、この共闘会議の現地闘争本部が校長室の隣の応接室に設置されておったのですね。こういうことも、管理者である校長は許してはならぬことだと思うのですが、どうですか。

○永井国務大臣

ただいまのような事実につきましては、私はまず、この直接の教育行政の担当は兵庫県教育委員会でございますから、兵庫県教育委員会と連絡をとりながら、すでに進んできておりますが、いまの問題については、兵庫県教育委員会からの詳細な報告というものを受けなければならないと思っております。

○村上(弘)委員

はっきりとこういう行動が行なわれ、そしてその結果、逮捕もされておるわけですね。現地では、その解放車なんかがどんどん学校の中に出入りしておって、彼らが学校の中で暴力をふるって、これだけの負傷者が出ておるということもはっきりしておるわけです。その行動の闘争本部が校長室の隣の応接室に置いてあるわけですね。こういうことについて、いいことか悪いことか、こういうことがあってはならぬことかということを聞いておるのですよ。

○永井国務大臣

暴力が発生するおそれがあるような闘争本部が学校内にできるということは、悪いことでございます。そこで、これにつきまして兵庫県の教育委員会は、事件が起こる前から職員を派遣いたしまして、そういうおそれがあるというので、指導に当たっていたというふうに私は承知いたしております。しかるに事件が起こりました。事件が起こりましたので、これは文部省としてもまた責任がありますから、そこで文部省は、山崎政務次官に現地の兵庫県におもむいていただきまして、これは当然悪いことでありますから、したがいまして、兵庫県の教育委員会委員長、教育長、副知事にお目にかかって、そして指導助言の立場で、学校の中で暴力が行なわれることは絶対に排除しなければいけない、そして授業が再開されなければいけない、さらに教育が正常化されなければいけないという点にわたって、指導助言に当たったわけでございます。

職務命令を出して教員を呼び出した校長

○村上(弘)委員

問題にはっきり答えていないわけですが、校長は、八鹿警察署長が内部の状況を問い合わせ、警察力の発動をしようかという話が五回あったわけですが、そのつど、平穏に話し合っておると言って、この警察力の発動をいわば事実上拒否して、そして丸尾らが学校の中でこの残虐なリンチをやり尽くし、彼らの目的を達するようにこれを保障する、こういうような行動をやっておるわけですね。

それからこの校長は、教頭に次のような指示をしておるわけです。第二体育館に行って、最初入ってきた学校の先生方に対して、だれが来ておるか、だれが来ておらないか、この名前を調べてこいということをやって、そしてそこにいなかった先生方に対して電報を打っておる。業務命令ということで、学校に出てこいという電報を打っているんですよ。この電文を見ると、「事態収拾のため、学校におけるすべての校務運営並びに教育活動について校長の指揮監督に従うことを命ずる。直ちに学校に復帰せよ。」こういうまさに半死半生のような状態に追い込むための場所に、おらぬ先生にまで電報を打って、そうして職務命令だ、命ずる、出てこい、こういうふうなことをやっているわけです。これが正当な職務命令と言えますか。どうですか。

○永井国務大臣

私は、先ほどから申し上げましたように、この問題に関しましては、非常に重大な事態でありますから、文部省に当然責任があるのです。しかしながら、非常に重大な事態であって、その責任者というものは、当然に文部省とともに兵庫県教育委員会にあります。そうして暴力が発生したということは、これはやはり絶対に悪いことです。その事態について詳細に調査をしなければいけないということで、その調査が進んで、そして文部省が報告を得ようという立場にありますので、いまそういう方針によって調査を進めているということを申し上げます。

繰り返し申し上げますが、暴力が行なわれる、そしてそういうことのために教育委員会あるいは教育行政の立場というものが暴力を助けるというようなことがありましたらば、これは悪いということは、もう申すまでもございません。

暴力に協力した兵庫県教育委員会

○村上(弘)委員

具体的な問題は兵庫県教育委員会ということを言っておられるわけですが、その兵庫県教育委員会が、実はこういう集団リンチ、暴力行為に事実上加担し、共謀しておる。これはもうちゃんと事実がある。この事件の前日、但馬教育事務所の緊急指示というのがありまして、但馬一市十八町の教育長と教育委員に緊急合同会議を招集しておる。ここには県教育委員会の杢谷次長も参加しておる。そうして八鹿高校問題については、解同、つまり部落解放同盟朝田・丸尾派らを支持する、こういう決議を採択しておるのです。そうしてその当日はどういう状況かというと、数日前から杢谷教育次長らが八鹿へ出ており、山岡主任指導主事、それから畑中同和教育指導室参事、喜始、植田、芦田、こういう教育委員会関係の者を現地に派遣しておる。そして、上田平雄但馬教育事務所長が赤はち巻きを締めて終日現場におったじゃないですか。また、前田昭一社会教育主事は、この第二体育館の現場で、連れてこられた先生方に対して、「前もってこんなことになると言っておったじゃないか」というふうなことまで、そこで言うておるわけです。つまり、教育委員会自身がこういう暴力行為をやっておる朝田・丸尾らの行動を支持する、そしてこの糾弾行動に実際に参加して、はち巻きを締めて現場に入っておるのです。その教育委員会に、あなたは報告を待つ、どういう状況か言えと――。大体、兵庫県の教育委員会関係の当事者はみんな、こういう事実はなかった、あるいは、あったかどうかわからない、こういう態度を、口裏を合わせるようにとっておるわけです。

この問題について、これは八鹿町のある同和地域の人からの手紙なんですが、こういうふうなことが言われています。これは養父町解放研加入中学生を持つ一母親です。丸尾らが暴力で脅迫してつくり上げさしたこの解放研という組織の中に入れられておった生徒の母親なんですね。長いですから途中だけにしますが、「いままでの確認、糾弾とは一方的な罵倒であり、かりにも民主的とはいえないものです。八鹿町民はじめ各町で暴力に対して一斉に立ち上がろうと団結しつつあり、また全国各地から調査団が続々と町へ来られるというのに、暴力集団は、いま、十一月二十二日の道路上の「解同」朝田・丸尾派の行動を証言したりすると家に火をつけてやるとか言って、それぞれ脅迫をしたり、おどして回っているので、またふるえ上がっている始末です。その上、町長は、道路上で暴力のあった商店街目撃者の家を一軒一軒回って、「暴力はなかったですね、見なかったですね、そのとおりに証言してくださいね」と言っています。こういう事実を日本全国の皆さんはほんとうのことと信じられますか。しかし事実なのです、このおそるべき状態が。あの二十二日、冷雨降る川原に勇気をふるい起こして立ち上がった千人近い八鹿高校生は、いま歯ぎしりをして、おとなたちのふがいなさを嘆いています。きょうも高校生自治会の役員たちは、連日二時、三時まで、めぼ(ママ)を出し、睡眠不足でくたくたになって、このことに取り組んでいると聞いています。暴力に屈することなく、ほんとうの差別をなくすることでは、部落の中でも理解あるまじめな話し合いで解決しようという人は一ぱいいます。これを妨げているのは、利権にくらんだほんの一部の暴力分子たちです。これらを排除して、真の差別のない地域づくりを考えるにはどうすればよいか、皆さん、手を取り合ってこのことを訴えましょう。名前を書いて出したいが、事情を察知してください。」こういうふうに書いてあります。

ここにあるように、町も学校もまだ自由にものが言えないわけですね。逮捕されて少しは空気が変わってきておるけれども、まだ、政府がどういう姿勢を示すか、文部省がどういう姿勢を示すか、この姿を見ておるわけですよ。ですから、あなたが、県教育委員会のことだとか、学校長がどうであったか、闘争本部があったかなかったかわからぬからなどという態度をとっておる限り、このおかあさん方は、ああ、ほんとうに三木内閣は暴力に対してしっかりした態度をとっておるんだ、そういう問題は許さないんだ、そういう教育政策をとらないんだということを見るか見ないか、これを注目しておるわけです。  もう一度、そういう、学校の中に闘争本部を置くというようなこと、職務命令を出してリンチの場に引き戻そうとするような残虐な態度をとったことがいいことか悪いことか、そういうことは今後許しちゃならぬということをはっきり言ったらどうですか。

○永井国務大臣

繰り返し申し上げますが、文部省のこの問題に対する立場は非常にはっきりしております。といいますのは、まず第一に、学校教育の中で絶対に暴力というものがあってはならないということであります。第二は、同和教育の原則といたしましては、これはもう同和対策審議会の原則が答申に示されておりますが、教育の中立性というものを守っていかなきゃいけないということでございます。

そこで、では、教育委員会というようなことを一々言わないで、文部省はひとつやらなければいけないじゃないかという意味にも、御発言がとれますけれども、私はそうではないと考えておりますのは、やはり、教育の場合に、文部省がすべてのものに当たるというのではなくて、わが国の場合に、地方自治というものを尊重するという原則があり、さらにまた、地方自治の中で一般行政と協力しながら、特に教育につきましては教育委員会が当たっていくという、そういう非常に重要な原則というものがあるわけでございます。

ところで、それでは兵庫県教育委員会あるいは文部省は、いままでの経過の中において何事もなしてこなかったかというと、決してそうではありませんでした。まず、兵庫県教育委員会は職員を事前に送っておりまして、しかし、それが事前に送られていたにもかかわらず事件が起こったということは、御指摘のとおりであります。そこで今度は十二月三日に、文部省は山崎政務次官を兵庫県教育委員会に送ったわけであります。そしてその結果どういうことが起こったかというと、ともかく現段階におきましては授業が再開されるに至りました。しかし、授業が再開ということだけでは不十分であって、ほんとうに和気あいあいの中に教育というものが行なわれるべきものであることは申すまでもございません。兵庫県教育委員会は、これは兵庫県教育委員会において同和教育基本方針というものを出しているのですが、その原則というのは、先ほど申し上げました、文部省における同和教育の中立性の原則というものを確認しているものであります。そこで、文部省が先ほどのような指導助言を行なったのに対応いたしまして、兵庫県教育委育会も同じ立場に立ったと思われますのは、十二月十四日に予定されておりましたところの現地を中心とする大会です。これはその事前に状況がわかりましたために、兵庫県教育委員会の十三日の指示によって、十四日は中止されるに至りましたから、授業再開、それから十四日の大会中止というふうに、少しずつ事態が進んできているという、兵庫県教育委員会の努力というものが見られるものというふうに私は了解いたしております。

○村上(弘)委員 その十四日の集会を県教育委員会がやめた理由は何ですか。

○永井国務大臣 理由は、先ほどから申し上げました二つの原則でございます。それは私たち文部省の立場として申し上げた原則でありまして、暴力の排除、そうしてまた教育の中立性というのでありますし、また兵庫県教育委員会の同和教育基本方針というものが示されておりますから、私はそれに沿って指示が行なわれたものと了解いたしております。

「話し合え」と糾弾。応じないことが教師の良心
無限の要求をつきつける部落解放同盟

○村上(弘)委員

ということは、十四日の集会は教育の中立性に反しておる、そのために中止をした、こうとっていきたいと思うのですが、あなたがそういうことを言っているというふうに理解いたしますが、解放同盟と連帯するとか提携するということは、同和教育の中立性とどういう関係になるか、この点についてはどう考えますか。

○永井国務大臣

私は、先ほどすでに御指摘がございましたように、同和教育に当たっております団体というのは、解放同盟を中心にしたものだけではなく、他のものもあるわけでございます。そうした諸団体というものの存在、そうしてまたそれが教育というものに関心を持っているということは当然尊重すべきことであって、それらの協力を得ながら学校教育を充実するように、教育委員会というものは活動していかなければならないと思いますが、党派的であってはならないと思います。

学校に「解放車」、投光機。糾弾へエスカレート

○村上(弘)委員

そこはわかりましたが、それまでの間に、実はそれに反する行動がたくさん行なわれておる。そして、この問題の発端だとよくいわれておる、解放研と話し合わないからとか、解放研を認めよだとか、解放研を認めないのはそれは差別であるというふうなことを学校の先生方に押しつけるということが、それ以前のすべての問題を貫いておるわけですね。で、ハンストをやっておる、ハンストをやっておるのに話し合いをしない、だからこういうことが起こったんだというふうなことを言う者もあるわけです。しかしながら、ハンストをやる、これはビフテキを食わしてやっておるわけですが、このハンストをやる以前にどういうことが出されてきておるかといえば、この解放研を認めよ、これに三人の顧問を置け、この顧問は自分たちが指名する者をやれ、話し合いをやれ、自分たちの同和教育が間違っておることを認めよとか、こういうふうな内容を持っておるわけですね。それに従わなければ、これは無限の話し合いが要求される。これは普通だったら・話し合いというのは、相互の意見を自由に述べ合うわけですね。そうして一致する場合もあるし、一致しない場合もあるわけです。ところが、この解同丸尾らの言う話し合いというのは、屈服をするまでやるわけですね。彼らの意思に従うまでやるわけです。これは八鹿高校事件そのものなんですね。結局、それ以前の段階は、彼らの意思に思うようにならない、そこでだんだん威圧を加えてくる。これがずうっとエスカレートしてきて、解放車が入ってくる、学校に投光器が据えつけられる、こういうふうな状態が生まれて、いよいよ身の危険を感じて、先生方はきょうはもう集団でやられるかもしれぬということを察知して、それでもうみんな身を守るためにスクラムを組んで帰っていくわけです。

先生方は、自分たちは圧力や暴力で良心を変えることはできない、こういうことを言っているわけですね。それに対して、ハンストという道具立てを背景に、暴力をもって話し合えと言う。そうしてその話し合いの中身は、自分たちへの屈服、差別を認めよ、差別者であることを認めよ。これを一たん認めたら、それを自己批判せい、そして行動で示せ。そして新たな糾弾闘争にどんどん参加させられて、あれほどの大量の人間が動員される状態がすでにできておるわけです。

こういう話し合いに応じないということは、教育の中立性、教師の良心を守る上に当然のことだと私は思うんですが、あなたはどう思いますか。

○永井国務大臣

私は繰り返し申し上げますが、文部省の方針は不動であります。教育というものに暴力というものはあってはなりません。次に、教育というものを推進していく上には、教育の中立性というものが必要であります。しかし、それは方針でありますから、それを実現していくためにはさまざまな努力が必要でありますが、それは、先ほどから申しましたように、中央にあります文部省、それから地方にあります教育委員会というものが、それぞれ果たすべき役割りがあって、そしてそのレールの上に乗せながら、申し上げた方針というものを推進していくのが文教行政の立場だと思います。しかしながら、さらに文教行政だけで処理し得ない問題が起こります場合には、学校内といえども、治安当局というものが活動しなければならないということ、これもまた申すまでもない、当然、文教行政として連携、協力しなければならないものと考えております。

○村上(弘)委員

どうも的はずれのことを、それ自身は間違っていないことでありますけれども、私が聞いておる具体的なことには答えていないわけです。学校の先生が、自分の良心を守る、教育は中立でなくちゃならない、彼らの支配に服するか、それでなかったら残虐なリンチを受けるか、どちらかにしかならないような話し合いですね。この話し合いに応じないからといって、校長は職務命令まで出しているのですよ。こんなことが同和教育の正しいあり方ですか。同和教育以外であるどんな教育だって、こんなものは正しくないことは明白じゃないですか。こういう具体的な事実に対する文部大臣の判断を聞いておるわけです。

同和教育それ自体についてもお聞きしたいと思うのですが、ここの学校の先生方の同和教育がよく行なわれていなかったためにこういうことが起こったというようなことも、一部ではいわれておるわけです。事実はどうか、一体どこが間違っておるのか、これは具体的に指摘しているものはだれもいないのです。それはそのはずなんであって、ここの先生方は、もう五年前から、どこの学校よりも早く同和教育に取り組み、部落研も組織し、寝た子を起こすなといわれておるような状況のときから、生徒と一緒に部落にも入っていって、そして実態もよく知って、差別がなぜ生まれるか、どうしてなくさなくちゃならぬかというようなことについても学習をする。同時に、この同和教育というものと解放運動というものとは区別しなくちゃいかぬ、教育と運動とはこれは別なんだ、こういう県教育委員会の教師用の「同和教育の手引」ですね、手引きどおりに、運動と教育は厳密に区別するという立場も、これまた貫いてきておるわけです。ところが、この朝田派らが言うのは、丸尾らが言うのは、解放研の言うのは、同和教育は行動なんだと、まさに教育と行動を一体のものにし、しかも、自分たちの行動に服さなければすべて差別者なんだ、こういうことを押しつけて、その手段として話し合いというものを押しつけてきておるわけでしょう。

こういう具体的な内容をもってきているわけですが、この同対審答申は、御承知のように、「同和教育と政治運動や社会運動の関係を明確に区別し、それらの運動そのものも教育であるといったような考え方はさけられなければならない。」とこういっているわけです。県教育委員会は、その解同と連帯するあるいは解同を支持するまさにたくさんな団体の中の一つだけを支持し、その運動と連帯し、しかも彼らの非常に間違った理論と方針、それをまるまる支持する、こういうふうな態度をとってきておるわけです。どちらが正しい同和教育をやっておったのか。県教育委員会自身が、自分がきめた同和教育の方針、県教育委員会が出しておる同和教育の教師用の手引き、これを自分でかなぐり捨ててしまって、そうしてまるで解同の丸尾らの運動を支持する、それと連帯してやる、こういうことをやっておるじゃないですか。これはもう、ちゃんと県議会における教育長の答弁でも出ているじゃないですか。だから、こういう状態からいえば、どちらが正しい同和教育の立場に立っておったのか、こういう問題についてどう判断するかということと、文部省は同和教育に対して、解同丸尾やら朝田が言っているような、運動と教育は一体だとして、自分たちの考え方を押しつける、こういうやり方が正しいかどうか、どちらが正しいか、このことについての見解もあわせてお聞きしたいと思うのです。

○永井国務大臣

私、文部省の方針というのは申し上げたとおりでありますが、さらに政治活動というもの、あるいは政治運動というものを学校教育の場面に入れ込んでくるということは、教育と政治活動の混同でありますから、これは絶対にいけないものである、さような立場をとっております。

生徒を動員した糾弾闘争

○村上(弘)委員

そのことに関連して、いま文部大臣が、ある特定の集団だとか、特に政治に対して、政治を教育に持ち込んではならない、あるいは特定の政治と結びついてはならぬ、こういう趣旨のことを言われたわけですが、学校の生徒をこういう糾弾行動に連れていくというふうなことについて、あなたはどう考えるか。

たとえば狭山差別裁判糾弾闘争というのが全国的にやられてきておる。裁判そのものは、刑事事件については公正にやる、事実に基づいてやる、これが一番大事なわけです。疑わしきは罰せず、これ必要です。しかし、差別裁判というふうに頭からきめつけてしまって、それに対してどんどん子供を動員していく、それに学校の生徒まで連れていく。たとえば□□□中学校では、校長先生まで一緒に、この糾弾闘争に子供を連れて、これも結局丸尾派らの圧力によってではありますけれども、参加しておる。あるいは大阪でも□□□中などは、やはり子供を、裁判に対する糾弾闘争、こういうことに動員しておるわけです。そういう状況はもう一ぱいあるわけです。こういうことについて、こういうことは今後やっちゃいかぬということを、はっきりここで言明されたらどうですか。

○永井国務大臣

私は先ほどからはっきりと言明しているつもりでございます。政治運動というものを教育の場と混同して、そして政治活動によって教育を左右しては絶対にいけないということを申し上げております。

授業ができなくなる状態

○村上(弘)委員

その一般論が現実にどのように適用されるのかということが、いま問題なわけですよ。ですから、具体的に起こったこういう事態について、あなたは、それは政治活動に子供を動員していることだからよくないことだ、こうはっきり認めるのか、いや、それはどうかわからぬということなのか、やってもよろしいことになるのか、その判断がはっきりしないわけです。いまのような糾弾闘争に学生、生徒を動員する、これはあとでも触れたいけれども、橋本先生糾弾闘争というのがある。ここにはこの写真がありますが、こんなに生徒をたくさん動員して、そしてその家を包囲して、そして糾弾をやっておるんですよ。こういうことに生徒を参加させること自体が、あなたの言う教育の中立の趣旨に合うかどうか、このことをはっきり言うてください。

○村上(弘)委員

その一般論が現実にどのように適用されるのかということが、いま問題なわけですよ。ですから、具体的に起こったこういう事態について、あなたは、それは政治活動に子供を動員していることだからよくないことだ、こうはっきり認めるのか、いや、それはどうかわからぬということなのか、やってもよろしいことになるのか、その判断がはっきりしないわけです。いまのような糾弾闘争に学生、生徒を動員する、これはあとでも触れたいけれども、橋本先生糾弾闘争というのがある。ここにはこの写真がありますが、こんなに生徒をたくさん動員して、そしてその家を包囲して、そして糾弾をやっておるんですよ。こういうことに生徒を参加させること自体が、あなたの言う教育の中立の趣旨に合うかどうか、このことをはっきり言うてください。

○永井国務大臣

私が申し上げておりますのは――これはよく見ました。大学で長く教えておりましたし、非常に私よくわかるのです。どの党派に限らず、政治活動というものを教育と混同するのは絶対にいけない、そういうことです。そして、しかしながら具体的に事態が生じた場合、兵庫県八鹿高校のケースについて申し上げましたが、それについて、今度は文部省はどういうふうにやっていくか、そのやり方については、それぞれのケースがあります。そしてそのケースに応じて、それはまた、わが国の法律に基づいたところの組織でございますから、でき得る限りこの原則というものを貫徹すべく努力するという、そういう決意であります。

○村上(弘)委員

そのケースはどうですか。

○永井国務大臣

これは、政治活動というものが教育というものの中に混同されているというケースであるというふうに認定いたしますならば、これはいけないということでございます。

○村上(弘)委員

学校の先生の糾弾行動ですよ。そういう問題に対する一つ一つの教育行政というものを、ほんとうに正確に、厳密に、厳正にやるということが非常に重要だと思うわけです。今日までこういう問題に対する文部省や教育委員会の態度がきわめてあいまいであったり、あるいは事実上それを許しておる、こういうことがあるために、教育の中の荒廃というものが非常な状態になってきておる。この問題を少し私は指摘したいと思うのです。

たとえば、大阪の□□区の□□中学校というところがあります。ここの学校では、大阪の場合は、朝田、上田、こういうメンバーが解同の幹部であるわけですが、朝田・上田派 、彼らの支配というものは非常なものですよ。その結果、学校の先生方が、部落解放同盟あるいは同和地域の生徒に対しては、もう何か間違ったことをやっておっても、それについて正当な指摘ができないわけです。もしそれを指摘して差別者だと言われたら、もうその先生はたいへんなことになるからです。ですから、もうここでは生徒がどんな行動も自由自在にやっておるわけです。この□□区の□□中学校の場合は、教室で生徒がタコ焼きを焼きおる。それから教室の中に爆竹を投げ込む。授業時間中に自由に出歩くわけです。しかも、その生徒が自由に出歩いている地域の解同の幹部からは、子供が自由に出歩くのを先生が見のがしておるのは差別だ、こういう批判を受ける。そうすると、これはもうほっとけないから、出歩くのについてくる。ついていっても帰らないですね。そうすると、帰れば糾弾されるから、その生徒のあとについておるほかない。引き戻すことができない。一日じゅうその生徒のあとについておる、そのクラス委員なんかもついていく、こういうような状態であって、十月二日以来一週間授業ができなかった、こういうふうなことも起こっておるわけです。これは非常な教育の荒廃ではないか。朝来でも、不法集会に先ほど言ったように生徒を動員して行っておる。

こういう教育の荒廃が生まれるような状態、これに対して、文部大臣はもっと現地を実際に見て、それを調査してこれをただす、もっと具体的な事実に即してあなたの一般論を適用する、こういう措置をとる必要があるのじゃないか。どうですか。

○永井国務大臣

ただいまの問題も、まず文部大臣が現地をよく視察して、そしてその原則ということだけではいけない、よく調べろ、それは全く調べるということは必要であると思っております。

そこで、大阪の問題についても、私は非常に重大であると考えましたので、いままで調べたことを申しますと、おっしゃいますように、十月二日時点において授業が行なわれておりませんでしたので、学校側が学年集会を開催して注意をいたしました。ところがなかなか簡単に解決いたしませんでしたけれども、幸いにして十月十一日から通常の時間割りでもって授業が行なわれるようになりました。そこで学校側では、学年集会のために欠けた授業時間をどうやって補充するかという問題がございますために、冬季休業期間中に、その一年生のみを対象として三日間補習授業を行なうという段階に到達いたしましたので、御報告をいたしたいと思います。

かように一つ一つケースがございますが、私はただ原則を申し上げているのでなく、そのケースにあたって原則の貫徹というものをはからなければ教育の荒廃が救えないという点において、非常に重要なポイントであると考えております。

蛮行の費用を自治体が負担
ゼッケンまで同和予算で購入

○村上(弘)委員

次は、自治体が八鹿高校事件の問題でとった態度の問題についてお聞きしたいと思うのですが、同和予算の性格や目的はどういうところにあるか、これは総務長官にお聞きしておきましょう。

○植木国務大臣

同和問題は、憲法の人権の基本的な保障にかかわる重大な問題でございますから、同和対策審議会の答申があり、四十四年から同和対策事業特別措置法ができましたし、また長期計画が立てられまして、今年は後期の第二年に当たっている状況でございます。

現在まで、四十四年度には二十七億円の予算でございましたけれども、四十九年度には二百四十八億円というふうにたいへん大きな予算をとっておるわけでございます。私どもといたしましては、ことし同和対策室が総理府の中にできましたので、各官庁において行なわれます行政を総合的に調整いたしているのでございまして、地方に対しまして……(村上(弘)委員「あなたのところが何をしているか聞いているのじゃないのです。同和予算の性格と目的を聞いている」と呼ぶ)その予算を各地方の実情に応じて即応して使用していただくというのが、これは本来のひとつのたてまえでございます。同時にまた、地域住民がひとしく公平にその恩恵にあずかるということが、私どもがいまとっております諸施策の理念でございます。

○村上(弘)委員

同和予算の性格、目的とは的はずれのことを言っているわけですが、この八鹿町その他但馬一帯の自治体が同和財政というものをいろいろ組んでいるわけですね。たとえば先ほどのような八鹿高校のリンチを行なう場合のはち巻きだとかゼッケンだとか、こういうものも全部この同和予算で出ておるわけです。いわゆる糾弾行動、それから青年行動隊の制服、解放車という名の自動車、それから八ミリのフィルム、それからその現像費、彼らが行動するものはすべて自治体が保障しているわけですよ。このひどい蛮行、暴力の行動を、全部自治体が予算で保障していっているわけです。こういうような予算は、一体同和予算の性格からいっていいのかどうか。ゼッケンやはち巻きが同和予算の性格や目的に合致しておるのかどうか。これはひとつ福田自治大臣、どうですか。

○福田(一)国務大臣

いま御指摘になったようなものがその目的のみに使う意味で購買されておったとしたら、私は若干同和予算の使い方としては間違いであると思っております。

糾弾会に職員を動員、保健婦・看護婦も

○村上(弘)委員

これはあとでも触れますが、その目的のために先に出して、もうこの予算化する前に使っておるのですよ。こういうようなひどい状態になっているわけですが、財政面だけでなく、人の動員も町当局が実際上加担している。

糾弾会へ町の職員を動員する。また町の保健婦、看護婦も現場へ行かして、リンチで失神した人たちにカンフル注射して、そしてそれで意識が回復したらまた糾弾する。こういうふうなことにまで町が実際上協力しているわけです。また、この地方自治体の事務所の中に、こういう彼らのいろんなたむろができていく。また事務の中にもそういう仕事が一ぱい含まれている。こういうふうな行動に地方自治体が参加するということは、これは地方自治体の本来の姿からいってどういうことになるか。どうでしょうか。

○福田(一)国務大臣

私は、この同和行政ということについては非常に理解をいたしておるつもりでございまして、従来恵まれなかった立場にある人たちを救うということは政治の目的である。私も同和問題には大いに協力をいたしております。しかし、いまお話しのようなことがあったことはまことに悲しむべきことだ、そういうことで、ほんとうの意味での同和の人たちの境遇をよくすることができるかどうかということを、実は私としては残念に思っております。

自治体の財政 完全に破たん

○村上(弘)委員

地方財政が丸尾らによって支配されて、彼らの蛮行のために自由自在に使われておる。先ほどの集団リンチの全体の状況がフィルムにも撮影される、それの現像費まで払わされる、こういうことがはたして同和予算といえるのかどうか。あるいは自治体がやっていいことかどうかということになるわけですが、そういうことのために、他方この地域住民は非常に大きなしわ寄せを受けておるわけですね。

たとえば八鹿町は、九月議会で同和対策費六百六十万円、十二月議会で九百四十一万円、これは計上見込みですが、合計して二千万円、先ほど言いましたように議決する前に支出しておるわけです。事後承認です。これはむちゃくちゃじゃないですか。近くの山東町は九月の補正予算二千九百三十万円のうち二千万円が同和予算です。解同らの要求で組まされているのです。こういうことはこの南但馬すべての町で起こっているわけです。全郷の予算規模は大体十億程度ですよ。ところが彼らは、七町から、四月から十一月までの間にざっと一億一千三百万円、彼らのための金を出さしておるわけです。こういうために町財政は全く破綻してしまっておる。朝来町では九億円の借金の上にさらに借金なする。

これは兵庫県だけじゃないですね。大阪はどうかというと、大阪府の同和予算は衛星都市を含めて五百七十三億円、これは政府の同和予算五百七十五億円と全く同額ですよ。大阪府だけで五百七十三億円も出しておるわけです。これは好きこのんで出している状態じゃないですよ。もう全く暴力、脅迫、彼らの押しつけでそうなっているのですよ。その結果、たとえば泉南市というところは、同和予算が泉南市の総予算の四九・七%を占めておる。ここの同和人口は、全人口の六・一八%です。六%のために四九%の財政が支出されておる。大阪市は、民生費の中の建設事業費は、たとえば保育所とか老人ホーム、この事業費のうちで同和対策事業費が七七%。あまり大きいので、ちょっと数字が間違いじゃないかと、私自身が思ったくらいです。こんなにひどい状態になっておる。大阪市の同和人口は二・二%です。民生費の中の建設事業費の七七%がそのために使用されておる。

大阪の学校の建設、これは大阪のほとんどの人が知らぬ人はないような状態にいまなってきております。たとえば、同和地域の学校にはたいへんな要求が出され、彼らがそのための利権を一人占めにし、そして建てられる学校というのはまさに、ここに奥野さんおられますが、あなたがこの前質問されて、夢のような話だといって、大阪ではもうたいへんよく知られているわけですが、□□小学校の建設総額五十億五千万円です。普通の学校は一校大体五億円くらいですよ、大阪の場合。これは広さ三万平方メートルです。三十二教室です。特別教室が二十あるのです。プールが二つあるのです。プラネタリウムの教室まであるんです。そうして□□小学校というのは四十六億七千万円、こういうのがどんどん要求されておるんです。そうして他方プレハブ教室でどうにもならぬ学校がいっぱいありますよ。緊急整備を要する小中学校が三百七十九校もあるんです。彼らはむちゃくちゃなんですね。暴力と脅迫のもとに屈服させられた地方自治体が、おちいり、しかも彼らと結びついて、いまやその罪の意識すらなくなっている、そういうところもあるのです。

そういう形で、住民は全く腹に据えかねる思いをしているわけです。しかしながら、いままであれだけの残忍な、残虐な行動が行なわれるときに、やっと十一人逮捕される。いま初めてこうして大問題になりつつあるというようなことになってきておるわけです。

窓口一本化の誤りを認めよ

もう一つ、私ここで言っておきたいのは、これほどたくさん同和予算を引き出しておる。それではさぞや同和地域の内部はみんな非常によくなっておると思われるかもしれない。しかしそうじゃないのです。そうではなくて、解同朝田・丸尾らが窓口一本化と称して、自分らだけを相手にせよ、その他の組織、同和会だとか、あるいは部落解放同盟正常化連絡会議だとか、こういう組織は相手にするな、部落差別を撤廃する運動はわしらが正しいんだ、わしらの言うことを聞け、こういうやり方で窓口一本化を押しつけて、そのために同じ同和地域の人も、こんな膨大な資金を出させながら、差別をされて、適用されていないのです。

たとえば同和住宅の家賃まで差別されておるのですよ。大阪市の□□区の□□同和住宅では、朝田、上田らの組織に入っておる者は家賃を上げない。その他の者は全部家賃を上げておるのです。四倍以上上げていますよ。三DKで、いままで千百円だったものが、四千七百円払わされておるのです。

これは大阪だけじゃないです。あるいは但馬だけじゃないです。東京もそうですよ。ひざもとの東京も。東京では、御承知のように、美濃部都政のもとで、生業資金の貸し付けの問題について、この朝田派らの研修を受けなければ金を貸さない。この年の瀬を迎えて、いまだに生業資金を貸し付けないのです。朝田派らの研修を受けて、彼らの言うことを認めたら金を貸してやる、こんなやり方がありますか。これは明らかに、憲法や地方自治法、つまり法のもとの平等、あるいはひとしく役務を受ける権利がある、こういう憲法や地方自治法の重大な逸脱じゃないですか。この問題について、私は、自治大臣と三木総理の考えをお聞きしたいと思うのです。

○福田(一)国務大臣

ただいま御指摘されましたことの内容につきましては、私はそうであるということはここで申し上げることはいたしませんが、しかし、そのような差別が行なわれておるといういささかの事実は、私も聞いております。実はそういうことも聞いております。したがって、これからの地方自治体に対する態度としては、そういうような疑義を生ずるような予算の使い方というものは慎むべきであるということを私は指示をするようにしたいと思っております。それかといって、じゃあいままでのはどうするかというおことばもあるいはあるかもしれませんが、私はいままでのことは、ちょっとこれですぐ、いまあなたが言われたような大きなりっぱな学校ができたから、それをつぶしてなんというわけにはいきません。そういうわけにはいきませんから、とにかくこれからはそういうことがないようにして、そして何とか部落の関係の方が仲よくしていただきたい、私は、ほんとうのことを言うと。そしてほんとうにその人たちの利益が守られるように、ぜひ私はお願いをいたしたいと思います。すべて、差別が行なわれておるということのために使っておる予算がまた差別のために使われておるということは、まことに悲しむべきことである、かように私は考えておる次第でありまして、今後はそのことがないようにひとつできるだけ努力をさしていただきたい。これが自治大臣、というと失礼ですが、私の考え方であり、その方針で臨んでいきたいと思っております。

○村上(弘)委員

もう一言。福田自治大臣の基本的なお考えは、それとしてわかるわけですが、いまこの際、もう一つ私はあなたにはっきりここで述べていただきたいと思うのは、部落の人たちが仲よくしてほしい、こう言われたが、部落の人たちと部落でない人たちも仲よくしなくちゃならぬ。この問題の、いま非常なひどい状態が起こっておるこの一番のかなめになっておるのは、部落解放同盟の朝田派が、自分たちだけを認めよ、自分たちだけを交渉の相手にせよ、自分たちだけに、この同和予算だとか同和教育についてものを言わせよ、そして自分たちの言うことだけを聞け、こういうふうな態度をとっているわけですね。これは窓口一本化といっていますよ。こういう窓口一本化というものは誤りであるということ、これを明らかにする必要があると思うのです。三木内閣、新たに社会正義をいい、社会的公正ということをいって、ここで皆さんが責任を持ってやろうという限り――いままでこういう問題があいまいにされたために、こんなにひどい状態が起こっておるのです。こんなことが続いていいとは、よもやあなた方も思っておらぬと私も思うのです。であるならば、こういうまさに不公正な同和行政の、彼らの旗じるしになっておる窓口一本化というのは間違いだということを、この際ぜひはっきりしていただきたいと思うのです。

○福田(一)国務大臣

私は、部落と一般とがほんとうに平等な立場になるためのこの部落予算といいますか、部落解放に対する施政をやっておるわけでありますから、そういう意味では、いまあなたが私にただされたことについては同意をいたしております。そこで、あなたのおっしゃるのは、その何とか一派というものと――私は名前を言うことは、それさえもいま差し控えたいと思う。私は仲よくしてもらいたいというのが目的であります。だから、あなたのおっしゃることが正しいことであれば、何とかそれをよく、いまここでそういうお話がございましたから、ひとつそういうことを踏まえて、部落の方たちが手を握って、そしてほんとうの部落の幸福を願う態度をとっていただくようにお願いをいたしたい、こういうことでございます。

○村上(弘)委員

もう一言。じゃ逆の面からお伺いしますが、仲よくと言うあなたは、どなたに対しても、どれかを差別するということはもちろんお考えでないと思う。ということは自治大臣は、この部落解放同盟朝田派であろうと、部落解放同盟正常化連であろうと、全日本同和会であろうと、その他どんな団体であろうと、あなた方は対等に当然つき合いもするし、交渉もするし、予算の支出についても、それは当然公正に相手にする、こういうふうに理解していいですか。どうですか。

○福田(一)国務大臣

私の申し上げたことばの意味を、どういうふうにおとりになろうと御自由でございます。私はいま申し上げたような態度で政治に当たってまいりたい、かように考えております。

○村上(弘)委員

やはりこういう問題に対して、非常に奥歯にもののはさまったような、だれが考えてもどうしてそんなことがはっきりできないのだろうかと思うような感じのことを言っておられますが、いま私が問題にした点について、三木総理の、どういう組織に対しても、どういう地域の人であろうとも、公正に民主的に対処するという問題を含めて、今日までの地方自治体の状況、これに対するお考えをお聞きしたいと思うのです。

○三木内閣総理大臣

いま村上議員からいろいろお話を承って、本問題の深刻さというものの認識を深めたわけでございます。政府は、同和対策事業特別措置法及び同和対策長期計画に基づいて、同法の趣旨にのっとって、総合的に同和問題の解決に一そう努力をいたす決意でございます。

警察も部落解放同盟いいなり
なぜ現行犯で逮捕しなかったのか

○村上(弘)委員

警察のとった措置について、やはりお聞きしておきたいと思うのですが、路上の問題で、一体警察はどうしていたのだろうかということが町の人たちの疑問です。一体どうしておりましたか。なぜ逮捕しなかったか。

○福田(一)国務大臣

その問題については、政府委員から答弁をいたさせます。

○山本(鎮)政府委員

お答えいたします。

警察がこの事件を認知いたしましたのは、当日九時五十七分ごろ、一一〇番によって、この路上でけんかがあるということでございましたので、署長以下直ちにパトカーで現場に急行いたしたわけです。そうしますと、狭い通りに共闘会議の人たちが百五十名ぐらいおる、それから群衆もいるということで、なかなか近づけない。さらに署員が応援に行きまして、大体二十名ぐらい、小さな署でございますので、直ちに応援できるのはそのくらいの部隊ですが、これも近づこうとしたけれどもなかなか近づけない、押し戻されるというような状況のうちに、先生、学校の教職員の人たち数十名が学校の中に連れ去られたという状況で、何とか救い出そうとしたのですが、物理的にできないという状況であったわけです。したがいまして、署長としては直ちに隣接署の応援を求める、さらに神戸の兵庫県警察本部のほうに応援を求めるという形で、いろいろと時間の経過はございますが、最終的には、部隊を編成してその救出に当たったということになりますが、最初の現場の状況は、そういうことでいろいろとやったのだけれども、現場で逮捕するという事態に至らなかったという状況でございます。

なぜ警察は救出に行かなかったのか

○村上(弘)委員

じゃ、学校で、十時過ぎから夜の十一時ごろまで長時間のリンチが行なわれておったわけですが、なぜ学校には救出に入らず、また現行犯逮捕をやらなかったか、この点はどうですか。

○山本(鎮)政府委員

この点については、先ほどもちょっとお話が出ましたけれども、十時過ぎから、署長としては、学校の当局者その他関係の当局のほうに、学校の中はどういうことになっているのだということを聞いたところ、いま平和に、平穏に話し合いが行なわれているのだ、学校の内部の問題だ、教育問題である、そこに警察が出てぐるといろいろ紛淆を起こすので、ぜひこれはやめてもらいたい、そういうことを、再三にわたって確かめたところ、言ったわけです。御承知のところ、十回にわたってそういったことがあったわけです。それからまた共闘会議のほうにも二度にわたって、どうなんだ、あまり時間が長いじゃないかという申し入れをしたわけですが、なかなかそういうことで、当局の、いわば当面の相手の責任者がそういうことを言うので、しばらく事態を見守らざるを得ない。そしてその間に部隊が逐次出てきたので、その部隊の力をもって強制的に中に入るという経緯になるわけでございます。

○村上(弘)委員

路上では動くことができなかった、こういうことを言っているわけですね。学校の中では校長が十回にわたって、入れば一そう紛糾するから、こう言ったから入らなかった、こう言っているわけです。これは非常に奇怪な態度だと思うんですね。事実もまたそういうものでなかったわけです。路上では集団があって警官が近寄れなかったとか、そんな状況じゃないのです。現に先生方の証言では、これは□□という先生ですが、一人の警官の足とピストルのバンドにつかまって、無理に引っぱられようとするのを警官につかまって、何とか引っぱられていかれぬようにがんばっていた。ところがその警官は、その丸尾らの暴徒に対して、やめとけやめとけ、こう言った。それで実際には連れて行かれた。もう一人の先生は、やはり警官のバンドにつかまったわけですが、今度は、つかまったらそれをはずされた、警官から離された、こういうことを言っているわけです。ですから警官は、目の前で暴徒も見ており、リンチを受けて無理やりにけられながら連れていかれる先生につかまられながら、それをふりほどいておる、こういう状況があるわけですよ。

それから学校の状態についていえば、校長が、平穏に話し合っておるとか、あるいは入れば一そう紛糾するとか――入れば一そう紛糾するというのは、それまでに紛糾しておることを認めておることにもなるわけですが、第一に、この路上でこれだけのむちゃくちゃなことをやって学校に連れていったわけですから、何が起こっておるかは、当然警察は判断できるわけですよ。第二は、救急車が午前十時ごろから十回にわたって出入りして、八鹿病院にどんどん負傷者を運んでおるわけでしょう。それから、家族や生徒や保護者から保護願いが来ておる。生徒たちは泣いて、警察署の前へ来て、先生が殺される、先生を助けてくれ、とこう言って訴えておるわけです。これはもう全くひどいじゃないですか。そうして八鹿病院にどんどん負傷者が入っておることを、警察官も病院に行って、それは現認しておるわけですよ。しかも学校の中から、体育館やそれから本館から悲鳴が聞こえておることが、その側の道路に聞こえてきておるのです。町の人はそれを聞いているのです。その上に、□□先生、これは婦人の先生ですが、その御主人は、奥さんが呼んでおるからといって電話で呼び出されて、そうして呼び出された学校で、この奥さんが言うことを聞かぬのはおまえが悪いのだということで、一緒に糾弾を受けて、そしてまたリンチの場に連れていかれた。その強行連行するところも、自動車に押し込んで連れていくところも、その出るときに、警官をこの先生は現に見ておるわけです。こういうふうな状態があるのですから、これはもうその警察力を発動する判断ができなかったとか、あるいはそういうことはわからなかったなどというようなことは絶対に言えないわけです。

しかも、学校の校長の判断をかりにたてとしたとするならば、一番最後に学校に入ったのは、一体だれと話し合うて入ったのですか。運動側の二人と話し合うて、もう入ってもええか、もう入ってもよろしい、こういう話し合いがついて入っておるじゃないですか。学校側の了解を得られないからといって入らなかった警察が、どうして最後のときには運動側の了解を得て入ることになったのか。この運動側の了解で入ったということは、これは兵庫県警本部長も確認しておるんですよ。これについてどういうことをあなた方は言えるのですか。どうですか。

○山本(鎮)政府委員

最後に入ったときはどういう状況であるかということでございますが、こちらの聞いておりますことによりますと、そういうことで部隊の編成が成って、そしてやはり長時間にわたって相変わらず不穏な状況があるのじゃないかという独自の判断で、最後には入ったというふうに聞いております。

校長なども共犯者ではないか

○村上(弘)委員

もう万事リンチが終わって、丸尾らがもう彼らの目的を達成した、全部にまさに瀕死の重傷を負わせて、そうして無理やりに自己批判書なるものを書かせた。だからこれは、入ってもよろしいという状態を確認して、自己の判断で入ったという以外の何ものでもないわけですよ。事実の状況はそうなんです。学校の校長は、そのときには運動側の二人と話し合うて入りました、こういうふうな状況になっておるわけです。さらに百歩譲って、学校長がそういうようなことを――これは県警本部長はあとで、こんなたくさんの重傷者が出たじゃないか、結果からいえば、校長が平穏に話し合っておると言ったのはうそだったということになるじゃないか、それはそうだ、うそだった、それじゃ、学校長のとった態度はどういうことになるのだ、けしからぬことだと思っておる、こう言うのです。じゃ、けしからぬことだと思っておるのなら、この先生方は、学校長も教頭も、またそのときはち巻きを巻いておった教育委員会の当事者も、全部告訴しておるのです。これは共犯者じゃないかということで告訴しておるのです。じゃ、この校長や教頭に対して、いま警察当局は、どういう捜査をし、どういう取り調べをしておるか、これを聞きたいのです。

○山本(鎮)政府委員

警察本部といたしましては、事件の起きました翌日、二十三日から特別捜査本部を設けて、多数の捜査員を専従させて捜査をいたしております。その過程で、そういういま御質問のあったほうの問題についても十分捜査をしておりますので、事実がはっきりすれば、具体的な処置をとるものというふうに考えております。(村上(弘)委員「取り調べをやっておるわけですか」と呼ぶ)まだ取り調べをするという段階に至っておりませんけれども、いろいろとそういう方面をも兼ねて、捜査を進めておるというふうに聞いております。

○村上(弘)委員

この警察のとっている態度というのはきわめて奇怪だと思いますよ。三木総理もほんとうにそうだとうなずいておられるわけですが、だれが聞いても、こんなことを、ああそうか、わかった、と思うような者はおらぬわけですよ。大体警察は、現地の町民の非常な憤りと告訴によって、放置できなくなって、やっと十一名までは逮捕したわけです。しかしながら、こういう状態を許し、警察を入れないたてとなった校長を、県警本部長に言わせれば、けしからぬと――実はこれは責任を他に転嫁しておるということに、先ほどの状況からいったらなるわけですが、それじゃ、その校長がそういう態度をとったからだというのであれば、なぜ校長を調べないのか。まだ調べていないわけですよ。こんなことは、世間が、そうですかと納得できることですか。

しかも、現在十一名逮捕しておりますけれども、この負傷した人たちは五十八名いるわけですよ。五十八名に十一名でこんな重傷を負わしたわけじゃないのです。数百名が入った中でやっており、もうそれこそ意識もうろうで、現認できる人の数は限られておったけれども、それでもちゃんと特定の人を指定して告訴しておるんですよ。その数は相当たくさんの人を告訴していますよ。なぜ十一名にとどめているのか。なぜいまでもこういう暴徒に対して放置しているのか。学校の校長や教育委員会の当事者に対する取り調べ、それから逮捕の問題、同時に、この丸尾らの集団暴行に加わって、現認しておって告訴している者に対してなぜ早く逮捕しないのか、このことをお聞きしたいと思うのです。

○山本(鎮)政府委員

お答えいたします。

告訴、告発も多数、この事件の起こる前の朝来関係を兼ねて、出ておることは承知いたしております。この全貌をはっきりさせるために、いま鋭意捜査を広範にわたってやっておるわけでございまして、十一名の逮捕者でこれで終わりというのではございません。その関連についてはさらに徹底的な捜査をして、この事実を解明して適正な措置をとる、そういう所存でございます。

警察が暴力を放置し、南但馬一帯を無法地帯にした

○村上(弘)委員

そういうことをいま言っておるわけですが、しかし、事ここに至るまでに、兵庫県警あるいは現地の警察がとった態度の問題、これも非常に重大だと思うわけです。まさに無法状態に南但馬一帯はなっておったわけですね。これは去年の十一月ごろからで、それ以前はあそこには部落解放の運動はいわば普通の状態であったし、それから有志連合会というのがありまして、非常に正しい態度でいこうという運動もあったわけです。ところが、この丸尾らが地方の部落解放同盟朝田派の指導と組織のもとで行動を始めてから、急速にこの丸尾らの力が大きくなっていくわけです。そのてこは、先ほど言ったような糾弾ですよ、暴力、脅迫ですよ。そうしてもう自治体も教育も教育当局も学校も全部ずうっと屈服させられていくわけです。

こういうことはもう枚挙にいとまないのです。昨年十一月以来南但地域で、確認会、糾弾会、これはもう無数と言ってもよいでしょう。そうしてことしの五月段階になると、すべての自治体を彼らは制圧するのです。みんな屈服させられてしまう。そうしてすべての学校に解放研という組織がつくられていくわけです。そうしてことしの十月には、この朝来中学校の橋本先生宅を――この先生はそういう彼らの集団的な威圧に屈服せずに、正しい態度を守り抜いておったわけですね。これがおるからけしからぬということで、この橋本先生宅を、十月二十日から一週間、連日三百名から、最後には三千人を動員して、ここには先ほど見せた生徒、女子の生徒まで動員して、そうして連日朝から晩まで――朝の四時も夜中も投光器で照らしつけて、マイクでがなり立てる。この家族は八十九歳のおばあさんと六十一歳のおかあさん、小学校一年生、三歳と一歳八カ月の子供さん。子供さんはもう一日じゅう泣き詰め、こういうふうな状態を続けて、裁判所がこれはもう排除すべきだという仮処分をやっても、なおかつ続ける。毎日毎日糾弾行動をそういうふうにむちゃくちゃにやっておるのに、機動隊はおるんですが、おってもそれに手を出さない。こういうふうな状態が続いてきておるわけです。つまり、この八鹿高校事件一つだけをとってみると、全く想像もできないような状態が起こっておるし、世間から見ると、そんなことはうそだろう、まさかそんなことはないだろうと思うような状態になっておるわけです。しかし、去年の十一月からずっと積み上げられてきた糾弾行動、暴力行動、その間、橋本先生事件では百名からの負傷者が出ておるわけです。この問題でも告訴、告発しておるわけです。負傷者がたくさん出てきておって、相当たくさんの告訴をやっておるにもかかわらず、警察はそれに対して全く手を出してこなかった。こういうことが今日八鹿高校事件をつくり出したのだというように事態はなっておるわけです。

そこで警察は、あのときは手が出せなかったとか、あるいは校長が平穏に話し合っておるからだとか、そんなことを言って、それでいろんな逃げ口上を言っているわけですが、結局のところ、これは警察が、事ここまで大きな猛威をたくましくしたあの状態のもとで、よう手を出さなかったというのが実情じゃないのか。こわかったというのが実情じゃないのか。実際にこの問題に対しては、現地の生徒たちが警察署に抗議に行ったんですよ。先生を早く助けてくれと言ったら、五十人の人が一人の人を殺そうとしておっても、こちらの数が少なかったら見ているほかないのだ、殺されてもしかたがないのだ、こんなことを言ったというんですよ。こんな警察があるか、警察はこんなことを言うものかといって、生徒は作文集に書いていますよ。ですから、一つ一つの暴力を見のがして、泳がしてきた結果が、結局こういう事態をつくり出し、その事態に直面した警官は、それに対して逃げ口上をもうけて手を出さない、これが事の真相なんですよ。

だから私は、最後に公安委員長にお聞きしたいのだけれども、こういう一つ一つの暴力のあらわれに対して、ほんとうに厳正な態度で立ち向かうか、取り締まるか、これをはっきり聞いておきたいと思うのです。

○福田(一)国務大臣

本会議でも申し上げましたが、これははっきり申し上げておきます。実は、いままでの経緯においていささか手ぬるいところがあったと言われますが、私といたしましては、国家公安委員長になってから、暴力は断じて許さない、どういう種類の暴力であろうと、どういう階級に属する者であろうと、民主主義というものは暴力を認めてはできません。議会政治もできません。でありますから、暴力は断じて許さないという態度で、これから対処してまいりたいと考えております。

暴力に立ち向かう生徒たち

○村上(弘)委員

最後に総理にお聞きしたいのですが、こういうひどい状態の中で、しかし町の人たちや、それから学校の生徒、先生方は、こういう暴力に対して雄々しく立ち向かい、自分たちの自由を守り、安全を守るために立ち上がっていっておるということです。特に十二月十日、八鹿高校の生徒自治会総会は、次のような決議をやっています。「八鹿高等学校生徒自治会綱領」「学園の自由と平和を我々の自治活動の中で確立しよう。」「我々は、本校の教育、自治へのいっさいの外部団体の介入に反対する。」「我々は、いかなる困難な状況においても学生の本文である勉学に励む。」「我々は、真の民主主義、民主教育を確立するために、団結していくことをここに確認する。」「生徒、職員の手で、今後より積極的に民主的同和教育を進めていく。」こういうふうに生徒たちは、あの中で、おとなたちのふがいなさや警察に対する憤りを胸に深く抱きながら、しかし自分たちで、自分たちこそが学校、自分たちの教育の場を守っていこう、それで勉学にほんとうに一生懸命になろう、こういうような決議をやっておるわけです。地方自治体やそういう方面でも、また新しい動きも出ております。近くの大屋町の区長協議会でも、「一切の暴力を否定し「明るい真の民主社会の実現を目ざしての部落解放であることを確認されたい」、町当局にこういう要望書を出しております。いままでこういうことをやったら、もうそれだけでも糾弾されておったのです。ひどいリンチを受けておったのです。しかし、いまやほうはいとしてこういう団結の動きが起こってきておるわけですが、こういう一つ一つの暴力に立ち向かいながらも、自由と民主主義、暴力を一掃する、自由にものが言える社会、自由にものが言える町を、職場を、学校をということでがんばっておる人たちに対して、公正な、民主的な同和行政、教育の自治と中立、それから地方自治を守るという問題について、いまの朝来町の皆さんに対して、総理からひとつあいさつをしてあげてください。

○三木内閣総理大臣

同和問題に限らず、福田国家公安委員長の申されるように、民主主義の社会と暴力とは絶対に相いれないものでありますから、今後暴力事犯が起こりますならば、必要な捜査を行なって、厳正な措置をとって、法秩序の維持をはかる決意でございます。

○村上(弘)委員

爆弾事件から暴力学生の殺し合い、それからいまの解同朝田派の暴力問題、とにかく一切の暴力を一掃するということについて、ひとつ三木内閣も、総理も、公安委員長も、決意を新たにして厳正な態度で臨んでいただきたいというふうに思うのです。

八鹿高校教職員の側に非難さるべき落度は認められない(民事訴訟判決)はこちら