地域改善対策啓発推進指針

(出典:「同和行政史」p434 総務省大臣官房地域改善対策室 平成14年)

地域改善対策啓発推進指針について

(通知)

昭和62年3月18日 総地第43号
各都道府県知事,各指定都市市長宛
総務庁長官官房地域改善対策室長通知

 標記については,昭和59年の地域改善協議会意見具申において,啓発推進のための指針の策定を行うべきとの提言がなされたところであるが,この度,別添のとおり,その指針を取りまとめたので送付する。

 ついては,今後の啓発活動の推進に当たっては本指針を参考として一層の工夫を願いたい。

 なお,第3章の啓発の具体例については,後日,通知する予定である。

(別添)

1.昭和44年の同和対策事業特別措置法(法律第60号)及び昭和57年の地域改善対策特別措置法(法律第16号)に基つく同和対策事業及び地域改善対策事業の推進により,同和問題の現状は「同和地区住民の社会的経済的地位の向上を拒む諸要因の解消という目標に次第に近づいてきたといえる」〔昭和59年6月19日に地域改善対策協議会(以下「地対協」という。)から提出された意見具申(以下「59年意見具申」という。)〕状況になってきた。このことは,昭和61年8月5日に公表された地対協基本問題検討部会の報告(以下「部会報告」という。)及び昭和61年12月11日の地対協意見具申(以下「61年意見具申」という。)においても,昭和60年11月30日現在で実施された地域啓発等実態把握(以下「実態把握」という。)の結果を踏まえつつ,「同和地区と一般地域との格差は,平均的にみれば,相当程度是正されたといえる。」と再確認されている。

2 一方,心理的差別の解消は,「内外における人権尊重の風潮の高まり,各種の啓発施策及び同和教育の実施,実態面の劣悪さの改善等によりその解消が進んできている。」ものの,「差別意識の解消は,現在,十分な状況とは言い難く」「啓発活動は,今後における地域改善対策の重点課題」(いずれも61年意見具申)である。

3 しかし,心理的差別を解消するための啓発は,今日,後述する理由(第1章の1参照)により,極めて複雑な状況下に置かれており,明快な論理に基づく指針の必要性が痛感されるところである。

4 かかる状況下に,59年意見具申においては,国において啓発推進のための指針の策定を行うべきであるとの提言がなされており,これを受けて総務庁長官官房地域改善対策室は,昭和60年12月17日に啓発推進指針策定委員会を開催し,同委員会に専門的観点からの検討を依頼した。同委員会は,同日以来昭和61年9月25日まで計7回にわたり啓発推進指針の検討を行った。本指針は同委員会の専門的意見を参考としつつ,59年意見具申,部会報告及び61年意見具申をも踏まえ,地域改善対策室で取りまとめたものである。

5 本指針の性格は次のとおりである。

(1) 地域改善対策の啓発に関しては,既に関係行政機関等において相当の経験が積み重ねられているので,その経験を踏まえた上での反省すべき点に主として意を用いた。その際,従来の常識とされていたことについても,根本的に再検討を行った。例えば,啓発のテーマで従来取り上げられなかったものも,必要なものは積極的に取り上げることとした。内容についても思い切った発想の転換を行っている。

(2) しかし,本指針を拠りどころに初めて啓発を実施する者もあると考えられるので,それらの実施主体については,第3章の具体例(別冊)〔略〕で配慮することにした。

(3) 本指針の想定している啓発の実施主体は,国,地方公共団体,教育機関,企業,その他諸々の団体及び国民個々人である。指針は,これら実施主体に共通的なものを主としているが,特定の実施主体だけを想定しているものについては,文脈上それが分かるように配慮している。
 本指針は,必要に応じ随時改定して常に最新の状況に即応した指針とすることを予定している。

第1章 啓発の目的,テーマ及び内容

1 啓発の目的は何か

 地域改善対策として啓発を行う目的は何か。この問いに対する答えは一見自明のようであるが,効果的な啓発実行の第一歩は,その目的を的確に把握することである。
 地域改善対策の啓発の目的は,次の二つに大別することができる。

(1) 同和関係者に対する差別意識の解消

(2) 同和関係者の自立向上精神のかん養

 同和関係者に対する差別意識は,今日では複雑な様相を呈している。 61年意見具申でも指摘されているとおり,「同和地区の実態が大幅に改善され,実態の劣悪性が差別的な偏見を生むという一般的な状況がなくなっているにもかかわらず,差別意識の解消が必ずしも十分進んできていない背景としては,昔ながらの非合理な因習的な差別意識が現在でも一部に根強く残されていることとともに,今日,差別意識の解消を阻害し,また,新たな差別意識を生む様々な新しい要因が存在していることが挙げられる。」。その新しい要因として行政の主体性の欠如,同和関係者の自立,向上の精神のかん養の視点の軽視,えせ同和行為の横行,同和問題についての自由な意見の潜在化傾向が挙げられている。この新たな差別意識の解消も,今日の啓発の重要な目的の一つである。

 一方,同和関係者の自立向上精神のかん養は,それ自体啓発の大きな目的とされなければ,同和問題の解決は望めない。これまで,同和関係者の自立向上精神のかん養のための啓発は比較的軽視されてきたが,この面でも行政は,主体性を発揮して取り組む必要がある。

 なお,啓発活動の具体的に目指すところは,部落差別に関する心理的土壌を変えることである。国民の中には,まれにではあるが,同和関係者に対する偏見に凝り固まって,あらゆる啓発活動を受け付けない者も存在するが,このようなものが全く無くならない限り,啓発活動は無意味であると考えることは,極めて狭い見方である。このような者が社会から浮き上った存在となり,その存在がかえって差別意識の愚かさを一般の人々に感じさせるような社会の雰囲気を作ることこそが啓発の目指すところである。

2 啓発のテーマと内容

 啓発の目的が明確に自覚されれば,その目的を実現するための様々なテーマと内容がおのずから考えられる。以下,従来の啓発テーマと内容を反省しつつ主なテーマと内容について触れる。

(1) 従来の啓発のテーマと内容の問題点

ア 啓発のテーマが限定されていること

 従来の啓発のテーマと内容の問題点としては,まず第1に,テーマが極めて限定されていることが挙げられる。適当な啓発の方法さえ選べば,同和問題の解決のために必要なあらゆる事項が啓発のテーマとなり得るのであり,啓発のテーマについても発想の転換が求められている。

イ 啓発内容が画一的であること

 第2の問題点としては,従来の啓発の内容が極めて画一的であったことである。従来の啓発は,同和対策審議会(以下「同対審」という。)を主な資料とし,同和地域発生の背景と成立の経過,同和問題は基本的人権にかかわる問題であること,そして,その早急な解決は国の責務であり同時に国民的課題であることなどを内容としたものが大部分であった。その結果,「従来の行政による啓発活動の進め方に画一的で新鮮味に欠ける面がみられたことは,国民に同和問題に対するまたかという意識を生じさせる」(59年意見具申)などの現象が生まれた。啓発内容についても抜本的改善が必要である。

ウ 啓発のテーマと内容の選択に主体性が欠けていること

 第3の問題点は,啓発のテーマの選択とその内容に関して,啓発主体の主体性の欠如が往々にしてみられることである。国,地方公共団体,機関,民間企業等の啓発の主体は,民間運動団体の反発が仮にあったとしても,同和問題の解決のために必要な啓発は断固これを行うというき然たる態度がなければ,国民に受け入れられる効果的な啓発を行うことはできない。

エ 民間運動団体の行う啓発の問題点

 今日,民間運動団体は,各種の出版物の発行,研修会,各種行事等の実施,大会の開催等を行っており,その啓発に果たす役割は極めて大きいと考えられる。しかし,民間運動団体の行う意識的,無意識的啓発活動の中には同和問題解決に逆行する結果をもたらしているものがある。例えば,59年意見具申でも指摘されているところであるが,行政施策の必要性を強調するため,同和地区や同和関係者の社会的低位状態を強調し過ぎることは,かえって心理的差別を助長させてしまう結果をもたらすおそれがある。

 また,一部の民間運動団体が自他への教育と位置付けている確認・糾弾行為も,被糾弾者を大衆の面前に引き出すことによって,また,時には大勢で激しく非難することによって,被糾弾者のみならず,一般国民に,こわいという意識とともに,接触を避けた方が賢明という意識を助長している傾向が見られる。これは,部会報告でも明らかにされているように,それが始められた頃の社会環境と今日のそれでは極めて大きな違いがあるにもかかわらず,一部の団体においては運動理念及び形態が従来のままである,ということに起因するとみられる。同和問題解決のためには,民間運動団体の啓発の在り方についても再検討が望まれる。

(2) 啓発のテーマと内容

 今後の啓発のテーマと内容としては,次のようなものが重要である。

ア 地域改善対策の今日的課題に関する事項

 61年意見具申において「同和問題解決のために成し遂げるべき極めて重要な今日的課題」として挙げられた四つの課題の実現のためには,積極的な啓発が必要である。このうち,同和関係者の自立・向上精神のかん養については後述するので,ここでは他の三つの課題について触れる。

(ア) 行政の主体性の確立

 部会報告では,地域改善行政においては,特に行政の主体性を確立することが重要であり,その姿勢が貫かれなければ,新たな差別感を行政機関自らが創り出すこととなり,同和問題の解決に逆行する結果となると厳しく指摘している。また,61年意見具申でも「行政機関は,その基本姿勢として,常に主体性を保持し,き然として地域改善対策等の適正な執行を行わなければならない。そのためには,行政機関は,今日,改めて民間運動団体との関係について見直すことが必要である。」と指摘している。この問題は極めて重要であるので,国は都道府県及び市町村に対して,都道府県は市町村に対して,この点に関する啓発を部会報告及び61年意見具申並びに本指針を参考としつつ積極的に行う必要がある。

 なお,市町村は都道府県及び国に対して,都道府県は国に対して,主体性の確立に問題ありと考える点については,積極的に指摘すべきことも当然必要であろう。

 さらに,民間運動団体の運動目標等をそのまま行政の行う啓発素材として取り入れているものが一部の地方公共団体の啓発にみられるが,行政の主体性の確立の観点から自粛すべきである。

(イ) えせ同和行為の排除

 えせ同和行為は,これまでなされてきた啓発の効果を一挙にくつがえし,同和関係者及び民間運動団体に対する国民のイメージを傷つけることが甚だしく,同和問題に対する誤った意識を植え付ける大きな原因となっていると61年意見具申において指摘されている。えせ同和行為は,同和問題解決のために断固排除する必要がある。そのためには,啓発においてもこれを積極的に取り上げる必要がある。啓発の内容としては61年意見具申及び部会報告でも明らかにされているように,①えせ同和行為の定義②団体等からの不当な要求については,断固として断り,また,不法な行為については,警察当局に通報する等厳格に対処する必要があること等望ましい対処の仕方③不法行為に対しては的確な警察措置が採られている現実を明らかにすること等が重要である。

 なお,民間運動団体の指導者の多くは,差別を口実にわずかな金品ももらうことは運動の趣旨に反するので,そのような者がいれば,団体の一員であっても,即刻警察に通報してほしいとの厳しい姿勢をもっている。このことは,民間運動団体内部においても周知され,えせ同和行為排除のための自律機能や自浄能力を高める努力に結びつけられる必要があるとともに,あらゆる啓発主体によって企業や国民等に周知される必要がある。

(ウ) 自由な意見交換のできる環境づくり

「同和問題について自由な意見交換ができる環境がないことは,差別意識解消の促進を妨げている決定的要因となっている。」と61年意見具申でも指摘されているとおり,この課題の重要さはいくら強調しても強調し過ぎることはないであろう。

 国及び地方公共団体は,国民,民間運動団体,企業及びジャーナリズムにこの課題が達成されることの重要性を積極的に啓発するとともに,
これを妨げるものを断固として退ける姿勢が,言論の自由を守る上からも極めて重要であることの周知に努めなければならない。

 また,国及び地方公共団体は,率先して同和問題に関し,自由な意見を発表する必要がある。トラブルの発生を恐れるあまり,一部民間運動団体に事前に内容の了承を得てからでなければ,啓発文書の公表や研修会等の講師の選定等ができないようなことが慣習化されている行政機関は,61年意見具申の精神に立って,この際それを改める必要がある。そうでなければ国民の信頼を得られる啓発を行うことはできないであろう。

 民間運動団体も,事前のチェックを慣行化させているとすれば,それは組織的圧力による言論の自由の抑圧であり憲法第21条の精神にそわないものであるので,改められるべきであろう。啓発内容の批判があれば,事後に言論により堂々と行うべきである。その批判の態度と質によって,国民の当該民間運動団体に対する評価は,あるいは高まり,あるいは低くなるであろう。言論の自由は徹底的に尊重されなければならない。

 言論の自由を軽視すれば,同和問題の解決が国民的課題となることは困難である。

 また,言論に対して,言論による批判に徹しないで集団による圧力に安易に訴えるならば,世論の有形無形の批判を受け,前述の新たな差別意識を助長することになることを民間運動団体も十分理解すべきであり,国及び地方公共団体はこれらに関する啓発に努める必要がある。

(エ) 差別及び確認・糾弾に関する考え方

 同和問題における差別とは何か,これまでの差別事件といわれるものにはいかなるものがあり,いかに解決されたか。解決方法等における問題点,今後の改善の方向等についても,タブー視することなく,61年意見具申及び部会報告の内容を参考としつつ積極的に啓発の内容に取り入れるベきである。
 確認・糾弾に関する考え方については,部会報告に明確な見解が示されているので,その内容を次の(オ)のように,分かりやすく記述して啓発に努めることが必要である。さらに,確認・糾弾に関する判例の内容を紹介することも重要な啓発となる。

(オ) 差別事件の処理の在り方

 ある個人又は企業等が差別発言等の差別事件を起こしたとき,その個人・企業等はいかにすべきかを啓発することも,59年意見具申及び61年意見具申並びに部会報告で指摘されている「こわい問題,面倒な問題である」との意識の発生を防ぎ,新たな差別の発生を防ぐ上で重要である。この場合,啓発すべき内容としては次のようなものが適当である。

 差別事件を起こしたと指摘された個人,企業等は,法務省設置法により権限を付与された法務省人権擁護局並びに法務局及び地方法務局の人権擁護(部)課(以下「人権擁護行政機関」という。)の人権審判事件調査処理規程(昭和59年8月31日法務省権調訓第383号)に基づいた事件処理等に従うことが法の趣旨に忠実であることである。

 したがって,個人,民間運動団体等から差別事件を起こしたとして迫及を受けた場合,所轄の人権擁護行政機に訴えてくれれば,その事件処理に従う旨を追及者に告げることが肝要である。相手がそれに応じない場合は,自ら所轄の人擁護行政機関に出頭し,同機関の事件処理等に服する旨を申告することができる。このようにすれば,法に基づく妥当な事件処理が行われることになるのである。

 今一つのみちとしては,全く任意に民間運動団体の主催する確認会,糾弾会に出席することが考えられる。 この場合,出席が本人の自由意思によるものであり,出席しない場合は,民間運動団体の激しい抗議行動が予想される等の強制的要素がないことが重要である。また,集団による心理的圧迫がないこと(出席者を糾弾側,被糾弾側同数とし,かつ少人数に絞ること等の工夫が必要である。),確認糾弾の場を権威を持って取り仕切ることができる中立の立場の仲裁者が居ること,プライバシーの問題が無い場合は,第三者にも公開されて冷静な客観的議論ができる環境が保証されていることの各要件がすべて満たされている必要がある。

 しかし,このような理想的な確認・糾弾会が開かれることは,これまで皆無に近かった。前述の法の定めるところに従った人権擁護行政機関の事件処理によることが適当であるとされるゆえんである。

(カ) ねたみ意識,逆差別意識等に関する掘り下げた論議

 ねたみ意識,逆差別意識等の問題については,地域改善対策が公平の原理を無視して実施されているのではないかという地区周辺住民等の疑念がその中にあるのであれば,それを一方的に批判することなく,地域改善対策事業の実態と必要性について掘り下げた論議を展開して十分啓発に努める必要がある。それを怠れば,新たな差別意識を助長すること
になるからである。

 もちろん,この啓発の前提として,地方公共団体の独自の施策の中に一般対策と不均衡を生ずる過度な優遇施策等公平の観点から合理的に説期できないような施策があれば,それを廃止した上で啓発しなければ,国民の納得は得られないであろう。

イ 因習的な差別意識及び新たな差別意識の解消に関する事項
(ア) 差別解消のための逆説的要素に配慮すること

 結婚,雇用,日常の付き合い,友人関係等における差別を無くすことは,これまでの啓発において最も多く取り上げられてきたテーマである。ポスター,パンフレット,冊子,スライド,映画,講演,交流の場の設定等あらゆる方法でこのテーマは取り上げられてきたが,またかという意識が生じてきたのもこの分野のテーマである。

 今後工夫すべきは,啓発の内容である。人の心の奥深く切り込み得る内容とする工夫が,これまでの啓発では十分でなかったと言ってよいのではなかろうか。

 例えば,最も解決が難しいとされる結婚における差別についてみてみよう。一般国民が同和関係者との結婚をためらう理由は何かが実証的に分析され,かつ率直に語られているだろうか。差別的だとの批判を受けることを恐れて,意識的,無意識的に避けてきたのが,これまでの啓発の主流ではなかったろうか。

 人が漠然たる差別感の存在に気付いた場合,それがたとえ啓発教育によって初めて教えられたものであっても,自分も差別されるようになることを避けようという傾向も出て来ることが,遺憾ながら少なくなかったと考えられる。人権意識を我が国において不動のものにするため,また,いわれなき差別に苦しめられる人を無くすというヒューマニズムに富んだ目的のため,これからの啓発は,自分が不利な立場に置かれるかも知れないことを恐れず,信念を貫き通すことが,人間らしい勇気のある,尊敬に値する行動であることをはっきりと伝えることが必要である。世間の目を恐れ,心ならずも差別することは,勇気の無い,人間として恥ずべきことであることも,明確に伝える必要がある。

 また,実態把握において現在同和地区に住んでいる人のうち同和関係者と同和関係者以外の者との結婚は,年齢階層別に顕著に増加しており,30歳未満ではその割合は約6割となっている。この例にもみられるとおり,世の中は急速に変わっている。しかし,自分だけが差別解消のために頑張ってもどうしようもないと思っている人が,かなりみられるが(実態把握では約30%),実は,そう思って消極的にではあるが差別している人が,少なくとも若い人々の間では,既に少数者であることも実態把握の結果として明らかにされている。ヒューマニズムにあふれる確固たる一人一人の個人の今少しの勇気が世の中を明るく変革していくのだということを,データを示しつつ力強く啓発する必要がある。

 この,結婚,雇用,付き合い等の問題については,しかし,同時に民間運動団体の側にも強い自己制御力を求める広い意味での啓発が行われなければ,一般国民に信頼される啓発とはならないであろう。

 すなわち,この問題は感情の伴う微妙な問題であり,パラドックス(逆説)を含む問題である。差別があったとして,激しく非難し抗議を繰り返したならば,相手の差別感は無くなるであろうか。答えは往々にして否である。相手は恐怖の念又は反感を抱くことが多く,因習的差別感と新たな差別感が心の中に潜在化し,固定化してしまうことが多いのは,残念ながら事実である。

 抗議は納得の行く内容と方法で行われ,相手に尊敬の念を生ぜしめるようなものでなければ,良い効果は生まない。差別事件を起こしたとしても,その人は個人としては無力なのであるから,差別解消という大義名分を掲げて,組織や集団の力を背景に大勢で非難するということでは,部会報告でも指摘されているとおり,私的制裁以外の何物でもないと言われても仕方がないであろう。これは,人々の尊敬を得る道ではない。

 もしも良心的な人々の尊敬を得ることを軽視し,恐怖感の利用を肯定するならば,それは明らかに民間運動団体の行き過ぎであり,61年意見具申でも指摘されているとおり,同和問題はこわい問題であり,避けた方が良いとの意識を発生させ,えせ同和行為の横行の背景となる。今,それぞれの民間運動団体の構成員は,一人一人良心に照らして考えるべき時ではないだろうか。行政はそのような正当な勇気とヒューマニズムに満ちた問いかけを民間運動団体に対して行うべきである。それがひとつの重要な啓発であり,それを抜きにしては,ほとんどすべてがおざなりな啓発になってしまうだろう。差別事件は人権問題として,人権擁護行政機関,又は司法機関の裁きにゆだねるというのが国の法の定めるところであり,この法治国家のルールを民間運動団体も自己制御力を持って守ることが,新たな差別感の一要素を解消するために是非必要であることは,61年意見具申でも指摘されているところである。

 したがって,憲法の趣旨に従い,法を率先して遵守すべき国又は地方公共団体の職員が確認・糾弾の場に出席し,差別事件の処理を私的制裁にゆだねるがごとき印象を一般国民に与えていることは,行政職員として好ましくないことである。さらには,確認・糾弾については,民間運動団体の間にも厳しい批判があるところであり,このような場に行政職員が出席することは,行政の中立性の要請からみても,望ましくないことは明らかである。行政職員が憲法の趣旨に忠実な法の遵守と中立性の堅持を第一義とすることなく啓発を行っても,国民の心からの受容を期待し難いのは当然である。行政が姿勢を正さずして,真の啓発はあり得ない。

(イ) 同和関係者であるか否かにこだわることの非合理性,前近代性を強調すること

 憲法第14条は,「すべて国民は,法の下に平等であつて,人種,信条,性別,社会的身分又は門地により,政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない。」と規定している。

 これは,直接的には法の領域の問題ではあるが,私人間の道徳的領域の問題としても,この原則は,国民の間に広く浸透し定着しつつある。

 江戸時代の身分制度に今日こだわることの非合理性,前近代性は広く一般の人々の受け入れつつあるところであるので,「なぜ同和問題についてのみ,あなたは,昔の身分制度にこだわるのですか」という問いかけは,人々の反省を呼び起こすのに有効であろう。

 また,同和関係者も自ら同和関係者であるか否かにこだわらないという信念を固めることが重要である。同和関係者であることにこだわった人々の侮べつの意思表示があったときに,節度ある抗議をすることは,やむを得ないが,すべての人が過去の身分へのこだわりを捨て,平等な一個人として互いに尊重し合うことこそ重要である。これらのことを啓発内容として取り入れる工夫が重要である。

(ウ) 人権問題の一環としての位置付けを明確にすること

 同和関係者に対する差別意識の解消は,すべての人の人権を尊重する精神の徹底という問題の一部である。したがって,同和関係者に対する差別事件は,各種の人権侵犯事件の一つである。

 このことは,明白に意識される必要がある。このことが明らかに理解されれば,同和問題についても他の人権侵犯事件と同じく,人権擁護機関,又は司法機関において,人権侵犯の程度に応じ,それにふさわしい処理がなされるべきものであることが容易に理解される。

 61年意見具申においても,同和関係の差別事件は公的機関の処理にゆだねられるべきであるとしている。そうすることによって新たな差別の発生が抑制されるのであるから,これは,同和問題解決のために最も重要なことの一つであると言えよう。これらのことを分かりやすく,啓発の素材として取り込み,国民,企業,民間運動団体等に周知させることが重要である。

ウ 同和関係者の自立向上精神のかん養に関する事項

 同和関係者の自立向上精神のかん養に関する啓発は,二重の意味で重要である。

 第1に,自立向上を成し遂げた同和関係者は,多少の心理的差別が仮にあったとしてもこれを跳ね返して立派に生きることができる。

 第2に,自立向上精神に富み,社会のルールをきちっと守って努力する同和関係者は,一般国民から信頼を得,心理的差別解消に大きく寄与する。

 自立向上精神のかん養を目的とする啓発は,これまで比較的実施されることが少なかった。その理由としては,第1に効果的啓発内容を作ることが相当困難であること,第2に民間運動団体の反発を予想して行政が積極的に取り組まなかったことが考えられる。

 今後は,国及び地方公共団体は,自立向上精神のかん養に効果的な啓発内容を鋭意工夫する必要がある。また,61年意見具申にもあるように,この点に関する民間運動団体の積極的な取組が望まれる。

 このテーマに関し,積極的に活用されるべき事例としては,次のようなものが一例として挙げられる。

 心理的差別の解消は,通常,人口の流動が多い都市よりも,比較的少ない町村において行うことがより困難である。しかし,ある町で同和問題をほぼ完全に解決したところがある。 その大きな要因の一つが同和関係者が自立向上の意欲に富み,子弟の教育に熱心であり,かつ,社会のルールを守り,自己の向上のために努力していることを,町の一般の人々が理解したことにあったという。この事例の中に同和問題解決の重要なかぎがあると考えられる。多くの同和関係者は,この事例のごとく立派な人々である。一般国民が一部の問題事例によって抱くことの多い悪いイメージを,このような良い事例を積極的に活用すること及び問題事例の適正化を進めることによって変えてゆくことが重要である。

 なお,61年意見具申にも指摘されているとおり,「個人給付的施策の安易な適用や同和関係者を過度に優遇する施策の実施は,むしろ同和関係者の自立,向上を阻害する面を持っているとともに,国民に不公平感を招来している。」。このような個人給付的施策は国において見直しが行われているが,地方公共団体の独自の個人給付的事業についても見直しを行うとともにこれらの見直しの趣旨を十分啓発することが重要である。

 民間運動団体は,差別解消を叫ぶためにも,自立し,更に向上していく努力を重視すべきである。自立向上の努力を重ねている者は,自らの心の誇りを育てることができる。自らの誇りを大切にすることの重要性も啓発のテーマとすべきである。

エ 部落の歴史,実態調査結果等に関する事項

 部落問題に関する知識,情報等も従来から啓発のテーマとして取り上げられてきているが,今後も積極的に取り上げる必要があろう。

 このテーマに関する従来の啓発の問題点は,その知識,情報を得て何を学ぶべきかを明確に意識し,伝えている啓発が少ないということである。

 例えば,部落の歴史及び差別感の生じてきた由来を情報として提供することはなぜ部落問題の解決に役立つのか,その筋道をはっきり説明しないと,単なる物知りをつくるための情報,あるいは“正しい歴史を知らない”という糾弾の材料を提供するだけに終わってしまう。甚だしきは,同和関係者は徳川幕府の政策の犠牲者の子孫であるから補償されてしかるべきだという論に短絡しかねない。明白にしておく必要があることは,地域改善対策は,徳川幕府の政策の犠牲者の補償を行うという要素は何らないことである。

 部会報告にもあるとおり・地域改善対策事業は,現行憲法が目的とする福祉国家の理念に基づいて実施されるものであり,過去及び現在の差別に対する補償として実施するものではないことを啓発を実施する際にも明白に意識する必要がある。

 同和関係者に対する差別意識の歴史を啓発する目的は次のとおりである。すなわち,一般の人が理由のよく分からないままに差別意識を抱いているのは,かかる歴史的事実に由来するのであり,同和関係者に対して無意識的に悪いイメージを持つことも差別感を持つことも,歴史的に継承された偏見であり,現在の事実に照らしてみれば明らかに間違っていること,そしてその間違ったイメージで人を差別することは現行憲法の理念である個々人の人権尊重というヒューマニズムに反することであることを明白に表現することを忘れてはならない。

 なお,部落の歴史以外の知識,情報としては,部落に関する実態調査の結果,地域改善対策事業の内容,同対審の答申,地対協の意見具申,部会報告の内容等があるが,地域の実態の改善状況,国民の意識の変化の動向等について事実をして雄弁に語らしめることを念頭に置きつつ,分かりやすく啓発の内容として取り上げることが重要である。

第2章 啓発の主体,対象及び方法

1 啓発の主体と対象

 啓発の主体と対象については59年意見具申に詳しい記述があるので,同意見具申が詳しく言及していない点の指摘のみにとどめたい。

(1) 啓発の主体の範囲を更に拡大すること

 59年意見具申は,啓発の主体となるベき組織として,学校,地域社会,職場,事業主団体,労働者団体及び行政機関を挙げている。その他には,宗教団体・政党等の政治団体,各種協同組合及びその全国連合会,弁護士,医師,税理士等の職種別の都道府県又は全国レベルの組織等様々な団体が啓発の主体となることができる。

 これらの実施主体は,あくまで自発的に啓発に取り組む姿勢を持つに至ることが重要である。そのためには,行政機関としては,本啓発指針に示したような因習的な差別意識と新たな差別意識の双方の解消を可能とする広い視野を持ち,批判を恐れない勇気のある啓発の指導者を養成するとともに,適切な啓発の素材を準備し,かつ,かかる指導者や啓発の素材の存在を周知させる必要がある。

(2) 啓発の対象が主体となることこそ重要

 前記の啓発の主体となる組織において啓発の対象はそれぞれ,生徒,地域社会の住民,職場の職員,事業主,労働者,公務員,信者等である。59年意見具申において「最終的な啓発の主体は国民である」と言われているとおり,啓発の対象である国民が,自分は同和関係者とその他の人を決して差別はしないという決意を固め,自分自身に世間体を気にする弱い心があれば,それを決然と抑えるとともに,必要に応じて,身近な人々,友人及び親族を粘り強く説得する啓発の主体となることが重要である。

 総論には賛成,だが各論として具体的に自分の身に降りかかったときは反対という,かなり広く見られる態度を打ち破るためには,地域改善対策行政担当者は次のようなことに配意することが重要である。

 まず,第1に,地域改善対策行政関係者及び啓発指導者が自ら啓発の主体となる態度を心の底から確立することである。その上で一般の人々の理解と差別意識の解消を忍耐強く求めることが必要である。これらのことを可能にするためには,えせ同和行為,民間運動団体の組織力を圧力とした問題行動,一部同和関係者の自立向上のための努力の不足などが,みられる場合には,その点を率直に批判できる環境がなければならない。行政は,自らの持てる力を十分活用し,何をおいてもこの自由な意見交換のできる環境を確立しなければすべての啓発の努力はむなしいと言っても過言ではないであろう。

 第2に,啓発の対象者が積極的に議論に参画できる場を確保することである。現に各地でそのような試みが行われているが,自由な発言を保障したところ民間運動団体の立場からみて差別的と思われる発言が相次いだので,民間運動団体の怒りを買ってやめざるを得なかったという事例がみられる。

 しかし,自由な発言を保障する限り,とことんまで保障しなければならず,自らの耳に痛い批判や民間運動団体からみれば差別を拡大助長するとみられ、る発言も保障しなければ,本音で問題を語り合うことはできない。本音で耳「に痛い批判,目先の利害に響く発言も許し合い,忍耐強くお互いに歩み寄りをしなくては,本問題の解決はない。国民と民間運動団体双方の忍耐強い協力を求めるとともに,行政は,断固として自由な意見交換のできる環境を確立しなければならない。

 第3に,同和関係者と一般の人々との交流の機会を頻繁に設け,お互いに尊敬し合い,信頼し合えることを経験として会得することが有効であろう。この場合,小さな間違いやささいな差別的表現は許し合う,寛容さと忍耐強さが双方に求められる。特に,組織された運動団体は,未組織の個人と比較した場合,圧倒的強さを有するのであるから,寛容と忍耐に徹することが望まれる。

 いずれの場合も,パラドックス(逆説)に注意しなければならない。今日の状況においては,差別を激しく糾弾することは,新しい差別を生ぜしめ,差別の解消を迷路に追い込む。一見差別的に見える表現,差別的に見える考え方にも寛容と忍耐を示して節度ある説得又は抗議を行ってこそ,民間運動団体と同和関係者に対する一般国民の信頼と尊敬を得ることができる。そうしてこそ,差別する心の奥深くに切り込み,差別を解消する一筋のけわしい道を切り開くことができるのである。

(3)教育の場における啓発の実施

教育の場における啓発の実施については,重要であるので,特に触れることとしたい。

ア 義務教育期における教育

 この時期は,善悪の判断の基礎が固まる時期であるので,何が正しいことで,何が間違っていることかを教えることが重要である。個人としての自分自身の大切さばかりでなく,他人を大切にし,他人の立場に立って考える態度や習慣を身につけるよう十分に教え,基本的人権尊重の教育が徹底して行われるようにすることが,同和問題解決にとって重要な意義を持っているのである。

 なお,61年意見具申に述べられているように,同和問題そのものについては歴史の教育と並行して教えるなど児童。生徒の発達段階に十分考慮して行われるべきである。

イ 高校・大学等における教育

 この時期は,より円熟したものの見方が育つ時期であり,同和問題に関する歴史的事実及び現代社会における社会学的分析と考察を教えることによって,広い見地から同和問題を考える力を養うことが重要である。

 この場合,従来一部に見られたような同対審答申の記述を絶対視し,他の見方はすべて否定することは避けなければならない。あらゆる見方を実証的に分析する学問的アプローチが重要であり,ここでも自由な意見交換の環境が保障されなければならない。

ウ 差別発言等を契機に学校教育の場に糾弾闘争その他の民間運動団体の圧力等を持ち込まないこと

 学校教育において留意すべきことは,同和教育の過程においてすら,いわゆる差別発言事件が起きることがあるが,その対処方法を確立することである。

 児童・生徒の差別発言は,先生から注意を与え皆が間違いを正し合うことで十分である。差別事件に限らず,どのような場合にも教育の場へ民間運動団体の圧力等を持ち込まないよう,団体は自粛することが望ましい。団体の自粛がない場合には,教育委員会及び学校は,断固その圧力等を排除すべきである。部会報告にもあるとおり,団体の行為が違法行為に該当するときは,警察の協力を求めることが重要である。

2 啓発の方法

(1) これまでの方法の反省と今後の方向

 これまでの啓発は,国の委託等によって主として地方公共団体で行われてきた。その啓発の方法としては,ポスター,はがき,パンフレット,講演会,懇談会,交流会,スライド,ビデオ,テレビ等あらゆるものが既に試みられているが,今後の技術革新によって普及する新しい方法も積極的に取り入れていく精神は重要である。

 さらに,従来の方法の活用方法も見直していく必要がある。本指針に示されたような視野の広い複雑な問題については,比較的長い時間帯を活用できるラジオ番組の活用も見直されてよかろう。また,広い視野で問題を深くとらえ,勇気を持って語り得る講師の養成が急務であるが,当面,その数が限定されているとすれば,テープを活用して講演を聞き,それを基にディスカッションをする方式も採用されてよかろう。

 また,同和問題というテーマに固執せず,興味深いコミュニティー活動や
行事を企画し,住民の広い参加と交流を促進することも極めて有効である。

 さらに,活字離れの世代に対しては,漫画や劇画の活用も有効であろう。ただし,その内容が本指針の示すごとく広い視野に基づいた率直なものでなければ,ワンパターンな画一性を嫌う若者の心をとらえるものとはならないであろう。

(2) 国自らが行う啓発の抜本的改善

同和問題の解決のため,国自らの行う啓発は現在のところ比較的限定されている。既存のものは事なかれ主義に陥っていて,画一的で面白みに欠け,主体的勇気に欠けるものが多い。今後,国の関係行政機関は,両意見具申,部会報告及び本指針の内容を参考にして,率先垂範して全国的に活用可能な啓発媒体の作成,情報資料の収集・提供等の国が行うにふさわしい啓発の推進に努めることが望まれる。

(3)ジャーナリズムに対する情報提供

 61年意見具申でも述べられているように,行政は,プライバシーの保護に配慮しつつ積極的にジャーナリズムに情報,資料を提供するよう努力する必要がある。ジャーナリズムでこの問題が広く取り上げられ,かつ,掘り下げた考察が行われることが最高の啓発活動の一つであるからである。

第3章 啓発の具体例(別冊)〔略〕