部落問題と人権認識について

部落問題と人権認識について

どの子も伸びる研究会 めざすもの

i 部落問題をめぐる運動と行政と教育

 部落問題とは、封建的身分制の遺制として残存してきた「未解放部落」(被差別部落・同和地区)にかかわる差別・人権侵害の問題です。

 戦前の水平社の運動は、戦時体制の進行のなかで消滅してしまいますが、戦後、新たに部落解放委員会から部落解放同盟へと再出発した運動は、勤務評定反対、安保闘争、三井三池闘争など大衆とともに闘う方向性を持ち、部落問題に対する関心を喚起し、政府の同和行政の取り組みを促しました。

 政府・自民党はこれらの運動の広がりを未然に防ぐため、逆に同和対策の積極化をはかり革新抑止策として政治支配に利用します。一つは対策の実施に「国民運動」の形を取らせること、二つは同和対策予算(補助金と特別交付金)をてこに部落解放同盟の指導部主流を補助金行政の道へと誘導することでした。指導部主流による批判者排除が始まり、組織は分裂します。こうして行政と一体になった解放運動(物取り主義)が開始します。合わせて、この時の指導部の行政主敵・報復主義的傾向は、地方自治体財政を破綻させることも辞さないかたちでエスカレートしました。

 当時の学校現場では、解放教育を主張する人々が猛烈に市の教委員会や校長を糾弾していたかと思うと、しばらくしたら、解放会館の館長や市の教育委員会に入るという現象に現れました。最近表面化した芦原病院や飛鳥会の不正問題などもこのような構造から生まれたものです。

 他方、正常化連から発展した全国部落解放運動連合会は窓口一本化の是正など行政の歪みをただす一方、ゆきすぎた糾弾闘争を批判し、住民自身による地域変革・融合の道を対置して運動をすすめました。

 「部落問題」をめぐっては、解放教育論の立場からは、「部落民宣言」が最高の社会的立場の自覚とされ、差別を固定的なものとする指導がなされました。地区子ども会、地区学習会、狭山学習、同盟休校など当時「解放の戦士」をつくるとまで言われました。大阪府も、そうした意図のもとに作成された解放読本「にんげん」を配布し、各市での同和教育研究会も同じような方針をとりました。

 言うまでもなく、解放教育論の誤りは、部落問題を別格化・特殊化し、ありもしない虚構「部落民」を強要し、教育を運動の道具にした点にありま す。

 解放教育論に対峙する教育論は、同和対策事業以前に行われた自主的民主的同和教育の継承と文部省の反動・融和政策に対する批判、合わせて部落問題の別格化・特殊化を廃し、部落問題の解消過程に沿う実践提起となりました。

 後に「どの子も伸びる研究会」に発展する「同授研」は、その時々においてそれらの方向性を示す「めざすもの」を公にする一方、生活綴り方による生活認識と文学による人間認識と社会科による社会認識の重要性を指摘し、人権認識を高める実践の探究を広げていきました。

 部落問題が進学・就学・結婚・居住などでも解消しつつあるなかで、矢田事件を始めとする数々の解放同盟による暴力的糾弾の誤りも裁判の結果を通じて明らかにされ、利権あさりも社会的批判を浴びるようになりました。同和を冠する法律も終わりをつげ、同和問題は人権教育・啓発推進の課題とされるに至りました。

 部落問題は歴史の一部として、自由と平等、生存権獲得の歴史として記述される以外は、特別な行政、運動、教育はかえって特別な意識を生み出すのではないかという段階にさしかかりました。

 「すべての子どもたちを主権者に育てる」取り組みの一層の前進が期待されるに至りました。

ii 人権認識は社会認識を前提にするもの

 人権とは「人間が生まれながらに持っている、他から侵されたり、そこなったりすることのできない「自由・平等などの権利」と言えます。

 とすれば、今の世界はどうでしょうか。世界人口の二〇%は貧困から抜け出せず、戦争や政治的弾圧がいたるところで起こり、言論の自由も危うい状態です。日本の社会も格差社会に移行しつつあります。人権の価値や内容はその地域や時において変動すると言えるでしょう。したがって、「世界人権宣言」や「児童の権利に関する条約」(子どもの権利条約)など国際的に合意された「普遍的な人権」もそれぞれに異なる地域や時に相応しく具体化ざれて豊かなものになるでしょう。

 とすれば、人権認識とは社会認識を前提にするもの、もう少し丁寧に言えば、抽象概念をともなう「人権」についての認識は、社会認識を構成する歴史的認識や現実認識など社会についての認識と互いに関連しあって深められていくと言えるでしょう。人権認識は、「ほんとうのことを暮らしに根ざして」を軸に形作っていくべきだと思います。また、現実の人権保障レベルが人権意識を規定することも直視し、レベルを向上させ、人権を日常レベルで感得させることも大切と言えるでしょう。

 ところで、政府が言う「人権教育・人権啓発」の「人権」とは、このような社会認識とかかわるものではなく、同和対策の延長線上に位置つく「差別意識」の解消を内容とするものです。人権擁護推進審議会が一九九九年に出した答申でも、要するに、さまざまな人権問題のうち、「人権尊重の理念に関する国民相互の理解」を対象とすると書いていることからもわかります。例えば、そのもとで実践化される「人権教育」は、「人権」概念を倭小化したものにならざるをえません。「参加型体験学習」や「人権総合学習」なるものが、実生活から遊離し、道徳と一体のものになっていることもここに起因していると思われます。

 本来の人権は、国民相互の間にある問題だけでなく、公権力や企業などとの間に生起する諸問題もふくめてとらえなければなりません。それらは、やはり社会認識のレベルと密接に関係しています。

月刊誌「どの子も伸びる」掲載