中学校新教科書の身分制・部落問題記述(2015)

中学校新教科書の身分制・部落問題記述(2015)

小牧 薫 2015年7月

■参考

1.2014年度の中学校教科書の検定について 

 文部科学省は2015年4月6日、中学校教科書の検定結果を公表しました。この教科書は2008年版学習指導要領にもとずく2回めの検定です。来年から4年間使われる教科書の採択作業が今年の8月までの間行われます。安倍首相らの推薦する歴史修正主義、憲法「改正」をねらう育鵬社版と自由社版の歴史と公民教科書を教育委員会によって採択させない(子どもたちに渡さない)ための運動がいっそう重要になっています。

 文部科学省は、今回の中学校教科書の改訂に向けて教科書検定基準と検定審査要項(検定審議会内規)を改めるという大改悪をおこないました。それは日本政府の統一見解を書かせることや近現代の歴史事項のうち、通説的な見解がない場合にはそれを明示し、児童生徒が誤解の恐れがある表現はさせないというものです。その具体例はのちほど見てみます。

 検定では、申請点数104点のうち102点が合格しました。不合格となったのは、学び舎と自由社の社会科歴史的分野の教科書です。両社は指摘された欠陥箇所などを修正して再提出して合格しました。新たに社会科歴史的分野で検定申請した学び舎は、現場の教員などが中心になって組織した「子どもと学ぶ歴史教科書の会」が設立した出版社です。しかし、学び舎の歴史的分野の申請図書は「細かいことに入りすぎて通史的学習ができない」などの理由で、いったん不合格となりました。また、「新しい歴史教科書をつくる会」がつくる自由社版は公民的分野の教科書は改訂せず、歴史も最初の申請であまりにも誤りが多く不合格となり、再提出後合格しています。この結果、公民的分野は、教育出版(教出)、清水書院(清水)、帝国書院(帝国)、東京書籍(東書)、日本文教出版(日文)、育鵬社の6種類、歴史的分野はそれに学び舎、自由社が加わって8種類となりました。

 文科省の検定によって、学び舎の申請本にあった「慰安婦(日本軍性奴隷)」については最初の申請本にはつぎのような記述がありました。「朝鮮・台湾の若い女性たちのなかには、『慰安婦』として戦地に送りこまれた人たちがいた。女性たちは、日本軍とともに移動させられて、自分の意思で行動できなかった」(p.237)と、「日本政府も『慰安所』の設置と運営に軍が関与していたことを認め、お詫びと反省の意を表し」たこと、政府は「賠償は国家間で解決済みで」「個人への補償は行わない」としていること、そのため「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させたこと、この問題は「国連の人権委員会やアメリカ議会などでも取り上げられ、戦争中の女性への暴力の責任が問われるようになって」いることなどの客観的事実を述べた記述(p.279)です。しかし、検定ではこれを「欠陥箇所」の一つにあげ、不合格にしました。その結果、合格した教科書では、「一方、朝鮮・台湾の若い女性のなかには、戦地に送られた人たちがいた。この女性たちは、日本軍とともに移動させられ、自分の意思で行動することは許されなかった」という記述(p.239)になって、「問い直される戦後」の項の側注資料(p.281)には「河野談話」の一部要約が記述されています。

 政府見解を押しつける教科書づくりは、領土問題で顕著です。社会科の「学習指導要領解説」の改訂によって、2016年度用では全社が取り上げ、2ページの大型コラムを設けたのが3社あり、その他にも小コラムで扱っています。地理や公民では領土問題の記述を軒並み増やし、政府見解通りに、北方領土・竹島・尖閣諸島は「日本の固有の領土」、北方領土はロシアが、竹島は韓国が「不法に占拠」と横並びに書き、尖閣諸島には領有権問題は存在しないと政府見解を丸写ししています。そして韓国や中国の主張にふれたものはありません。

 通説がないときは通説がない旨を明記せよとの新設された検定基準が文字通り適用されたのが、清水書院の関東大震災における朝鮮人虐殺事件についての記述です。「警察・軍隊・自警団によって殺害された朝鮮人は数千人にものぼった」との現行版記述をそのまま検定提出したのに対して、通説的な見解がないことが明示されていないとの検定意見が付され、「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は230名あまりと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるともいわれるが、人数については通説はない」(P.221)と必要以上に詳細な記述に変更されてしまいました。

 今回の検定では従来よりいっそう書かせる検定という性格があらわになり、歴史でさえ政府見解に基づいて書かせるということになってしまいました。

 育鵬社版・自由社版の教科書は、国際常識や国民世論に反して歴史修正主義を大きく変えないで、検定意見による修正も含め基本的には現行版の枠組みを維持しています。そのことは同時に、育鵬社版・自由社版が、神話と神武天皇の扱いなどの歴史歪曲、近代日本がおこなった侵略戦争と植民地支配や韓国併合の美化、天皇制賛美、日本国憲法の敵視と歪曲等々の点で、これまでと本質的にまったく変わらないことを示しています。こうした教科書を中学生に手渡すことができないことは何度強調してもしすぎることはないと思います。

2.公民の部落問題記述は改善されていない

 大阪歴史教育者協議会のホームページ(http://osaka-rekkyo.main.jp/archives/105)には、柏木功さんの「中学校公民教科書の部落問題は大問題-部落問題解決の到達点を無視、認識は同対審答申のまま-」の論文がアップされています。また、亀谷義富さんは、「中学校公民教科書の部落問題記述の問題点」を季刊「人権問題」2011冬号(兵庫人権問題研究所)と『国民融合通信』№457(2012年5月発行)に書かれています。これらは、2008年学習指導要領改訂にもとずく教科書(2012~2015年度使用)についての批判です。この批判を受けて、今回の改訂でどれだけ改善されたかと期待を持って見ましたが、記述内容は、ほとんど変わりがなく、期待はずれに終わりました。  「部落問題」とは何かがわかるように記述されていないし、部落差別の克服・解消は進んでいるのか、同和対策特別法は終了したとを書いているのかなどの点で、どの教科書も不十分で、改善されているとは言いがたいものとなっています。

 部落問題とは、江戸時代までの日本の社会が身分制の社会であり、明治以後も地域社会の中で江戸時代の賤民身分につながりがあるとされた一部の地域集団が差別されていました。それが近現代の社会問題としてつづいてきたものであり、封建時代の残りかすなのです。しかし、教科書はそのようには書いていません。

 「部落差別とは,被差別部落の出身者に対する差別のことで,同和問題ともよばれます。すでに江戸時代には,えた身分・ひにん身分という差別がありました。明治にはいって身分解放令が出され,そのような差別はないこととされましたが,実際の生活では,差別が根強く残りました」(帝国・公民P.44)などと不十分なことを書き続けています。もっとも問題なのは、育鵬社が「部落差別は憲法が禁止する門地(家柄・血筋)による差別のひとつに当たります」(P.69)と、部落差別は、門地による差別のひとつで帝国憲法下では許されていたが日本国憲法によって禁止されるようになった。だから、憲法で禁止されているが現在も家柄や血筋による人権侵害(差別)が残っているがやってはいけないことだと認識させようとしています。部落差別の起源も現状認識も間違ったものです。

 部落問題の解決とは、社会生活の中で出自を意識しない、出自など関係ないわ、という状態になることです。「同和地区」の指定もなくなり、「同和地区」出身かどうかを意識することも問題にすることもありません。現在では、社会問題としての部落問題は基本的に解決しています。まだ偏見や誤解を持つ人がいたとしても、社会としてそれが受け入れられることはなく、みんなで克服して国民融合をすすめていくという段階にまで達しています。ところが、小学校の教科書には、4社とも同和対策特別法が終了したことを書いていません。中学校の教科書は現行通り、帝国が以下のように書いているだけで、他社は触れていません。帝国は本文で「同和地区の生活改善や,差別をなくす教育などが行われてきました(1)。しかし,現在もまだ,さまざまな場面で差別や偏見があります」と書き、側注で(1)「その結果,生活環境の格差が少なくなり,教育・啓発が進むなか,2001年度で特別対策は終了しました」と記述しているにすぎないのです。そのあとの「部落差別をなくすためには,私たち一人ひとりも,部落差別がいかに人間的に許されないかに気づき,差別をしない,させない,許さないことが大切です。」と差別をなくす心がけを説いている点も改善されていません。

 教出は本文で,東書は側注で、2000年の人権教育・啓発推進法を取り上げていますが、「現在でも差別は根強く残っている」と書いています。日文は本文で「対象地域の生活環境はかなり改善されてきました」と書き、側注で「2000年には、人権教育・啓発推進法が制定されました」と書いています。教科書は部落問題の克服・解消が進んだと書かないのです。

 公民の教科書に被差別部落の歴史を簡潔に書こうとしていますが、どの教科書も不正確で、問題のある記述をしています。詳しいことはここでは触れません。柏木さんの論文を見てください。
3.歴史的分野の記述も改善されず

 新中学校教科書の歴史的分野は八社の教科書が検定合格しましたが、中味は改善されたのでしょうか。学習指導要領はそのままですから、大きく改訂しなければいけないという個所はないはずです。検定基準の改悪などによって、現行版を守ることすら難しいことはすでに触れましたが、執筆者・編集者の努力で改善された個所もあることはあります。しかし、前近代の身分制・近現代の部落問題記述は、依然として特殊化・肥大化されたままです。ほとんどの教科書は現行版のままで、改訂されたものも改善されたとはいえません。その詳細は、のちに見てみます。それでも、学び舎の教科書が一度不合格になりながら、再提出で検定合格したことはたいへん大きな意義があると思います。学び舎も前近代の身分制・近現代の部落問題についてふれてはいますが、他の教科書に比べて記述量が少ないし、記述内容も違っています。詳細はのちにふれます。

 私は中学生にも前近代の身分制のうち河原者やかわた(えた)・ひにんについて教える必要はないと思っています。日本の歴史を学ぶときに、江戸時代の賤民について学ばねばならないわけではありません。大事なことは武士と百姓、町人の身分の別とそれによって暮らしがどうだったのかがわかればよいと思っています。1974年の中学校教科書に、江戸時代の賤民について記述され、その後の改訂で詳しい記述がされるようになりました。そんなことは必要ないのです。中学での歴史学習の際、そんなことは無視すればよいのです。ところが、いまだに詳しく記述され、教えられています。近現代の賤称廃止令(いわゆる「解放令」)、全国水平社の結成についても、中学生に教える必要があるとは思いません。そして、現代の課題で同対審答申を引用し、いまだに部落差別が残存しているかのように書くのは誤りです。それでも書くとすれば、部落差別が克服・解消され、同和対策が終了したことを書くべきです。歴史学習の最後を、部落差別やアイヌ差別、在日外国人差別などが厳然と残っているという学習で終わらせてはならないと思います。

 8種類の教科書すべてがふれている個所は、江戸時代の身分制、近代の賤称廃止令、全国水平社の結成の三個所ですが、そのほかの身分制・部落問題に関わる記述内容についても見てみましょう。

1)室町時代の「河原者」

 室町文化で、なぜ、「河原者」だけが特別扱いされるのでしようか。他の技術者や芸能者、被差別民については記述しないで、なぜ庭園づくりに携わった河原者だけを詳しく記述するのでしょうか。観阿弥・世阿弥の人名は書かずに善阿弥を記述する重要性があるのでしょうか。それなのに、「河原者は差別をうけ」と書くから、「けがれ」観についての説明が必要になるのです。子どもたちに理解できるでしょうか、死などについての偏見が強まるだけではないでしょうか。「河原者」について、もっとも詳しいのは、帝国です。本文は「龍安寺禅宗寺院では,砂や岩などで自然を表現した枯山水の庭園がつくられ,こうした庭園づくりには河原者がすぐれた手腕を発揮しました。」(p.82)と書き、「コラム人権」の「庭園づくりに活躍した河原者」の題で「この時代には龍安寺などで庭園がつくられ,天下一と賞賛された善阿弥をはじめ,庭園づくりの名手が登場しました。その名手の多くが河原者とよぱれた人々でした。昔は,天変地異・死・出血・火事・犯罪など,通常の状態に変化をもたらすできごとにかかわることを「けがれ」といいました。「けがれ」をおそれる観念は,平安時代から強まり,「けがれ」を清める力をもつ人々が必要とされていきました。しかし一方で,清める力をもつ者は異質な存在として,差別を受けるようにもなりました。河原者もそうした差別を受けた人々でした。彼らは井戸掘リや死んだ牛馬から皮をとってなめすことも行っていました。彼らはおそれられましたが,その仕事は社会にとって必要であり,すぱらしい文化を築いていきました。なお「けがれ」は,近代以降に生まれた不衛生という考え方とは異なるものです。」と書き、龍安寺の写真の説明に,「龍安寺の石庭(京都市)制作にたずさわった河原者の名前が残っています」。さらに,「法然上人絵伝」の写真の説明で,「死刑に処される僧侶と河原に集まる人々 川はけがれなどさまさまなものを浄化してくれると考えられていました。そのため刑の多くは河原で行われました」(p.83)と書いています。私は、庭園づくりに活躍した河原者について書く必要はないと思いますし、けがれについての説明も江戸時代の身分制のコラムと重なっています。両方とも必要はないと思います。  教出は「コラム 歴史の窓 庭園づくりに活躍した人々」、東書も「歴史のアクセス 河原者たちの優れた技術」の詳しい説明を書いています。育鵬社、日文、学び舎は「河原者」の語は出していますが、詳しい説明はありません。自由社と清水は、「河原者」の記述はありません。

2)江戸時代の身分制

 日文は現行版を改訂せず「幕府は、武士と、百姓・町人という身分制を全国にいきわたらせました。治安維持や行政・裁判を担った武士を高い身分とし、町人よりも年貢を負担する農民を重くみました。さらに百姓・町人のほかに、「えた」や「ひにん」などとよばれる身分がありました。「えた」身分の人々の多くは、農業を営んで年貢を納めたり、死んだ牛馬の処理を担い、皮革業・細工物などの仕事に従事したりしました。また、「えた」や「ひにん」の身分のなかには、役人のもとで、犯罪人の逮捕や処刑などの役を果たす者、芸能に従事して活躍する者もいました。これらの人々は百姓・町人からも疎外され、住む場所や、服装・交際などできびしい制限を受けました。こうした身分制は武士の支配につごうよく利用され、その身分は、原則として親子代々受けつぐものとされました」と書いています。2001年版以来少しずつの変化ですが、「死牛馬の処理」を仕事と書くのではなく、はっきり「役」とは書いていませんが、「担い」と幕府や藩によって強制されたもののように書いています。これは、学び舎が「「かわた(長吏)」「えた」とよばれた人びとは,農業や皮の加工などに従事し,死んだ牛馬の処理を役としました。「ひにん」は,村や町の番人・清掃などの役を負担しました」(p.117)と書いているのとともに重要なことです。仕事と役の区別をしっかり書いているのは、学び舎だけです。学び舎が「かわた(長吏)」の語を使ったのもよいことだと思いますが、使うとすれば、用語についての説明も注釈もないのは不親切だと思います。

 他の教科書は死牛馬の処理を権利としたり、仕事のひとつと書いていますが、それは誤りです。教出は「えたの身分のなかには,農業を営んで年貢を納める者も多く,死んだ牛馬を処理する権利をもち」(p.113)と書き、東書は「えた身分は,農業を行って年貢を納めたほか,死んだ牛馬の解体や皮革業,雪駄作り,雑業などをして生活しました。…」(p.115)と、生業と役を区別していません。帝国は、「コラム 人権」で、「差別された人々」を扱っています。「近世の社会にも,中世と同じように,天変地異・死・犯罪など人間がはかりしれないことを「けがれ」としておそれる傾向があり(→p.83),それにかかわった人々が差別されることがありました。もっとも、死にかかわっていても,医師・僧侶・処刑役に従事した武士などは差別されなかったので、差別は非合理的で,支配者につごうよく利用されたものであるといえます。差別された人々は,地域によってさまざまな呼び名や役割で存在していました。えたとよばれた人々は,農林漁業を営みながら,死牛馬からの皮革の製造,町や村の警備,草履や雪駄づくり,竹細工,医薬業,城や寺社の清掃のほか,犯罪者の捕縛や行刑役などに従事しました。ひにんとよばれた人びとは,…」(p.117)と、「庭園づくりに活躍した河原者」で説明したことを再び書いていますし、死牛馬の処理を役と位置づけていません。こんなに詳しい説明をする必要がどこにあるというのでしょうか。幕藩体制によって、百姓、町人、えた、ひにんは、がんじがらめに縛られていたということを印象づけたいのでしょうか。

3)身分制の強化、渋染一揆など

 江戸中期の身分制の強化についてふれているのは日文だけです。日文は現行版そのままで「近世史プラスα」のカコミ「豊かになる人々と身分制のひきしめ」で、「「えた」身分の人々のなかにも,広い田畑を経営する者や,雪駄づくりの仕事を行って豊かになる者も出てきました。村の人口も増え,他地域との交易も広まりました。これに対して幕府や藩は,身分制のひきしめを強め,特に「えた」や「ひにん」などの身分の人々に対しては,人づきあいや髪型・服装について,さらに統制をきびしくしました。…」(p.135)と、「えた」身分のなかに豊かになる者があらわれ、身分制がゆるんだので、差別が強化されたという問題のある書き方です。豊かになるものがあらわれたのは、えただけでなく、百姓、町人にもいます。えたを強調する必要はありません。

 蘭学の項で人体解剖をして説明をした「差別された人々」についてふれているのは、帝国(「解体新書」の側注,p.132)と東書(挿絵の説明p.130)だけです。学び舎は「人体解剖の驚き」という項をもうけていますが、「90歳になる老人が腑分けをはじめました」とあるだけで、「差別された人々」とは書いていません。もし書くとしても、賤民にふれる必要はないでしょう。  「渋染一揆」は、教出は本文と発展で、東書と帝国はカコミで、日文は発展で扱っています。日文は発展ページ「新しい世の中をめざした人々」で、「差別の撤回を求めた人々」として渋染一揆について書き、そこでは、「19世紀のなかばころから、社会の枠組みをこえて、自由な経済活動や平等な社会を求める動きが盛んになりました」(p.164)と「世直し一揆」の位置づけをしていますが、他はそうした位置づけになっていません。

4)四民平等、賤称廃止令

 四民平等については、表題は違いますが、すべての教科書に記述されています。清水が「国民の平等」を見出しにしていますが、新しい身分制がつくられたのですし、この段階で「国民」になったわけではないので、不適切だと思います。教出の「残された差別」の見出しも改革の面よりもマイナス面を強調するので不適切だと思います。学び舎が「古い身分の廃止と新しい身分」の題で書いているのと、「解放令」と書かずに、「「えた」「ひにん」などの呼び方を廃止して、平民としました」(p.173)は、これまでなかった表現で、身分制の改革と賤称廃止の布告内容を正しく伝えるものになっています。

 「生活が苦しくなった」「社会的差別は根強く残りました」と書くのは、育鵬社、自由社、清水、帝国、学び舎です。

 日文は、「職業・結婚・居住地などをめぐる差別が根強く残りました」と書いたあとに「そこで,「解放令」をよりどころに,山林や用水の平等な利用,寄合や祭礼での対等な交際の要求など,差別からの解放と生活の向上を求める動きが各地で起きました。」(p.167)と書いているのは妥当なことです。さらに、側注で「明治以降のこの問題を部落差別とよんでいます(→p.217)。こうした身分の人々は,改善策も受けられず,それまでもっていた職業上の権利を失いました。」と書いています。「部落差別」の位置づけはこれでよいと思いますが、「職業上の権利」はこれまでどこにも書いてなかったことです。江戸時代の身分制で、死牛馬の処理は「役」に位置づけていました。どこで、どうして「職業上の権利」になったのでしょう。その説明なしには、この文章は理解できません。そして明治になって、死牛馬の処理権を失ったのは被差別部落のごく一部の豊かな人だけです。

 育鵬社は「政府は身分制度を改めるため,四民平等の方針を打ち出しました。新しくつくられた戸籍には,旧武士は士族、大名や公家は華族,それ以外の人々は平民として,新たな身分が記載されました」(p.168-9)と、皇族についての記述がありません。大事なのは、天皇と皇族、家族、士族、平民の新しい身分と書くことです。

 東書は、発展で「「解放令」から水平社へ」と題して2ページつかっています。内容は現行とほとんど同じで、「解放令」とその後、部落解放運動の始まり、島崎藤村の「破戒」を扱っています。このページにあるカコミも含めて、こんな文章や図版が必要とは思えません。

5)全国水平社の結成

 大正デモクラシーと社会運動の高まりで、多くの教科書が全国水平社が創立(組織)されたと書いています。育鵬社も、日本労働総同盟、日本農民組合の結成と全国水平社が組織されたと書き、そのすぐあとに、「ロシア革命の影響で共産主義の思想や運動が知識人や学生のあいだに広がっていきました。ソ連と国交を結んだこともあり,…君主制の廃止や私有財産制度の否認をめざす活動を取りしまる治安維持法を制定」(p.217)と、日本共産党の結成にふれずに書いています。水平社宣言と山田孝野次郎少年の演説の写真を載せています。自由社も水平社創立宣言の一部を掲げていますが、全国水平社以外の具体的な団体名や主張にほとんどふれていません(p.219)。東書、日文、教出、帝国、清水、学び舎は日本農民組合や全国水平社、新婦人協会、日本共産党の結成などを書いています。教出は、本文で、「ロシア革命や米騒動などの影響も受けて,社会運動が活発になりました。」と書いたあと、労働争議、メーデー、日本共産党の結成(1)、小作争議にふれ、「女性を社会的な差別から解放し… ,また,厳しい部落差別に苦しんでいた人々は,1922年に全国水平社を設立し,差別からの解放と自由・平等を求める運動を進めました。」と書いたあと、側注(1)で「私有財産制度や君主制の廃止,8時間労働制などを主張して活動しました」と明記しています。そして、つぎのページに「水平社宣言」の一部と山田孝野次郎の演説する写真を載せています。日文も「無産政党」についても書き、団体や政党が何をめざしたのかを書いています。重要なことだと思います。

6)現代の課題

 東書の現行版は、「日本社会の課題」の部落差別に関わる側注で「…特別措置法にもとづく対策事業は終了しましたが,引き続き,教育の充実,職業の安定,産業の振興といった面での改善,人権教育や人権啓発などの推進が図られています」(p.242)と同和対策事業の終了を書いていましたがが,新版では本文で「まず重要なのは,人権の尊重です。部落差別の撤廃は,国や地方公共団体の責務であり,国民的課題です」(p.262)と書き、側注で「部落差別の問題(同和問題)は,長い間の部落解放運動(→P161)の発展を基礎として,1965(昭和40)年に国の同和対策審議会の答申がなされて以来,特別措置法によって改善されてきました。現在は,引き続き,教育の充実,職業の安定,産業の振興といった面での改善,人権教育や人権啓発などの推進が図られています。」と特別措置法にもとづく同和対策事業の終了を削除してしまいました。大きな後退です。

 同和対策事業の終了は、他の教科書でも書かれるようになるのかと期待したのですが、残念ながらどの教科書にも書かれていません。それどころか、教出、清水は「差別や偏見が残っており」と書き、日文は「部落差別の撤廃は、国や地方自治体の責務であり、国民的課題です」(p.271)と本文で書き、側注で、人権擁護施策推進法にふれています。私には、どうしていつまでも、このような記述を続けるのか理由がわかりません。

 学び舎が歴史学習の最後を「平和という言葉」の表題で、「戦場の生きものたち」「北の川のほとりに住む人」「あなたの夢は」で構成し、「人は,健康で,楽しく遊んだりして,自分の夢をかなえていく,そんな平和な世界を思い描きます。平和は,戦争によって破られるだけでなく,貧困や差別,人権の抑圧,環境の破壊などによっても、その実現が妨げられます。平和を実現したいと望むなら,どのようにして平和が壊され,失われてきたのか,過去の歴史から学ぶことが必要です。…」と書いています。現代の課題をどう書くかは、たいへん重要です。そこに部落問題の解決を国民的課題と書く時代は終わりました。差別や人権の抑圧が問題だと書くだけで十分です。東書、日文、教出、清水のように部落差別を特別扱いするのはやめるべきです。

 (帝国や教出の側注の番号表記は、黒丸の中に白抜きで数字ですが、インターネット掲載にあたっては文字化けを避けるため(1)などのように表示しました。)